くれないもみじ ~寸刻の為のキエチーフ~
永遠こころ
第1話『紅葉谷公園』
十一月二十日午前八時四十五分……。
目の前一面に、絨毯の様に隙間なく敷き詰められた落ち葉。
鮮やかに赤や黄色に色付いた公園の樹々達。
ここは安芸の宮島、〝紅葉谷公園〟――。
公園の入り口から橋を渡り、茶屋を抜け弥山方向へと山道を歩く。
今年は紅葉の季節となって、急激に気温が下がり始めた。
襟元に吹き込む冷たい風、吐く息もわずかに白い……。
紅葉のシーズンではあるが平日の朝のここは相変わらず
私は左肩にカメラバッグを担ぎ、息を切らしながら斜面を上った。
――さて、時間だ……。
山肌の斜面に沿う様に、朝日が樹々の合間から差し込んだ――。
凛と澄んだ静謐な空気。
木漏れ日に照らされる枯葉の絨毯。
夜露に濡れた木の葉たちがキラキラと眩い光を反射する。
陽光に温められて地面から朝霧が立ち上り始めた。
長く地面へと伸びる木々のシルエット。その境界線。木漏れ日が太陽へと向かい光の帯を作る。
その時、一陣の風が吹き抜けた。
樹々を離れた木の葉たちが、ハラハラとハラハラと幻想的に舞い踊った……。
私はカメラバッグを地面に置きカメラを取り出した。
マミヤ645Super。ブローニーサイズの年代物のフィルムカメラだ。
ウエストポーチからフィルムを取り出す。フィルムはモノクロのネオパン100。
中袋を破り、紙テープをほどいて左手小指と薬指の間に挟み込む。カメラ本体後部のフィルムホルダーの蓋を開き中枠を取り出す。
空スプールを左から右へと移し、空いた左へフィルムを装填する。フィルムのベロを右の空スプールに差し込み指で回転させてフィルムのスタートラインを合わす。そして、フィルムホルダーへとセットし、ダイヤルを巻き上げた。
〝カチッ〟小さな音を立ててフィルムカウントが①を指す。
レンズを取り出す。
マミヤセコールC55㎜F2.8――35㎜フィルムでは34㎜の広角レンズ。無理のない画角で全体の雰囲気を撮る。
首から下げた露出計をシャドウサイドで測光する。
EV11――絞りF8・シャッタスピード1/30にカメラをセットする。
シャッターボタンのロックを解除して、フィルムホルダーの引き蓋を抜いた。
木蔭の位置でカメラをウエストレベルに構え上から覗き込む。
斜面を舐めるよに太陽へと向かって……。
木の幹が作り出す長い影。真っ赤な落ち葉を照らす光芒――その消失点。光と影が作り出すページェント。
右手でレンズのヘリコイドを回し5メートル地点でピントを合わせる。素早くフレーミングの四隅を確認してシャッターへ指を掛ける。左手でカメラを腹に押し付け、右手で静かにシャッタボタンを押し込む。
〝カシャッ〟
ビクリと生き物の様にカメラが震える。
――先ずは1枚……。
右手で素早く巻き上げクランクを回す。レンズを110㎜に換えレンズフードを取り付ける。
一歩前へ出て陽だまりの中の落ち葉を狙う。絞りF5.6・シャッタスピード1/125。
落ちたばかりの紅葉の葉が朝露を纏い煌めいている。腰を落とし低い位置から舐め上げる様に狙う。
〝カシャッ〟シャッターを切る。
その時、〝ピィヨーーーーー〟切なく長く
途端に周囲の山からガサガサと足音が聞こえてきた。
谷間に僅かに差し込む陽だまりを求め、この場所に鹿が集まってきたのだ。
牡鹿に女鹿に小鹿。さらにもう一頭の女鹿が現れた。
白い息を吐き無防備に近づいて来る小鹿。
他の鹿達は陽だまりに立ち止まり、地面に落ちた木の実を漁っている。
餌がもらえると思ったのだろうか、腰の高さまでしかない小鹿がこちらを向いて鼻をひく付かせる。
「なにも無いよ……」
餌がもらえないことが判るとすぐに母鹿の元へと戻って行った。
私はカメラバックを開きレンズを80㎜に換えた。絞りF4・シャッタースピード1/125にセットし鹿の親子へと向ける。
二匹をフレーム内へと納めたまましばらく息を殺してシャッタチャンスを待つ……。
〝カシャッ〟二匹が顔を同時に上げ、こちらを向いた瞬間にシャッターを切った。
そのまま後ろへと下がり他の鹿達もフレームに納めしばし待つ。
〝カシャッ〟今のはミスだ。顔を上げるタイミングが少しずれた。
すぐにクランクを回しシャッターをチャージする。
〝カシャッ〟
鹿の配置を変えるように移動する。
〝カシャッ〟
他に目もくれず鹿を追う。
シャッター音が谷間に響く――。
私は夢中になって写真を撮り続けた。
〝お前、やけに熱心に写真を撮っているな〟
その声に私は振り返った。
この場所も弥山へと登るロープウエイの開始時刻の9時を過ぎれば、観光客が通り始める。もう人がやって来たのだろうか?
「……(誰の姿も無い)……」
いや、小さな木の切り株の上に毛並みの良い真っ黒な子猫が鎮座している。
――今、話しかけてきたのはこの子猫だろうか?
「やい、俺様の姿が見えないのか」
切り株の上の子猫と目が合った。
「いや、見えてはいるが……話をする猫は初めてなんだが……」
黒猫が小さく首をかしげる。「はて、猫は齢を重ねると人語を解するようになるはずだが……普通は話しかける事は禁止されているのだろうか……ふむ」
その答えを私は知らない。
「……まあいい、そのカメラ、今時珍しいフィルムカメラだろ」
「ああ、そうだよ。でも喋る猫程は珍しくないと思う」
「そうかい」
「ところで君は誰だい」
「俺様か? 俺は 〝流るる水の導き手〟と言う」
「それが君の名前なのか」
「名前? はて、そう言えば以前に、何やら小難しい名前を付けられた気がするが、もう、忘れたな……そうだ、お前、俺様に名前を付けてくれ」
「いきなりそんな事を言われても……でも、そうだな黒い猫だからクロノと言うのはどうだろう」
「クロノ……ふむ、クロノか、良いなそれ。何だか西洋の神様ぽくて好きだぞ。俺様の名前はクロノだ。それでお前は何と言う」
「私の名前は
「美宏か綺麗な響きの名だな。よろしく」
私はこの場所で黒猫のクロノに出会った――。
※EV値は実際には小数点以下まで計測しておりますが、絞り値をF8-1/2やF8-1/3にしたくないので省略して掲示しています。
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