月末通信制限伝説ギガ!! ~ロイドの大冒険~

高橋右手

月末通信制限伝説ギガ!! ~ロイドの大冒険~

 ここは王国の最果ての地、イノナカ村。

 村人たちは、畑でチャクメロの実を育てたり、牧場でシャメールを飼っています。

 生活は楽ではありませんが、村人たちは古の神ジェ・イフォの教えを守り、魔力の源であるパケットの泉を節約して暮らしていました。

 村は平和でした。時々、森に住む妖精キューツーに、村の若者が悪戯をされるぐらいでした。

 そんなイノナカ村に1人の男がやってきました。男は商人で持ってきた商品を、村の広場で広げました。

「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! いま、都で流行っている魔法のアイテムを持ってきたよ!」

 口上に引かれ、村人がなんだなんだと集まってきました。

 商人は一枚の板を掲げました。板は手のひらに乗る大きさで、片面が磨き上げられ黒曜石のようにつるりとしています。

「ここにありますは魔法研究の粋を集めて作られました最新の通話板でございます」

「田舎だからって馬鹿にするなよ、通話板ならこの村にだってあるぞ」

 そう言って村人は、ポケットから板を取り出しました。商人のものより、ずっと小さいものでした。

「いくら最新だからって、そんな大きな通話板は不便でしょうがない」

「お客さん、そう焦らないでくださいな。こいつはただの通話板とは違うんでございますよ」

 そう言って商人は板の表面をツイッと撫でる。すると板がぴかりと輝きを放った。

「なんと、この通話板は遠くの人の顔が見れるというすぐれもの!」

 通話板にはお城を背にした女性の顔が映っていました。

「なるほどそいつは凄い。だけども、儂らは王都ジョズに知り合いなんておらんし、顔なんてすぐに見れるぞ」

「そう仰ると思ってました。この通話板、なんと通話だけじゃないんですよ! こちらを御覧ください」

 商人が板を撫でると、今度は別の場所が映し出されます。豪奢な舞台でした。銀糸の衣をまとった美しい男性が舞いを披露し、重奏な音色とともに天使のような歌声が板から聞こえてきます。

「王都ジョズで人気の舞台だって、家事をしながら観れるんですよ!」

「それはなんて素敵なの!」

 村の女たちが黄色い声をあげました。

「さらに基本無料の呪文(アプリ)を覚えさせれば、魔法だって使いたい放題だ!」

「それは本当か?! 遊びにも仕事にも便利じゃないか!」

 今度は男たちが驚きの声を上げ番でした。

「火の玉も氷の礫も風の刃も、指先一つの簡単操作! これ一台があれば、仕事も遊びも完璧! 退屈してる暇なんてない!」

「ただの通話板とは全然違うな!」

「はい、その通りでございます! 王都ジョズではスマイルにするマホウ、略して『スマホ』と呼ばれてるんでございますよ!」

 商人のウリ文句に村人たちが盛り上がるなかで、村長だけは冷静でした。

「ふむ……、しかしそれだけの魔法アイテム、お高いんじゃろ?」

「非常に言いづらいのですが……0ゴールド」

「はっ? なんと?」

「このスマホ、実質0ゴールドなんですっ!」

「そんなの詐欺に決まっとる!」

 信じられないほど都合のいい話に、村長だけでなく村人たちも疑いの眼差しを商人に向けています。

「毎月の使用料金という形でお金を頂きます。それも子供のお小遣いほどの料金ですから、ご家庭の負担も少なくなってるんでございます」

「なるほどのー。子供の駄賃ほどなら、安いものかもしれんな」

「はい、そうなんです。毎晩のぶどう酒をほんの少しだけ控えて頂ければこのスマホが手に入るのですよ。そう思えば、健康にもよろしいですし……」

 商人はスマホを差し出します。

「この最新魔法アイテム『スマホ』試してみませんか?」

 村人たちは新しい物に興味津々でしたが、なかなか最初の一歩を踏み出せないでいました。

「……よしっ! 一つ頼もうか」

 若い男が手を上げると、隣の女も慌てた様子で手を挙げました。

「な、なら私も1つ頂戴!」

「はいはい、どうぞどうぞ」

 受け取った二人はさっそく新品のスマホを動かします。

「おお! なんて絵姿の美しさだ!」

「これまでの通話板とは比べ物にならないわ!」

 感動する姿を見た他の村人たちは、我先にと商人の前に列を作りました。

「儂にも1つくれ!」

「うちは3人家族だから3つ!」

 飛ぶように売れていくスマホに、商人は人の良さそうな笑みで応じます。

「はいはい、押さないでください。スマホはたくさんございますよー!」

 こうしてたくさんの村人たちがスマホを買いました。


 スマホは村人たちの暮らしを一変させました。

 どこでも観れるおもしろ動画や、なんでも届く密林の魔法ショップなど、様々な魔法。

 最初は懐疑的だった人々もスマホの便利さを知るや、古い通話板から次々に乗り換えていきました。本来は人と人を繋げる補助アイテムだったはずのスマホですが、スマホを持っていなければ繋がれないほどに依存するようになっていきました。


 そんなある日の事です。


 村に異変が起こりました。

「あれ? スマホが繋がらないぞ?」

「おかしいな、写真は撮れるのに動画がみれないぞ」

「壊れちまったのか?」

 スマホを振ったり、付属の魔法ケーブルに差しても動画は見れません。

「みんな、大変だ! こっちに来てみろ!」

 1人の呼びかけに村人たちは村の外れに集まりました。

「パケットの泉が……!」

 昨日まで清浄な魔力(ギガ)を湛えていた泉が、底が見えるほど干上がっていました。

「この辺りの魔力(ギガ)が薄くなっちまってるのか」

「これじゃあ、スマホがまともに動くわけがねえ……」

 力自慢の男たちが泉の底を掘ってみましたが無駄でした。

「ちょろちょろと湧き出しちゃいるが、一台分の魔力(ギガ)にもなりゃしねえぜ」

「村長さま! どうにかならないのですか!」

「うむ……妖精サポートに電話をしたが、『128けーびーぴー』やら『わいふぁい』やら『あっぷでーと』やら『るーたー』がどうやら……誰か、妖精語が分かるものはおるか?」

 手を挙げる村人はいませんでした。

「一角獣の月が終われば、また魔力(ギガ)も元通りになるけど……」

 多少スマホに詳しい男の言葉に、村人たちは顔を曇らせます。

「月末まであと何日あると思ってんだ! 動画も見れなけりゃ、ツイッターも出来ないなんて!」

「それだけじゃない、無料魔法は魔力(ギガ)が無いと使えん。モンスターを追い払うこともできないとなると、作物が荒らされてしまうな」

「そんな、せっかく育てたチャクメロの実が」

 老婆は悔しそうに顔の皺を深めていました。

「これはもう国王様を頼るしかないな」

「頼ると言っても、誰も国王様の番号もメールアドレスも知らないぞ! ツイッターでリプライやDMを送っても返事なんかしちゃくれない。どうやって連絡するんだ!」

 国王様の個人情報は非公開でした。

「誰かが王都ジョズまで行き、国王様に会って直接嘆願するしかないが……」

 村長が期待を込めて村の若い男たちを見回すが、誰も視線を合わせようとはしません。

 最果ての地にあるイノナカ村から王都ジョズまでは、3つの試練を越えなければならないのです。

 そんな面倒な旅に出ようとする者はいませんでした。

「しかたない……誰も行こうとしないなら」

 村長は1人の若い男を指差す。

「ロイド! お前さんが行ってくるんじゃ」

「ええええ! オレッ?!」

 名指しされた若者は渋い顔をしていました。ざっくりと刈った黒髪の下で力強い一重の眼が輝いています。身長は高くないけれど、鍛えられた肉体の持ち主です。

「お前さんが、エッチな動画ばかり見て魔力(ギガ)を大量に消費していたから、泉が枯れてしまったのじゃ!」

「えええーー!! じっちゃんやオヤジ達だってエロ動画見てたじゃないかよー」

 不満そうなロイドの逆襲に、父親たちは妻たちから目を背けていた。

「ええい! それでもお前さんが行ってくるんじゃ!」

「分かったよ。そのかわり、新しいスマホ買ってくれよな」

「何を言う! お前のスマホは型は古いが、水に強くだぶるしむ対応なんだぞ」

「古くてダセえスマホなんかより、新しいスマホが良いんだって!」

「ふー……仕方ない。無事に使命を達成したら褒美として新しいスマホを買ってやろう」

「やったー!! 後でとぼけるのとか無しだかんな!」

 こうして村長と約束をしたロイドは旅に出ました。


 3つの試練に挑む前に、ロイドは町に立ち寄りました。

「おー、さすがに町はいろんな店があるな!」

 馬が何百頭も預けておける広い厩を備えた大型店舗や、利用料が安いゴルフの練習場が建っています。

 ロイドが町の中を歩いていると、1人の男が話しかけてきます。

「ここはソコソコ町だよ。キミ、見かけない顔だね。旅の人かい?」

「イノナカ村から来たんだ。村の魔力(ギガ)が枯れちまったから、王様に相談するんだ」

「それは大変だねえ。王都ジョズまでの3つの試練を越えるなら、この町で装備を整えていかないとね」

「もちろん、村長から300ゴールドもらったんだ」

「装備はこの道を真っ直ぐ進んだ先のギルドショップで売っているよ」

「サンキュー! さっそく行ってみるよ」

 ロイドが通りを歩いていくと、沢山のノボリを立てた店がありました。ノボリには『新機種発売!』や『家族割』、『今なら1000ゴールドキャッシュバック!』と書かれています。

 店の中では身なりの良い店員が3人、カウンターに横一列に並んで客さんを待っていました。

「いらっしゃいませ。番号札をとってお待ち下さい」

 ロイドの他に客は誰もいませんが、番号札を取らなければなりませんでした。

「本日はご新規のご契約でしょうか? 機種変更でしょうか? それともプランの変更でしょうか?」

「王都ジョズまで行くのに、3つの試練を越えたいんだ。ここで装備が買えるって聞いて来たんだけど、あってるかな?」

「最新のスマホもアクセサリーも扱っております」

「オレ、スマホはもう持ってるけど」

「どちらの機種をご利用でしょうか?」

 ロイドが自分のスマホを差し出すと、店員は眉間に皺を寄せました。

「こちらのスマホは……神との契約がされていませんね。この先のエリアではスマホが使えなくなります」

「ええっ!! なんで?!」

「この世界のほとんどの魔力(ギガ)は『電公の神』『英雄の神』『夜風の神』の三柱が人々に分け与えているものです。神の加護を得た地では誰でも魔力を使えますが、加護の無い地では魔力(ギガ)を受信することができません」

 店員はラミネート加工された資料を使って説明してくれました。

「なるほど、だからこの先にあるのが3つの『試練』なんて呼ばれてるのか」

「左様でございます。ですから『個人契約』という形で契約し、神の加護を得なければなりません」

「なんだか面倒くさそうだなー」

 露骨に面倒臭がるロイドに、店員は大げさな笑みを浮かべます。

「いえいえ、当ギルドに加入して頂ければ、必要な手続きは全てこちらで致します。ほんの5分ほどお時間を頂けないでしょうか?」

「まあ、5分ぐらいだったらいっか。300ゴールドで足りる?」

「はい、手続き費用はたったの5ゴールドでございます」

「やっっす!」

「それではこちらの用紙に、お名前とご住所のご記入をお願いします」

「名前はロイドで、住所はイノナカ村っと」

 ロイドが空欄を埋めて用紙を渡すと、店員はまた別の用紙を取り出しました。

「現在、冒険者応援キャンペーンというものを行っていまして、こちらの冒険者安心プランに加入して頂けますと、毎月の基本料金を割引になりますが、いかが致しましょうか?」

「でも、プラン料金ってのが別にかかるって書いてあるけど? 結局、高くなるんじゃない」

「はい、お客様の仰るとおりですが、差額はたったの30ゴールドでございます。それでモンスターとの戦闘でスマホが壊れた場合でも修理代金の保証が受けられますので、冒険者の方にはオススメしております」

「オレ、王都ジョズに行くだけで、別に冒険者ってわけじゃないんだけど」

「なんと! そうでしたか! 勇ましい顔立ちに鍛えられたお身体で、てっきり歴戦の冒険者でいらっしゃるかと勘違いしてしまいました」

「ま、まあね。村じゃ剣を振り回して、ゴブリンを追っ払ったこともあるしー」

 ロイドは満更でもない様子で、鼻の下を掻きました。

「王都ジョズまでの道のりは険しいです、お客様がいくら強くても。うっかりスマホを谷底に落としてしまったりしたら大変でございます。そんな時もこの冒険者安心プランに入っておけば、すぐに保証が受けられます」

「うーん、念の為に入っておいた方がいっかな」

「ありがとうございます! さらに冒険者の方には、こちらの妖精通話のオプションもいかがでしょうか? ギガが不安定なダンジョンでもクリアな通話が可能となっております! もちろんお客様が挑む3つの試練でも大活躍すること間違いなしです!」

「じゃあ、それもお願いしようかな」

「ありがとうございます! 冒険者安心プランと妖精通話を併せてご加入のお客様には、プレミアムギルド会員のオプションがたったの10ゴールドでご利用いただけます! こちらのオプションは、新しく発見されたダンジョン情報やレアモンスターの出現をいち早くお客様にお届け致します! さらにギルドの経営する銀行や倉庫の利用料がタダに! さらにさらにギルド加盟店でのお買い物が10%オフになるという超お得なオプションとなっております!」

「王都ジョズでも買い物したいし……よし、それも入っちゃおうかな」

「ありがとうございます! さらにこちらの2年割り引きに入っていただけますと――」

 結局、店員に勧められるままに2年割と5つのオプションに加入し、スマホ魔法を沢山保存できるようにSDカードを1枚買いました。

「ご契約、ありがとうございました」

「色々と助かった! ありがとな!」

「またのご利用をお待ちしております」

 丁寧に頭を下げる店員に見送られ、ロイドは意気揚々とギルドショップを出発しました。その手には、キャンペーンで貰ったぬいぐるみとカップラーメンが入った紙袋を携えていました。

「さあ町を出て、3つの試練に挑むぞ!」

 神の加護を得たからか、まるで自分が強くなったようにロイドは全身に力が漲っています。

 大股で大通りを進み、町の外れまで来ました。

 魔法ショップがあります。旅人向けにモバイルバッテリーやUSBケーブルを売っている店です。店頭にはセール品が並んでいて、その中にはSDカードもあります。

「ええええっ!」

 ふとSDカードの値札を見たロイドは驚きの声をあげました。

「こっちなら半額以下でSDカード買えたじゃんか!」

 魔法ショップでは同じ容量のSDカードが格安で売られていました。

「くそー! 騙された!」

 ロイドはぼやきますがすでに手遅れです。スマホにSDカードを差した後だったので、もう返品できませんでした。


 町から北に進んだロイドは、第一の試練『イモードの谷』に到着しました。

「すげー! 大地が落としたスマホの画面みたいに、バリバリになってるな!」

 幾筋もの裂け目が大地を走り、渓谷が縦横無尽に広がっています。吊橋や洞窟で繋がっていたり、まるで巨大な迷路です。適当に歩いていたら、何日かかっても谷を抜けることは出来そうにありません。

