アフターダーク

今村広樹

第1話

 ディビットと呼ばれる男が目を覚ましたとき、最初にみたのは見知らぬ天井ではなく、いやというほど見飽きた天井だった。

 今日着るものを確認する。

 上下くすんだ色のシャツとジーンズ。

 警棒でドアをトントン。

「ほら、起きろ。朝飯の時間だぞ、急げ」

「へーい」

 服を着たディビットは、そのまま監獄のような部屋から出た。

 出た先にはダラダラと長く続く緑一色の廊下。

 電灯にハエ。

 なんか動きが鈍い。

 そう言えば、もう夏も終わるころだった。

 ディビットは、廊下をトボトボと歩く。スニーカーは、まっさらな白さだったはずだが、履き続けるうちに薄っぺらく、くすんだ白さになっていた。スニーカーは黒かそれに類した色が良い。汚れてもショックは少ないし。


 この施設は、人間の潜在能力がどうとかいう研究施設らしい。らしいというのは、どちらかといえば病院にしか見えないから、よくわからないのである。

 ディビットは記憶障害とそれに付随する人格障害でこの施設にいる。

 名前も忘れて、明らかに日本人であるのにディビットと名付けたのは、この施設の看守。

 名付けた理由は「ダン・スティーヴンスに似てるから」とのことで、つまるところこの看守はダウントン・アビーも美女と野獣も観てないけど、レギオンは観ているということらしい。変なヤツ。


「ほら、そちらのイスに座ってください」

 白衣の男、つまりは学者がコホンと咳払いしながら、そう促す。

 白衣の胸の部分にあるネームプレートには『ケンジロー・ミヤビ』。どこの映画に出てる『ニッポンジン』だ。

 研究室は、全面真っ白で、目がチカチカする。

 ポケモンショックみたいな感じ。多分ではあるが、いわゆるブラックボックスという拷問部屋の効果とまったく同じ効果を狙ったものだろう。あらゆるものを遮断して、心を壊す。

 ともあれ、ディビットはそのやたら座りづらい武骨な木のイスに座った。

「はい、ありがとう。それじゃ、昨日の話の続きを聞かせて」

「……、昨日どんな話をしましたっけ?」

「夢の話だよ。夢の中で色んなところにいって、色んな人にあってみたいな」

「ああ」

 と、ディビットは昨日自分がした話を思いだしながら、話を続ける。

「たしか、あれだ、人嫌いのイケメンで、女がやたら寄ってきて、入れ替わり立ち替わり……」

「そうそう、それだ。昨日はどんだけだよと思ったもんさ。まあ、それはともかく」

 と、白衣の男はまた咳払いをする。コホン。

「今回は別の夢について聞かせてくれないかな?

