第十八話 惑う刃(一)
リンデン氏の調査を終えた後、僕は桃花のところまでルルを迎えに行った。ルルだけでは魔籠の認証扉を開けることができないからだ。
「あっ、おじさま。終わりましたか?」
「うん。今日のところはね」
スターゲイザーが瞬く研究室へ足を踏み入れると、ルルが歩み寄ってきた。その背後では桃花がにっこりと笑顔を投げかけてくる。僕も笑顔を返したつもりだったが、うまくできただろうか。
桃花を前にすると、リンデン氏の言葉が思い出される。桃花を外に出すつもりはないと。その意図はまだよくわからない。だが、リンデン氏の進める計画に害を及ぼす恐れがあるのであろうことくらいは分かる。
「おじさまもいっしょにお話ししていきますか?」
「そうだね。まだ時間は余裕あるし――」
僕がそう言いかけると、桃花がそれを遮った。
「ごめんなさい。今日はちょっと話し疲れちゃった。また今度来てもらえる?」
「そっか、分かったよ。また来る」
魔法の力で保っているとはいえ、桃花は本来重病人だ。こういうこともあるだろう。僕とルルは桃花に別れの挨拶をすると、研究室の出口へと向かった。
「あっ、ルルちゃん」
扉を開いたところで、呼び止められる。
「今度はララちゃんも連れてきてね」
「はい!」
ルルは元気に応じると、手を振った。
*
僕らは宿舎に戻ったが、ララは戻っていなかった。
「どこに行ってるんだ」
部屋には書置きなどもない。元々、王立魔法学院の在籍時代からララは学都に何度も来たことがある。学都の中に僕らの知らない交友関係を持っているかもしれないし、僕らの知らない用事もあるかもしれない。一方の僕らはこのアカデミーくらいしか知らない。ララの行き先に見当をつけようがなかった。
「ちょっと心配だな」
「はい……」
学生食堂で最後にララを見たときの様子が頭に浮かぶ。リンデン氏の物言いはララの矜持を酷く傷つけるものではなかっただろうか。
ララは、リンデン氏の言うことが正しいと言っていた。ララがハンターアデプトなんてものになっていること自体がおかしいのだと、考えが古いのだと。先ほどリンデン氏と直接話した僕も思った。単に問題解決だけを考えるのならば、リンデン氏の言うことは正しいのかもしれない。
「まあ、それで割り切れるなら、あんな顔しないよなぁ」
ララの気持ちを推し量るには、僕らはララの苦労を知らなすぎる。下手な気遣いは心に響くどころか怒らせるだけのような気もした。
「とりあえず、ララが戻ってきたときのために夕飯の支度でもしておくか」
「そうですね」
なんとなく今晩は学食を利用する気にはなれなかった。僕らは簡単な食事の準備を整えてララの戻りを待った。
夕日も完全に沈んだ頃、宿舎の玄関に物音がした。
「あっ、ララかな?」
ルルが椅子から立ち上がって玄関へと迎えにゆく。ようやく帰ってきたかと一安心しかけたとき、玄関からルルの悲痛な声が聞こえた。
「ちょっと、ララ、どうしたの? ひどいケガ……!」
不穏な内容に背筋が凍る。僕も慌てて玄関まで向かった。
ララの姿は昨日に増して酷いものだった。服のあちらこちらが破れ、布地はまだらに赤く染まっている。服の裂け目の奥には赤色の滲んだ包帯。痛々しい裂傷や擦り傷の数々。強く打ち付けたような腫れや内出血も散見される。酷い喧嘩をしたってこうはならないだろう。相手がよほど強力な魔物でもない限りは。
「何があったんだ」
「魔物狩りです」
やはりか。この有様では、それ以外考えつかないが。
「大丈夫なのか?」
「問題ありません。勝ちました」
「そうじゃなくって……」
心配そうな顔をしたルルと僕の間をすり抜けて、ララは奥の部屋へと入っていった。ルルがそれを追いながら話しかける。
「ホントに大丈夫なの? 痛くないの?」
「うん。強い治癒魔法をかけてもらったから、一晩寝ればほとんど治るよ」
そうは言うが、あまりに痛々しくて見ているだけの僕まで壮絶な気分になる。全身怪我まみれで本当に痛くないのだろうか。
ララはこちらを見ようともせずに自分の荷物が置いてあるところまで行くと、寝間着を取り出して、さっさと着替え始めた。またもや僕の目の前で堂々と服を脱ぐものだから目を背けざるを得なかった。もうちょっと気にしてくれ。
「ねえ、ララ。どうしちゃったの? なんかおかしいよ」
ルルがほとんど泣きそうな顔で話しかける。
「こういうこともあるよ」
「説明になってないよ」
ルルが問いかける間に、ララは早々と着替えを終えたようだった。彼女の手にはきちんと折りたたまれた血濡れの服が抱えられていた。
「本当にどうもしてないよ。魔物の相手をしてれば怪我くらい珍しいことじゃないから」
「でも……」
大都市周辺の魔物は強い。それが学都ならばなおのこと。
ララが大型の魔物と戦うのを見たのは昨日で二度目だった。一度目は列車の上から楽々倒した。しかし二度目は危うく死にかけた。ララほどの腕があっても、絶対安全な戦いなど無い。この二例にしたって、彼女がハンターアデプトとなるまでに、そして僕と出会うまでに叩きのめしてきた魔物の数とは比べ物にならないだろう。数多くの戦いの中で怪我をすることは当然他にもあったはずだ。
「心配してくれてありがとう。ちょっと疲れたから、もう寝るね」
「う、うん。おやすみ」
「おやすみ。お姉ちゃん」
ララは一人寝床に向かうと、体を横たえた。
僕は寝室の戸を閉める。
「ララは今までずっとこんなことをしていたんでしょうか」
ルルが小声でつぶやいた。その言葉から純粋な驚きが伝わってくる。ルルもよく知っているようで、全然知らなかったララの一面だ。
「ララはとっても強くて、わたしと違って魔法が上手で、大人の魔法使いでもできないような仕事を任せてもらえるなんてすごいって誇りに思ってました。でも、何度もこんな目に遭うくらいなら、もうやめてほしい。わたし、なんにも知らないで、だめですね」
「ルル……」
「おじさまはどう思いますか? わたし今、リンデンさんの実験が早くうまくいけばいいのにって思っちゃいました。おかしいですよね。ほんの少し前までわたしもリンデンさんに文句をつけてたのに」
「おかしくないよ」
そういうのは理屈じゃないだろう。他ならぬララ自身が、リンデン氏の言うことが正しいと言いながらも狩りを続けていることがそれを表している。しかも、今のララは正式な依頼を受けたわけではなく、自分の意志で魔物を狩っているのだから、感情に流されて意地になっている部分は大きいだろう。
「ララの様子には僕も気を付けておくよ」
「おねがいします」
ララは学都に滞在している間ずっとこれを続けるつもりなのだろうか。師匠の家に帰ってからはどうするのだろうか。
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