3.三匹の金魚③(怖さレベル:★★★)

「ん?」


上司も首を傾げました。

どうやら、彼にもあの音が聞こえたようです。


「あの、聞こえますか? ○○会社の者ですが」


上司が焦れた様子で再び

インターホンに向かって言い放ちました。


すると、


『……どうぞ』


男性とも女性ともつかぬ小さな声と共に、

バタン、と玄関の開く音がしました。


「あっ、ちょっ……切れた。参ったな、

 西田のこと聞きに来ただけだってのに」


通信の途切れてしまったインターホンにため息をつく上司と裏腹に、

私はガタガタと全身が震えるのを抑えきれません。


だって、

おかしいではないですか。


あの水音。


それに、姿を現さない住人。


普通でないことが起きているとしか思えません。


「おい、入るぞ」

「え? は……はい」


しかし、無理を言ってついてきた手前、

入口で待っているわけにもいきません。


あの金魚が原因かもしれない、

という後ろ暗い罪悪感もあります。


ガラリと引き戸を開けた上司に続き、

戦々恐々としつつ、

そっとあとをついて中へ足を踏み入れました。


「失礼します。……あれ? 誰もいないぞ」


開け放たれた玄関に人影はなく、

上司は首をひねっています。


室内は真夏の午前中であるというのに冷気が充満していて、

外に立っているだけで浮いた汗が急激に引いていきました。


その上、どこかコケのような――

カビくさい湿った臭いを感じました。


「うわっ」


家へ上がった上司に続こうと靴を脱いだ瞬間、

それが目に入って悲鳴が上がりました。


玄関の横、

木製の靴箱の上に置かれた大きなガラス水槽。


流行りのアクアリウムのように

流木やエアーポンプが設置されているその中身の金魚たち。


それらが、

皆一様に腹を見せて水面に浮いているのです。


「うわ、なんだこりゃ」


腰を抜かさんばかりに驚いているこちらをしり目に、

先に入っていった上司が

リビングを見て絶句している姿が目に入りました。


慌てて這いずるようにして上司の傍に近づき、

その視線の先――その惨状に同じく言葉を失いました。


――水浸し。


ソファも、

カーテンも、

机もテレビも照明から絨毯に至るまで、

すべての家具家電がありえないほどたっぷりと水を含み、

床は腐らんばかりにしどどに濡れそぼっているのです。


さすがの上司も異常を感じたらしく、

恐々と周囲を見回しています。


「西田っ!? おい、どこにいる!?」


その声も家の中に反響するのみで、

なんの返答もありません。


と、


ピチャン。


あの音です。


「なんだ?」


上司が、

音のした二階へ目をやります。


二階へつづく階段は、

リビングからつながっていて、

例の音はその方向から聞こえたのでした。


「か、帰りましょう……お、おかしいです、このうち」


私は思わずすがりつくように上司に泣きつきました。


先輩の行方よりも、

この空間にいることがこのうえなく恐怖だったのです。


上司もさすがに何かがおかしい、

とは感じているようで、

戸惑うようにこちらと二階とを見比べました。


「し、しかし、アイツと話をしないと……」


ピチャン。


ハッと二人揃って二階を見上げると、

スーっとその階段を水がしたたり落ちてきました。


その水は、

とぷとぷと階段を流れ、

ピチャ、と床にしみ込みます。


その色は、

ただの水とはとても思えないほど、

ドス黒く濁っていて――。


「ひ、ひぃっ!!」


弾かれるようにして

私は玄関から外へ飛び出しました。


「お、オイッ」


上司もつられるようにして外へ転げ出てきます。


「へ、変です! ぜったいおかしいですよ! け、警察っ!?」

「あ、ああ……」


恐怖と混乱でしどろもどろになるこちらに、

圧倒されるように頷き、

上司は言われるがままに警察へ連絡を入れました。




そして。


先輩は――行方不明になりました。


あの後、到着した警官にいろいろ聴取されつつ、

彼らが内部を捜索したところ、

家の中には誰一人いなかった、というのです。


内部は二階にいたるまで水びたしで、

悪質なイタズラか、

何かのメッセージなのかは、

わからないとのことでした。


第一発見者とのことで、

上司と私は何度か警察に呼ばれ、いろいろ話を聞かれました。


私は金魚のことをありのまま話したものの、

今回のことには関係ないだろうと、

あっさりと言われてしまいました。


また、上司はインターホン越しに

何者かと会話をしたと証言をしたためか、

執拗に呼び出されていたのを覚えています。


しかし結局、失踪事件として処理されたのか、

地方新聞にすら載ることはなく、

事件は風化していきました。


――私は、思うんです。


警察には関係ない、

と断言されてはしまいましたが、

今回の件はあの金魚のせいである、と。


あの夢。


あの、ロウソクが消え去る現象。


それはまるで――命を散らす姿、

それを暗示していました。


水びたしになった、あの家の惨状。


行方不明になってしまった先輩たち家族。


そして――私は、事情聴取の時に言われた警官の一言が、

今でもずっと忘れられません。


「玄関の水槽で、金魚が大量に死んでいた?

 おかしいですね……我々が伺ったときには、

 一匹たりとも水槽に魚はいませんでしたよ」


と。

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