兄妹のやり直し(仮)

 帰宅すると、深夜二時近くであった。

 当然ながらみんな寝ているだろう……と思ったが、家には明かりがついている。


「……ただいま」


 おそるおそるそういうと、莉菜が駆け寄ってきた。


「お兄ちゃん、お帰り! 遅かったから心配したよ……んん?」


「……どうかしたか?」


「においが……」


 おわ、やっべ。酒臭いだけではごまかせないか、牧原さんのにおい。


「なにやら女性の両足の間からにじみ出た悦びにあふれる感情の高まりとともに分泌される潤滑油のように、酸味のきいた性的なにおいがする」


「長いわ!」


 なんでも隠語を使って文学的表現すれば許されるもんじゃないからやめてくれ。

 でもそんなににおうか? シャワーは浴びたんだけどな。


「というかだな、もう遅いし、いくらニートでも生活リズムが狂うと大変だぞ。寝ろよ」


「あ、あのね。その件について大事な報告があったから、起きてたの」


「は?」


「実は、仕事決まりました!」


「な、なんだってー! おい、今度はデリヘ……まっとうな仕事なんだろうな!」


 俺としては、またいつ莉菜が『デリヘル再開しました!』とか言い出すんじゃないかと、ビクビクしてたんだけど。


「へへ、安心してよお兄ちゃん。ちゃんとまっとうな仕事です! 職種は内緒だけど、制服があってね、かわいいんだー!」


「……ほんとか?」


「うん! だって、お兄ちゃんと約束したもんね。もうデリヘルはしないし、ホストクラブにも行かないって」


「そうか! えらいぞ莉菜! さすが俺の妹だ!」


 俺が喜びのあまり頭をグリグリ撫でると、うれしそうに目を細める莉菜が愛おしい。

 ああ、これでホンモノの兄妹に戻れる、と思ったのもつかの間。


「……ねえ、だからお兄ちゃん、きょうだけご褒美として……」


 しなだれかかってくる莉菜。しかもおねだり付き。

 おいおい、俺たちは普通の兄妹に戻るって宣言したはずじゃないのか。ラン、スー、ミキ全員が泣くぞ。


「だめだ! 兄妹はそんなことしないんだ」


「そんなぁぁ……お願い、先っちょ、先っちょだけでいいから!」


「ふーん、おまえは先っちょだけで満足できるのか」


「ううん」


「きっぱり言い切るなこの野郎! というか兄妹は先っちょすら無関係だよ普通はよ!」


 くっついている莉菜の身体を引っぺがし、両肩を押さえて向かい合った。

 うむ、きょうも六十四点で、愛おしい。


「……とにかく、俺は今日は疲れてるし、莉菜も仕事に就くんだ、夜更かしはよくない。さ、寝よう」


 正論を持ち出し説得する俺を端から見れば、なぜこんなに必死になってるのか、疑問に思う人も多いんじゃないだろうか。

 そのくらいパワーがいるんだよ。莉菜を説き伏せるのは。


 …………


 なんで俺は莉菜に、『彼女ができたから、そういうことはもう一切できない』と言えないんだ?



