第57話 リトル・ピーターラビット その②


     57.


 保健室の扉を開けると、中には何人か女子がいた。

 制服のスカーフを見る限り、黄色が多い。中には青色の生徒もいて、二年生と三年生ばかりであることがわかる。

 その視線が、同時に響木のほうに向いた。

「…………。……あなた、『響木ひびき寧々ねね』でしょう」

 上級生のうちのひとり、二年生の誰かが言う。

 響木とは面識のない人物だ。名前もわからない。

「今は、あなたなんかを相手にしている時間はないの。こっちはこっちで忙しいんだから」

 随分と攻撃的である。

 保健室内にある視線はどれも冷たい。

 茄子原なすはらの姿はカーテンに隠れていて見えない。

 そのカーテンの奥から、

「まあまあ」

 とたしなめるようにひとり、出てきた。

 スカーフの色は青色、三年生の生徒だ。

 眼鏡をかけていて、利発的な面持ちをしている人物だ。

「空気が読めないわけでもないはずだ。きっと、何か意味があってここにきたんだ。だから代わりに私が話を聞く。このあとにある警察による聞き取りも、実際にその場に居合わせたみんなが説明するほうがいいだろう」

 響木の正面までやってきた。

 身長はそんなに変わらないのに、圧がある。

 自信というべきか。堂々とした出で立ちをしている。


「初めまして、私は鎮岩とこなべこと。よろしく」


「……どうも」

「場所を変えよう」

 一メートルほどの距離を保ったまま、廊下を歩いて行く。

 階段を登って、屋上に出た。

 屋上は、背の高いフェンスに覆われている。空模様は少し曇りつつある。時間帯のこともあってか少し薄暗い。

「私は、きみたちのことを知っている。響木寧々、きみだけではなく、卯月うづき希太郎きたろうのことも、それに星井ほしい小春こはるもきみたちの一員かな?」

「…………あの。どうして私を屋上に?」

「別に何って話があるわけじゃない。むしろ話があるのは、きみのほうじゃないのか? 話があるから、茄子原のいるところまできたんじゃないのか?」

 いざそう言われると用事らしい用事ではない。

 ただ手詰まりになったから、少し行動しようと思ったくらいだ。特に何かを考えていたというわけではない。

「無駄だ」

 鎮岩こと子は言う。

「無駄だ。実に無駄だ。いったい何が悲しくてきみはそんなことをしているというのだ。生産性がまるでない」

 眼鏡の位置を直しながら続ける。

「協調性を持ちたまえ。私たちにおける協調性というのは、自分の意志を妥協し続けて、自分の意見を言える瞬間を待つことだ。それが人類におけるコミュニケーションだ。上の人間はあと少し我慢すれば消える。そうすれば自分たちは過ごしやすくなる。社会はそれの繰り返しだ」

「…………」

 不機嫌そうな表情で、不機嫌そうな声色で、不機嫌そうに鎮岩は語る。

 あまりに一方的だ。とてもじゃないがコミュニケーションが得意とは思えない喋りっぷりである。

 響木寧々は、持ってきている鞄の中に手を伸ばす。

 学生鞄の中には水筒が入っている。

 慣れた手つきで蓋を緩めて、いつでも『能力』――『ザ・ウォール』を使えるように構える。

 鎮岩こと子は飄々ひょうひょうと語り続ける。

 響木の動作に気づいていないはずがない。

 気にしていない。取るに足らないと言うように語る。

「人生の先輩からのアドバイスだ。きみのような愚か者を見ていると見過ごすことができないのが私の性分でね。どうしても口出しをしたくなるのだよ」

「はあ。アドバイスですか――」


 返事をしながら、水筒の蓋を開けた。


 鞄の中から取り出して、周囲に水をばら撒いた。

 飛び散った水は、それぞれが粒のようになる。そのすべてが、狙いを定めたように鎮岩こと子に対して発射される。

「――――」

 と。

 鎮岩は、無言で右手の人差し指を立てて、真横に動かした。

 その瞬間、すべての水滴の軌道は変化。水はすべて、明後日の方向に飛んでいき、屋上を濡らした。


「これ、は……!」

 響木の意思じゃない。

 鎮岩は、またジェスチャーのように腕を振るった。

「うっ――」

 響木の身体が、引っ張られる。

 まるで首根っこを掴んで猫を持ち上げるように引っ張られて、吹っ飛んだ。

 屋上の上で一度跳ねて、フェンスに叩きつけられた。

「ぐっ……! こ、これは……!」


 決まっている。

 これは、鎮岩こと子の『能力』だ。


「アドバイス。


「…………!」

 その名前を聞いて『はっ』となる。

「きみは古平優をどう見ていたか知らないが、彼の行方を探るなどという無駄なことはやめたまえ。意味がない。。生産性がない。その追走に意味はない。無駄なことはするべきではない」

「――――」

 頭に血が上るような感覚があった。


 知っていた。

 わかっていた。

 だけど。

 敢えて、言葉にしてこなかった。

 避けてきていたはずだ。


 沸騰するように浮かび上がった感情を、もし形容するならば怒りだっただろう。

 すぐ手の届くところに転がっていた、何かの部品と思われる金属の破片を手に取った。

 それを、放り投げた。


 別に正確な狙いをしていたわけではない。

 だけど、明らかな敵意を抱いてのことだった。

 響木の手元から金属の破片は、まるで弾丸のように発射された。

古平ふるびらすぐる。あの男は――」

 弾丸のように回転し、螺旋を描く金属の破片は、鎮岩こと子の頭部を貫いた。





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