海神の継承者 編

第一話 海都の少女

 路地に揺らめく弱い光が、銀髪のサイドテールを照らす。

 マリンは家路を急いでいた。

 時刻は深夜。王国六大都市に数えられる海都といえど、この時間に聞こえてくる音と言えば微かな潮風と遠くの波音、そして自分の足音ばかり。

 電力の普及が限定的なこの街では、ただ脂を燃やすだけの弱弱しい街灯が今も現役である。灯りの頼りは指輪に仕込んだ魔籠だ。

 光を放つ指先を前に出し、足早に路地を歩く。海都の治安は良くない。深夜に暗い路地を歩くのは推奨されないだろう。マリンのような十代の少女は特に。


 ふと、マリンの耳が異音を捉えた。

 先ほどから自分のものとは異なる足音が聞こえるようだ。耳を澄ませながら歩調を速める。すると、もう一つの足音も重なるようにして速くなった。やはり背後に誰かいる。

 足を動かしたまま肩越しに少し振り返る。薄明りに照らされ、黒い外套が揺れた。

 前に向き直り、駆け足になった。学院制服の白いワンピースが合わせて揺れる。

 やはりこんな時間に出かけたのは間違いだった。宿題で必要となる教科書を学院の棚に忘れてしまった自分を恨む。


 マリンが駆けるのに合わせ、背後の足音も速まった。直線の先に大通りが見える。人の出が無いとはいえ、見通しの良い大通りで凶行には及ばないはず。いや、そう信じるしかない。

 突如、足に痛みが走る。痛みにもつれた足を置いてけぼりに、上半身がつんのめって派手に転倒した。手を擦りむき、痛みに声が出る。

 見れば、両足とも何かにぶつけたような腫れができていた。痺れも残っている。何らかの魔法を当てられたのかもしれない。


 追手はゆっくりと歩みを進めてくる。マリンが立てないと分かっているようだ。

 こうなれば一か八か。マリンが魔籠に魔力を流そうとした時、路地に声が響いた。


「マリン!」


 声に顔を向ける。大通りへ通じる路地の出口、そこに一人の少年が立っていた。

 闇夜に溶け込む黒髪に、マリンよりもほんの少し背が高い程度の小柄さながらもガッチリと鍛えられた体躯。マリンにとってはここ一年ですっかり見慣れた異人の姿。

 大通りから駆け込んできた少年は、マリンへ駆け寄りながら右腕を胸元に掲げる。そこには透き通る水色の腕輪。繊細な模様の刻まれた、神秘的な装身具。魔籠である。


 少年の腕輪が青く光る。

 虚空から大量の水が現出。それは少年の周囲に浮いて渦を巻き始めた。

 水は少年の意志を受け、流れの方向を定める。水は分厚いカーテンのように姿を変え、追手との間にマリンを守る形で展開された。


「大丈夫?」

「ハル君。ありがとう」

「俺の後ろに」


 マリンは足を引きずりながら、少年の背後に隠れる。少年はそれを確認すると、追手に向き直って戦いの構えをとる。


「お前、誰だ。最近マリンを付けてたやつか?」


 水のカーテン越しに問いかける。

 揺らめく水の向こうに、敵の表情は読めない。しかし、仮に魔法の水が阻んでいなくても、目深にかぶった黒いフードに隠れて顔は見えなかっただろう。


「フェアトラの遺産、返してもらおう」

「遺産? 何のことだ」


 追手は返事の代わりに魔法を放った。

 不可視の一撃が水のカーテンに当たり、守りが打ち破られる。弾けた水が地に落ち、大きな水たまりを作った。


「そっちがその気なら……!」


 少年が魔籠に力を流し、再び水を呼び出す。


「食らえ!」


 水流は複数の槍となって、追手へと襲い掛かる。うねりながら突きかかる水の槍を、敵は後退しながら魔法で撃ち落としてゆく。だが、自在に形を変える水の連撃に、敵の手数は追いつかなくなっているようだ。

 ようやく諦めたのか、追手は外套を翻すと路地の闇へと走り去っていった。


「行ったか……」


 少年が肩で息をしながら、敵の撤退を確認した。


「ハル君」

「マリン、怪我は?」

「大丈夫」


 少年に手を引かれて、マリンは立ち上がった。足は少し赤く腫れているが、もう痛みはほとんどない。


「あいつ何だったんだ。マリンを付け狙ってたっていうやつと同じかな」

「わかんない。でも、襲ってくるなんて初めて」

「……実はさ、俺の職場にも見慣れない奴らが尋ねてきたらしい。なんか、俺の名前とか、どこに住んでるかとか聞いてきたんだってさ。たまたま俺は居なかったんだけど、現場のおっちゃんが教えちゃったらしくて」

「えっ、大丈夫なの?」

「わからない。でも、マリンは早く学生寮に移ったほうがいい。今の家は危ない」

「でも」

「頼むよ。本当に心配なんだ」

「……分かった」


 マリンは承諾し、少年は安心に顔をほころばせる。


「しっかし、めちゃくちゃ怖かったぁー!」

「びっくりしたよ。ハル君が戦うなんて」

「これ折角作ってもらったしさ、使い方は練習してたんだよ。まさか人に向けて使うことになるとは思わなかったけど。もう無我夢中だった」


 少年は魔籠の腕輪をマリンに示した。慣れない戦闘の余韻だろうか、その腕は小刻みに震えている。


「でも、ありがとう。おかげで助かった」

「ああ。さ、早く帰ろう」


 二人は並んで歩き、大通りへと向かう。

 海都の小さな路地は、再び風と波の音に満たされていた。


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