第13話 スズメバチに要注意 その③


     13.


 スズメバチは地中に巣を作ることがある。

 それ以外にも軒下や天井裏などに作ることもあるが、入江いりえひじりが発見したスズメバチは、体育館裏の、桜の木の下辺りに巣を作っていた。

 土を掻き分けるようにして、手を突っ込んでいく入江。

 腕は肘の辺りまで穴の中に入っていて、慣れた手つきで土の奥からスズメバチを一匹掴んできた。

 彼女に対してスズメバチが攻撃するような様子はない。

「ふーっ……」

 ひと息吐いたところで、スカートのポケットに入っているスマートフォンが鳴る。

「あーちょっと待って待って」

 どちらの手にも土がついていて汚れている。もう片方の手はスズメバチを掴んだままである。

 土で汚れているが『仕方ない』と諦めてポケットからスマートフォンを取り出した。

 画面には『日根ひね尚美なおみ』と表示されている。

「はい、もしもし。入江です」

『あ、入江ちゃん。そっちはどんな感じ?』

「どんな感じと言われましても……」

 手のひらの上にいる無抵抗なスズメバチを見ながら答える。

「今、何匹目かになるスズメバチを捕まえたところです」

『「ターゲット」がどんな状態かわかる?』

「わからないですね」

 即答する入江。

「別に私の『能力』って、虫たちが私の目になってくれるわけじゃないですし……私が近場にいるときならともかく、これくらい離れていると最初に出した『命令』にただ従うだけなので……」

『となると、どうなったのかは直接見に行かないといけないわけね』

「それは日根先輩にお願いしてもいいんですか?」

『よくないわね、私はもう既に電車に乗っているわ』

「…………」

 自分だけ先に帰りやがって、と内心では思いながら話を進める。

「どうだったんですか、その『ターゲット』との会話」

『「ターゲット」――というか、卯月うづきくんは私と話をしているあいだ、一度も私に対して気を許さなかったわ。ひょっとすると、入江ちゃん、あなたの「能力」に対応して、反撃してくるかもしれないわね』

「卯月くん、ですか」

『…………? 知っているの?』

「はい。少し話したことがあるって感じですけど」

 少しだけ雑談をした程度である。

 ただ、あのとき話した感じからするに、いい子だなと感じた。

 こんなふうに攻撃をすることが、忍びなく思えてくる。

 虫はただ自動で動いているから、心情を関係なく、温情なく攻撃を仕掛ける。それが、不幸中の幸いだ――なんてことを考えていたときだった。

『がさがさ』『がさがさ』と、木の枝が揺れる音が、した。

「誰?」

 反射的に立ち上がる。

「誰かいるの?」

 手のひらのスズメバチを、いつでも放てるように身構える。

「…………」

 少しだけ離れた位置にある桜の木。

 その物陰にひとり、人が隠れているのがわかった。

「…………卯月くん?」

 スズメバチによる攻撃を、もし躱していたとして、ここに辿り着けるとするならば卯月だろうと考えていた。

 ヒントというか、単純によかれと思って『体育館裏にはスズメバチが巣を作っていて危ない』という注意を出したことがある。

 物陰で、隠れている人物は動いた。

 一瞬だけ、セーラー服を着用しているのが見えた。それもスカーフが見えた。

(赤色……)

(ってことは一年生――)

 その物陰から何かが飛んできた。

 飛んできた何かは、スマートフォンを持つ右手に衝突した。

「うわっ!」

 叩きつけられたような衝撃と、冷たさ。

 思わず手を放してしまう。

 通話中だったスマートフォンは少し離れた位置に落下した。

「動かないでください」

 物陰から、まるで銃を構えるようにペットボトルを持ちながら、女子生徒は出てきた。

 放り投げたスマートフォンを取りに行こうとしていた入江は、身体を止めて、

「…………」

 と、その物陰から出てきた少女を見る。

「……ええっと、きみは、一年生だよね?」

 わかっていることを頭の中で整理しながら、話しかける。

 さっき、スマートフォンを持っていた手は、別に怪我もなく、濡れている。

「さっき、私の手に当たったのは、水……かな?」

「よく……そんなところに手を突っ込めますね」

 入江の問いかけには答えず、その一年生は言った。

「……慣れたというだけよ。それよりも、何さんか知らないけど、別に物陰に隠れていれば安全というわけではないからね? 私の手元にはこのスズメバチがいる。これであなたを攻撃することもできる」

「でしょうね。それがわかっていて、私はここにきているんです。私には、そのスズメバチによる攻撃を防ぐだけの手段があります」

「そう」

 なら、わかったわ――と言って、入江は両手を挙げた。

 手のひらにいたスズメバチは、ぼとり、と地面に落ちた。

「やめる」

「え?」

「攻撃をするのを、やめるわ」

 だから攻撃をするのを、あなたもやめて。





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