オリオンになりたかった男

雪純初

第1話 随分と遠かったけど、ようやく……


 ────いつからだろうか。オレがつきを好きになったのは


 多分、愛読していた漫画、またはプレイ動画を見ていた恋愛ゲーム、それとも推しの声優が役をやっていたアニメキャラか、兎にも角にも切っ掛けは思春期の少年らしい娯楽類いのものからだったのだろう。

 ある日、ホント気まぐれに、星空の輝きの自己主張がいつもより激しかったから「月は出てるかな?」と暇つぶし……、無意識な行動……、無駄な好奇心……、そんな程度の低い心構え。

 今日は24日だから満月だったりしてな、などと間違った勝手なイメージを脳裏に置きながら馬鹿みたいに口を開けて、視線を漫然と左右前後、身体を揺らしながら探したんだ。

 月を。満月を。


 ────そして、見つけた


 その時見た月への感想は今でも憶えている。

 いや、憶えているという言い方は些か語弊がある。オレの記憶力はお世辞にも良いとは呼べないぼんくらなものだからな。


 そう──なんだ


「月が綺麗ですね」


 夏目漱石の言葉だ。正確には夏目漱石が書いた物語のだけど。

 まぁ、その一言に尽きる。謂わばオレの語彙力での限界。終着点だ。

 当時から今に至るまで、オレの月を見ての感想は一度も違えたことはない。

 もう少しロマンティックな、人に伝わるような的確な言い回しが出来れば良かったんだが、キザったらしい口調にしたところで結局のところ意味合いは同じものの語彙力のないありふれた言葉になっちまう……。

 こういった何気ない場面で自分の才能のなさを痛感することになるとは思わなんだ。

 科学者や天文学者、月面に立てる宇宙飛行士の連中からしてみれば月なんて宇宙の秘密とやらを紐解く研究材料、それか人類進歩の成長の証そのものなのかもしれない。


 けど、オレは違った。


 大多数の人間が抱くであろう「美しい」「綺麗」「神々しい」といった気持ち、感情、空気、流れ、想像、イメージ。けど、オレの抱いたソレはその地点では止まらなかった。

 例えるなら暴走列車。

 つい知恵熱が出てしまいそうになる御大層な知的好奇心も突き破って、終着駅、この溶岩の如く煮え滾る感情の行き先は至極単純で、尚且つ通常では有り得ない地点へとオレを導いた。


「オレは見たんだ」


 何を?


「短銃明快、月さ」


 それがどうかしたの?


「なにも惑星としての月を言ってるんじゃない」


 なら何に対して?


「輪郭や月光といった判断材料を諸々含め、地球に住む人間の月への認識の限界に対しての中でだ」


 一体、何を見たの?


「酷く抽象的、けれど脳髄に電流が走るような現実的リアルティーのある衝撃インパクト。幻覚……、妄想……、夢……、あれはそんなちゃっちいものじゃない。もっと、そう……赤ん坊のように温かみに溢れ、けれどとても遠くに、手の届かない錯覚に全身が襲われ、暗くて冷たい深海に溺れながらも目と目が交差したかのようなあの瞬間感じた絶頂……!ああ!記憶は朧気ながらも……オレはあの夜確かに見たんだ」


 だから何を見たの?

 ねぇ、



「オレは──」



 ──────あの満月に「女神アルテミス」を見たんだ


 ──────そして、オレは彼女に恋をしたんだ








「オレはオリオンになりたかった」


 彩りの少ない質素で面白みのない薬品臭い真っ白な個室で男は窓に向かって一言、己が生涯……、己が歩んで来た記憶……、己が蓄積し続けてきた想い……、己が内に今も尚膨張し続ける恋心……、その他全てを一点に凝縮し搾り出した言葉。

 その一言は男の人生を物語っている。

 あの夜、月を見上げた日からずっと想っていたんだ。

 月を……、女神アルテミスを……、彼女を……、願いを込めて言葉は出ずとも世界に向かって叫び続けてきた。

「好きだ」「愛している」そんな言葉じゃ形容できない程に男の想いの丈は常人の遥か高みに、極限にまで達していた。

 そう……、正に今此処に限って言えば、男の想いは天にまで届き得る。

 男には不確かな、しかし不思議と納得してしまいそうな幸福と甘美の渦の中で確信があった。

 理由は察している。

 男が今、暗い海に想いを抱いて溺れている最中だからだ。完全に溺れてしまえば男の声は宇宙そらには届かなくなる。


 ──オリオン、オレはお前が羨ましく、お前に嫉妬にしている


 最早、声が物理的に出ない。

 暗雲に遮られて、月は顔を出さないがそれでもオレは夜空を見上げた。

「オリオン」、月の女神アルテミスに愛されたギリシャの狩人。

 オリオンとアルテミスの物語をオレは良く知らない。

 が、互いを想い合い、死して尚愛し続けられているオリオンを羨望の目で見ることは必然だったのだろう。

 嫉妬もしているが憎んではいない。

 誰かに恋をすることは、愛し合うことは祝福されはすれど嫌悪されるものではないのだ。

 だが、女々しいかもしれないが悔し涙程度は許してくれ。

 分不相応で身の程を弁えない愚か者と罵ってくれてもいい。

 でも、この恋心だけは否定しないでほしい。

 何故なら、オレは月を愛したことを一度も後悔したことはないのだから。

 人生、夢、人間関係、娯楽、何事にも飽いてきた生粋の飽き性のオレがここまで来れた。

 生涯で何かを残せれればと密かに思ってたんだが、どうやらオレは残せれたようだ。

 オレの胸の内に残る想いモノがある。

 昔のような屈託のない純粋な笑みを浮かべ、


 ──ああ、そうか……。オレはやり遂げたの……か……


 その夜、暗雲から一筋の月光が男の個室に注がれた模様を数人が見ていた。

 まるでお伽話のワンシーンかのようだったと、という証言。

 それと、目撃者は皆、口を揃えてこう言ったそうだ。

「男が女に抱きしめられていた」────と。

 1月1日の年度が変わった日の早朝、とある男性が忽然と姿を消したというニュースが世間に飛び交った。

 神隠しにあったと言われるその男性はその日以降、誰も見つけることは出来なかったらしい。

 男性が神隠しにあった日の夜は、ちょうど満月の日だったそうだ。







『え?お母さんに何て言って告白したかって?』


『いや、それは……」


『恥ずかしいかって?そりゃ、恥ずかしいさ!』


『そ、そんなに聞きたいか?……そうか」


『でも、オレ、今でもお母さんに良く言ってるぜ?』


『何かって?そりゃ、月に向かっての告白の言葉なんて昔から何も変わってないさ』


 ────月が綺麗ですね、だろ?

















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