第十九話 惑う刃(二)

 翌朝、まだ外が暗い時間。僕は姉妹よりも早くに起床した。

 着替えとを済ませ、居間に座って待つ。自分でも朝っぱらから何をやっているのかと思うが、今日の予感は当たる気がした。

 日の出ごろ、寝室から一人の少女が姿を現した。小さな背丈に、水のように流れる金髪。お揃いの寝間着。姉妹に共通の見慣れた姿だが、僕にはそれがどちらかすぐにわかる。


「おはよう。ララ」


 僕が挨拶すると、ララは少しだけ目を瞠った。


「こんな時間に何をしているんですか?」

「ララこそ、随分と早起きじゃないか」


 いつもならばルルに抱き着いたまま、なかなか起きないのがララだ。まあ、昨日から養生のために早寝していたせいでもあるんだろうけど。


「今日は、ちょっと用事があるので……」

「それは魔物退治?」

「……」


 ララは答えない。まさか待ち伏せさせるとは思っていなかったのだろう、うまい言い訳もみつからないはずだ。


「私を止めるために待ち伏せですか。わざわざそんな面倒なことを――」

「止めないよ」

「え?」

「よく見なよ」


 ララは改めて僕の姿を見る。足には魔籠の靴、腰には魔籠の剣、着替え――正確には戦闘準備も含めた支度を済ませた僕の恰好。


「どういうつもりですか」

「僕も連れて行ってくれ」


 僕が今できることはこの程度だ。

 さすが双子というべきか、ララもルルに負けず劣らずの頑固者だ。自分の意志はなかなか曲げないだろうし、無理に止めるべきでもないと思った。もちろん無理矢理止めるなんて不可能なのだが。


「手伝いは無用です」

「足手まといが一人いれば、無茶はできないだろ?」

「……」


 ララはこう見えてとても優しい。自分がどれだけ強くても、後ろについてくる人のことを考えてくれる。これは初めて会った列車での戦いのときからそうだった。師匠の家に一緒に居候するようになってからも、実戦を通して魔物の狩り方をレクチャーしてくれている。先日の湖での戦いもそうだ。限界を悟るまで、ララは僕に交戦を頼まなかった。


「僕の実力でララの手伝いなんてそもそも無理だからね。精々、足枷にならせてもらうよ」

「好きにしてください……」

「決まりだね。さて、ルルが起きてくる前に出ようか」


          *


 僕らは早朝の学都を出発した。もちろんララが運転する車でだ。


「怪我はもう治ったんだね?」

「ほとんどは治りました。戦いに支障はありません」

「ん。了解」


 美しいグラデーションに染まる東の空が見える。初めてララと出会った日も、列車の上からこんな空を見たな。ララが一瞬にして天まで業火で染めたけど。


「お姉ちゃんに頼まれたんですか?」

「いや、僕が勝手にやってる」


 念のため書置きはしてきた。まあ、ララの様子に気を付けておくとは言ったけど、止めるなんて一言も言ってないし。嘘はついていない。


「ルルは怒るかもなぁ。その時はおとなしく怒られような」

「……」


 ララは少しムスっとしたまま車を運転している。詳しいことを何も話してくれないが、車は湖の村とは違う方角へ向けて走っていた。学都周辺にはほかにも集落があるのだろう。今回はどんな魔物と戦うのだろうか。



 早起きのせいで半分寝かけたころ、車は目的地に到着した。


「自分からついてきておいて居眠りですか」

「いや、ごめん。起きた」


 ララに続いて車から降り、周囲を見渡す。車は街道の脇に停められていた。


「ここに出る魔物を倒します」


 ララが前方を見やる。

 僕らの停車位置よりも先で、街道は峡谷へと延びていた。両側を急斜面の山に挟まれているせいで日光が阻まれ、薄暗い。目の届く範囲に集落らしい場所は見当たらなかった。


「立派な街道じゃないか。街道なら学都の保守義務の範囲じゃないの?」

「ここは旧街道です。この峡谷を抜けた先には大きな集落がいくつかあったのですが、ほとんどの住民が過去に行われた学都との合併措置の際に移住したので、残っているのはそれに従わなかった小さな村が一つだけです。合併は済んだので、この先に人里は無い。従って街道も保守対象から外れるというというのが学都の主張です」