 谷の入り口には古びた看板がいくつも立っています。《迷子に注意!》や《落石注意!》、《デコメ鳥に注意!》などなどスマホショップの壁並みに沢山の看板がありました

「肝心の道案内の看板がないな。でも、こういうときこそ、スマホ魔法『グルグルマップ』だ!」

 ロイドがスマホに現在地と目的地を入力しました。するとスマホから光の線が伸び、谷底を駆け抜けていきました。

「この光の通りに進めば出口までいけるはず」

 ルート検索の力を信じて、ロイドは谷を進んでいきます。

 乾いた谷底の端に、白くて硬いものが大量に転がっていました。どうやら生き物の骨のようです。

「迷い込んだモンスターが死んじまった……にしては、やけに骨がバラバラだな」

 大小の骨でパズルを組んでも、一匹の形になりそうにはありません。

 ロイドが不思議がっていると、頭上から『ビリリビリリビリリ!』と不気味な音が降ってきました。

「……鳥の鳴き声?」

 見上げると、谷間を一匹の鳥が飛んでいます。羽を広げた姿は2~3メートルはあるでしょうか大きな鳥です。

「やたら派手な羽してるな。こいつがデコメ鳥か?」

 まるで子供が赤や黄色のクレヨンを何本も手に持って、適当に塗りたくったような色をしています。

「気味悪いし、さっさと谷を抜けよう」

 ルート案内の光に従ってゴツゴツと荒れた谷底を進んでいくと、デコメ鳥たちの声が増えていきました。さらにその鳴き声はロイドに近づいているような気がします。

 ロイドは足を早めました。分かれ道を右へ行き、梯子を使って崖を上り下りして、谷の出口へと近づいていきます。

「この先の洞窟を抜ければ……えっ??」

 光の矢印は谷底を塞ぐ巨大な岩を指していました。

「がけ崩れで洞窟が通れなくなっちまってる!」

 岩は1人ではとても動かせそうにありませんし、切り立った崖を登る事も出来ません。

「迂回するしかないか」

 面倒だなと思いながらロイドは道を引き返し、スマホを頼りに別のルートを探します。

「えっと、ここを曲がって回り込めば――」

 突然、風切り音がしました。

 歩きスマホをしていたロイドは反応が遅れてしまいます。

「うわぁっ!」

 何かが肩にぶつかってきた衝撃に、ロイドは地面に倒れ込みます。鋭い痛みに肩を押さえると、真っ赤な血が流れていました。

「いてて、なんだ?」

 ロイドの問いかけに応えるように、『ビリリ!ビリリ!ビリリ!』という沢山の鳴き声が、谷間に木霊します。先程の派手なデコメ鳥が、頭上に十匹以上も集まっていました。

 デコメ鳥たちは鋭いクチバシを黒光りさせ、次々にロイドに向かって突撃してきます。

「やばいっ!」

 ロイドは走りました。しかし、デコメ鳥たちは派手な翼を器用に操り、次々に急降下攻撃をロイドに繰り出してきます。

「いだだだだっ!」

 荒涼とした谷底には、身を隠せるような場所はありません。デコメ鳥たちの猛攻にロイドの身体は徐々に傷ついていきます。

「スマホ魔法でなんとかしないと!」

 呪文(アプリ)の一覧を見ましたが、効果がありそうなものが記憶(インストール)されていませんでした。

「ストアになにか……」

 検索欄に『魔法 鳥 退治』と入れると、100件も候補が出てきました。

「選んでる時間なんてねえ!」

 一番上に表示された評価3.5のアプリをダウンロードしようとしました。

《警告 呪文(アプリ)のダウンロードは、Wi-Fi接続をおすすめします》

「知るか! いますぐアプリが必要なんだ!」

 ロイドは警告を無視して、217MBの呪文(アプリ)のダウンロードを始めました。

 1%……3%……。

「おっせーーーーっっ!」

 神の加護(電波)が届き悪いため、なかなかダウンロードが終わりません。

 21%……22%……27%……。

 肉をついばもうとする鳥たちから、ロイドは逃げ回っているしかありませんでした。

「はやくはやくはやく!」

 ロイドはスマホに祈ったり、本体を上下に振ったりしますが、そんなことをしてもダウンロードは速くなりません。

「いぎゃっ! あがっ! ひぃあっ!」

 デコメ鳥に服を引っ掛けられ、足を引っ掛け転んで、全身がボロボロになった頃にようやくダウンロードが完了しました。

「よしっ! 起動して……って、今度はインストールが!」

 ダウンロードに比べてインストールはすぐに終わりました。

「やっと呪文(アプリ)起動だ!」

 アイコンをタップすると、魔法メーカーのロゴが表示されましたがまだ呪文は使えませんでした。注意書きが現れます

《このアプリは以下の情報にアクセスします》

「早く使わせてくれーーーー!」

 ロイドはデコメ鳥に頭をつつかれながら『はい』を連打しますが、まだ呪文(アプリ)は使えません。

《以下の規約を読み、同意してください》

 長ったらしい文章が出てきますが、ロイドは規約を読まずに同意しました。

「はいはいはいいいいいっ!!」

《呪文(アプリ)の使いすぎには注意して、休憩をとりましょう》

 最後の注意が表示されて、いよいよ呪文が使えるようになりました。

 血の匂いに興奮し、我慢できなくなったデコメ鳥たちは一斉にロイドに襲いかかります。

「これでもくらえ! スマホ魔法風神の踏みつけ(ラインスタンプ)!」

 スマホから緑の突風が吹き出し、デコメ鳥たちを巻き上げます。風に巻かれたデコメ鳥たちは羽を散らしながら急上昇、そして頂点に達したところで一気に急降下、まるで見えない巨人に踏みつけられたかのように地面に叩きつけられました。

 あまりの衝撃にデコメ鳥たちも目を回して動けません。

「今のうちだ!」

 ロイドは走りました。岩でゴツゴツした谷底は決して足場がよくありません。背後からは意識を取り戻したデコメ鳥たちの、怒っているような激しい鳴き声が聞こえてきます。もし転んで足をくじいたら終わりです、あっという間に追いつかれてしまうでしょう。

 谷底に響くロイドの息の音が変わりました。両側の崖の終わりはもうすぐそこですが、「ビリリリ!」というデコメ鳥たちの鳴き声もすぐ背後まで迫っていました。

「うぉおおおおおお!」

 無我夢中でロイドが谷底を抜けると同時に、激しい向かい風が吹きました。デコメ鳥たちはその風に押し上げられ、上空へと遠ざかっていきました。

「はぁはぁ……ふー……なんとか逃げられたな」

 深く息を吸ったロイドは、あらためて周囲を見回します。圧迫感のある谷底から風景は一変し、開放感の溢れる平原が広がっていました。

「ここからが『ガラケ大草原』か」

 見渡す限りの草原はポツンポツンと木が生えているだけです。ウサギらしい小動物の気配だけで、モンスターの姿は見えません。

「危なそうな場所もなさそうだし、第二の試練なんて大げさだな」

 ロイドはスキップでもしそうな軽い足取りで進んでいきます。

 下草を踏みしめ、1時間ぐらい歩いたでしょうか。

 変わらない風景に完全に飽きて、ロイドの口から長い欠伸が出始めた頃です。

「ん? なにか音が……?」

 スマホのバイブ音を長くしたような音がかすかに聞こえてきます。

「モンスターか?」

 身をかがめたロイドは音のする方へと、にじり寄って行きます。

 モンスターの姿は見えません。

「……かっ……だ……」

 音は人間の声のように聞こえます。

「誰かいらっしゃいませんかーーーー!」

 さらに近づくと、助けを求めている女性の声だと分かりました。

「リンゴ様、ここは体力を温存しましょう」

 別の女性の声もします。二人いるようです。

「おーい! 誰かいるのか!」

 ロイドは思い切って呼びかけてみました。

「は、はい! 助けてください!」

「大丈夫か? こっちの方か?」

 嬉しそうな女性の反応に、ロイドは調子よく駆け出します。

「あっ! それ以上近づいては!」

「へっ? うおあああああっ!」

 ズボッと地面を踏み抜いたロイドは、間抜けな叫びと共に暗い穴へと落ちていきました。

「あああああああああっ、いでぇっ!」

 穴はそれほど深くなく、お尻を強く打ったぐらいですみました。

「お怪我はありませんか?」

 マリンバのようにコロコロと心地よい声がロイドを気遣います。

「ありが、とっ?!」

 顔を上げたロイドは息を詰まらせてしまいました。手を伸ばせば触れる距離に、見たこともないほど美しい少女がいたからです。

 ぱっちりとした瞳は宝石のように輝き、長いまつ毛に彩られています。ちょこんとのった鼻と唇は、可愛らしさと女性らしさを完璧なバランスで保っています。少女は白いローブを身に着けていましたが、銀色がかった不思議な質感の髪がヴェールのように腰まであり、まるでドレスを着ているようです。

 一言でいうと、神絵師のイラストから飛び出してきたような美少女でした。

「リンゴ様、お下がりください」

 サッと横から伸びた手が、ロイドとその美少女の間を遮りました。

 割って入った女性も、やはり美人でした。

 金髪のショートカットに青い瞳、身長はロイドよりも少し高いだけでなくモデルさんのように股下が長いです。軽めの旅装ですが、腰の剣に手を当てています。

 ロイドを気遣った美少女を天使と呼ぶなら、険しい顔をしているこちらの女性は戦女神といった印象です。

「危害を加えるつもりはないって! 助けてくれって声が聞こえて近づいたら、結局同じ穴のムジナになっちまったんだ!」

 安全だと証明するようにロイドは両の手のひらを見せます。落ちた時に擦りむいたのか、手のひらが血で汚れていました。

「わたくしの所為でお怪我を。すぐに手当をいたします」

 申し訳なさそうに言って、少女はロイドの手をハンカチで拭います。手触りのいいシルク生地が、血と泥で汚れてしまいました。

「ありがと! でも、落ちたのはオレの不注意だし、気にすんなって!」

「お気遣いありがとございます」

「それより、ここは?」

 地面にぽっかりと開いた穴の底です。6メートル四方ほどの広さで、地上までは3、4メートルほどあります。むき出しの地面に申し訳程度の藁が敷いてありますが、人間はもちろん生き物の住処には見えません。

「この高さ、登れるかな……あっ!?」

 ロイドが壁面に手をかけると、それを見計らったかのように蔦が伸びて、穴が塞がってしまいました。

「ケーブル草を利用した落とし穴のようです」

 金髪の女性が冷静に説明してくれました。

「自己紹介がまだでしたね。私はシーリー。こちらのリンゴ様の従者です」

 名乗った女性は、そっと手を向けて隣の少女を紹介します。

「従者? リンゴ様?」

「い、いえ、お気になさらずに。リンゴとお呼びください」

 少女は気まずそうに言いました。

「オレはイノナカ村のロイド」

「ロイドさんですね」

「ただのロイドでいいよ。オレは王都へ向かってるとこなんだ」

「それは奇遇ですね。わたくし達も王都への旅の途中でした」

 仲間が出来たとリンゴは嬉しそうです。シーリーの従者という言葉から、リンゴは貴族や商人の娘なのかもとロイドは漠然と思いました。

「お互い穴の中でぐずぐずしてられないな。さっさとスマホ魔法でここを抜け出して……あれ?」

 ロイドは自分のスマホを使おうとしますが、呪文(アプリ)が起動しません。

「おっかしいな魔法が使えない? スマホが壊れちまったか?」

「失礼ですが、ロイドさんはどちらの神の御加護を?」

 シーリーが尋ねてきます。

「オレは『英雄の神』だったかな」

「ここは地下ですから、神の加護(デンパ)が届きづらいのでしょう。私もリンゴ様も『夜風の神』の加護を受けていますが、やはりスマホ魔法が使えません」

「困ったな、足止めされてるわけにもいかないし……」

 ロイドたちが話していると、頭上から足音が聞こえてきました。それも1つや2つではないようです。

「助けてくれー! トラップに嵌っちまったんだ!」

 必死で呼びかけるロイドの横で、リンゴも声を上げます。

「落とし穴になっているので、気をつけてください!」

 リンゴの忠告が届いたのか、雑草を踏む足音が穴の縁で止まりました。そして、穴を覆っていたケーブル草がゴソゴソと音を立てて取り外されます。

「やった!」

 喜ぶロイドの視線の先で、小さな影が覗き込んでいます。

 赤銅色の肌に簡素な麻の服、ぴょこんとした一本角がおでこから飛び出していました。

「あら可愛い。シーリー、この辺りに住む子供かしら?」

「いいえ、あれはピッチ族の成人です」

 ピッチ族たちは次々に穴を覗き込んできます。20匹以上いそうです。

「ここから出るの手伝ってくれないか?」

 手を伸ばして訴えるロイドに、一匹のピッチ族が何かを投げてよこしました。

「イテッ!」

 小石がロイドの額をベチンと打ちました。

「なにすんだよっ!」

「いてえっ! なにすんだ!」

「ピッチ! ピッチ! ピッチーーーー!」

 甲高い声を上げたピッチ族たちは、穴の底のロイドめがけて、次々に石を投げつけてきました。

「いだだだっ! ちょっ! やめろっ!!」

「ピッチー!!」

 一匹のピッチ族の号令で投石が止みます。それから、縄にぶら下がった籠が、スルスルと谷底に降ろされてきました。

「乗るにしちゃ小さいよな」

 雑な作りの籠は果物を3つぐらい乗せれば一杯になってしまう大きさです。

「ピッチチチ、ピチッ!」

「シーリー、彼らはなんて言ってるの?」

「スマホをよこせと言っています。どうやら彼らは旅人を落とし穴に閉じ込めて、命を助けるのと引き換えにスマホを奪っているようです」

 シーリーは冷静に説明にしましたが、ロイドは拳を握りしめていきり立ちました。

「盗賊ってことか! 他人のスマホなんか手に入れてどうするつもりなんだ? パスワードも分からないだろうし?」

「ブラックマーケットに流してお金にするのでしょう。そもそも、ピッチ族は神に見捨てられし種族なので、スマホは使えません」

「スマホ魔法が使えないってことか。なら、この石さえ防いでいれば時間稼ぎになるな」

 ピッチ族たちの投石は単調でした。慣れて来たロイドは躱したり、手ではたき落としたり余裕が出てきました。このまま待っていれば、ピッチ族たちの持ってきた石もなくなりそうですが――。

