第3話 卯月希太郎の日常 その③


     3.


 二年生の入江いりえひじりと出会ったのは、放課後のことだった。

 卯月うづき星井ほしいのいる班は、今週掃除当番だった。そのごみ捨てで、体育館付近にあるダストボックスの前にやってきた。すると先客がいた。

 肩くらいの位置で髪を揃えている女子生徒。

 セーラー服のスカーフが黄色であることから、同級生ではなく、上級生であることがわかる。黄色は確か、二年生だ。

「よっと……」

 ごみ捨てを終えたその二年生はダストボックスを閉じて、こちらを振り向いた。

「あ、ごめん。閉めちゃった」

 もう一度ダストボックスを開いてくれた。

「ありがとうございます」

 卯月はお礼を言って、ごみ袋を放り込んだ。

「きみって、一年生?」

「あ、はい。そうです」

 話しかけられると思っていなかったので、少し戸惑った。

「何組?」

「一組です」

「じゃあ小倉おぐら先生だね、担任の先生。嫌味な先生でしょう。何か言われなかった?」

「ええっと……『いつまでも中学生の気持ちでいられたら困る』『そんな様子では社会に出たらやっていけない』とか、そんな感じのことを言われました」

「嫌味だね。きみらの担任の先生は、そういうことを言う人だから気にしないで。あんな奴は放っておいたらいいよ」

「はあ……」

「昨日今日入学したばかりの子にそんなこと言うのもおかしいでしょ」

「ええっと、先輩は……」

 何か受け答えをしなければ、と言葉を探すが見つからない。

 この初対面の人物に何か興味があるわけでもない。

「部活は何をしているんですか?」

「うん? 部活?」

 どうしていきなり部活の話? と疑問そうに小首を傾げる。

「別に。何もしてないよ。帰宅部だよ。そういうきみは何か部活に入ろうとしてるの? ええっと……」

「あ、僕は卯月って言います。卯月希太郎です」

「卯月くん。卯月くんね。きみは、何か部活に入ろうとしているの?」

「いえ、僕も先輩と同じように帰宅部です」

「そうなんだ、一緒だね」

 卯月はダストボックスを閉めた。

 話がいい感じに終わったので、『それでは』と失礼しようとしていたら、

「体育館の裏」

 その先輩は、体育館のほうを指差した。

「体育館の裏に、蜂が巣を作ってあるから気をつけて」

「蜂の巣ですか」

「スズメバチの巣だから。近づいて刺激しないほうがいいよ」

「スズメバチって……。かなり危ないじゃないですか。駆除とかされないんですか?」

「さあ? ひょっとしたら気づいていないんじゃない。放りっぱなしだし」

 言われて体育館の周辺を見ると、雑草が伸び放題で、鬱蒼うっそうとしている。

「今は、まだ活発な時期じゃないけど危ないからね。気をつけて」

 黒いものに寄ってくるって言うし――と、卯月を指差した。

 両親が吸っている煙草による副流煙ふくりゅうえんで真っ黒になった肺のことを言いたいのだろうか。あるいは腹の中が真っ黒だと言いたいのだろうか。

 なんて思ったが、そんなわけがない。

 たぶん、学ランのことだ。

「その、先輩は虫が好きなんですか?」

「どういう質問よそれ」

「いえ、なんとなく」

「好きなわけないじゃない。虫が好きな女の子とかいないでしょ」

「いや、いないことはないと思いますけど……」

 くつくつと笑う。

「でも、そうね。虫は嫌いだけど、触れるよ」

「触れるんですか?」

「うん。自慢じゃないけどゴキブリもムカデも平気だよ。危険な場所さえ触らなければいいからね」

「す、すごいですね」

「でも、かえるとかトカゲとかの爬虫類は苦手ね。見た目はすごく好きなんだけど、触れない」

「……あべこべなんですね」

 蛙のことを爬虫類と勘違いしているのは触れないようにする。

 蛙は両生類だ。

「そういえば先輩はなんてお名前なんですか?」

「あれ? 私って、卯月くんに自己紹介してなかったっけ?」

「聞いてないです」

「それならそう言ってよ!」

 こほん、と。

 一度だけ咳払いをして言う。

「私は二年の入江聖、よろしくね」





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