「そりゃまた強引だな」

「効率化というやつですよ」


 ララは薄暗い峡谷の旧街道へと足を進め始めた。僕も後に続く。

 両側面を挟まれているというのはあまり気持ちがいいものではない。この世界に来て魔物との戦いに少しずつ慣れてきたからこそ地形の怖い点が分かる。強い魔物に上をとられたら厄介だ。ララはそのくらいのこと想定して動いているのだろうけど。

 薄暗い道端に目をやると、ところどころに動物の骨らしきものが散乱している。旧街道が何者かの狩場になっているのは間違いなさそうだ。


「ちなみに、どんな魔物を狩りに来たの?」

「大きな蜘蛛のような魔物らしいです。基本的に巣から出てこないので、こちらから手出しをしなければ通行はできるそうですが、怖いのでなんとかしてほしいということでした」

「なるほど。蜘蛛ね……」


 まあ向こうから仕掛けてくる魔物でないなら、湖の時ほど危険はないだろう。巣から出てこなければ、いざというときに逃げられる。

 僕がそんなことを考えていると、ララが立ち止まった。


「狙われています。準備を」


 ララの言葉を受け、警戒を高める。峡谷は前方で曲がりくねっているため最奥まで見通すことはできないが、少なくとも目視の範囲内に敵はいないようだ。これまで通ってきた道にも敵らしい生き物は見当たらなかったが、ララが言うからには何かいるのだろう。

 隣でララが杖を構えた。僕も剣を抜き、呪文を唱える。


「ボルテージ――フィジカルライズ」


 体に力が充足し、剣は淡い電光をまとった。静かな峡谷に、風が吹き抜ける音と電気の乾いた音だけが響く。


「上です」


 ララの言葉に、空を見上げる。黒い影が複数。鳥だ。薄明りを受けて額に輝くのは青い宝石。どこかで見たことのある魔物の群れだった。

 先に動いたのはララだ。杖を空にかざし、得意の光弾を放つ。ララの魔法は群れの大半に直撃。甲高い鳴き声と共に絶命した魔物がぼとぼとと墜落してきた。僕も剣を振り抜く。ララが僅かに撃ち漏らした敵に雷撃が命中。難なく撃墜した。

 ララが魔物の死体から額の宝石を回収しはじめたので、僕もそれに倣う。


「こいつ前にも見たね」

「サファイアメールバード。郵便配達のために改良された魔物が野生化したものです。列車で戦ったやつですよ。所謂、魔籠に馴染んだ魔物です」


 馴染んだ魔物。魔籠が体に完全に馴染んだため、自然に生まれるようになってしまった魔物のことだ。リンデン氏は人間が制御可能な魔籠を自然に馴染ませることで、魔物の支配を計画している。


「列車の時はこいつのデカいやつも出てきたけど、近くにいるのかな」

「分かりません。それらしい気配はありませんが。念のため警戒してください。旧街道が学都の管理を外れてからは、ここは魔物の巣窟となっているはずです」


 しかし、ララの言葉に反して魔物の襲撃はその一度だけで、僕らは薄気味悪い峡谷の旧街道を言葉もなく進み続けた。


「もっと魔物が出てもよさそうなものですが……」


 ララが疑問を口にする。誰も保守管理していない峡谷の旧街道。確かに、もっと魔物がいてもおかしくはない。

 蛇のように曲がりくねった道を何度か過ぎたころ、答えは目の前に現れた。


「なるほど、魔物が少ないわけですね」


 Vの字になった渓谷を埋め尽くす巨大な蜘蛛の巣。規則的な模様のタイプの巣ではない。縦横無尽に張り巡らされた糸が半透明の白い壁となって行く手を阻む。巣にはあちらこちらに黒い点のような汚れが見られるが、よく見ればそれらは全て生き物の死骸であった。サファイアメールバードらしき影も多数ある。そして、その中でも特に目立つ大きな影が一つ。