「いいえ、それではダメです」

「えっ? なにが?」

 聞き返すロイドの肩を、青白い光の玉が襲いました。

「いぎゃっ!」

 焼けるような痛みとともに、筋肉がビクンと痺れる一撃です。ロイドは肩を押さえて悶絶しました。

「彼ら独自のピッチ魔法です。威力や速度はありませんが、何十発も撃つことができます」

「威力あるって! かなり痛いぞ!」

 痺れは引きましたが、熱っぽい痛みがまだロイドの肩に残っていました。

「しかたありません。わたくしがスマホを渡しますので、ロイドとシーリーは見逃してもらいましょう」

「いけません。賊に渡すなら、私のスマホで十分です」

「シーリーは護衛ですから、スマホが無いと困ります」

「ですが、リンゴ様のスマホを渡しては、そこからリンゴ様の個人情報が流出する恐れがあります。それだけは避けなければいけません」

「私の個人情報など些細なことです」

「ですが、怪しげなメールが届いたり、ツイッターが乗っ取られたりしてしまいます」

「よいのです。今は何を犠牲にしても王都に行くことが先決です」

 覚悟した表情でリンゴは、自分のスマホを垂れ下がった籠に載せようとします。

「ちょっと待った」

 遮ったロイドは、自信ありと二人に笑ってみせました。

「ここはオレに任せてくれ」

 綱と籠を調べていたロイドは、スマホを握ります。

「一体何をするつもりですか?」

 不安そうなリンゴと疑るシーリーに向かって、ロイドはささやきます。

「スマホ魔法を使う。オレが合図したら目をつぶってくれ」

「えっ? どうやって魔法を?」

 困惑する二人を尻目に、ロイドは穴底からピッチ族たちを見上げます。待ちくたびれていたピッチ族はやっとかと、綱を籠を揺らしました。

「スマホを渡すから、もうちょっとだけ籠を下げてくれ!」

 手を下げるロイドのジェスチャーが通じたのか、ピッチ族は綱を少しだけ伸ばしました。

 ロイドは籠にスマホを載せる素振りを見せて――。

「二人とも目をつぶれっ!」

 手にしていたスマホを全力で頭上に放り投げました。

「くらえっ、スマホ魔法『歪な太陽(フェイスブック)』だ!」

 穴から抜け出したスマホが、眩い光を発しました。

「ピッチィィイイ!!」

 猛烈な目くらましに、油断していたピッチ族たちは大混乱に陥ります。至近距離で光を食らったピッチ族はふらついて穴に落ちてきたり、そうでなくても他のピッチ族とぶつかって倒れたりしていました。

「なるほど、スマホを地上まで投げたことで、神の加護が届いたのですね」

「解説は後回しにして、早くこの穴から抜け出そう!」

 ロイドは籠を垂らしていた綱を引っ張ります。穴の外まで伸びるその縄は、地上の木にでも縛ってあるのかしっかりとした感触がありました。

「はい、分かりました!」

 まずはシーリーが敏捷さをみせて綱を登り、次に手間取るリンゴを二人で手伝って上らせ、最後にロイドがひょいと穴から抜け出しました。

「ピチピチピッチィッ!!」

 三人は無事に地上に戻れましたが、その頃には10匹ほどのピッチが目つぶしから立ち直っていました。よくもやってくれたな!と言わんばかりに、ロイドたちを睨みつけジリジリと包囲を狭めていきます。

「シーリー、どうしましょう」

 リンゴの不安そうな声にシーリーは冷静に返答します。

「ピッチ族は族長(キチキョク)を倒せば魔法が使えません」

「族長って言われても見分けがつかないぞ」

 背格好が皆同じで衣服も似たようなものですから、ロイドには見分けがつきませんでした。

「わたくしに任せてください。スマホ魔法『第三の目(トリプルカメラ)』」

 リンゴはスマホを向けると、ピッチ族を映していきます。右から左へと振っていき――、一匹のピッチ族のところで止まりました。

「見つけました! 右にいる角の曲がっているのが族長です!」

「任せろ!」

 飛び出したロイドに、族長はなぜバレたのだとでも言うように慌てて仲間たちに指示を飛ばします。ピッチ魔法の矢がロイドを襲いますが、広い地上なら躱すのは簡単でした。

 ロイドは逃げようとした族長を捉えると「そらよっ!」と、穴に向かって投げ捨てます。

「ピッチィーーーー!」

 宙を飛んだ族長は、穴の縁から這い出そうとしていた他のピッチ族にぶつかり、雪崩をうって穴へと落ちていきました。

「リンゴ様、今のうちです」

「はい!」

 シーリーに手を引かれて走るリンゴを、ロイドは後ろから守るようにして追いました。

「ピッチピッチピッチィィイ!」

 背後から聞こえてくるピッチ族たちの怒声がみるみる小さくなっていきます。

「はぁはぁ……あいつら追ってこないみたいだな」

 姿が完全に見えなくなったところで、三人はようやく駆け足を緩めました。

「ピッチ族は高速移動が苦手です」

「だから落とし穴を作って、獲物がかかるのを待っていたのか」

 逃げ切った後もロイドたちは周囲を警戒して慎重に進みました。怪しい木陰は迂回し、モンスターの気配があれば身を潜めてやり過ごします。

 そうして、ついに三人はガラケ大草原を踏破しました。

 ですが、まだ最後の試練が残っています。

「やっとバリサン山についたな」

 3人の前には、鬱蒼とした木々に覆われた山が聳えています。鳥の羽ばたきが聞こえたり、枝葉を揺らす小動物の姿があります。ロイドが住んでいるイノナカ村の裏山を、アスペクト比を無視して引き伸ばしたような雰囲気でした。

「この山を越えれば王都ジョズはすぐです」

「最後の試練か。何が待ってるか二人は知ってるか?」

 ロイドの問いかけに、シーリーは首を横に振りました。

「分かりません。マップによると一本道のようですね」

「迷う心配がないなら、とにかく進んでみようぜ」

 勇み足のロイドに、リンゴ、シーリーの順番で山道を登っていきます。

 木々の間を伸びる山道は整備された道ではありません。これまで旅人たちの靴が地面を踏み固めて出来たもののようです。見通しはよくありませんし、石が転がっていたり、場所によってはひどく泥濘んでいたりしましたが、リンゴの細い足でも問題なく登っていけました。

 途中、倒木に道が塞がれていて、それを乗り越える時にリンゴが服を引っ掛けてしまった以外は順調な山登りでした。

 始めのうちは適度に会話していた3人ですが、徐々に歩くことに飽いて次第に会話が途切れてしまいます。

 どれくらい歩いたでしょうか。

「いつまで登らなくちゃいけないんだ」

 ロイドはぼやきます。歩いた距離分の疲れはもちろんですが、樹木ばかりの風景に余計に疲労が溜まっていました。

「シーリー、この山の標高は?」

「バリサン山の高さ500メートルです」

「でしたら、そろそろ山頂が見えてきそうですね」

 リンゴの言葉にロイドのテンションも上ります。

「ならオレが一番乗りだ!」

 ロイドは元気よく走り出しました。リンゴとシーリーも仕方無そうにしていましたが、引っ張られるように二人の足取りも確実に軽くなっていました。

 それからしばらく登って――。

「……全っ然、頂上に着かないな」

 山頂どころか、木々の切れ間もありません。

「どこかで分かれ道に迷い込んでしまったのでしょうか……もう一度、マップを見てみましょう」

 そう言ってスマホを確認したリンゴが首を傾げます。

「あれ? 山の入口から動いていませんね。エラーでしょうか」

「オレのスマホのマップでも入り口のままだな。もしかして、ここも加護が届いてないのか?」

 スマホを振ってみますが、現在位置の矢印がその場でぐるぐる回るだけでした。

「待ってください。この場所って前にも通りませんでしたか?」

「見間違えじゃ……って、違うか」

 正面を指差したリンゴにロイドも眉をひそめます。道の先に見える倒木の枝が、ポッキリと真新しく折れています。リンゴが服を引っ掛けた場所に違いありません。

「私達は妨害を受けているようです」

 深刻さを感じないシーリーの冷静な分析に、ロイドとリンゴもふむふむと頷きます。

「これが3つ目の試練ってわけか」

「シーリー、どんな妨害か具体的に分かる?」

 リンゴの質問に、シーリーは折れた枝を調べます。

「枝の折れた跡が残っているということは時間を戻されたり、空間をコピペして周回させられてるなどの高度な魔法ではありません。私達は単純に同じ山道を通らされているだけのようです」

「シーリー、そういうことができる魔法や生物は?」

「移動系が73件、幻覚系が49件あります」

「もう少し条件を絞らないといけませんが……」

 リンゴはヒントを探すように周囲を見回しますが、モンスターの影も魔法の形跡もありません。何の変哲もない森と山道が続いているだけです。

「手がかりか……オレがもう一度山道を走ってくるよ。それをリンゴたちが観察してれば、何か分かるかもしれない」

「ロイド一人では危険です!」

「大丈夫だって。ここまでの道にモンスターは出なかったし、もし積極的に攻撃するつもりならとっくに何かしてきてるはずだしな」

 そう言ってロイドは一人で走り出します。

「気をつけてくださーーーい!」

 リンゴの声に背中を押され、ロイドは威勢よく山道を駆け上がっていきました。

 走りながら周囲を観察すると、覚えのある二股の木や地面の泥濘が目につきます。確かに前にも通った道を、もう一度走っているのだと分かります。

 このまま何の手がかりも無く、またリンゴたちのいる場所に戻されてしまう。ロイドがそう思い始めた頃です。

 ガサガサガサ。森の奥の方で茂みが揺れました。

「っ!」

 ロイドは驚きの声をなんとか飲み込み、太い木の影に隠れました。女の子の前で強がってはみせましたが、ロイドも内心ではモンスターに襲われないことを願っていました。

 息を潜めジッと待っていると、茂みの中からアンテナのような角を持った鹿が飛び出してきました。

「なんだ、チデ鹿か」

 胸をなでおろしたロイドは木の陰から出ます。

 国中で見ることが出来る小型の鹿です。イノナカ村ではチデ鹿を狩って、肉を食料にしたり、角や革で工芸品を作ったりと様々な形で利用しています。

 チデ鹿はロイドを見つけると、本能のままに逃げ出しました。

「あっ!」

 ロイドがスマホ魔法を使う暇もなく、山道を駆け上がったチデ鹿の姿は見えなくなってしまいました。

「今晩のおかずは無しか」

 思い出した空腹にロイドは肩を落として山道を進んでいきました。 すると、道の先に覚えのある後ろ姿が見えてきました。

「おーい!」

 ロイドの呼びかけにリンゴとシーリーが振り向きます。

「やっぱり戻って来ちまったか」

「ロイド! よかった……」

 パッと顔を輝かせたリンゴはロイドを迎えようとしますが、

「お待ち下さい、リンゴ様」

 シーリーが身体を盾にするようにして、二人の間に割って入りました。

「あなたは本物のロイドさんですか?」

 顔は無表情なままのシーリーですが、モンスターを前にしたような険しさをロイドに向けています。

「えっ!? なに言ってんだよ、シーリー?」

「幻覚系のトラップだとしたら、本人のコピーや精神を乗っ取ったモンスターが現れる可能性があります。まずはスマホ魔法で認証をしてください」

「分かったって、じゃあ本人確認すればいいんだな。」

 ロイドはフリーメールとSMSを使って二段階認証をしました。

「はい、ロイド本人と確認しました」

 シーリーの言葉にリンゴもホッと胸をなでおろす。

「良かったです。それでもう一周してきて、ロイドには何か分かりましたか?」

「変なところは見つからなかった。さっきと同じでずっと山を上ってたはずなのに、いつの間にかリンゴたちが前に現れた」

「わたくし達はここを一歩も動いていませんが、ロイドが下から来ただけです」

 頬に手を当てたリンゴは困りましたねと首を傾げます。

「オレだけ?」

「はい、他の人はもちろん、モンスターの姿も見ませんでした」

「オレのすぐ前にチデ鹿が山道を駆け上がっていったはずだけど」

「チデ鹿ですか? わたくしは見ていませんが」

 視線で問いかけられたシーリーも首を横に振る。

「ついさっきチデ鹿を見かけたんだ。もしオレたちみたいに、チデ鹿も同じところをループしてるなら、リンゴたちが見逃すはずはないんだけど」

「ということは、チデ鹿にこの現象が起こっていないか、避ける方法を知っているということですね!」

 リンゴがポンと手を打つ。

「シーリー、これで条件を絞れませんか?」

「チデ鹿に効果がないものですと……1件あります」

「やりました!」

 リンゴとロイドはハイタッチを交わします。

「ドコデモダケ、という魔菌属の仲間です。結界内に獲物を閉じ込めて迷わせ、力尽きたところを養分にします」

「なんでチデ鹿はその結界から出られるんだ?」

「チデ鹿はドコデモダケを食べるようです。捕食者を結界内に閉じ込めては危険なので、スルーさせているのでしょう」

 シーリーの説明に、リンゴもなるほどと頷きます。

「それで、結界を抜けるにはどうすれば良いんだ?」

「地中に張り巡らせた菌糸が結界を張っています。本体を倒して、菌糸ごと倒すしかありません」

「キノコを探すなら任せてください。スマホ魔法『第三の目(トリプルカメラ)』」

 リンゴはスマホを森の中に向け、何の変哲もない木々の間を隅々まで調べていきます。

「……見つけました! あそこです!」

 スマホの画面がズームし、木の根元に生えた一本のずんぐりむっくりとしたキノコを映し出します。茶色のカサに白や赤、水色の斑点がついていて、まるで擬態でもするように枯れ葉に混じっていました。

「任せろ! スマホ魔法『大炎上(ユーチューブ)』だ!」

 ロイドのスマホから伸びた火線がキノコを直撃します。火はまたたく間にドコデモダケを燃やし、さらに地面の下へと潜り込みました。そのまま消えてしまったかと思えた沈黙の後、燃え炭になったキノコの足元を中心に、地面の下を炎が疾走りました。まるで地面が真っ赤な血を噴いたような光景でしたが、ドコデモダケが土の中に網の目状に張り巡らせていた菌糸が一瞬で燃やし尽くされたのです。

「臭っ!」

「すごい臭いです……」

「ドコデモダケの炎上に成功したようです」

 鼻をつくような臭いにシーリーだけが顔色を変えませんでした。

「これで先に進めるんだよな」

 ロイドを先頭に三人は足早に山道を上がっていきます。

「マップの現在位置が動いてます!」

 スマホでマップを見ていたリンゴが喜びの声を上げました。

「やったな!」

「ですが、他にもドコデモダケだけがいると困りますね。結界から出られることが分かっても、また捕まってしまってはいつまでも先に進めませんね」

 リンゴの心配をあざ笑うかのように、一匹のチデ鹿が山道を横切ろうとしていました。

「ふふっ、鹿さんに言葉が通じれば、山頂まで一緒に行ってくださいとお願いするのに」

 自由に走り去るチデ鹿をリンゴは羨ましそうに見送ろうとしています。

「あっ! それなら、いいスマホ魔法があった!」

 閃いたロイドは姿を消そうとするチデ鹿にスマホを向けました。

「スマホ魔法『鹿寄せ(ワンセグ)』!」

「………………?」

 ロイドの威勢の良さとは対照的に、何も起こりません。リンゴが首を傾げます。

「失敗でしょうか?」

 走り去ろうとしていたチデ鹿が足を止め、こちらを振り返りました。

「この魔法は人間には見えない音を発生させるんだ。チデ鹿はその音を使って仲間と会話しているから、ほら」

 なんの警戒もなくチデ鹿が近づいてきました。そして、ロイドの差し出すスマホに親しげに角で触れました。

「親父たちが狩りに使ってるスマホ魔法なんだ。こいつと一緒ならもう迷わされないだろ」

 ロイドが歩き出すと、チデ鹿も後をついてきます。

「鹿さんと一緒に歩けるなんて、素晴らしいスマホ魔法です、ロイド! わたくしのスマホでは使えないのが残念です」

 リンゴは羨ましそうに言って、餌でももらえるのかと首を寄せてくるチデ鹿をそっと撫でました。

 それからの道のりはとても順調でした。チデ鹿のお陰でドコデモダケに迷わされることもありません。山頂に近づくにつれて変わる景色に、ロイドとリンゴはピクニックのように楽しげでした。

