断魔の星剣 編

第一話 報告

 冬の聖都は雪の日が多い。

 昨日の夜から雪がちらつき始め、今朝まで続いている。そびえ立つ尖塔も民家の屋根も、敷き詰められた石畳も、等しく白に覆われていた。空の遠く果てまで雪雲が続いているようで、今日一日は同じような天気かも知れない。


 北星教総本山である十三星座教会にも雪は降り積もる。

 聖都は街の中央付近にある教会区と、教会区をぐるりと取り囲む市街区に大別される。

 十三星座教会はその教会区の中心に建てられた、聖都で最も大きな、ひいてはポラニア王国で最も大きな北星教の教会である。

 聖都は大きな湖を中心にして作られており、その湖の中央にある島に建てられているのが十三星座教会だ。数ある教会の中でも世俗から一際隔絶されたような立地は、訪れる皆に特別な聖域であることを実感させる。

 大都市の中心地でありながら、最も雑踏から遠い場所。ここまでは街の喧騒も届かず、雪が落ちる音すら聞こえてきそうなほどの静けさに包まれていた。


 教会の広大な中庭に面した開放廊下を老齢の男が一人行く。雪は廊下にもいくらか吹き込んでおり、男が歩みを進めるたびに微かな足音が鳴った。

 男性は金糸に彩られた白い祭服に身を包み、宝石の埋め込まれた豪奢な祭具の杖を携えていた。そして頭には特徴的な宝冠を戴いている。それは北星教の最高位に座することを意味する特別なもの。男は北星教の頂から人々を教え導く、輝煌きこうである。


 輝煌が長い廊下を歩き自室の前に来ると、その前に佇む一人の少女が目に付いた。輝煌ほどではないものの、いくらか装飾的な白の祭服に身を包んでいる。踵に達しそうなほど長い銀髪と、周囲の雪に同化してしまいそうなほどの薄く白い肌。これでは目の前に来るまで姿に気づかないのも仕方が無い。

 少女の背には一本の大剣があった。それは歳の割に身長の低い少女が持つにはあまりにも大きいため、鞘の先端が地に擦れないよう斜めに傾いだ状態で背負われている。細部まで作り込まれた細工と彩りのある宝石は武具として不適にも思えるが、これらは剣が立派な祭具であるが故のことである。


「マニベル大煌たいこう

「お待ちしておりました、輝煌猊下」


 名を呼ばれた少女、マニベルがその場に跪く。

 その声には微かに幼さが見え隠れしていた。それも当然のことである。マニベルは未だ十五の少女なのだから。十代で上位煌職に就いている異才中の異才である。

 跪いたことで煌めく銀髪が水のように垂れ、頭と肩に積もっていた雪がはらりと落ちる。一体いつからこのような寂しい場所で待っていたのだろう。


「入りなさい。ここは冷える」

「はい」


 言われて立ち上がったマニベルが輝煌の顔を見上げる。その瞳は鮮やかな赤。頭から足下まで白と銀に覆われ雪に包まれた景色の中で、唯一色を持つもの。

 輝煌は部屋の扉を開け、マニベルを招き入れた。部屋の灯りに火を入れ、輝煌は席に着く。大きな部屋の中も外とさほど変わらず冷え切っていたが、風が当たらないだけ幾分かましであった。


「用件は」

「はい。今回は西へ赴き、大滝の町に潜んでいた悪魔を祓って参りました。これで十七体目になります」

「……そうか」


 思わず小さなため息が漏れた。

 輝煌にとっては聞く前から分かりきっていた答えだった。マニベルが輝煌まで直々に報告しに来ることと言えばこればかりだからだ。違いと言えばマニベル自らがやったか、部下がやったか程度のもの。上位の煌職であるマニベルが普段の仕事で外へ出る必要性は少ないのだが、彼女は積極的に出たがる質のようだ。


 そうして帰ってきては「人を殺してきた」と報告する。


 マニベルが言うところの悪魔なる存在を輝煌も一度だけ見たことがある。輝煌の要望に応えたマニベルが聖都まで連行してきたのだ。

 その者は常識からかけ離れた魔力を持っていた。それは天才などという言葉で片付けられる程度ではなく、人間の埒外といえるほどの魔力。それでいながら魔法に関する知識は一切を持たず、魔籠無しではいかに簡単な魔法も使うことが出来なかった。魔法学院がありふれた現代において、それほど高度な素質を生まれ持ちながら初歩的な魔法教育を一切受ける機会が無かったというのは考え難かった。

