第十話 仕える者たち

「んうぅぅっ、よく寝た」

 僕は両腕を高く上げ、伸びをする。背筋に筋肉がほぐされる心地よい感覚が生まれた。

 久しぶりの柔らかい寝床。安全な室内。ここはそれほど上質な宿ではないが、野宿続きの体には実に快適な睡眠であった。

「おはようございます。ノブヒロさん」

 声のしたほうへと首を回せば、すでに起床しているララの姿。着替えも終えており、窓際の椅子に腰かけて、外を眺めながら愛用の杖を磨いていた。

 窓からはオークマレットの屋敷を臨むことができる。もしもの時のために、屋敷が見える宿にしようと提案したのはララだった。ララが事前に言っていた通り、祭りを控えた時期ということもあって宿は多くが埋まっていたが、条件に合う部屋が見つかったのは幸運だっただろう。

「おはよう、ララ。早いね」

「もう昼ですけど」

「えっ」

 驚きと共に窓の外へと目を向ける。言われてみれば確かに太陽が高い。人々の賑やかな往来も、今が町の活動時間真っ盛りであることを示していた。

「起こしてくれてもよかったのに」

「疲れていたんでしょう? ここまで慣れない旅だったでしょうし、ゆっくり休んでもらって構いません」

「ずいぶん優しいじゃないか」

「ええ。ひとまずお姉ちゃんのほうは当座の危機が無さそうでしたので、私たちも少し落ち着けます」

 それを聞いて気付く。旅の途中で見せていたような鬼気迫る様子を、ララから感じない。

 これまではルルに忍び寄る影はアリ一匹だろうと逃すまいという気迫を終始放っていたが、今は随分と穏やかな様子だ。

「どういうこと? 両親とうまくいったとか?」

「いえ、お姉ちゃんの傍に味方がいました。そこそこは頼れる人たちなので、お姉ちゃんのフォローもしてくれるでしょう」

「味方か」

「うちの使用人です。お姉ちゃんと仲が良くて、ラミカとミルトというのですが。両親についてこちらへ来ていたようです」

「聞いたことあるな」

 名前の響きに覚えがあった。あれは確か――

「思い出した。王都で会ったことあるぞ。あの時はルルと一緒に追い返されちゃったけど」

 僕が直接その二人と話をしたわけではない。僕とルルが王都の屋敷を訪れた際に、ルルの母親の傍にいたのがその二人だ。その名はルルの口から聞くことになった。

 ルルの母の命令で僕らを追い返した二人だったが、ひっそりとルルに謝罪の言葉を述べているのを聞いた。あのときの沈痛な面持ちには、力不足や心と相反する命令に対する苦悩が隠れていたのだろう。二人を責められない分、ルルも辛かったはずだ。

「確かに、ルルの味方っぽい感じだったな。僕らを追い出す時は辛そうだった」

「あの人たちも酷なことをさせるものですね。本当に腹が立ちますが、今回は向こうから呼びつけている以上、そこまで酷いことはされないでしょうし、ラミカとミルトがお姉ちゃんの支えになるはずです」