 森の緑が途切れると、ようやく山頂が見えてきました。最後に崖を回りこむと――。

「うわー! すっげー真っ赤だな!」

 絶景が飛び込んできました。

 見晴らしのいい山頂から一望する平野は夕日で染まり、まるでぶどう酒で浸されているようです。

 見上げる空は夕方から夜へと顔を変えようとしています。女神の月がキラキラの星をあしらった紫のベールを身にまとい、すぐそばにやってきていました。

「村のみんなにも見せよっ!」

 ロイドはさっそく写真を撮って、ツイッターに載せました。

「ものすごいバズって、スマホ写真家デビューみたいなことになったりして!」

 ウキウキでしたが、RTもされずイイネもつきませんでした。

「あれが王都ジョズかー。山を下りたらすぐだな」

 山裾から流れる大きな河に沿って、広大な城下町が広がっていました。イノナカ村では木造りの平屋がほとんどですが、城下町には角ばっていて無機質な建物が立ち並んでいます。

「いまは夕日で赤く見えていますが、ホワイトやシルバーの建物がとても機能的で美しい町並みなんですよ」

 リンゴが懐かしむように紹介してくれました。

「オレは王様に会わないといけないんだけど、お城ってどれなんだ?」

 同じような建物ばかりで、ロイドには見分けがつきません。突出して高い塔もありますが、お城ではなくランドマークのように見えました。

「壁に沢山の穴が並んでいるように見える建物です」

「あのトースターみたいなやつか。ゴミ箱っぽい建物の隣だな」

 スマホの画面でズームをすると、取っ手が2個ついたトースターのような建物が見つかりました。今にも焼き立てのパンが飛び出してきそうです。

「隣の建物はゴミ箱じゃなくて旧王城です」

 リンゴが苦笑しながら訂正しました。本人も内心ではゴミ箱っぽいと思っているようです。

 まったりと話していると、随分と日が陰って来てしまいます。

「今夜はここで野営しましょう」

 シーリーが提案しました。

「ですが急がないと」

 リンゴは焦っているようですが、ロイドもシーリーに賛成です。

「夜に山を下るのは危険だって。ドコデモダケじゃなくても迷うかもしれないし、狼やモンスターに襲われるかもしれない。見通しの良いここで朝を待ったほうがいい」

 田舎育ちのロイドは夜の怖さをよく知っています。

「……分かりました。明日の朝、日が昇り次第出発しましょう」

 こうして、三人はバリサン山の頂上でキャンプをすることにしました。落ちていた枝を集め焚き木にし、食事はスマホ魔法『精霊の宅配便(ウーバーイーツ)』で牛丼やハンバーガー、サンドイッチを注文して食べました。

 お腹も満たされ焚き木の熱が辺りを包みます。話題の新しい呪文(アプリ)を記憶(インストール)したり、ログインボーナスを貰ったりデイリークエストを消化していると、自然と3人の会話も少なくなり睡魔が忍び寄ってきました。

「ふぁ~……なんとか試練も越えられたし、明日はいよいよ王都に着くな」

「ロイドのお陰で無事にここまでこれました。本当にありがとうございます」

「オレ一人じゃダメだったし、お互い様だって。それよりさ、リンゴはなんで王都に行くんだ? 冒険者ってわけじゃなさそうだし」

 何気ないロイドの問いかけに、リンゴは迷ったようにシーリーの方を見ます。

「リンゴ様は幼少の砌(みぎり)より修道院に預けられていました。この度は父上様とお会いになるために上京なされたのです」

「へー、おやじさんと会えるといいな!」

 励ますロイドの言葉に、リンゴは強張っていた頬を「はい」と緩めます。

「ロイドはどうして王都へ? もしかして騎士団の入団テストをうけるのですか」

「いや、別にオレは仕官したい冒険者ってわけじゃないんだ。村のギガが枯れちまったから、王様になんとかならないかって頼みにいくんだ」

「王様に……ですか。上手くいくと良いですね」

「おうっ! ギガが無いと村のみんなが困るからな。オレがなんとかしないと」

 新しいスマホを買ってもらうためや、村の男たちがアダルト動画を見すぎたせいだという事を説明しないぐらいの良識をロイドは持っていました。

「んー……ふぁ~~……そろそろ寝るか」

「そうですね、明日も早いですし」

 ロイドが大あくびすると、リンゴも瞼を擦ります。

「私がスマホ魔法で周囲を警戒しますので、お二人はゆっくりとお眠りください」

「うん、頼むよ」

「お願いしますね、シーリー」

 眠気の限界だったロイドとリンゴは地面に横になります。瞼を閉じ、パチパチと焚き木のはぜる音を聞いているうちに泥のような眠りへと落ちていきました。


 ピピピピピ――。

「うおっと!」

 耳元で騒ぐアラームに叩き起こされたロイドは、お返しとばかりにスマホを叩いて爆音を止めました。

「おはようございます、ロイド」

 しょぼしょぼする視界の中に飛び込んできたリンゴの笑顔に、ロイドは狼狽えてしまいました。村にいた時は、じっちゃんのしわくちゃの顔のどアップか、どこからか入り込んだ近所の野良猫に顔をポンポンされるのが朝の光景でした。

「お、おはよう……リンゴ」

 ロイドが心臓をバクバクさせていることに、リンゴは気づかずに顔を寄せて来ます。

「顔が少し赤いようですが、お風邪など召してはいませんか?」

「だ、大丈夫だって! オレは超超超げんきだから!」

 後ずさったロイドは、ピョンピョンと小猿みたいにジャンプして見せました。

「それならよかった」

「リンゴ様、片付けが完了しました」

 焚き火には砂がかけられ完全に火が消えていました。

「さあ、出発しましょう」

 真っ直ぐに王都の方を見たリンゴは先頭に立って歩き始めます。その背中がまるで誰かに急かされるかのようにロイドには見えました。

「おーい、何をそんなに気負ってんのか知らないけど、あんまり急ぐと転んじまうぞー!」

 軽く駆けたロイドはリンゴに並び、その二人の後ろをシーリーが守るようにして山を下っていきました。

 三人が進んでいる平野側は樹木を伐採した跡や作業場らしき建物を見かけました。人の手が入っているのでしょう、山道も踏石が敷かれていたり、傾斜が急な場所では補助の綱があり順調に下りていけます。ドコデモダケやモンスターに妨害されることもありませんでした。

 3時間もかからずに山裾へと辿り着く事ができました。

「あと800メートルで王都の入り口に到着します」

 シーリーが左の方を指差して言いました。三人の前には馬車が轍を刻んだ街道が王都へと伸びています。

「もう少しでこの旅も終わりだな」

 声に寂しさを混じらせたロイドは、ちらりとリンゴの方を見ます。

「はい、ですが到着して終わりではありません。わたくしにも、ロイドにも為すべきことがあります」

 決意を漲らせたリンゴは王都の方を見ていました。

「そうだな! オレもどうにかして王様に会って、村のことを頼まないといけないもんな」

 ここが新しいスタートだとロイドは気持ちを切り替えます。村にギガを取り戻すために、3つの試練を越えてきたことを忘れてはいませんでした。

 三人は王都に向かって歩き出しました。

 街道に合流したことで、他の旅人の姿もあります。皆、王都ジョズを目指して長い旅をしてきたのでしょう。次第に大きくなる王都の姿に、足取りが軽くなっていきます。

「ん? 前の方で渋滞してるな」

 王都の門を前に人の動きが止まり、列が出来ています。甲冑姿の一団が、旅人に話しかけたり、荷馬車を調べたりしています。

「恐らく臨検です。リンゴ様、一旦この場を離れましょう」

 シーリーの声色がわずかに変わりました。

「はい」

 リンゴの表情も険しくなりますが、ロイドには意味が分かりませんでした。

「二人ともどうしたんだ?」

「ロイド、ここまでありがとうございました。一緒に旅が出来て本当に楽しかったです」

「えっ? なに言って?」

 困惑して事情を聞こうとするロイドを、シーリーが手で制します。

「リンゴ様は行かねばなりません。貴方はこのまま列にお並びください」

 有無を言わさぬ様子のシーリーはリンゴの手を引き、街道を離れて行こうとしますが――。

「いたぞ! あそこだ!」

 列の先頭の方で鋭い声が上がりました。旅人を調べていた甲冑の男たちが一斉にこちらに向かって来ます。中には馬に乗っている騎士の姿もありました。

「リンゴ様、お逃げください」

 シーリーがスマホを構え呪文(アプリ)を唱えようとしますが、それより騎士の方が速かったようです。

「スマホ魔法『封じ込めの球(ポケゴー)』」

 騎士のスマホから白と赤の球体が放たれました。最初は拳サイズだったそれはシーリーの頭上に到達すると、みるみる大きくなり、周囲一帯およそ20メートルを覆う結界を作り出しました。