「奴らの親玉はこいつか」


 列車で戦った怪鳥の魔物と同じ姿。サファイアメールバードのボスとみられる個体だ。自慢の巨大な翼を絡めとられ、黒い羽根をまき散らして絶命している。肉は大きく削げ、目玉は無い。随分と食い散らかされているようだ。こんな大物をエサにしてしまうとは、かなり強力な魔物なのだろう。


「見てください」


 ララが蜘蛛の巣の端を指さす。旧街道を塞ぐ白い壁の一角、糸の及んでいない隙間があった。僕らが乗ってきた車一台くらいならなんとか通れそうな隙間だ。峡谷を抜けるまでこの幅が維持されているかは知らないが。


「通行はできるというのは、こういうことですか」

「嘘だろ……こんなところ、よく通るな」


 通れるけど怖いから何とかしてほしいという依頼らしいが、怖すぎるだろ。


「ここを通らないと山をかなり大きく迂回しないといけませんからね。迂回路も街道として管理されているわけではないので魔物の脅威にさらされる点では同じです。まだ積極的に襲ってこない蜘蛛のほうがマシなのでしょう」

「僕ならおとなしく学都に移住するかな」

「まあ、そうなりますよね」

「でもどうする? 一応通行に支障はない。しかも、こいつが魔物の大半を食ってると思われる。ってことは、こいつを倒すとかえって旧街道が危険になる可能性は?」

「あの穴がふさがったら村は終わりです。この大蜘蛛はともかく、雑魚の魔物くらいなら村の人たちでも倒せると思います」


 さすがは修羅の領域、学都の近郊で生きてきた村人たちと言ったところか。化け物級でなければなんとかなるようだ。


「じゃあ決まりだな。――とはいえ、肝心の魔物が見えないけど」

「そうですね……あ、いいところに」


 ララが後ろを振り返って言う。僕もその視線を追うと、旧街道の真ん中に一体の魔物がいた。人の子どもくらいありそうな大きなバッタだ。はぐれと思われるそいつはじっとこちらの様子を見ている。

 ララは変幻自在の魔籠を取り出す。


「乞う、聖天の光。鞭となりて、我が敵を打ち倒し給え」


 呪文を受けて、魔籠が光り輝く鞭へと変化した。何をしようとしているかは大体わかる。哀れなバッタよ、さらば。

 ララは鞭をバッタへと伸ばした。バッタは飛び去ろうとするも、一足遅い。鞭はバッタの胴に絡まって動きを封じる。ララは流れるような動作で鞭を返し、大蜘蛛の巣へと伸ばした。バッタが巣に触れる寸前でララは器用に鞭だけを引く。結果。バッタだけが白い壁に絡まり、懸命に足をバタつかせはじめた。

 そいつはすぐに現れた。


「うおっ……」


 思わず声が漏れる。

 獲物の動きに吸い寄せられてやってきたのは確かに巨大な蜘蛛の魔物だった。だが、僕の知る蜘蛛とは脚が左右対称に八本ついている生き物を言う。

 その魔物は赤黒い体から非対称に伸びた十一本もの長い脚をぞわりぞわりと動かしながら獲物へと歩み寄った。脚の長さを含めれば、サファイアメールバードの親玉よりも巨体と言える。それだけでも尋常ではないが、他のすべての特徴と比べても引けを取らない異様さが目に付いた。

 そいつの丸っこい腹部には……一つの巨大な眼球がついていた。眼球の形は、その大きさを除けば人間のものと同じように見える。赤黒い瞼のような膜をぱちぱちと開け閉めしながら、ぎょろぎょろと周囲の様子を窺っていた。

 あまりに壮絶なビジュアルに言葉が見つからない。


「蜘蛛の魔物は何度か戦ったことがありますが、これは見たことの無い種類ですね」


 隣のララは落ち着き払っていた。慣れたものということか。


「まあ、なんであれやることは変わりません」


 ララは杖を構えた。

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