 たしか女の子の夢だったかな」

「はあ、わかりました」

 ディビットはうなずくと、その女の子の話を始める。

「夢の中での話なんですけどね」

「だから夢の話をしろと言ってるんだけど」

「話の枕です、お気になさらず。まあ、とにかくその夢の中で、私は一人の女の子と話してる訳です」

「……、まあいいか、それで?」

「たしか場所はどこかのジャングルで……」


 回想。

 ディビットは河でいわゆる水切りをしている。

 河に石を投げると、波紋がポンポンと拡がり、そして対岸まで飛んでいった。

「そういうことやると、国軍のコマンドーに気づかれてしまうよ」

 話しかけられたので、そちらを向くと、左目に眼帯をしたショートカットの少女がいる。

「国軍?」

「というか、なにその格好?密林なめてんの?」

 たしかに、ツナギにTシャツという服装の少女から見ると、寝間着でジャングルにいるヤツはアタマがアレなヤツに見えるだろう。

「いや、急に来たからね、格好はしゃーない」

「ふうん、変なの?」

 少女が首を傾げて言う。

「そういう君は、なにをやってるんだい?」

「偵察」

「偵察?」

「うん、国軍がしらみ潰しにうちらを駆逐しようとしてるかね、念入りに」

 話によると、このジャングルがある島では国軍と、独立を目指すゲリラが対立してるそうである。

「大変だね」

「そうだよ、この眼だってね」

 と、少女は眼帯を指差した。

「昔、といってもホンの1年前だったか、国軍の連中にやられてね。ついでに、前の穴も後ろの穴もガバガバになってさ」

「それって、○○○されたってことかい?」

「ずいぶん直接的なこというじゃないか」

「ああ、ごめんごめん」

 と、ディビットは頭を掻いて謝った。

 少女は、胸を張って

「まあ、いいってことよ」

 と、許した。

「それで、ゲリラに入ったの?」

「ああ、まあ理由はそれだけじゃないんだけどね」

「それで、君はなんでこんな処にいるんだい?」

「実はね、コイツを捜してるのさ、今」

 少女は、携帯端末の液晶画面を、ディビットに見せる。

 そこには、間の抜けた探検隊風の男が写っていた。

「こいつが、どうかしたの?」

「仇ってやつ」

「仇」

「うん、この眼と、あと妹の」

 と、彼女はこの男の所業を思い出したのか、残った眼から泪が溢れだす。

「ああ、なんか傷つけてしまったね」

「気にしないで、あんたは幽霊かなんかなんでしょ?なら、私の身の上話でも聞いてよ」

 彼女が語ったこと。

「ある日、彼女の住んでいた家に国軍がやって来たんだ。

 家にいたのは、彼女と妹の二人だったね。

 拳銃で彼女たちを脅した連中は、そのまま白亜の刑務所と研究所ともつかない施設に彼女たちを連れていかれた。

 そこで、私たちはヤツと出会ったんだ」

 と、そこまで話した少女は、不意に吐き気をこらえる動作をする。

「無理しなくて良いんだよ」

「いや、大丈夫。話を続けるよ。

 それで、ヤツはニヤニヤしながら『やあ、君らのような姉妹を待ってたんだよ。君たちはいわゆる人類のイシズエになるんだよ』とか言いながら」

 と、眼帯に触れながら続ける。

「私の目をメスでグイッと抉ったんだ。まあ私は目だけで良かったよ。いや、悪かったのか……」

「と、言うと?」

「私の妹のことさ」

 少女は、心持ち顔色を暗くした。

「私の妹はさ、私なんかより髪が長い美人だったんだけどね、例のヤツに髪の毛一本に至るまで『実験』に使われた……らしい」

「らしいというと、君は見てないのかい?」

「うん、後に残ったのは」

 と、胸ポケットから、お守りくらいの小さい袋を出して

「この中にある、骨だけだよ」

 と、彼女の話は終わる。

「ああ、なんかひさしぶりにこんな身の上話なんかしたよ。聞いてくれてありがとう」

「いや、こちらこそ、辛そうなのに……」

「ははは、私が好きでやったんだから、気にするなよ。それよりさ」

 少女は、首を軽くかしげながら、こう問いかけた。

「あんたは、誰なんだ?」

「僕は……」

 と、彼は答えようとしたところで目がさめる。

 回想終わり

「……とまあ、そんな感じでしたね」

「ふうん、そうか」

「あ、でも」

 と、ディビットはふと思い出す。

「あの眼帯した女の子が見せてくれた写真に写ってたヤツ、誰かに似てたんですよね」

「有名人かい?菅原文太のような」

「いや、もっと身近にいたような……。ところでなんで有名人の例が菅原文太なんです?」

「最近、たまたま獅子の時代を観てるんだよね」

「そうですか」

 恥ずかしそうに言う学者に、ディビットはそう興味なさげに返した。

「まあ、そろそろ昼飯の時間だ。続きはそのあとに」

「わかりました」


 昼ご飯休憩中

 盛りを過ぎたのか、人気の少ない食堂でディビットは、どう炊いたらここまで硬くなるのかというくらい硬くなった白米と、ゲロのような味のクリームシチューを、モシャモシャ、ズズズっと食べている。

 心底マズイそれを食べていたディビットは、彼を見つめて対面に座っている少女に気づいた。

 少女は、ディビットとお揃いのように見える服装で(というか、病院なのでそういう感じの服装しかない)首には痛々しい切り口の傷がある。

 いわゆる自傷癖のある少女なんだろう。

「なんか、スゴく不味そうに食べるわね」

「そりゃ、不味いからな」

「ふうん、私はこういう給食みたいなの好きよ」

 と、少女は小首をかしげて言う。

「いやいや、石みたいに硬い米なんか給食とやらになかっただろうし、こんなシチューもなかったろうよ」

「ゲロみたいは言い過ぎじゃない?」

「確かにゲロに失礼だな、美味しいもの食べたゲロのほうが美味いよ」

 ウンザリしたように、ディビットは返した。給食なんてこういうもんじゃないのではなかろうかね?