 極めつけはその者が話した異世界転移のこと。なんでもその者はこことは異なる世界から突如ポラニア王国へと飛ばされてきたのだという。にわかには信じられない話であったが、その者が持っていた見慣れぬ道具の数々や衣装と風貌、世界の枠から外れたかのような魔力について、他に説明の術も無かった。

 しかし、それら特異な点を除けば、その者は輝煌が知るところの人間そのものであった。

 必死に助けを請うその者を、結局マニベルは斬って捨てた。何故かと問えば、悪魔だからだと言う。しかし、これは教会の公式見解ではない。


「今回の悪魔は何らかの狼藉を働いていたのか?」

「いえ、特にそのような話はありませんでした」

「なにも殺すことはなかったのでは?」

「それはなりません、猊下。我らつるぎ座の使徒、星々の剣なれば。悪魔を滅ぼすことは至上の使命であります」

「ふむ……」


 とりつく島がないのは従来通り。


「分かった。用件はそれだけか。では――」


 下がりなさいと続けようとした。それをマニベルが遮った。


「もう一つお耳に入れておかなければならないことが」

「なんだ?」

「三月ほど前に海都で起きた、海神の召喚についてです」

「あれか……」


 三ヶ月ほど前、ポラニア王国の歴史に残る一大事が起こった。

 海都の沖にて、十三星座の神である海竜が出現したのだ。教会には公式的な見解を求める声が殺到し、大混乱の中で調査が行われた。結果、教会が持つ資料を当たる限り、それは間違いなく北星魔法によって呼び出された正真正銘の海竜であると認めざるを得なかった。

 ある種の熱狂的な民意と期待に押される形で、教会は神の降臨を公式的に認めた。しかし、教会が何の理由も無く北星魔法を使うことなどない。何者かが通常とは異なる方法で行ったことは明らかであった。

 通常とは異なる方法。それは過去に一例だけ確認されている。


「調査により、異端者フェイス・フェアトラが残した魔籠を用いて不正に北星魔法を行使したと思しき者と、その仲間を特定しました」

「そうか。それで、その者らをどうしたいのだね」

「決まっております、猊下。天のつるぎ座に代わり、我らが裁きを下します。穢れた悪魔の身にて星の威光を借る不届き者に、地獄以外の道はありませんから」


 柔和な表情、微笑み。慈愛すら感じるその顔で毅然と宣言するマニベル。輝煌はその瞳に隠れた暗さに薄ら寒さを覚え、少し目を反らした。そしてごまかすように言う。


「君が事を起こす前にそのような宣言をするのは初めて聞いた。教会の判断を仰ぎにきたと思ってよいのかな」

「いいえ、猊下」


 マニベルの口調が心なしか強くなったように感じられた。


「決して、我らの刃に立ち塞がることのないよう、お願いに参ったのです」


 そう言うと、マニベルは祭服の袖からいくつかの品物を取り出し、机の上に置いた。十字に煌めく北極星を模して作られたメダルと、それに連なるビーズの鎖。これは聖職者が祈りに用いる星数珠だ。そして、置かれた星数珠には全て、血飛沫らしき痕跡が見て取れる。

 輝煌は顔を上げ、再びマニベルの目を見る。


「猊下は今、教会の判断を、と仰いました。しかしそれは間違っております。地上の全ては星々の意の下にあるのです。我らはそれに従うのみ。堕ちたる者は等しく我らの前に裁かれるでしょう。猊下も私も、等しく」


          *


 報告を終えたマニベルは部屋を去った。

 静まりかえった部屋。輝煌は机上に残された星数珠を手に取り、天に祈った。

 ここしばらく、信頼のおける数名にマニベルの動向を影から探らせていたが、連絡が途絶えて久しかった。その数は目の前にある星数珠の数と一致する。


「皆には申し訳ないことをした。まさか彼女がここまでするとは……」


 彼女はもう手遅れなのだろうか。それとも本当に間違っているのは自分なのか。マニベルが言うところの墜ちたる者とは、果たしてどちらのことか。

 閉ざされた扉に目を向け、輝煌は呟く。


「星の標を、見失ってはいまいか、マニベル大煌……。我らは等しく、天より星の恵みを賜る小さきものに過ぎない。裁くことは我らの役ではないはずだ」


 輝煌は立ち上がり、背後の窓に向く。

 静まりかえった湖面と、その奥にある教会区が霞んで見える。しかし、それより先は舞い落ちる雪の白さで見通せなかった。


「私は君の行く末が心配だよ」


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