第17話 沼野成都 その②


     17.


 沼野ぬまの成都せいとの片手にはスマートフォンが握られている。

 そのスマートフォンは通話状態になっている。

『連絡が取れる状態でよかったわ』

 と、話す相手は日根ひね尚美なおみ

「よくないわよ、先輩や入江いりえと違って私は部活をしているんだから。わざわざ抜けてきたんだからね」

 日根尚美や入江いりえひじりは帰宅部だが、沼野成都は吹奏楽部に所属している。新入生の体験入部期間中なので、簡単には抜けられたからよかったものの……。

 部活中の沼野の元に、日根から電話がきた。

『入江ちゃんが体育館裏で、攻撃を受けた。今校舎に逃げ込んだから助けてあげて。攻撃者は、「能力」を使えて、ペットボトルを持っているみたい』――と。

「それで、美章園を助けた奴は男の子だって聞いてたけど、どうなってんの?」

 正面にいるのは一年生の女子生徒である。

「私の前にいるの、女の子なんだけど?」

『さあ、詳しくは私もわからないし、本人に聞くのが一番だと思うよ』

「ふうん」

 適当に頷いて、沼野は、響木ひびきの目を見る。

「それで、あんたは何さん?」

「…………」

 なんて話をしていると、教室の扉を開けて、入江聖が出てきた。

 彼女の手にはスズメバチが握られている。

 入江聖が出てきたことによって、響木は――ふたりに挟み撃ちにされる形になった。

「どうしてこんな真似するの?」

「…………」

 響木は黙っている。

「私ら――『マザーグース』に敵対するような真似をして、いったい何になるっていうの?」

「…………何って」

 まるで『不思議なことを言いますね』と言わんばかりに、苦笑いを浮かべて、響木は言う。

「私は、ただ卯月うづきくんを助けただけです」

「……だからって入江を追い駆け回さなくてもいいんじゃない?」

「逃げるから、追いかけただけです」

「……そんなくだらない屁理屈を言うほど、その『卯月くん』っていうのが大切なの?」

「…………」

 響木は何も言わない。

 挑発には乗ってこない。

「あるいは、そうね。ひょっとしたら……」

 なんとなく、ふと思ったことだった。


「あの男の子のことじゃなくて、私たちのことのほうが――『マザーグース』のことのほうが気になっている?」


「…………」

「図星ね」

「…………」

 沈黙だったが、響木の表情の変化を沼野は見逃さなかった。

 卯月希太郎を守ろうというわけではなく、どちらかというと『マザーグース』のほうを探ろうというつもりか。

『あはは――』

 電話の向こうで、日根尚美が笑った。

『私も不思議に思ってたんだよ。この「マザーグース」っていう名前は、いったいどこから湧いてきた名前なのか。いったい由来はどこにあるのか。その根っこが気になっていた』

 電話を響木にも聞こえるように、スピーカーに切り替えた。

『そこにきみの目的があるんだね』

「…………」

 響木は、ペットボトルを床に置いた。

 そして、黙って両手を挙げた。

「何のつもり?」

「降参です」

 沼野の問いに即答した。

「流石に上級生ふたりに囲われて抵抗しようなんて思いません」

「…………」

「…………」

『…………』

 思わず、三人は黙った。

 どうするべきか……。

 卯月希太郎は殺すとはまではいかないにしても、大怪我をさせるくらいのつもりでいた。こんな形のイレギュラーは想定していない。

「日根先輩、どうしますか?」

『どうするもこうするも……やることは変わらないでしょ。入江ちゃん、まだスズメバチのストックは残ってる?』

「あ、はい。あと一匹だけ」

 手で握り込んで構えている一匹が、最後ということだろう。

『降参してくれてはいるけど、これ以上余計に関わって来られて困るからね。一度スズメバチで刺しておこうか』

「そ、それだけは」

 響木が狼狽えた。

「それだけは……私、一度スズメバチに刺されたことがあります。だから、それだけは……」

 アナフィラキシーショック。

 スズメバチに刺された場合に、もっとも注意しなければならないことである。スズメバチに刺されて命を落とす場合、蜂の毒による薬理作用ではなく、蜂の毒から身体を守るための抗体が過剰に働き過ぎたことによって、である。いわゆるアレルギー反応。そのアレルギー反応が過剰に起きたときの症状をアナフィラキシーショックという。

 気道が腫れて呼吸困難に陥り、血圧が下がり、死亡する。

 一度刺されて、蜂の毒に対して身体が抗体を持っている場合、より一層危険である。

 響木は狼狽ろうばいして足元に置いたペットボトルを蹴り飛ばした。

 それは、沼野のほうに転がっていく。

「……まあ、そこまで言うなら大人しく私らの言うことを聞いてくれれば」

 沼野は足元に転がってきたペットボトルを掴んだ。

 ペットボトルの中の水が、うずを――螺旋らせんを描いていた。

「沼野さん!」

 スズメバチを構えている入江は叫んだ。

! 今すぐ捨てて――」


 内側から外側に描いていた渦が、炸裂した。


 ペットボトルは内側から吹っ飛んで、周囲に水が飛び散る。

 思わずふたり――沼野と入江のふたりは、顔を覆った。

 響木は、そんな物音や水が飛び散ることに狼狽えることなく、走り出していた。入江の真横を抜けて廊下を走って逃げていく。

「し、しま――」

 しまった。

 ふたりがそう思ったとき、


『火事です、火事です。三階で火災が発生しました――』


 というアナウンス音と一緒にサイレンが鳴り響き始めた。

 すごく心地の悪い音が、爆音で学校中に響き渡る。

「あいつ……!」

 響木寧々は、廊下を走って奥のほうの階段を駆け下りていく。

 その手前のほうにある火災報知器のランプが点灯している。

「火災報知機を押しやがったな……!」

 ペットボトルの破裂と、学校内に響き渡る火災のアナウンス。

 入江と沼野は混乱し、パニックに違い状態だ。

『ふたりとも落ち着いて』

 電話向こうの、日根が言う。

『一度、出直しましょう』





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