「キャッ!」

 リンゴが小さな悲鳴を上げて地面に倒れました。目の前に下りてきた結界に内側からぶつかってしまったのです。

 すぐに立ち上がったリンゴは半透明の壁を叩きますが、結界はびくともしません。

「無駄ですよ、リンゴ様。対モンスター用の結界ですから、ひとの手では破れません」

 馬から降りた騎士は悠々とリンゴに近づいていきます。

「姫様に無礼です。ウェイン団長」

 シーリーは声を荒げることこそしませんでしたが、一刀のもとに首を刎ね飛ばすようなプレッシャーを放って騎士の歩みを止めました。

「無礼とは……陛下の命に逆らったシーリー卿に言われるとはな」

 ウェインと呼ばれた騎士はシーリーを睨みつけます。二人ともすぐにでも呪文(アプリ)を起動できるように、スマホを握っています。

「二人ともスマホをおろしなさい」

 毅然とした態度で戒めるリンゴに、ウェインも剣呑さを引っ込め謙った一礼をします。

「失礼しました、姫様」

「わたくしがシーリーに頼んだのです。王都に連れて行って欲しいと」

「一応聞きますが、なぜこのタイミングで帰京なされたのですか?」

「お父様を説得し、カノ国との同盟を止めるためです」

 きっぱりと言い放ったリンゴに対して、ウェインはやれやれとため息を吐きました。

「姫様、これは政治です。カノ国は人口も多く、そこに我が国のスマホを輸出すれば莫大な利益を生むことができます」

「カノ国は周辺諸国との軋轢を抱え、国境付近での争いも絶えません。そのような国と同盟関係を結ぶということは、平和な我が国に無用な戦火を招くに他なりません」

「あくまで同盟です。争いの火の粉が我が国に降りかかるようなことは」

「カノ国は同盟を結んだ国の重臣や王を傀儡とし、裏から操っているという噂も聞きます。そのために、始めのうちは優位な条件を同盟国に与えるのだと」

「我が国との同盟は、対等なものです。乗っ取られるようなことなどありません」

 残念だと小さく首を振るウェインに、リンゴは詰め寄ります。

「ではなぜ、わたくしをお父様から遠ざけようとするのですか? わたくしを政略結婚させるために根回しをしているのではありませんか?」

「……陛下も姫様の義務をお考えでしょう」

 意味深なウェインの言葉に、リンゴは唇を引き結びます。

「ウェイン、貴方の言葉では信じられません。お父様に会って、直接真意を問います」

「それはなりません。姫様は16歳になるまで、修道院で過ごすのが王族の決まり。どうかおとなしくお戻りを。騎士団の精鋭を護衛につけますから、ご安心ください」

「わたくしは帰りません!」

「手荒な事はしたくありません。どうか姫様の御意志で」

「嫌ですっ!」

 決定事項だとウェインが伸ばす手をリンゴはピシャリと振り払います。ウェインはそんなリンゴに少しイラつき腕に力を込めます。

「子供のようなわがままを言わずに」

「ちょっと待ったーーーーっ!」

 大声がその場にいた全員の視線を集めます。

「ロイド!? なぜ結界の中に?!」

 気づいていなかったリンゴが驚きに目を見開きます。結界が閉じる前にロイドは全力ダッシュで飛び込んでいたのでした。

「オレの事より、リンゴってお姫様だったのか」

「黙っていて、すみませんでした……」

 申し訳無さそうに視線を下げるリンゴに、ロイドは気にするなと手をふる。

「別にいいって。それより、オレが怒ってるのそっちのあんたにだ」

 ロイドは眉を吊り上げ、ウェインを睨みつける。

「リンゴがおやじさんに会いたいって言ってるのを、なんでお前が邪魔するんだよ!」

「んっ? 視界の端に安物のスマホがチラチラ映っていたが……お前はなんだ? 姫様の荷物持ちか?」

「オレはロイド。王様に頼み事があって、イノナカ村から来た」

「姫様にたかる貧乏人か」

 清々しいほど見下す態度を隠さないウェインに、リンゴが怒りを顕にします。

「ロイドはわたくしを助けてくれました。侮辱は許しません」

「ありがとな、リンゴ」

 気にしてないと言うようにニッと笑って見せたロイドは、次にウェインの方を向きます。

「村のギガが枯れちまって皆が困ってるんだ。リンゴに恩を売るわけじゃないけど、イノナカ村だって税金を収めてるんだし、王様に助けてもらいたいんだ」

「ジョズ王は多忙だ。安物スマホ民の話を聞く暇など無い。回れ右してド田舎へ帰るんだな」

「なんでお前が決めるんだ! この結界を解いてオレもリンゴも自由にさせろよ!」

 さすがに納得できないとロイドも声を荒げます。

「誰かそのうるさいガキを黙らせろ」

「ハッ!」

 ウェインが苛立たしげに首を動かすと、部下の兵士たちがロイドに掴みかかります。

「そっちこそ邪魔するなら、ずっと文句を言い続けるからな!」

 走って逃げ回るロイドは、ベーっと下を出してみせます。兵士たちは、すばしっこいロイドにスマホを向けます。

「拘束するぞ! スマホ魔法『絡みつく触手(グノシー)』」

 周囲の地中から飛び出した5本の触手が、一斉にロイドに襲いかかります。

「スマホ魔法『俊足の風(ティックトック)』」

 ロイドは一時的に仲間全体の素早さがアップする呪文(アプリ)を起動し、足元を狙って絡みつこうとする緑の触手を躱します。

「結界を解除する気がないなら、こうだっ!」

 疾風のような目にも留まらぬ速さでウェインに近づいたロイドは、彼の握っていたスマホを掠め取りました。

「貴様っ!」

 ウェインが空になった手を突き出しますが、ロイドはすでにリンゴたちの横にまで離れています。

「これでもうスマホ魔法は使えないな」

 封じ込めの球(ポケゴー)の呪文(アプリ)を強制終了させました。ロイドたちを足止めしていた結界が、音もなく消滅します。

「リンゴ、行こう!」

「は、はい!」

 ロイドがリンゴの手を引っ張り、その後にシーリーが続きます。魔法の効果はリンゴとシーリーにも及んでいるので、人間の足では追いつかないはずです。

「よし、このまま正門を通り抜けて、城下町の人混みに紛れこめば――」

「リモートコントロール、スマホ禁呪『キャリアンの呪い(シムロック)』」

 奪ったスマホからウィンの声が響きました。その直後です、急にロイドの身体から素早さが消えてしまいました。

「えっ?」

「きゃっ!」

 急な速度の変化に足をもつれさせたロイドとリンゴは転んでしまいました。

「いまだ、捕らえろ!」

 そこに兵士たちが殺到します。

 ロイドはすぐさまもう一度、呪文(アプリ)を起動しようとします。

「スマホ魔法『俊足の風(ティックトック)』」

《通信に失敗しました。設定を確認してください》

 エラーメッセージが出て、魔法が使えませんでした。

「オレのスマホが?! 一体どうなってるんだ……」

「貴様の安物スマホはロックした。もう魔法は使えないぞ」

 悠々とやってきたウェインが笑みを浮かべ、這いつくばるロイドを見下ろします。ウェインの手には別のスマホが握られていました。

「スマホの二台持ちだと……!」

「貴族には許されているのだ! 一人で二台分のスマホ利用料など、貧乏人には到底払えまい!」

 そう言ってウェインは二台目のスマホを見せびらかします。肉や血を塗り固めたような禍々しくて趣味の悪いスマホカバーを付けています。

「くっ……リンゴ、お前たちだけでも逃げろ!」

 立ち上がったロイドは、背後のリンゴを庇いました。

「くだらん自己犠牲だな。ふんっ!」

 無造作に放ったウェインの拳が、ロイドの鳩尾に容赦なく食い込みました。

「ぐぇっ! あっ……げほげほっ……げほっ……」

 倒れ込んだロイドは鳩尾を押さえて苦しみます。スマホ一台分の重みが乗ったパンチは、悶絶ものの一撃でした。

「ロイド!」

 悲鳴に近い声を上げたリンゴがロイドに手を伸ばしますが、それをウェインの足が邪魔をします。

「姫様、あまり残酷なことはさせないでください」

 冷たい声色のウェインは、おもむろにロイドの手を踏みつけます。

「ぐぅあっ! あっ!!」

「熟れ過ぎたトマトのような手は見たくないでしょう?」

 虫をすり潰すように、ウェインの鉄靴がロイドの手をグリグリと痛めつけます。ロイドは逃れようとしますが、痛みとともに体重をかけられた手は地面と靴底の間から引き抜けません。

「いぎぎぎっ、くそぉっ、がああっ!」

「ウェイン、やめてください!」

「お、オレは大丈夫だから、だから……リンゴは逃げて……ぐあぁあっ!」

 強がろうとしたロイドですが、骨を軋ませ肉を削ぐような痛みに、耐えきれずに苦しみの声が漏れてしまいます。

「姫様はこの少年にご執心のようですね」

「ロイドがいなければ、わたくしは3つの試練を超えることは出来ませんでした。そんなロイドをわたくしの事情に巻き込むわけにはいきません」

「気にすんなっ、ぐぅっ……オレの事はいいから! おやじさんに会いに、ぐあわわああ!」

「おっと足の滑りが少々」

 ウェインは笑みを浮かべたままロイドの手をぐりぐりと踏みつけます。

「もうやめてっ! わたくしはウェインに従います!」

「懸命なご判断です」

 満足げなウェインでしたが、踏みつける足から重心を退かしません。

「姫様、騎士団が修道院まで護衛いたします。出発の準備が出来るまで少しだけ王都でお休みください」

 ウェインに促されたリンゴでしたが、逡巡するように立ち止まっていました。

「最後にロイドにお別れをさせてください」

「構いませんよ」

 従順なリンゴの様子に、ウェインはようやくロイドを踏みつけていた足を外します。自由になったロイドですが、警戒した兵士たちが槍を向けているので抵抗はできません。

「ロイド……、最後に私の名前を呼んでいただけますか」

 リンゴをはスマホを手に、ロイドの目を見つめます。

「最後って」

「お願いします」

 切羽詰まったリンゴの真剣さに、ロイドは気圧されてしまいます。

「……リンゴ」

「ありがとうございます」

 そう言ってリンゴは悲しげな笑みを浮かべました。

「もしもう一度わたくしに会えたら、名前を呼んでくださいね」

「姫様、もうよろしいでしょうか?」

 急かすウェインをリンゴは一瞬睨みつけてから、兵士に守られて去っていきます。

「リンゴーーーー!」

 去りゆくリンゴの背中にロイドは叫びましたが、リンゴはスマホを握りしめたまま振り返りませんでした。

「さてと、躾の悪いガキは姫様が『無事』に王都を出るまで、牢屋に閉じ込めておけ」

「了解ッ!」

 ロイドは物々しい装備の兵士たちに連行されていきます。

 そして、騎士団が管理する監獄へと投獄されてしまいました。


 両手を縄で縛られ、猿ぐつわをさせられたロイドは前後を兵士に固められ、狭い石階段を地下へ連れて行かれました。

 淀んだ空気がツンと鼻をつきます。ひどい湿気と埃、それに生臭さです。一週間も閉じ込められていたら、心か身体のどちらかは確実におかしくなってしまいそうです。何百年も掃除がされていないような壁には、カビなのか苔なのか分からないヌメヌメとした黒い物体がそこかしこに張り付いています。経費削減のためでしょう、むき出しのLED電球の刺さるような光が牢屋を照らしていました。

「うぅ、たのむ……あと1回だけ……十連ガチャを回させてくれぇ……そうすれば絶対出るんだからよぉ、限定水着がコンプできるんだからよぉお……」

 聞こえてくる呻き声に鉄格子を覗くと、焦点の定まらない目をした囚人が、まるでスマホでもタップするように何もない手のひらを指で押していました。

「貴様はここに入ってろ!」

 猿ぐつわと縄を外されたロイドは、監房の中へと突き飛ばされました。

「てぇっ! 乱暴にしなくても入ってやるのに」

 地面に転がったロイドが文句を言ってる後ろで、鉄格子がガシャンと音を立てて閉められました。

「リンゴたちをどこへやった! なんで父親に会わせてやれないんだよ!」

 ロイドは去っていく兵士の背中に向かって大声で尋ねましたが、完全に無視されてしまいました。

「オレだってこんなとこで、のんきに捕まってるわけにはいかないってのに……」

 鉄格子に手をかけてボヤくロイドの背後で、人の気配がしました。

「このゴミ溜めに、随分と活きのいい奴が放り込まれてきたな」

 渋い声にロイドは振り返ります。

 もじゃもじゃ髭の男が座っていました。目元を隠すほどに伸び放題の髪の毛と、手入れのされていない髭は、どこが境界なのか分からないほどです。陰に溶け込むような怪しい雰囲気を纏っていて、年齢は判然としませんが30歳は越えているでしょうか。細身ですが、鍛えていることが粗末な服越しでも分かります。

「オレはロイド。あんたは?」

「カクヤだ。ちいとばかし手癖が悪くてここに入れられちまった」

 男は両手を繋ぐ手錠を誇らしげに、ロイドに見せました。

「泥棒ってこと?」

「いけ好かない貴族連中にとってはな」

 質問を面白がるカクヤでしたが、細めた目には真剣な眼光が宿っています。

「いまリンゴ姫の名を口にしていたな。知り合いか?」

「旅の途中でリンゴと出会って、王都まできたんだ。リンゴは父親に会おうとしてたんだけど、ウェインって偉そうな奴に邪魔されちまったんだ」

「そうか、リンゴ姫はウェインの手に落ちたか……まずいな」

 カクヤのつるりとしていた額に、ぎゅっとシワが寄ります。

「あんた、なにか知ってるのか? ウェインとリンゴはカノ国がどうとか話してたけど」

「この国の貴族は今は2つに割れている。ウェインをはじめとするカノ国との同盟を結ぼうとする改革派、それに反対する保守派だ」

「同盟って、他の国と仲良くすることだろ。それの何がいけないんだ?」

「話はそう単純じゃない。カノ国との同盟の条件には関税の撤廃なんかの経済的な側面だけじゃなく、軍事協力も含まれている。こいつが大問題だ。もし同盟が締結されれば、協力の名のもとにカノ国の軍隊がこの国を自由に行き来でき、さらには常駐することになる。実質的な武力支配の足がかりを作ることになっちまう」

「なんで改革派はそんな同盟を結ぼうって思ってるんだ?」

「商人やそれに繋がってる貴族はカノ国との貿易で富を得てる。今は禁止されてるスマホの輸出が解禁されれば、莫大な利益を得ることが出来るからな」

「でも国にとってはヤバイ同盟なんだろ? 王様が断っちまえばいいじゃないか」

「もちろんジョズ王としては反対の構えだったよ。だがな、内外からの圧力があって、簡単に突っぱねるわけにはいかない。最近、ジョズ王が公の場に姿を現さないのは、その心労で体調を崩してるって噂だ」

 カクヤは忌々しげに奥歯を鳴らす。

「ウェインたち改革派は王の不調に漬け込み、同盟締結に向けて急速に根回ししている。その切り札が、リンゴ姫の政略結婚だ」

「政略結婚ってことは、リンゴをカノ国に無理やり嫁がせるってことか?!」

「ああ、その通りだ。リンゴ姫とカノ国の第三王子との婚約が秘密裏に進められているって話だ」

「好きでもない相手と無理やり結婚させるなんてダメだ! ここから抜け出して、リンゴを助けないと!」

 ロイドは鉄格子の扉をガタガタと揺らしますが、そんなことをしても扉は開きません。

「落ち着け、ロイド。どんなに心が沸き立っていても、頭の中は冷静にだ」

「そんな悠長なこと言ってられるか。あんたはリンゴの味方じゃないのか?」

「ま、俺は泥棒だから貴族様たちは敵さ」

「なんだ、期待させるなよ」

「ハハッ、でもな、泥棒は利用できる相手なら『味方』にもなるもんさ」

 愉快だと口元を歪めるカクヤに、ロイドも笑みを思い出しました。

「そっか! いま味方なら十分だよな! オレはリンゴを助けたいんだ、力を貸してくれないか」

「泥棒を信用するのかい?」

「泥棒なら牢屋の鍵ぐらい簡単に開けられるだろ?」

 試すようなカクヤの言葉に、ロイドは当然のように即答しました。

「……ふふっ、ハハハッ、いいな! 俺を利用しようって所が気に入ったぜ、ロイド!」

 カクヤは握手だと右手を差し出す。いつの間に外された手錠が手首にぶら下がっていた。

「あんたはただの泥棒じゃなさそうだな」

 ロイドはカクヤと固い握手を交わしました。

「状況はともかくとして、リンゴ姫が無事に王都に戻ってきたのは、臭い飯におさらばするには良いタイミングだ」

「良いタイミング?」

「この国を変えるための」

「ずいぶんとでっかい話だな」

 これまで隔絶されたイノナカ村で暮らしてきたロイドには、自分の国も他の国も想像が出来ない話でした。

「この国は『ギガ格差』で分断されている。無限にギガを使えるホーダイ貴族と、僅かなギガを家族や恋人と分け合うギガ難民。アホな貴族が転載動画を好き放題見ている一方で、子供が満足にユーチューバーの配信も見られない……そんな国は変えなければならないんだ」

 まるでそれが自分の使命だとでも言うようにカクヤの目は真剣でした。

「オレの村もギガが枯れちまって困ってるんだ。それを王様にどうにかしてもらおうと思ってここまで来たんだけど……自分で国を変えるか、すげえな」

 感心するロイドにカクヤは頷きます。

「地方へのギガの分配は一握りの商人が独占して、高い使用料を課している。もしカノ国と同盟を結ぶことになったら、さらにその使用料は上がることになるだろうな」

「オレは難しいことは考えてなかったし、国のこととか今もピンときてるわけじゃない。王都に来たのもじっちゃんに言われて、新しいスマホを買ってもらうためだったんだ」

 これまでの道のりを思い返したロイドは、カクヤを真っ直ぐ見つめます。

「そんなオレだけど、リンゴの願いを叶えてやりたいって思ってる。これはオレ自身の意志で決めたことなんだ」

 ロイドの言葉を聞いたカクヤはとても嬉しそうでした。

「それで、どうやって脱獄するんだ?。手錠みたいに鉄格子の鍵が外せたりするのか?」

「いや、扉は魔法で外からしか解錠できないようになってる。そこを、あっちで居眠りしてる兵士たちに開けてもらうさ」

「どうやって?」

「こうやるんだよっ!」

 ノーモーションで放たれたカクヤの拳が、ロイドの頬に突き刺さります。あまりの衝撃にロイドは鉄格子にぶつかり、派手な音を立てました。

「いてて……このやろういきなり何すんだよ!」

 立ち上がったロイドに向かって、カクヤは今度はお前の番だと言うように左の頬を差し出して見せます。

「なるほどそういうことか……やりやがったな、てめえっ!」

 意図を察したロイドは腹の底から大声で吠えると、カクヤをぶん殴りました。やたらと派手に吹っ飛んだカクヤは盛大に石壁にぶつかり大きな音を出しました。

「新入りが舐めてんじゃねえぞっ!!」

 立ち上がったカクヤは、木製の匙を鉄格子に投げつけ甲高い音を鳴らしました。

 監房で突然始まった『喧嘩』に他の囚人たちも沸き立ちます。

「いいぞ! もっとやれーーーー!」

「負けるな新入り!」

「意地見せろよ、カクヤ!」

 観客たちの声援に応えるように、ロイドとカクヤは取っ組み合いを演じます。つかみ合って地面を転がったり、至近距離で平手の応酬を繰り広げたりと、さらには協力してバックドロップを決めたりとあらゆる手を尽くしました。娯楽に飢えていた囚人たちは、このプロレスに熱狂し、牢獄に反響する騒ぎ声は耳が痛いほどになってきました。

