39.電車の中のツインテール②(怖さレベル:★★☆)

「う、わー……」


下りの車内は、

田舎と揶揄される地元では考えられぬくらいの人口密度。


入るのがためらわれるくらいの密着度に気後れしたものの、

乗らずに帰ることなどできません。


意を決し、人をかき分けるようにして乗車してしばらく。


幸か不幸か、行きの出来事を

思い返す余裕すらありませんでした。


(……ようやく、座れた)


一時間ほど、ぎゅうぎゅう詰めの中を

揺られていたでしょうか。


ドッと、人が乗り降りするのが何度も繰り返され、

人心地ついた頃には、心も体もヘトヘトです。


空いた座席に身を縮こまらせて着席し、

カバンを抱え込んでフーっと長い息を吐きだしました。


下りる場所は終点です。


このまま、疲労にまかせてうたた寝をしてしまおうと、

フワフラしてきた意識のままに、

そっと目を閉じようとした、その刹那。


――キンッ。


薄く張った氷に石を打ち付けたような、軽い音。


(……?)


そのままスルーするには妙に引っ掛かりを覚え、

閉じかけたまぶたを薄っすらと開けば、

目に入った光景にオレは思考が停止しました。


空いてきた車内では、

真向いに座る人の足元までがクッキリと見えます。


その、電車の座席。


腕を組み、気難しそうに大きく足を開いた壮年の男性の足元に――

赤いリボンがチラついているのです。


(ウ……ソだ……)


ヒュウ、とか細い呼気が喉を鳴らしました。


ありえない、ありえない。


あんな、あんなところに子どもの頭があるなんて、

そんなはずがない!


(そうだ、演劇の小道具……)


行きの電車であった出来事を反芻します。


そうだ、

あんなところに女の子の頭があるなんておかしい。


だからきっと、

あれはおもちゃかなにかなんだ。


そう、オレは自分自身を

鼓舞するように思いこんだその時。


「ひ、イッ……!?」


しかし。


そんなオレの必死の考えは、

瞬く間に敗れました。


その、チラチラと脚の下から覗いていた女の子の顔が、

フッ、とこちらに気づいたかのように顔の向きを変えたのです。


(わ、笑った……)


ニヤリ、と。


男性の脚の間に見え隠れする彼女。


その首だけの顔は、

なんの感情も見えぬ無表情であったというのに、

ㇰッと眉を下げ、口角を吊り上げ、

目元を盛り上げた――無邪気そのものの笑顔を浮かべたのです。


(気づかれた……!?)


その爽やかな笑みは、

子どもらしくかわいらしいものでした。


しかしそれ自体が、かえって、

とんでもなく場にそぐわない、邪悪なものに感じました。


(う、ヤバイっ……!)


オレは現実逃避するように、

ギュッと強くまぶたを閉じました。


先ほどまでの眠気はどこぞへとすっ飛んでいましたが、

再びアレを直視する気にはとてもなれません。


幻覚なのか、

幽霊なのか、

化け物なのかはわかりませんが、

今、目を閉じている間に消えてくれたら――。


『……ん、終点です』

「……あ」


ハッと、意識が浮上します。


どうやら、目を閉じて揺られている間に、

眠ってしまっていたようでした。


慌てて目前の男性を見れば、

彼もさっさと立ち上がって電車から降りていきました。


もちろん、その脚の間には、

なにも異常はありません。


(……寝ぼけてみた夢、だったかな)


あの時、あれほど恐ろしかった出来事も、

こうして目覚めてみればどうにも現実感が伴いません。


「さっさと帰って、寝よう……」


今日は行きも帰りもさんざんな思いをしています。


もうしばらく電車はこりごりだ、

と痛む後頭部をさすりながら、車を下りました。


欠伸をしつつ、夜の通勤ラッシュで込み合う

向かいのプラットフォームを見るともなしに眺めると、

先に降りたあの壮年の男性が、

電車を待っているのが見えました。


(さらに乗り換えか……大変だな)


と、他人事のようにボーッとそれを見やっていると、

遠くから、電車のランプが見えてきました。


(ん?)


ゆらり、と。


その男性の身体が、

奇妙に傾ぎました。


入ってはいけない黄色い線の内側。


電車が構内に走りこんでくる、その刹那。


揺らいだ男性の身体が、

滑り込むように歪に関節を湾曲させて――


「あ」


グシャッ


駅員や、周囲が止める間すらありませんでした。


目の前で花開いた人体は、

恐れおののく人々の足元を真っ赤に染め上げます。


「ひ、っ……」


しかし、オレが怯えたのは決してそれだけではありません。


落下して飛び散った男性の背後。


そこにたたずむ人影を

見てしまったからです。


彼女は、ツインテールの少女は、

あの帰りの社内で見かけた、無邪気で爽やかな笑みを線路上の肉片に向けた後――

フッ、と煙のように消え去ったのです。


「……!?」


まるきり幽霊のそれに、

オレはわき目も降らずにプラットフォームから逃げ出しました。


目の裏に刻まれた、男性の人体解剖図。


揺らめくツインテールと赤いリボン。


全てを忘れ去りたくて、

その日は浴びるほどに酒におぼれました。




オレはもう、すっかり電車恐怖症になってしまいました。


あの日の記憶が、

ふとした頃にチラついて、

決して忘れさせてはくれません。


小さな会社なので、

ほとんど出張がないのが救いですが、

もしまた命じられれば、

またアレに乗らなければならないのでしょう。


あの、消える直前の少女。


彼女、ほんの少しだけ。


あの笑顔のまま、

こちらを見た気がしたんです。


もしからしたら、

オレが次に電車に乗った時――


それが、最期なのかもしれません。

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