34.弟の自由研究①(怖さレベル:★★☆)

(怖さレベル:★★☆:ふつうに怖い話)


私と弟は、

夏休みのはじまりに母親の実家に預けられました。


両親とも、フルタイムで働いていて、

休みの間面倒をみられないから、

というよくある理由です。


中学生の私と、小学生の弟は、

カバンに宿題をどっさり詰めて、

ゲコゲコとカエルの合唱やかましい中で、

毎年青春を過ごしていたのでした。


その日本家屋には、

リッキーというコーギー犬がいました。


大の犬好きの祖母が飼い始めた、

もう三代目の犬で、

人懐こいその子は毎年、

大量のよだれをもって私たちを歓迎してくれるのです。


リッキーの犬小屋は祖父の手作りでした。


雑にぬられた屋根のペンキが雨風にさらされて、

茶色だか赤だかもわからないような色合いになっているのもまた、

どこかかわいらしいのです。


小屋の中には新聞が敷き詰められて、

リッキーがうっかり粗相などをしてしまうと、

それを片付けるのが夏の間の私たちの仕事でした。




「ねーちゃん、宿題終わりそう?」


弟が、ごろごろと畳の上を転がりながら問いかけてきました。


丁度私は、水彩絵の具を駆使して

人権ポスターを完成させている途中だったので、

ガシャガシャと絵筆を水に浸しながら、


「んー、あと、読書感想文と自由研究、かな」


本当は、まだ英語と理科のドリルも残っていたけれど、

弟のてまえ、見栄をはって呟きました。


「えーっ! もうそれしか残ってないの!?

 ……あー、どうしよー」


毎年のことながら、計画性のない弟は、

ギリギリまで宿題をやらずに残しておくのです。


そうしてこちらに泣きついてくるのが、

もはや定例のことでした。


「だめだめ。今年はもう手伝わないよ。

 私だって中学に上がって、宿題の量がすごいんだから」

「そこをなんとか!ねーちゃん、頼むよ」

「だーめ。コウタもいい加減、ちゃんと自分でやらなきゃ。

 再来年は中学生になるんだからさ」


いつもは折れていた私も、

今年ばかりはと弟の頼みを断りました。


「ええー……そんな。ドリルはいいとしたって、作文とか、

 自由研究とか、なにすりゃいいんだよー……」


ふたたび悶々と頭をかかえながら

畳の上を転がりだした弟を意識からシャットアウトして、

私はポスターの上にそっと色を足していくのでした。




その日は、入道雲がさわやかに青を彩る、

よく晴れた夏の日のことでした。


夏休みも半ばを過ぎ、

あと一週間もすれば自宅へ戻るという、

そんな頃合。


最後の宿題である自由研究のために、

サワガニを探しに近くの山へ行った帰りのことでした。


「……あれ?」


登山道を下る途中。


見晴らしのいい晴天の中、

ぽつり、と黒い煙が上がっています。


なにせ田舎です。


農業を営んでいる人の多いこの辺りは、

焼き畑だったり、

こっそりと自宅のごみを燃やしたりしている人もいて、

煙の上がっているのは珍しい光景ではありません。


だが、その煙の上がっている場所、

そして嫌に黒々としたその色に、

妙な胸騒ぎを覚えました。


「――ばあちゃん!!」


足をもつれさせながら祖父の家に駆けよれば、

祖母が途方に暮れたように立ち尽くしていました。


「ああ……良かった! 無事だったんだね!」


姿を見せた私を見て、

祖母は一目散にこちらを抱きしめ

「良かった、良かった」と泣きながら呟いています。


予想と相違なく、炎の中に消えてしまった家を

呆然と見つめていたが、はっと気づきました。


「お……おじいちゃんは!?

 それに、コウタはどこ!?」


祖父と弟の姿がありません。


動揺して祖母を振り切ってあたりをぐるぐると見回しても、

それらしき姿はありませんでした。


「コウタくんは……運ばれたの」

「……えっ」

「じいちゃんは、一緒に救急車にのっていったわ。

 私はあなたの姿が見えないから、

 戻ってくるまで待とうと思って……」


消防車の警報と、せわしなく動く消防員の傍らで、

どんどん血の気が引いていくのがわかりました。


「……うそ」

「きっと大丈夫。ね、大丈夫よ。……信じましょう」


力強いその口調は、

祖母自らが自分に言い聞かせている、

そんな声でした。




「このバカ!!」

「った! ねーちゃん、ケガ人に対して、ひどい!」


白い寝台によこたわる弟に、

軽いゲンコツを放ってから、

はぁ、と深い息をつきました。


あの後、祖父から連絡をうけて急ぎ向かった病室では、

テレビをみてあっけらかんと笑う元気な弟の姿がありました。


「もー……大丈夫なの、やけどとか」

「ん……まぁ、ね。手とか、足とかがちょっと」


さすがに痛みはあるのか、

わずかに顔をしかめる弟にやや申し訳なさを感じつつ、


「まったく。心配させて……」

「ごめんって。……でも、じいちゃんの家が」


途端に沈んだ声になった弟に、


「あんたのせいじゃないでしょ。……しょうがないよ」


祖父母は、うちの両親に連絡をいれる為、

病室から離れています。


夏まっさかりのこの時期に、田舎の木造建築。


まだ原因は判明していないようですが、

放火でなければ、

なにが原因になってもおかしくはありません。


「…………」


黙り込んだ弟をなぐさめるように

頭を撫でていれば、祖父が戻ってきました。


「痛むか」

「……ん、だいじょうぶ」

「父さんと母さんには連絡しておいたからな。すぐに帰れるぞ」


無理しているとわかる笑みを浮かべる祖父に、

いたたまれない思いが胸を締め付けました。


「おじいちゃん、ごめんなさい」

「どうして謝る? 怖い思いをさせてすまなかったな」


ぽろぽろと泣き出した弟を、

祖父が優しく撫でさすります。


「……おじいちゃん、そういえばリッキーは?」


ふと、犬小屋で丸くなっていた愛犬を思い出しました。


祖母の傍にもいなかったし、

どこかの家に避難しているのでしょうか。


「…………」


祖父は、ぐっと息をのみ込むと、

ため息とともにその言葉を吐き出しました。


「リッキーは……天国にいったよ」

「え……っ」

「あの子は……きっと、身代わりになってくれたんだ」


それ以上、

言葉もありませんでした。


沈痛な面持ちの祖父にかける言葉もなく、

ただ一匹犠牲になってしまったなつかしいリッキーの姿が、

もはや思い出の中にしか探せないことに、

愕然と涙がこぼれました。


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