「ふうん、そういうものなのかしら?」

「そういうものだよ」

 と、不意にディビットは少女を何処かで見た気がした。

「あの、君……」

「なあに、私を見て惚れたのかしら?」

「いや、どっかで会ったんじゃないかって……」

「いいえ、私はあったことはないわ」

「私は?」

「ええ、お姉さんとあったことはあるんでしょう?」

 と、言われてディビットは記憶をたくり寄せた。いつだろう。

「あ、夢の中の……」

「正解」

 そう笑いながら言う姿は、確かに夢の中の眼帯少女に似ていた。ただし、彼女は両眼空いていて、髪型もいわゆるおかっぱ頭と呼ばれるそれである。

「ということは、これも夢の中か?」

「いやいや、じゃあ今あなたが食べてる、石みたいに硬い白米と、ゲロまずクリームシチューはなんだって話になるわよ」

「それじゃあ、幽霊かなにかかい?」

 と、ディビットが問いかけると、少女は首をかしぐて返した。

「まあ、そういうようなものね。幽霊というか、残留思念というか、とにかくそういうものらしいわ。そもそも、首がこんな切れてて生きてるはずないじゃない」

「ふうん、じゃあその幽霊ちゃんがなんのようだ?」

「幽霊の仕事といえば、人に取り付いて場合によっては殺すみたいなことでしょ?」

「まあ、そうだな」

「で、私はこいつに取りつこうと思ってるの」

 少女は、写真をディビットに見せた。

 それは、ジャングルであった彼女の姉にも見せてもらった、彼女たちの運命を変えた男の姿が写っている。

 ディビットは、今さらこの写真の男が誰なのか、気づいた。

「こいつは……」

「で、頼まれてほしいんだけど」

 と、少女はイタズラっぽく笑う。

 昼食終わり。


「さて、午後の実験だけども、さっきの夢の続きについて聞かせてくれないかな?」

 学者がリラックスした風に語るのを、ディビットは不審げに見ている。

「はあ、そういえば、昼食を食べてる間に思い出したことがあるんです」

「それは、どんなことだい?」

「あの夢の舞台です」

「それはどこ?」

「東グリッサという島国が新しく出来たでしょ。あの新世紀初の独立国家と言われた国」

「ああ、そんな国があったね」

 と、学者が興味をもった風に身を乗り出した。

「でだ、それ以前はシンドネシアという国家に併合されてて、まあ双方に深い傷をおったとかいう話だったっけ?」

「そう、それで思い出したことなんですが、シンドネシア側でなんか人体実験をしてた部隊があったとかいう話があったでしょう?」

「ああ、あったね、そんな話。確か多国籍の傭兵部隊で、裏にいわゆる軍産複合体がいるとかいう都市伝説」

「なに、他人事のように言ってるんですか?」

 ディビットは学者をゴミを見るような目で、蔑む風に見て言った。

「あんたの話じゃないですか」

「なにを、言って……」

「いやいや、実に考えたものですな。アレだけのことをやったから、東グリッサの独立後で確実に罪に問われる訳ですよ。それをうまくかわして今では、良心的な科学者さんですか、ほうほう良くやったものだ」

「だから、何を言ってる……」

「あんたが忘れても、あちらは忘れてはくれないって話さ。恩情には恩情が、報いには報いが返ってくるんですよ。これは予言でもなんでもなく、ただの確信なんだけど、あんたと会うのもこれで最後だと思うんですよ」

「そうか」

 と、困惑の表情を見せる学者は、これ以上聞きたくないという風に、首を振る。

「とりあえず、今日はこれで終わりにしよう。次の時に、件の確信とやらを聞かせてほしいな」

「その機会があると良いんですけどね……」


 次の日は休みだったので、唯一の娯楽である学者からもらった音楽を聴く端末でイヤホンから流れる音楽を聴こうと思ったディビットは、看守からあることを聞いた。

「おなくなりになられた?」

「ああ」

 と、うなずきながら看守が言うには、学者が奇妙な方法で自殺したというものであった。

「そりゃ、どんな?」

「紙袋をかぶって、首吊りだったらしいけど」

 話を聞くと、車道を横断する形で縄を設置した上で、車が来たときにその縄に首を括っておいて、車の力を借りてグン!と首吊りしたらしい。

「はあ、また手間隙かけて……」

「自分の死も実験かなんかだったんだろうよ」

「まあ、新しい人が来るまでしばらくかかるだろうから、それまで待ってな」

「へぇい」

 看守がさった後、ディビットは学者の形見になった端末で音楽を聴く。

 Little Green Bagが流れ出した。

 さて、今日はどんな夢を見るんだろう。


 さて、それから数日してこの施設に来訪する者があった。

「えーと、ヒエロニムスさん」

「ああ、長かったら、ヒロだろうが、ロムだろうが、ハリーだろうが好きに呼べ」

「わかりました、ハリーさん、なにがあったんです?」

「ああ、ここにディビットとかいうヤツがいただろう?」

「はい、でも精査したいからって、もう別の施設に行っちまった」

「そいつが、脱走したんだよ」

「ええっ」

 ビックリする看守に、ハリーは話を続ける。

「それでまあ、ヤツがトンでもないことをしようとしてるから、探してる訳だ」

「それって、どんな……」

「知らん。けれども、おたくのとこの学者先生みたいな目にあったヤツが何人もいるんだ。もっとスゴいことだろうよ」

 ...

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