 あのメイド二人は僕よりもルルと長く暮らしを共にしているのだろう。僕が傍にいるよりもよほど頼りになると思えた。

「そういうわけなので、少し自由にしていても構いませんよ。屋敷は私が見ていますから」

「と言われてもな……」

「せっかくですし、町を見て回ってきたらどうですか? ほとんど帰ってこなかったとはいえ、一応は私たちの故郷のようなものです。案内できないのは申し訳ないですけど」

 ララに言われて考える。切羽詰まった事情が無いのなら、町を見て回るのは悪くない。祭りを前にして賑わっているようだし、宿で寝ているだけというのも勿体ないだろう。

「じゃあ、お言葉に甘えて少し出てくるよ」


          *


 宿を出た僕は大通りを歩くことにした。

 祭りは明日からのようだが、見物人を目当てにした屋台はすでに数多く立ち並んでいる。近寄ってみると肉の焼ける良い匂いが漂ってきた。

「ララにも何か買って行ってやるか」

 ララは見張りを離れるつもりはないだろう。保存食は部屋にもあるし、ララはそれでもかまわないと言うだろうけど、祭りの空気を目前にそれはちょっと寂しい。


 僕は肉の匂いに誘われるまま列に並び、肉の串焼きを六本購入した。包み紙から早速一本を取り出して頬張る。何の肉かは知らないが久々に温かいものを食べたので、旨さは一入だ。行儀は悪いが、今日はこのまま食べ歩きも良いかもしれない。

 そんなことを考えながら二本目の串に取り掛かろうとした時、背後から人を呼び止める声が聞こえた。

「すみません」

 すぐ後ろで聞こえた声に振り向く。そこには声の主と思われる一人の女性がいた。背筋を伸ばした姿勢の良い佇まい。僕より少しだけ背が低く、落ち着いた目でこちらを見上げている。長いスカートとそれを覆う白いエプロン、そして茶髪に載った簡素なヘッドドレスは、僕の勝手なイメージではあるが、メイド服のように見える。フリルやリボンなどの装飾はほとんど無いようだ。

「僕ですか?」

「ええ」

 串を持ったまま応じる僕に、女性は言った。

「失礼ですが、イマガワノブヒロさんでいらっしゃいますか?」

「そうですが、あなたは――あっ」

 そう言いながら記憶を巡らすと、思い当たる節があった。前にも同じような雰囲気の女性と会っている。ただ、その時は脇に立っていたメイドにまで気を配るような余裕はなかっただけだ。