 そしてついに――。

「貴様らうるさいぞ!」

 監視部屋の扉が開き、堪りかねた看守たちが怒声とともに乗り込んできました。

「どこのバカが原因だ!」

 囚人たちは一斉にロイドとカクヤの二人を指差します。

「こいつが殴りやがった!」

「この新入りが生意気なんだよ!」

 ロイドとカクヤが同時に、お互いを指差します。

「喧嘩はやめろ! うるさくて寝てられねえ! こっちはウェイン団長に夜明け前から、駆り出されて眠いんだよ!」

「知るかよ! そっちが黙ってろ!」

 野良犬のように吠えたカクヤは、看守の前の鉄格子を蹴りつけます。

「へっ、そっちからじゃ何もできねえだろ!」

 続いてロイドも落ちていた容器を蹴り上げます。容器は溜まっていた汚い雨水を、一番偉そうな禿頭の看守めがけてぶちまけました。

「き、貴様らぁあああ! 懲罰執行だ!」

 禿頭の看守の命令に鉄格子の扉が開き、棍棒を手にした二人の看守が監房に乗り込んで来ます。

「身体で思い知れ、この犯罪者共が!!」

 棍棒を振り上げた看守二人がロイドとカクヤに襲いかかります。

「避けろっ!」

「危ないっ!」

 二人は同時にお互いを突き飛ばしました。

「えっ?」

 空を切る棍棒に看守たちが驚き表情を浮かべます。そこをロイドとカクヤが、それぞれ目の前の看守に向かって渾身の蹴りを繰り出しました。

「「ぎゃぁぁっ!」」

 股を蹴り上げられた看守二人が悶絶のハーモニーを奏でます。

「き、貴様ら、喧嘩してたんじゃ?!」

 偉そうにしていた看守は冷や汗をかきながら監房の扉を再び閉じようと手を伸ばしますが、カクヤの方が速かった。

「ロイド、やっちまえ!」

「うおりゃあっ!」

 カクヤが開け放った扉から飛び出たロイドのドロップキックが、禿頭の看守に炸裂しました。

「ぐああぁっ! がっ!」

 体勢を崩したところを更にカクヤの手刀で打たれ、看守は白目をむいて昏倒しました。

 カクヤは倒れた看守から鍵束を盗み、今度は看守3人を監房の中に閉じ込めます。

「ふー、上手くいったな」

「いきなり始めるなよな。もしオレが気づかなかったらどうするつもりだったんだよ」

「機転の利かない相手と脱出は無理だろ」

 鍵束をくるくると回しながら、カクヤはしれっと言いました。

「だとしても、もっと手加減してくれよな」

「本気を見せなきゃ騙せないからな。俺も思いっきり殴られたんだからおあいこさ」

「泥棒じゃなくて詐欺師だな」

 眉をひそめるロイドに、カクヤは笑うだけで何も答えませんでした。

「まずはロイドのスマホを確保だ。捕まったばかりなら、まだ看守部屋に置いてあるはずだ」

 カクヤは慎重に様子を伺ってから看守部屋に足を踏み入れます。

 部屋の中は無人でした。監獄での騒ぎはまだ他には伝わっていないのか、他の兵士がやってくるような気配はありません。

「あ、俺のスマホ!」

 飲みかけのコーヒーやタバコで山盛りの灰皿の載ったテーブルの上に、ロイドのスマホも無造作に置いてありました。真っ暗な画面に壊されたのかとドキリとしましたが、ボタンを長押しすると動いてくれました。

「ふう、無事にスマホを取り戻せたのはいいけど……」

 試しに呪文(アプリ)を起動しようとしますが、

《通信に失敗しました。設定を確認してください》

「やっぱりスマホ魔法が使えないままだ」

 肩を落とすロイドの横から、カクヤがスマホを覗き込んできます。

「なるほど、キャリアンの呪い(シムロック)を食らったのか。ウェインの奴だな」

「よく分かったな」

「ウェインはもともと正義感の強い優しい男だったんだ。それが強力なスマホを手に入れてから人が変わってしまった。野心に目覚め政治にも影響力を持ち始めたんだ……」

 そう語るカクヤはまるで懐かしむように遠い目をしていた。

「ウェインと戦うにしてもスマホが使えなくちゃな。新しいスマホを手に入れるしか」

「そのスマホ、ちょっと貸してみな」

「いいけど?」

 ロイドのスマホを受け取ったカクヤは、目にも留まらぬ指さばきでスマホを操作します。

「ここをこうして…………よし、これで大丈夫だ。もう魔法が使える」

「マジでっ!?」

 見た目には何も変わっていませんでしたが、カクヤが呪文(アプリ)を起動してもエラーメッセージは表示されません。

「さすが泥棒! 鍵開けはお手のもんだな!」

「それともう一つ……」

 カクヤはどこからか取り出した針金でスマホの側面を突きます。するとスマホの中から小さなトレーがぴょんと飛び出してきました。

「へー、スマホの中にこんなのが入ってたんだ」

 トレーには小指の爪ほどのスペースが2つあって、1つには小さな札が入っていて、もう1つは空いていました。

「ちょっとしたお守りをくれてやる。これでウェインと対等に戦えるはずだ」

 意味深な笑みを浮かべたカクヤは、トレーの空いている場所に別の札をはめ込みました。

「お、ちょうどメールが来たみたいだぞ」

 ロイドは返ってきたスマホを見ます。

「シーリーからだっ!」


〈お世話になっておりますシーリーです。王都で一番高い塔に閉じ込められたリンゴ様を助けてください。私は監禁されていて、ロイドさんだけが頼りです。何卒宜しくお願い致します!〉


 事務的な文章ですが、最後の『!』からシーリーの切羽詰まった様子が伝わってきます。

「リンゴがやばい! 早く助けに行かなくちゃ!」

「そうか……なら、ここからは別行動だ」

 カクヤは苦虫を噛み潰したような苦しげな表情で言いました。

「えっ? 一緒に助けにいかないのか」

「オレは捕らえられてる他の仲間たちを助ける。リンゴ姫も大事だけれど、国を変えるには大勢の仲間が必要なんだ。そのチャンスは今しかない」

 自分に言い聞かせるように言ったカクヤは顔を上げて、ロイドの目を見つめます。

「だから、ロイド。絶対にリンゴ姫を助けてくれ。頼む、お前だけが頼りなんだ」

「もちろんだ! オレに任せとけ!」

 託された想いに応えてみせると、ロイドは胸を張って答えます。根拠はありませんが、湧き上がる勇気だけは本物だという確信がロイドにはありました。

「塔はここから王城の方だ。国で一番高い建物だから遠くからでも分かる」

「分かった。色々と助かった!」

「俺の方こそ……リンゴのこと頼んだぞ」

 ロイドはカクヤと別れ、ひとりでリンゴの囚われている塔を目指しました。

 騎士団の建物を抜け出したロイドはスマホを手に王都を駆け抜けていきます。カクヤの言葉通り塔はどこからでも見えますし、スマホ魔法の呪いが解けたので道案内アプリも使えました。

 走ること20分ほどでしょうか。

 ついに天高く聳える塔の根本が見えてきました。

「リンゴはこの塔の中か」

 歪な形をした塔でした。子供が積み木を適当に重ねたような今にも倒れそうな形状です。それでも空に向かって立っているのは魔法の力が働いているからでしょう。

「行くぞ!」

 ロイドはスマホを手にして、塔の中に飛び込んでいきました。

 塔の中はサッカーコート半分ぐらいの広さがあります。エントランスホールなのかたいした物はありません。樽やテーブルが置いてあるぐらいです。

 奥の方に上り階段が見えました。

「他に階段も部屋も無いから、ここを上っていけばいつかはリンゴのところに辿り着けるはずだな」

 急いで階段に向かおとしたロイドは、不審な風切り音に気づき立ち止まりました。

「あぶなっ!」

 足元に緑の手裏剣が刺さっていたました。もしそのまま歩いていたら、足を射抜かれていたに違いありません。

「笹手裏剣に気づくとは、童(わっぱ)にしてはやりおるわい」

「誰だ!」

 階段の陰から頭巾の男が現れます。白地に黒い水玉模様の装束に黒耳の頭巾はパンダと忍者を合わせたコスプレのようです。

「儂は塔を守るアニマルウォーリアーズが1人、パンダ忍者! 命が惜しくば、すぐに立ち去るがよい」

「リンゴはこの塔にいるんだろ! 助け出して、おやじさんのところへ連れて行く!」

「確かにリンゴ様は塔の最上階におられるが……ウェイン様の命により、何人(なんぴと)も会わせるわけにはいかぬ」

「無理矢理にでも会わせてもらうぜっ!」

 ロイドはスマホを構えパンダ忍者を睨みつけます。

「童(わっぱ)がっ! 叩き出してくれるわ!」

 次々に放たれる笹手裏剣がロイドに迫ります。

「発射のタイミングさえ見えていればこれぐらい!」

 ロイドは右へ左へと素早く動いて手裏剣を躱します。

「その身軽さ、いつまでもつかな!」

 パンダ忍者はさらに回転率を上げて笹手裏剣を放ちます。

「くっ」

 ロイドはなんとか避け続けられましたが、呪文(アプリ)を起動する暇がありません。少しでも集中力が途切れたら無数の笹手裏剣にサボテンのようにされてしまいます。

「このままじゃ、まずいな……」

「逃げているだけでは儂は倒せんぞ!」

 パンダ忍者の方は余裕の表情で、笹手裏剣を投げる合間に笹をむしゃむしゃと食べていました。

「くそっ」

 苦し紛れにロイドはフロアに置いてあった空樽を、パンダ忍者に向かって蹴飛ばします。

「ふっ! そんな鈍い攻撃が忍者である儂に当たると思って……」

 ゴロゴロと転がった樽は子供でも簡単に躱せそうですが、言葉とは裏腹にパンダ忍者は動きません。なぜか頬が緩み始めていました。

「思って……こんな樽など……丸くて……ころころな樽など………………樽などいらんっ!」

 うっとりした表情を浮かべていたパンダ忍者は、ハッとして笹手裏剣を投げて樽を破壊しました。

「今の反応……まさか」

 パンダ忍者がわずかにみせた隙きに、ロイドは一つのアプリ(呪文)を選びます。

「スマホ魔法『五元素の球(パズドラ)』」

 フロア中に赤、青、緑、黄、紫の5色の球が大量に出現します。球はバランスボールほどの大きさで、宝石のように硬質な輝きを放っていました。

「こんなにも丸っこい球が……ふん、この球に隠れて笹手裏剣から逃れるつもりか? 甘いわっ!」

 お見通しだと言わんばかりに、パンダ忍者が笹手裏剣を放ちます。弧を描いた笹手裏剣は球と球の間を縫って飛び、ロイドの脇腹ぎりぎりのところを掠めていきました。

「お前の弱点はこれだ!」

 ロイドは手前にあった球を突き飛ばします。球と球がピコピコと音を立ててぶつかり、青い球の1つがパンダ忍者に向かいました。

「ま、丸い……丸すぎる……がっ!」

 パンダ忍者は再び苦悩します。

「ほらほら、抱きついたら気持ちよさそうな球だぞ」

 誘惑するロイドの言葉に、パンダ忍者は苦しげに首を振ります。

「ぐっ! だ、ダメだ! 儂はもうただのパンダではない……に、忍者としての修行を積み……本能を克服して…………ごくり」

「まあまあ、息抜きだと思って1回ぐらい抱きついてみろって。オレも逃げないからさ」

「そ、そうだな1回ぐらい」

 目の前に転がってきた青い球に、パンダ忍者は恐る恐る手を回します。

「おお! なんて丸いんだ! この腕に収まる感じがたまらんぞ!」

 パンダ忍者は歓喜の声を上げて、青い球を抱きしめました。つるりとした表面に蕩けた表情で頬をこすり付けるほどです。

「もっと欲しいだろ!」

 ロイドは次々に球を押し出して、パンダ忍者のところに球を集めていきます。

「球だ! 球だ! もっと球で遊ばせてくれ!」

 次々にやってくる球を前にしては、もう本能に逆らえません。パンダ忍者は球に触って、くるくると回したり、抱きついたりします。

 そうしているうちに赤い球が3つ、パンダ忍者の目の前で揃いました。

「よしっ!」

 ロイドがスマホから指を離すと同時に赤い球が弾け、解き放たれた炎がパンダ忍者を襲います。

「アチチチッ!」

 炎を消そうとパンダ忍者は必死で転がりますが、そのせいで球たちが動いて、今度は緑の球が5つ、十字に揃ってしまいました。

「ちゃんと消火してやるよ!」

 緑の球が弾け、吹き出した猛烈な竜巻がパンダ忍者を炎ごと吹き飛ばしました。

「ぼぉぁああああああっ!!」

 火は消えましたがそれどころではありません。トラックにでも跳ね飛ばされたような勢いで、パンダ忍者は壁に叩きつけらてしまいました。

「ぐふっ、無念……」

 あまりの衝撃に立つことさえできないのか、パンダ忍者は頭を垂れて負けを認めます。笹手裏剣もぼろぼろになった装束ごと、竜巻に吹き飛ばされてもう戦うことはできないようです。

「オレは上に行かせてもらうからな」

「いいだろう。しかし、儂を倒したとしても、まだ14人のアニマルウォリアーが残っている……この塔を生きて出られると思うなよ、童(わっぱ)!」

 不吉な言葉を背に、ロイドは階段を駆け上っていきます。

「待ってろよ、リンゴ。必ず助けてやるからな!」

 力強い足音は塔の最上階まで届くかのようでした。


 塔を登るロイドに、次々とアニマルウォリアーたちが襲いかかってきました。石柱をも砕く豪腕のサイ闘士や、三属性を極めたメガネグマ魔道士、魔剣に魅入られしダチョウ剣士、最強の盾矛コンビのライオンとオカピ――。

 死闘と呼ぶにふさわしいピンチの連続でしたが、魔力(ギガ)が足りないので映像をお届けできませんでした。

 アニマル戦士タワーバトルを勝ち抜いたロイドは、ついに塔の最上階へとたどり着きました。

「リンゴ!」

 部屋の中央には椅子があって、そこに座るリンゴの姿がありました。リンゴは手枷で拘束されていて、ぐったりした様子で俯いたままです。意識が無いようでした。

「まさか、ここまで来るとはね」

 椅子の後ろから黄色い影が現れました。

 まみえる最後の戦士は――小さなヒヨコ男です。

「なんだこいつ?」

 スタスタと近づいたロイドは、見下ろすサイズのヒヨコ男にデコピンをかまします。

「ぐわっ!」

 ヒヨコ男はたったの一撃で、ペチンと倒れてしまいました。ここまでの激闘でロイドのレベルは50になっていたので、デコピンでもパンチぐらいの攻撃力がありました。

「弱っちいな。ただの監視か」

 倒れたヒヨコ男を無視して、ロイドはリンゴの捕まっている椅子へと駆け寄りました。

「リンゴ! いま枷を外してやるからな!」

 ロイドはリンゴの手を縛り付けていた枷を外しました。けれど、リンゴは俯いたままです。

「フッフッフッ、もう遅いのだよぉおおおおおっ!」

 堪えきれないとヒヨコ男が笑い出しました。ヒヨコ男の大声に、リンゴが騒がしそうに目を開けます。

「ん……んぅ……」

「大丈夫か、リンゴ! どこか痛いとこないか!?」

 心配するロイドを、リンゴは見上げます。

「きゃっ!」

 小さな悲鳴を上げました。

「だ、誰ですか? どうして男性がここに?」

「オレだ、ロイドだよ!」

「わたくしは貴方など知りません! シーリーは? シスターはどこ? ここはどこなんですか?」

 リンゴは怯えた様子で辺りを見回します。

「フッハッハッハッハッ! すでに処置は終わっているのだよ!」

 ヒヨコ男のこれ以上面白いことは無いという馬鹿笑いに、リンゴはさらに怯えています。

「どうしちまったんだよ、リンゴ! 父親さんに会うために王都まで来たんじゃなないのか?」

 ロイドは必死にリンゴに呼びかけますが、その言葉は彼女の心には届きません。

「わたくしは16才まで修道院で過ごすことが決まっています。まさか、あなたが連れ出したのですか?」

「違う! 一緒に試練を越えたじゃないか! リンゴ自身の意志でここまで来たんだ! カノ国との同盟を止めるんだろ!」

「知りません! 警備の方はいらっしゃいませんか! シーリー、この怪しい男の人を連れ出してください!」

「リンゴ……っ」

 敵意すら瞳に浮かべるリンゴに、ロイドは奥歯を噛み締めました。

 そんな二人の様子を見て、ヒヨコ男はさらに笑い声を大きくします。

「アハハハハッ! 愉快愉快!」

「お前! リンゴに何をした!」

 ロイドはヒヨコ男に掴みかかろうとしますが、バカにしたようにヒョイと躱されてしまいます。

「初期化(メモリーデリート)だよ。ウェイン様の命により、リンゴ様の最新10日間の記憶を全て消したのだよぉおおおっ!」

「記憶をだって……そんな……嘘だろ……」

 ロイドは愕然としてスマホを落としそうになりました。信じたくありませんでしたが、リンゴがロイドに向ける怯えや困惑は本物としか思えません。

「リンゴ、思い出せよ! ピッチ族の罠から3人で協力して脱出したじゃないか!

