49.海辺のガラガラ②(怖さレベル:★★★)

しかし、一人きりの部屋でボーっとしてれば、

あの海辺での出来事がありありと脳内に再現されてきます。


暗い夜の海。

桟橋から現れた黒い影。

おもちゃのガラガラ。


上半身だけの人間――。


「やめ。ダメダメ……忘れろ」


無音の個室で、嫌な妄想は膨らむばかり。


私はにぎやかしの為にTVを点けて、

現実逃避とばかりに布団に潜り込みました。


目を閉じれば、

ふわふわと目の裏に例の映像がチラついて、

眠気は遠のいていくばかり。


(……ハァ)


ここまで眠れないのなら、

いっそ徹夜してしまおうか、

と寝台の上でモンモンと寝返りをくりかえしていた時。


…………


不意に、音がしました。


…………カラ


(……!?)


とたんに全身が硬直しました。


どこからか。


あの、

海辺でも聞いた、音。


カラ……カラ……


壁一枚を隔てているかのような、

近いようで遠い、微妙な距離感。


カラ……カラ……


恐怖に混乱する頭は、

しかし音源を探そうと無意識に聴覚を研ぎ澄まします。


明かりを落とした室内。


被った布団の隙間から、

そろそろと外の様子を伺った私の目が、

ほんの少しだけ開いたままの、

窓際のカーテンに向かって静止しました。


「あ……う……」


口の端からこぼれるのは無意味な呻き。


わずかばかりのカーテンの狭間。


そこには、暗闇の中でなお、不気味にうごめく

真っ白い目玉が映っていました。


カラカラ……


ギョロギョロとせわしなく動くそれが動くたび、

薄っすらと映り込むあのガラガラのおもちゃ。


この部屋は、ホテルの四階です。

それを、この化け物は腕だけで登り、

ここまでやってきた――?


うすら寒いその事実に思い至り、

全身の血液が冷たく凍り付きました。


「……う」


カラカラ……ガン!


と。


その異形の化け物は、何の前触れもなく、

突如、強く頭を窓に打ち付け始めたのです。


ガン! ガン!


「ひ、ぃっ……」


それはまるで、ガラスを無理やり割って、

中へ押し入ってこようとでもしているかのような。


ガン! ガンッ!


「だ……だめだ……」


もしアレが、入ってきたら。


そうなったら、私はきっと、

とり殺されてしまう――!


「う、うわっ……」


ガン! ガンッ!


叩きつけられる窓に、濡れた液体が滲んでいます。


汗、血、それとも、脳漿――?


ガンッ! ガンッ!


その振動が、部屋全体を揺らします。


緊張でカチコチに固まった身体は、

しかし、指一本すら動かすことができません。


(……もう、ダメだ)


絶望的な気分で、今にも破壊されてしまいそうな窓をただ見つめていた、

その時。


プルルルル……


不意に、ホテルの内線が鳴り響きました。


プルルルル……


「……あ?」


すると、まるで夢から覚めたかのように、

ハッと意識が覚醒したのです。


プルルルル……


「……あ、れ?」


布団から這い出すと、あの狂おしいまでの窓辺の振動は

止んでおり、開いたカーテンの隙間には何者の影もありません。


「え……寝ぼけ、た?」


まさかすべて、夢?

気づかぬうちに、眠りに落ちていたのでしょうか。


呆然と窓辺を見つめていた私の耳が、


プルルルル……


「あっ」


未だ鳴りやまぬ内線電話の音を拾いました。


「も、もしもし?」


こんな深夜帯に、いったい何の電話だろう、

と訝しみつつ受話器を取れば、


『あ、夜分遅くに申し訳ございません。フロントの者ですが』

「あ、は、はい……」

『ええと、あの、申し上げにくいのですが、

 ほかの部家の方より、騒音の苦情が入りまして』


騒音。


つい今しがた、夢かとホッと人心地ついていた気分が、

ぶわっと再び総毛立ちます。


『大変恐縮ですが……なるべく、お静かにお願い致します』

「あ……は、ハイ。すみません……」


緊張と夢見心地が混ざった奇妙な感覚のまま電話を切り、

一拍置いて、その内容を再度反芻して、

私はガタガタと震え始めました。


こんな真夜中に騒音。


私は布団に潜り込み、ただただ怯えていただけでした。


だというのに、それがフロントにまで苦情として連絡が入ったということは、


あの化け物が居たというのは、

夢でも幻でもなく、

間違いなく現実そのものということ。


「……う、っ」


私は湧き上がってきた吐き気を必死でこらえ、

再び布団をガバリと被って、

震えを抑え込もうと縮こまりました。


それから朝までは、

もう一睡もすることはできませんでした。




翌日、私は逃げるようにホテルを後にして、

そのまま都内へと帰りました。


あんな恐ろしい思いをしたせいか、

とても気ままな旅を続ける気にはなれなかったのです。


幸い、そのあと、

私の身の回りにアレが現れるコトは今のところありません。


今となっては、

アレは本当に経験したことなのか、

それすらひどくあいまいで、

自暴自棄の自分が作り出した偽りの記憶なのでは、

なんて思ってしまうときすらあります。


しかし、私は今でも夜の海を目にすると、

あのカラカラ……という、

切なくも物悲しい音が、聞こえてくるような気がするのです。

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