「思い出していただけたようですね。初めましてではありません。私はラミカと申します。以後お見知りおきを」


          *


 僕はラミカと名乗った女性と共に屋台を離れ、広場のベンチに腰掛けた。

「すぐに気づかなくてすみません。あの時は顔を覚える余裕もなくて」

「あの状況では、無理もないでしょう」

 ラミカさん。この人は僕が王都で出会った人物の一人だ。ルルの実家に仕えるメイドの一人で、ララ曰くルルの味方といえる人物。

 初めて会ったのはルルと共にルルの母親を訪ねた時だった。あの時拒絶された衝撃は忘れることができない記憶の一つだ。

 僕は顔を覚える余裕もなかったと言ったが、相手は一度会っただけでしっかりとこちらの顔を覚えていたようだ。きっとデキるメイドなのだろう。

「それで、僕に何か御用ですか?」

「市場へ買い出しにきたら偶然お見掛けしまして。ルルお嬢様が大変な信頼を置いているがどのような方か興味がわいたもので」

「なるほど……」

 大変な信頼ね。ルルは僕のことをそんな風に話していたのか。なんだかこそばゆくて、僕は少しだけニヤけそうになるのをなんとかこらえた。

「しかし、驚きました。この町にいらっしゃるのに、ルルお嬢様と一緒に来たわけではないのですか?」

「ああ、それはちょっと事情があってですね」

 僕は今回の旅について簡単に説明した。主に、ララのこだわりに振り回されている辺りについて。

「ララお嬢様が……」

「はい。そういうわけなので、申し訳ないですけど、ルルには僕らが町に来ていることは内緒にしてもらえますか?」

「まあ構いませんが」

 ラミカさんは事情を聞いて少しだけ呆れたような表情を見せた……ような気がしたが、了解はしてくれた。

「それにしても、あなたはララお嬢様とも仲が良いのですね」

「仲良いのかな? まあ、悪くはないと思ってますけど」

「うらやましい限りです」

 そう言って、ラミカさんは小さくため息をついた。

「ラミカさんはララと仲が悪いんですか?」

「悪いということはないと思いますが、あなたのように頼られることはありませんでした」

「頼られてるんですかね」

「頼られていますよ」

 ラミカさんは即座に断言した。

「特に、ルルお嬢様についてのことを誰かに任せるというのは、それはもうララお嬢様にとっては半身を預けるに等しい、絶大な信頼と言えるでしょう」

「そんなに……?」

 割とぞんざいに扱われてる気がするけどな。鍛錬に付き合わされるたびに、まだまだだと言われるし。でも、それも頼られている故ことなのだろうか。

 それに、ラミカさんだってララには頼りにされているはずだ。僕は宿でララとした会話を思い出す。

「そういえば、さっきララが言ってましたよ。屋敷にはラミカさんたちが居るから、ひとまずルルは大丈夫だろうって。これは信頼されていると思っていいんじゃないですか?」

「ララお嬢様がそんなことを」

 ラミカさんは少し表情をほころばせてそう言ったが、すぐに目を伏せて続けた。

「でしたら、ご期待に沿えず申し訳ないことをしました」

「……ルルに何かあったんですか?」

 ラミカさんは逡巡した様子を見せた後、意を決したように話し始めた。

「今年の北星祭、ルルお嬢様が何故呼ばれたかご存知ですか?」

「いいえ」

「実は――」

 

「王子から求婚?」

 聞かされた内容はなかなか衝撃的だった。なんとポラニア王国の王子がルルに求婚してきたのだという。

「なんでまたそんなことに」

「私にもさっぱりです。旦那様によれば、ノブヒロさんとララお嬢様の試合を観戦なさっていたとのことでしたが」

「あれか……」

 あの時は僕もルルもかなり目立っていたな。おそらく王子も王立魔法学院に在籍しているのだろうし、目についてもおかしくはないだろう。それでルルが求婚される理由までは分からないが。

「でもルルはまだ十歳ですよ。そんなの早すぎないですか?」

「いえ、珍しいことではありません。特にお嬢様のような身分の方でしたら、この歳で両家の親同士が話し合って決めていることは一般的です」

「ルルと王子に面識は?」

「無いはずです」

「それでも決まっちゃうものなんですね」

「ええ」

「そういうものなのか」

 さすが貴族の娘。僕にはまったくわからない。

 このことについてルル本人がどう思っているかはわからないが、王宮とのつながりを何より重んじているであろうルルの両親からすれば、千載一遇のチャンスだろう。

「幸い……と言っていいのか分かりませんが、殿下はルルお嬢様のお気持ちを尊重するつもりのようです。ルルお嬢様がお断りすれば、話は無かったことになるかもしれません」

「そんなの、あの両親が許さないでしょう」

 ラミカさんはこくりと頷いて、続けた。

「その場合、ルルお嬢様には即座に家を出て行ってもらうとのことで」

 僕は頭を抱えた。やはりララの言う通り、来るべきではなかっただろうか。ルルはまた重い決断を迫られることになってしまったわけだ。いや、この場合、来ても来なくても結果は変わらないか。

 どちらにせよ、ルルは自分で考えて答えを決めるだろう。だとしたら、僕にできることはなんだろうか。

「分かりました。教えてくれてありがとうございます」

「大したことでは」

「……よければララに会っていきませんか? 今回のことも相談できると思いますし」

 僕の申し出に、ラミカさんはしばらく悩んでから、とても恐縮した様子で答えた。

「いえ、とても合わせる顔がございません。すみません」

「そうですか。気が変わったらいつでも来てください。僕らは祭りの間、あそこの通りの宿に泊まっていますので」

 僕は宿の場所を示し、ラミカさんはそれを了解すると一礼して屋敷の方へと去っていった。

 今回のことは使用人であるラミカさんの力でどうにかできる問題ではないだろう。それでもあそこまで落ち込むのは、それだけルルのことを思っているからに他ならない。

「まずはララに相談してみるか……」

 僕はすっかり冷めた串焼きの包みを手に、宿へと足を向けた。

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