 ―・―・―・―・―・―・―



 そうしてまきは……いや、優花と付き合い始めて三日目。表面は順調なお付き合いをしている。昨日も仕事の後に飲みに行って、ホテルでお突き合いした。


 が、そこで気づいたことがある。


 なぜかはわからないが。

 全くではないんだけど、どうにも気持ちよくない……気がする。

 何がって? 優花との行為だよ言わせんな恥ずかしい。


 おかげで俺は、自分勝手に乱暴な動きをせざるを得ないのだ。いやね、優花はそれが大好きみたいなんだけどさ。


 冷静に考えてね、あの時のほうが段違いにいいのよ。

 むろん相手は言わずもがな。


 …………


 こんなの悩むだろ。妹のほうが、身体の相性がいいだなんてさ。


 …………


 いやいやいや、最近の自分を振り返れ。どう考えてもやりすぎです本当にありがとうございました。きっとやりすぎで快感も落ちてるんだろ。

 このまま行くと腎虚まっしぐら、カルカンもびっくり。足利義詮あしかがよしあきらの二の舞にならないように自粛すべきだ。休養すれば快感も戻るに違いない。


 ──というわけで、今日は優花と致さず家に帰ってきた。だが飲んでいたせいか、すでにもう日付が変わっている。


 すると、莉菜がまたもや出迎えてきた。


「お帰り、お兄ちゃん」


「……ただいま」


「あのね、あのね、明日からお仕事なんだ」


「……そうか。頑張れ」


「うん。だからね、今日の夜……お兄ちゃんの部屋に、行ってもいいかな?」


「は?」


「実は、制服をもらったんだけど……すごくかわいくて、わたしには似合わないんじゃないかなって不安で」


「……」


「だから、お兄ちゃんに見てもらって。そうして自信をつけたいの」


「……俺に見てもらえば、自信になるのか? なら、別に俺の部屋じゃなくても……」


「ううん。そのまま、制服プレイを」


「おい」


 ぺちんと莉菜の頭を叩く。

 物覚えの悪いペットをしつけている時のようなイライラ感があるわ。


「そういうことはしないって何回も言ってるだろうが! だいいちな、なんで制服プレイで莉菜の自信がつくんだよ! 言ってることが支離滅裂だぞ!」


 イライラしつつも、既に寝室にいるであろう両親に聞こえないくらいの声で俺は叫んだ。

 莉菜は頭をおさえて、目に涙を浮かべても俺から視線を離さない。


「……だって。わたし、かわいくないもん」


「……あん?」


「わかってるんだ、わたし。見た目がかわいくないって。この制服もきっと似合わないって。女として失格だって。でもね、こんなわたしだけど……」


 ぽたっ。

 床に水滴が落ちる音がする。


「お兄ちゃんに抱かれている間は、女に生まれてよかったって、心から思えたの。そう思えた相手は、お兄ちゃんだけだったの」


 ぽたっ。ぽたっ。

 水滴の落ちる感覚が少し早くなった。


「だから、こんな可愛くなくてニートで社会経験もないわたしに、自信を、下さい……」


 言ってることがむちゃだ、それは事実だ。

 だが、莉菜の言葉は嘘ではない。そのくらい分かる。


 俺は、兄だからな。


「本当は、お兄ちゃんも、こんなかわいくないわたしを抱きたくないから、あんなふうに理由をつけて、抱いてくれないんじゃないかなって、不安に、なっちゃって……」


 水滴どころか駄々洩れの涙を流す莉菜を、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られてしまう俺。


「……ばーか。勝手に曲解すんな。そして自信を持て」


 コホン、と咳払いをして、抱きしめたくなる衝動を消し飛ばし。

 くさいセリフを言ってみることにしよう。


「莉菜はかわいい。兄の俺の欲目かもしれないが、カワイイ。大丈夫だ、俺の妹なんだから」


 六十四点、という言葉はあえて飲み込もう。


「……お兄ちゃん」


「莉菜は、俺と行為しなきゃ、そう思えないのか? 俺の言葉は、信じられないか?」


「……そんなこと……」


「じゃあ、信じてくれ。そして自信を持ってくれ。きっと、そうすれば莉菜に幸せが訪れるはずだよ」


「……お、お兄ちゃああああああぁぁぁぁぁぁん!!!」


 莉菜が感極まってフライングボディアタック。おおっと、破壊力はわりとある。ジュニアヘビー級のベルトくらいは近い将来取れるんじゃなかろうか。

 まあこのくらいなら、兄妹間スキンシップの範疇だろう。


「がんばる、がんばるよ、わたし……だから、見ててね、見ててね……」


 アタマを軽くたたき、莉菜をなだめる。


 ──ああ、これだ、これだよ。これが正しい兄の在り方だ。


 自己満足に浸っている俺は、その時はそう信じて疑わなかった。愚かなことにな。

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