「し、知りません……」

「バリサン山で結界を張っていたドコデモダケを見つけたのは、リンゴだったじゃないか!」

「知りません……」

「頼む、思い出してくれよ、リンゴッッ!」

 ロイドは縋るようにリンゴの肩を掴み、記憶に届けと訴えました。

「もう、わけのわからないことを言うのはやめてください!」

 しかし、リンゴはロイドの手を跳ね除けます。

「リンゴ……」

 本気の拒絶にロイドはそれ以上は何も言えず、風に吹かれるセミの抜け殻のように後ずさることしか出来ませんでした。

「さあ、リンゴ様。頭のおかしい乱暴者のことなど放っておいて、修道院へ戻りましょう」

 恭しく頭を垂れるヒヨコ男に、リンゴは頷きます。

「はい……そういえば、わたくしのスマホはどこに?」

「こちらでございます」

 ヒヨコ男はスタンドからスマホを取り外すと、羽根とマイクロファイバークロスで丁寧に画面を拭いてからリンゴに渡しました。

「ありがとう……あら? なにか、リマインダーの通知が? 」

 スマホの画面をタップしたリンゴは不思議そうに首を傾げます。

「音声認証? わたくし、こんな設定したかしら? あーあー、リンゴです…………?」

 リンゴはマイクに向かって話しかけますが、スマホは何も反応しません。

「上手くいきませんね。なぜでしょうか?」

「…………まさかっ!」

 ロイドは思い出しました。最後にリンゴがなんと言っていたのかを。

 一か八か、それに賭けてみるしかないと、ロイドは胸いっぱいに息を吸い込みます。

「思い出してくれ、リンゴーーーーーー!」

 ロイドはありったけの声量で、リンゴが握るスマホに向かって叫びました。

「?」

 大声に驚くリンゴの横で、ヒヨコ男がまた耳障りな笑い声をあげます。

「プハハハッ、いまさら名前を呼んだとて――」

『登録された音声を確認しました』

 スマホが無機質な声と共に、柔らかな光を放ちます。光はベールのようになると、母親が赤子を抱くようにリンゴを優しく包み込みました。

「これは……魔力(ギガ)の光?! い、一体何が?!」

 ヒヨコ男が慄いている間に、光はリンゴへと吸い込まれていきました。

「リンゴ!」

 ロイドはもう一度呼びかけます。

 光が収まるとリンゴが瞼を開きました。その瞳には強靭な意志の光が戻っていました。

「名前、呼んでくれましたね。ロイドさん」

「約束したからな」

 再会の笑みを交わした二人は、よくもやってくれたなとヒヨコ男の方に厳しい視線を向けます。

「ま、まさか、リンゴ様が記憶を取り戻しただと! なぜだっ!」

 信じられないと喚くヒヨコ男に、リンゴはスマホを突きつけます。

「記憶保存(クラウドバックアップ)の呪文(アプリ)を使っておいたのです」

 リンゴのスマホ画面には《復元完了》の文字が燦然と輝いていました。

「ウェインに捕まった時に設定するなんてやるな! でも、なんでオレの声で?」

「自分の声ではスマホを調べられた時に、ウェインたちにバレてしまうかもしれませんから。シーリーとも分断されることは予想できていたので、ロイドさんを頼るしかありませんでした」

「もしオレが来なかったらどうするつもりだったんだ?」

「助けに来てくれると信じていましたから」

 即座に答えたリンゴの瞳には一点の曇りありません。

 ロイドは照れたのを誤魔化すように笑いました。

「とにかく、リンゴも無事に助け出せたし、いよいよ王様のところだな」

「そう簡単に事は運ばんのだよ!」

 いつの間にか窓に寄っていたヒヨコ男の手にはスマホが握られていました。

「オレにあっさり負けたくせに、まだ抵抗するつもりか!」

「戦うだけが勝利ではないのだよ!」

 ヒヨコ男はスマホ画面に映っていたボタンを、ポチッとタップします。

「なにをしたのですか?」

 問いかけるリンゴが一歩を踏み出すと、まるで呼応したように床が揺れ始めました。

「塔の崩壊スイッチを入れたのだよ!」

「なんてことを。すぐに解除しなさい!」

「申し訳ありません、リンゴ様!」

 謝ったヒヨコは窓から塔の外へと身を躍らせました。

「待ちやがれ!」

 慌ててロイドも追いかけますが間に合いません。ヒヨコ男は両手の翼をパタパタと動かし、飛んでいってしまいます。さらに窓から見下ろすと、これまでロイドが倒したアニマルウォリアーたちも、我先にと塔から逃げ出していました。

「早く逃げましょう!」

 リンゴが階段を指差すその間にも、塔はぐらぐらと揺れながら大きく傾いてきます。

「とてもじゃないが、入り口まで戻る時間なんてないぞ!」

 数分と保たずに塔は崩壊してしまうことでしょう。

「せっかくロイドが助けに来てくれたのに、ただ巻き込んだだけになってしまって……」

「諦めるのは早いぜ。絶対なにか方法があるはずだ」

 そうは言っても、ロイドは何も思いつきません。新しい呪文(アプリ)をダウンロードしている時間もありません。

「……ロイド、何か聞こえませんか? 風を切るような音が」

 耳を澄ませると塔があげる悲鳴とは別に、ブンブンという音が近づいてきているような気がします。

「二人とも屋上へ」

 窓の外から呼ぶ声が聞こえてきました。

「この声は!?」

「行きましょう、ロイド!」

 即座に走り出したリンゴを追って、ロイドも屋上へと続く階段を駆け上がっていきます。

 塔の崩壊は二人のすぐ後ろまで迫っていました。外壁から内部に向かって、握りつぶされたかのように崩れてしまいます。

 不安定に揺れる階段を上がりきり、なんとか屋上にたどり着きました。助けがいるのかと辺りを見回そうとした直後です、リンゴの足元が崩れてしまいました。

「きゃああああっ!」

「リンゴ!」

 間一髪でロイドはリンゴの手を掴みましたが、体勢を崩してしまいます。このままでは出来たての穴から崩壊する塔の中へ真っ逆さまか、屋上の縁から外へダイブです。

「二人ともこっちへ飛んでください」

「分かった!」

「分かりました!」

 聞こえてきた冷静な声を信じ、リンゴとロイドは塔の縁から飛び出しました。吹き上がる風に一瞬の浮遊感を感じましたが、二人の身体はすぐに落下を始めます。そして、塔も構造力学上の限界を迎え、轟音を立てて完全に崩れていきます。

「うわああああああああ、おあっ!」

「きゃああああああああ、ひあっ!」

 二人の絶叫が同時に止まりました。地面に激突して汚いピザになったわけではありません。

 落下する二人を横から飛んできた巨大な布が受け止めたのでした。

「た、助かったぁ……」

 布に張り付いたロイドが安堵のため息をつきました。二人は風を受けて膨らむ帆に張り付いていました。

 危機を救ったのは空飛ぶ帆船でした。

「この空船は……『偉大なる蒼空(グランブルー)号』!」

 帆に描かれた欠けた果実のシンボルを見たリンゴの表情が明るくなります。

 ロープを伝わり甲板に降りると、さきほど二人を呼んだ人物が操舵輪を握っていました。

「遅くなりました、リンゴ様」

 空船を操って二人を救ったのは、シーリーでした。

「ふー、ギリギリだったな。サンキュー!」

「ありがとう、シーリー」

「お役に立つことこそ私の使命です」

 ロイドとリンゴの感謝に、シーリーはむしろこちらこそと頭を下げました。

「私の力が及ばなかったばかりに、ロイドさんにリンゴ様を助けて頂いて。本当にありがとうございました」

「シーリーがメールをくれたからリンゴを助けに行けたんだ。お互い様ってことでな!」

 この話は終わりとロイドは親指を立ててみせました。

「シーリーは危険な目にあいませんでしたか?」

「私は軟禁されていただけです。そこをカクヤ様に助けて頂きました」

「カクヤ? どなたですか?」

 リンゴは小さく首を傾げます。この船に乗っているのはシーリー1人なので、不思議に思ったようでした。

「カクヤって、オレと一緒に脱獄したあいつのことか?」

「はい。義賊カクヤです。修道院で過ごしていたリンゴ様はご存知ないのは当然ですが、王都で人気の男です。悪徳商人や悪い貴族から金品やギガを盗み、困っている人々に分け与えています」

「リンゴやシーリーからしたら敵だと思うかもしれないけど、話せばわかる奴だった」

 心配になったロイドはフォローを入れました。

「問題ありません。私とカクヤ様は協力関係にあります。今回のカノ国との同盟の件も、カクヤ様からの手紙で知りリンゴ様にお伝えできました」

「そうだったのですね。わたくしはてっきりシーリーが調べたのだと思っていました」

 リンゴは驚いていました。

「申し訳ありません。カクヤ様のご意向で、リンゴ様にはお伝えしていませんでした」

「構いませんよ。シーリーがそれで良いと判断したのなら、わたくしはそれを信じていますから」

 頭を下げるシーリーに、リンゴは気にしていないと微笑みました。

「それでカクヤ本人はどこ行ったんだ? 船にはオレたち以外はもう誰も乗ってないみたいだけど」

「カクヤ様も目的は同じですが、いまは別行動をとっています。カノ国との同盟を中止して頂くように国王様を説得できるのは、リンゴ様だけですから」

 ロイドとシーリーの視線にリンゴは覚悟は出来ていると頷く。

「このまま空船で王城へ向かいましょう」

 その言葉を待っていたと、シーリーは舵を大きく切りました。

 風を受けた帆がいっぱいに広がり、空船は王城を目指して全速で進んでいきます。

「王城は事実上、ウェインの管理下に置かれています。この船(グランブルー号)が王家の紋章を掲げていても。城壁の上を素通りというわけにはいかないでしょう」

 シーリーが説明しているそばから、兵士たちが大慌てで城壁の上に姿を表します。スマホを構えていて、いつでも呪文(アプリ)を使えるように臨戦態勢です。

「このまま進みます」

 スピードを落とさない空船に、兵士たちはスマホ魔法を使って青白い光の矢を放ってきました。ヒュンヒュンと空気を切る恐ろしげな音はしますが、魔法の矢は空船には飛んできません。

「威嚇か……」

 ロイドの心配を見透かしたように、シーリーのスマホが着信音を告げます。ハンズフリーモードで通話ボタンを押すと、男の野太いが聞こえてきました。

『もしもし、こちら警備隊長です。そちらはシーリー卿ですか』

「はいそうです」

『それ以上、王城に近づくなら、いくら貴方とはいえ撃墜の命令を出さねばなりません。どうか、お二人の安全のためにも引き返してください』

「申し訳ありませんが、リンゴ様を王城へとお連れしなければなりません」

『残念です』

 通話が切れた直後、重い衝撃が立て続けに空船を襲いました。

「きゃあっ!」

「あいつら、デカイのを当ててきやがったぞ!」

 船の縁から身を乗り出したロイドが、下方から鳴り響く発砲音に負けない大声で報告します。魔法の砲弾が空船の側面で炸裂し、衝撃と炎を撒き散らしていました。

 空船の船体も魔法のシールドで守らていますが、何度も攻撃を食らっていてはもたないでしょう。

「かなりヤバそうだぞ! 何か作戦はあるのか?」

「このまま上空から城壁を越え、王城にある庭園にリンゴ様とロイドさんを降ろします」

 暴れる操舵輪を制御しながらシーリーは答えました。空船は城壁を越えようとし、兵士たちの放つ魔法攻撃はさらに苛烈さを増していました。

「シーリーは一緒ではないのですか?」

 不安そうなリンゴの方をシーリーは見ません。

「私は空船で兵士の注意を惹きつけています。その間に、リンゴ様が王様を説得して下さい」

 話している間にも空船は進み、城の上階から突き出す庭園が見えてきました。小さなバラ園と噴水だけですが雰囲気の良い庭園です。

「もうすぐ庭園の上に着くぞ! チャンスは一度きりだ、リンゴ!」

 身を乗り出して距離とタイミングを測っていたロイドが大声でリンゴを呼びます。

 リンゴはグッと言葉を堪えてから、操舵輪を握るシーリーの手に触れました。

「無理はしないで……」

「リンゴ様もお気をつけください」

 シーリーはいつもと変わらない冷静な笑みでリンゴを見送ります。リンゴは振り返らずに、ロイドの待つ空船の縁へと走りました。

「行くぞ、リンゴ!」

「はい!」

 二人は手を取り合い、空船から飛び出しました。シーリーの操舵でギリギリまで近づいていた庭園がすぐそこです。ロイドの測っていた距離もタイミングもピッタリです。

「おっと!」

「ひぁっ!」

 勢いが余って植え込みに突っ込んでしまいましたが、どうにか無事に二人は庭園へと着地することに成功しました。

 そんな二人を見届けるように、シーリーただ1人を乗せた空船は大きく旋回し、庭園から離れていきます。

「お父様の居室はこちらです!」

 リンゴが指差す大きな窓に向かってロイドは疾走します。

「オレにまかせろ!」

 ロイドは力任せにガラスを蹴破りました。盛大な音を立てて飛び散ったガラスを、二人は踏みつけ建物の中に飛び込みました。

 見るからに高そうな赤絨毯が敷かれた廊下には、人影がありません。しかし、襲撃の騒ぎで衛兵が近づいてきている気配があります。二人は急ぎました。

「あの大きな扉の部屋です!」

 先頭に立って廊下を走り抜けたロイドは、扉に飛びつき取っ手を引っ張ります。

「ぐぬぬぬ!」

 見るからに頑丈そうな扉は、押しても引いても開きません。

「内側から鍵がかかってるのか、魔法で封印されてるのか……」

 びくともしない扉の取っ手の辺りを確かめますが、鍵穴のようなものはありません。代わりに、扉の合わせ目には半球状の水晶が埋め込まれていました。

「賊が侵入したぞ!!」

 遠くない距離から兵士たちの足音が聞こえてきます。

「やばい! このっ、開け!」

 ロイドが扉をガンガン蹴りますが、足のほうが痛いだけでした。

「もしかして……代わってください、ロイド」

 なにかに気づいたリンゴに、ロイドは扉の前を譲ります。リンゴはゆっくりと水晶に顔を近づけました。磨き上げられた水晶の表面に、歪んだリンゴの顔が映り込みます。

『顔認証を開始します……リンゴ姫と確認できました。解錠します』

 ガチャリと音を立てて扉が開きました。

「賊はこっちにいるぞ!」

 兵士たちはすぐそこまで迫っています。

「早く中へ!」

 リンゴに手を引っ張られたロイドは、転びかけながら王の居室へと足を踏み入れました。

「やつら国王様を狙っているぞ!」

「まずいっ! とりあえず時間稼ぎだ!」

 ロイドは慌てて扉を閉めると、聞こえてくる怒声と金属音を締め出しました。後一瞬遅ければ、兵士の伸ばした手が扉を止めていたに違いありません。

「賊めっ! いますぐ扉を開けろっ!」

 押しかけた兵士たちが、ドンドンと激しくノックしますが認証されていない扉は開きません。

「ふー、なんとか時間稼ぎはできそうだけど、早いとこ王様に誤解を解いてもらおう。頼むぜ、リンゴ」

「はい」

 リンゴは頷き、部屋の奥の方を向きます。

 王の居室とは思えないほど簡素でした。白い壁紙に四方を囲まれた室内には、テーブルと椅子のセットとパステル調のソファー、奥に天蓋付きのベッドがあるぐらいです。

 生活感が薄いどころか、人の精気をほとんど感じません。唯一の気配は天蓋の薄絹越しに見える人影でした。人影は上半身を起こしていますが、声を出したり動く様子はありません。

