第二十七話 秘密兵器

「唱え……?」


 どういうことだろう。魔籠を起動する呪文だろうか。僕に渡されている魔籠に、まだ知らない機能があるのか?


「いいですか? 人の一世は星の瞬き」

「……人の一世は星の瞬き」

「不断に行い勤めよ」

「不断に行い勤めよ」


 戸惑いはあったが、迷っている場合でもないと思った。

 僕は言われた通り、ルルの目を見ながら続いて唱え終える。変化はすぐに起こった。

 ルルの長い髪がふわりと広がり、その下から強烈な青い輝きが漏れ出した。狭い路地を光で満たし、眩しいほどだ。ルルの真後ろで光を浴びている夫妻は目を覆っていた。

 降り続く雪が光を反射して、空気が丸ごと光っているような光景を作り出す。

 強い輝きは短い間だった。光が弱まると同時、ルルが突然僕の方へ倒れかかってきた。慌てて支えると、荒い呼吸と速い鼓動、そして高い体温が感じられた。


「どうした。ルル」


 自力で立っていられないようだ。体重のほとんどを僕に預け、荒い息が白く溶けてゆく。今のは一体なんだったんだ。何が起こった? ルルは何をしたんだ?


「ノブヒロさん、これ……」


 顔を上げてララの方を振り返る。

 ララの声は震えていた。緊急事態でも滅多に動揺することが無いララ。しかし、今の声と表情には明らかな困惑と驚愕の色が溶け込んでいた。

 同様の理由は僕にもすぐに分かった。


「何だ、これ」


 空気が凍りついているようだった。冬だからとか、寒いからとか、雪が冷たいからとか、そういう意味では無い。止まっている。降る雪は空中に静止しており、星蒔きに置かれたランプの火は揺らめいていない。遠く後ろでは、ハリウスと交戦中だった敵の動きも停止していた。輝く短剣を振りかざしたまま、彫像のように固まっている。いきなり動きの止まった相手にハリウスも困惑しているようだ。


 ルルが苦しそうに呻く。僕は我に返ってルルの方を見た。


「ルル、どうしたんだ。何が起きてる?」

「魔法です。おおどけい座の、力を、借りて……時間を、止めました……」


 途切れ途切れ、絞り出すように説明された言葉には驚きを禁じ得ない。

 ルルの脚は震え、いよいよ立っていられなくなったようだ。へたり込むルルに合わせて僕も支えになりながらしゃがみ込んだ。


「時間を……? どういうことだ? ルルに魔法は使えないだろ」

「魔法を使ったのは、おじさまです」

「そんな魔法知らないぞ」

「まさか、お姉ちゃん」


 ララの声に振り返る。


「自分の体を魔籠にしたの……?」


 その言葉にハッとして、僕はルルの後ろ髪をかき分ける。首筋から背中の入りにかけて、何らかの星座を象ったと思われる模様と、付随するいくらかの記号のようなものが彫られていた。それが今も青く発光し続けている。


「入れ墨か? こんなものいつの間に」


 いや、今はそんなことどうでもいい。

 ルルが自身を魔籠にして、僕がそれを発動した。驚きはあるが理解は出来る。それで、どうしてルルがこんなに苦しんでいるんだ?


「大丈夫なのか? しっかりしてくれ」


 揺すって呼びかけてもルルは荒い呼吸を繰り返すばかり。体は高熱だし、自力で立つこともできず、良くなる兆しが無い。


「何がどうなってるんだ」


 焦りと共に振り返ってララに問いかける。


「人体はありとあらゆる象徴になり得ますから、強力な魔籠には確かに向いています。でも、どんなに強くても普通は絶対に使いません」

「どういうことだ」

「材料に人体を使うことの一番大きな意味が、生け贄だからですよ」

「生け贄? ルルは大丈夫なのか!」

「知りませんよ! 私だって実際に見るのは初めてです!」


 ララの声には怒気が含まれているように感じた。誰に対する怒りか。身を投げ打ったルルか、魔法を使った僕か、それを防げなかったララか。この状況に導いた、あらゆるものか。


「でも、ルルは生きてるぞ……」


 今のところは、という言葉は飲み込んだ。


「ルルは達人なんだから、何とかして大丈夫なように作ったんだろ? そう信じてるからな……!」


 ハリウスが駆け寄ってくる。敵の動きは止まったままだ。一方、僕らは全員動けている。どうやって区別しているのか分からないが、天才のルルがやったことだ。説明されたって分かりはしないだろう。


「おい、何が起きてる」


 ハリウスがそう話しかけてきた時、ルルが僕の手を握った。弱々しく、しかし熱い。


「ルル」

「だいじょうぶ、です……。今のうちに、つるぎ座の教会へ、向かってください」


 目を閉じたまま、息も絶え絶えに言う。つるぎ座の教会というのがどこだか知らないが、ルルには何か考えがあるのだろう。


「行こう。僕はルルを信じたい」


 険しい顔をしながらも、ララは頷いてくれた。

 僕はルルを負ぶって立ち上がる。いつの間にか強化魔法が切れたのだろうか、その体を重く感じて、もう一度魔法をかけ直す。


「フィジカルライズ……あれ?」


 魔法が発動しない。困惑していると、ルルが呟くように言った。


「この魔法、維持がもの凄く大変なので、ほとんどの魔法は併用できません。ごめんなさい……」

「本当だ、私も」


 ララが杖を掲げたまま呟く。僕ら全員、今は魔法が使えないようだ。


「謝らなくていい。このくらい、どうってことない」


 僕はしっかりとルルの体を支え直し、歩き始めた。


「ララ、道案内を頼む」


          *


 止まったままの敵から逃れ、大通りへ出る。ハリウスとララに先導してもらいながら、つるぎ座の教会を目指した。

 数多くの教会が建つ聖都だが、その中でも特別な位置づけの教会が十四ある。

 ひとつは北星教会の総本山たる、十三星座教会。そして、それぞれ北星十三星座の名前を冠する、十三の教会。つるぎ座の教会はその中の一つだ。


 走りながら空を見上げると、暗い空に点々と白い煌めきがある。星ではなく、止まったままの雪だ。改めてルルの魔法の威力に驚かされる。こんなに凄まじいものを隠し持っていたなんて。


「この魔法、北星魔法だな」


 ハリウスが言った。


「この嬢ちゃんは何者だ? 教会にいたことでもあるのか?」

「いいえ。たぶん王宮の襲撃で残されていた祭壇から手がかりを読み取ったのでしょう」

「恐ろしいな。そんなことで秘儀が真似出来てたまるかよ。大体、時間を止める魔法なんて聞いたことねえぞ」

「呪文はおおどけい座のくだりから取っていたようですが、どうやったのかは想像も出来ません。ただ、かなり無理を押し通したのは確かでしょう。自分を魔籠にするなんて……」


 ララが歯噛みしている。ルルはどれだけのリスクを冒したのだろう。僕にも想像が付かないが、そのお陰で生きていることは確かだ。この頑張りは無駄に出来ない。

 ルルは気を失っているが、きちんと息をしているし、背中に心臓の鼓動も感じる。何も問題ないはずだ。とにかく、ルルを信じて今は進もう。


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