「お父様!」

 ベッドに駆け寄ったリンゴは薄絹のカーテンを開けました。

 丸メガネが特徴的な50代半ばの男性がジョズ王です。白いものが混じった髪は頭頂部まで交代しています。口周りの髭は濃くはありませんが、あまり剃ったり整えたりしていないのかボサッとした印象です。

 黒のタートルネックとジーンズが痩身を際立たせていました。

「リンゴが戻りました」

「……」

 返事はありませんでした。

「お父様にカノ国との同盟を考え直していただくよう説得に参りました。言いつけを守らず、勝手に修道院を抜け出したことをお怒りかもしれません。ですが、どうかわたくしの話をお聞き下さい」

「…………」

 やはり返事がありません。ジョズ王はまるでリンゴを認識していないかのように、遠い目をしています。

「王様? 約束を破ったからって、リンゴのこと無視はないんじゃないか?」

 ロイドの無礼な物言いにも王様は何も言い返しません。

「お父様?」

「……、……ぁ……」

 ジョズ王はブツブツと何かを言っていますが、声が小さくて聞き取れません。

「スマホ魔法『マイク』」

 ロイドはスマホを拡声器がわりにして、ジョズ王の口元に近づけました。

「……あいふぉんはしようできません……あいちゅーんずにせつぞくできません……いっぷんごにやりなおしてください……」

「お父様? 何を仰って……」

「……あいふぉんはしようできません……あいちゅーんずにせつぞくできません……いっぷんごにやりなおしてください……」

 虚ろな目のまま、ジョズ王は同じ言葉を繰り返していました。

「どう見ても普通じゃないぞ」

「わたくしが調べます。スマホ魔法『緊急診断(リンゴサポート)』」

 ジョズ王の周りに、半透明のウィンドウが次々に現れます。

「異常状態を回復する呪文(アプリ)なのですが……どうやって使うのでしょうか? わたくしも始めてで」

 リンゴは大量に現れたQ&Aを前に途方のくれてしまいます。

「こういうのって、やたらと分かりづらいよな」

「とりあえず、それっぽいのを選んでいきましょう」

 そう言ってリンゴはウィンドウに触れていきます。

「〈父親〉→〈おかしい〉→〈ぶつぶつ呟いている〉……サポートに電話してくださいと出ました!」

「じゃあ、オレが電話してみる」

 ロイドが電話をかけると、すぐに繋がりました。

『現在、電話が大変込み合っています。このままお待ち頂くか、時間を置いておかけ直しください』

「昼過ぎだし、サポート混んでるみたいだな」

 仕方がないのでロイドとリンゴは待ちました。

 そして10分が経ちました。

「うーん、全然サポートの人に繋がらないな」

「困りましたね。お医者様に診てもらうしかないでしょうか」

 ロイドとリンゴがどうしようかと話していると、背後からガチャリと扉を開く音が聞こえました。

「陛下にリンゴ様のサポートは必要ありません」

 現れたのはウェインでした。他の兵士たちに見られたくないことでもあるのか、すぐに扉を閉めてたった1人で、ロイドとリンゴの方に近づいてきます。

「ウェイン、お父様がご病気だとなぜ知らせなかったのですか!」

「そうだ! こんな状態で放っておいて、リンゴも遠ざけようとするなんてひどすぎるぞ!」

 リンゴとロイドの敵意にも、ウェインはどこ吹く風といった様子です。

「人聞きの悪い。まるでワタシが陛下を病気にさせたような言い草ですね」

「病気を隠そうとしたり、そうとしか思えないだろ!」

「陛下は自ら望んだことです」

「はっ! そんなわけあるかよ! 自分でこんな風になりたい人間なんかいるか」

 睨みつけるロイドにウェインは小馬鹿にするように肩をすくめます。

「加齢からくる心身の衰えに悩んだ陛下は『身体に良い食事』しか摂らないと決意されました。献上された最高級和牛や伊勢海老など豪華な食事を断ち、怪しげな自然食品ばかり食べていました。さらには医者の処方した薬も『自然に反する』と言って飲もうとしませんでした。その結果、さらに気力も体力も無くなり、今では一日中ベッドの上で過ごすようになられてしまいました」

「そんな……お父様……」

 ショックを受けたリンゴがジョズ王の手を握り呼びかけますが、王の身体がピクリと反応しただけでした。

「お前、身体に悪いって分かってたのになんで止めなかったんだよ!」

「陛下のご判断にワタシが浅薄な奏上をするなど恐れ多いこと。むしろ、我が領で採れた『身体に良い自然食品』を献上させて頂きました」

 意味深な笑みを浮かべるウェインのプレッシャーが上がります。

「そうやって、オレたちに裏側を自慢気に喋ったってことは」

「賊が姫様を人質にして王城に侵入。陛下と姫様を殺害したあと、騎士団長に殺害される。明日のヤフーニュースはこれで決まりでしょう」

「はっ! そんな陳腐なニュースじゃトップには載れないぜ!」

 言い放ったロイドは油断なくスマホを構えます。

「新しく安物のスマホでも手に入れたか。だが無駄なことだ、再びガラクタにしてやる!」

 ロイドとウェインは同時に呪文(アプリ)を使いましたが、ウェインの最新スマホの方が早く起動しました。

「スマホ禁呪『キャリアンの呪い(シムロック)』 これで貴様のスマホは――」

「スマホ魔法『大炎上(ユーチューブ)』」

 封印されたはずのロイドのスマホから魔法の火線が迸ります。

「なにっ?!」

 反応の遅れたウェインは左腕を盾に、スマホを守りました。鎧を装備しているので、大きなダメージとはなりませんでしたがウェインは激しく動揺しています。

「なぜだ! なぜ封印したはずの魔力(ギガ)が使える?!」

「たぶんカクヤだ! オレのスマホにお守りを入れてくれたんだ!」

「お守りだと? まさか! 貴様、アレに手を出したのか!」

 ウェインは鬼気迫る形相で、ロイドの握るスマホを睨みつけます。

「アレって? なにか知ってるのか?」

「自由の護符(フリーシム)! 忘れられし従神の加護を得る秘技だ!」

「なんだか分かんないけど、これでお前とも対等に戦えるな!」

 スマホをくるりと回すロイドに、ウェインは不快そうに眉を吊り上げます。

「調子に乗るなよ、ガキが。禁呪が効かないなら、直接叩きのめすまでだ! スマホ魔法『王殺しの矢弾(ロイヤル・クラッシュ)』」

 放たれた魔法の散弾が、不規則な軌道でロイドに迫ります。

「スマホ魔法『必中打法(モンスト)』」

 ロイドは現れた魔法のバットをターゲットマークに向かって、リズミカルに振ります。バットの芯が矢弾を捕らえるとExcellent!!の文字が光り、ウェインに向かって打ち返されていきました。

「ぐっ! ぬあっ! ぐああああっ!」

 パーフェクトで打ち返された全弾はウェインに大ダメージを与えました。苦しげな呻きを漏らし、ウェインは床に膝を付きます。

「団長って言ったって大したこと無いんだな」

「気をつけて下さい、ロイド。ウェインは団長として精霊の力を使えます!」

 リンゴの警告を裏付けるように、ウェインは不敵な笑みを浮かべて立ち上がります。

「貴様程度に諸刃の剣は使いたくなかったのだが……。全てのスマホを破壊する力を受けてみよっ!」

 魔力(ギガ)がウェインのスマホに集まっていきます。

「スマホ魔法『水の乙女たち(アズールレーン)』」

 床を突き破り、6本の水の柱がロイドたちを囲むように噴き出しました。壁紙を濡らしながらうねる水は自らの意志で人の形を成していきます。

 現れたのは、文字通り透き通る肌を持つ彫刻のように美しい水の精霊たちです。

「精霊よ、やつらのスマホを濡らしてしまえ!」

 6体の精霊はスケートでも滑るような軽やかさで、ロイドたちに迫ります。精霊たちは楽しそうにダンスでも踊っているつもりなのかもしれませんが、彼女たちが身にまとっているのは激流です。少しでも接触すれば、スマホは完全に水没してしまいます。

 撒き散らされる大量の水に、召喚したウェイン本人でさえスマホを隠さなければならないほどでした。

「お父様っ!」

 リンゴはジョズ王を守ろうと、布団を盾に水を防ごうとします。またたく間に水を吸収して重くなる布団は、リンゴの細腕では1分も耐えられないでしょう。もちろん、自分のスマホを使って反撃する余裕なんてありません。

「このままでは」

「うぉおおおおおおおおお!」

 自らを鼓舞するロイドの咆哮が、水流に負けない大きさで部屋中に轟きます。

 なんと、ロイドは自ら荒れ狂う水の精霊たちの間に突っ込み、ウェインに近づこうとしたのでした。

「ハハハッ、無理だと悟り自暴自棄になったか!」

 凄まじい水圧がロイドと彼のスマホを襲いました。水流に巻き込まれた礫が弾丸のように、ロイドの身体を傷つけます。

「生活防水で耐えられると思ったのなら過信が過ぎるぞ! この水量と水圧の前では、スマホは完全に機能を停止する!」

「スマホ魔法……」

 激流に打たれ続けているはずのロイドの声が、不思議と聞こえてきます。

「保証外となって死ねぇえええっ!」

 トドメだと水の精霊たちが、ロイドに殺到します。

 重なり合った6体の攻撃は、水竜が放つ息(ドラゴンブレス)を威力を遥かに越えています。スマホどころか、ロイドを全身骨折させる――はずでした。

「『約束された勝利の剣(グランドオーダー)』」

 光の刃が駆け抜け、不意の静寂が訪れました。

「はっ?」

 ウェインの間の抜けた声に、女神が思い出したように時が動き出します。

 ロイドを襲うはずだった水の激流が爆ぜ、さらに6体の精霊の全てが一刀のもとに胴体を両断されていました。力を失った精霊はただの水へと戻り、雫となって消えてしまいます。

 力の余波を受けた居室の壁も崩れ、庭園へと通じてしまいます。

「くっ、もう一度だ! もう一度精霊を呼び出して」

 光の刃が斬ったのは精霊と壁だけではありません。

「なっ?!」

 ウェインの持つ禍々しいケースのスマホにも、攻撃が届いていました。

 傷つけられたバッテリーは非常に危険です。断末魔を上げるように膨らんでいきます。

「ぐわあああああああああ!」

 身体に激痛が走っているかのようにウェインが苦しみ、のたうち回ります。

「な、なぜだ! あれほどの水を受けて、なぜ貴様のスマホは無事なんだ!」

「オレのスマホは完全防水スマホなんだ!」

「なんっ、だとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 バキバキに画面が割れたスマホを放り出したウェインはバタリと倒れ、そのまま動かなくなりました。気を失ってしまったようです。

「ありがとうな、じっちゃん。ダセえスマホなんて言ってゴメン」

 遠い場所にいる村長にロイドは感謝します。スマホは新しいだけが全てではないと、ロイドは初めて知ったのでした。

「ロイド、本当にありがとうございます。貴方はこの国を救った英雄です!」

 駆け寄ったリンゴは感極まった様子でロイドの手を握ります。

「い、いやオレはその……大げさだって!」

 照れたロイドは誤魔化すように笑いました。その拍子に傷になっていた脇腹が痛みました。

「いますぐ回復します! スマホ魔法『癒やしの波動(ラブライブ)』」

 太陽光(サンシャイン)な温かさに包まれ、ロイドの体力が全快しました。

「サンキュー、リンゴ! さてとこいつには詳しく話を聞かないとな」

 ロイドは倒れたままのウェインの頬をペチペチと叩きます。瞼ををしばしばさせながらウェインは意識を取り戻しました。

「ん、んんぅ……? キミは? なぜワタシはビショビショに濡れて……?」

 まるで酔っ払いが眠りから覚めたかのようにウェインは、ポカンとしていました。

「とぼけやがって! お前がリンゴとおやじさんが会うのを邪魔したからこうなったんだろ! 水の精霊なんて呼び出して大暴れしやがって! もう誰も騙せないぞ!」

「ちょっと待ってくれ! キミの言っていることの意味がわからない。ワタシがリンゴ様の邪魔を? なぜそのようなことを……?」

「これ以上しらばっくれるなら、ぶん殴ってでも思い出させてやるぞ」

 拳を握ってみせるロイドに、ウェインは暴力はやめてくれと言うように両手を挙げて手のひらをみせます。

「本当に分からないのです! リンゴ様、どうか信じて下さい!」

 ロイドに話しても無駄だと悟ったウェインは、情けない声でリンゴにすがりつきました。

「わたくしとしても、貴方を信じたいです。ですから、シーリーの乗る空船への攻撃を止めてください」

 リンゴは毅然とした表情で、壁に出来た穴から城外を指差します。シーリーが操る空船は兵士たちから激しい対空攻撃を受けているにも関わらず、王城から離れないように旋回していました。

「偉大なる蒼空(グランブルー)号がなぜ? と、とにかく、警備隊長に電話をして……」

「お前のスマホ、壊れちまってるけど」

 ロイドが地面に落ちている禍々しいスマホケースを指差します。

「ワタシのスマホはこれだが?」

 そう言ってウェインが別のスマホを取り出して、電話をかけました。

「警備隊長か? ああ、ウェインだ。即刻、空船への攻撃は中止だ! えっ? ワタシが命令しただと? いま状況がよくわからないのだが、とにかくその命令は全て撤回だ!」

 ウェインが通話を切ると、すぐに空船への攻撃は止まりました。

「シーリー!」

 壁の穴から庭園に出たリンゴが両手を降って大声で呼びかけます。作戦が成功だとシーリーに通じたようで空船が、庭園へと降下してきました。激戦の跡が生々しい船体が庭園に横付けされます。

「リンゴ様」

 ロープを使うのももどかしいと、縁から飛び降りたシーリーが駆け寄り、リンゴを抱きしめました。

「お怪我はありませんか?」

「はい、ロイドがわたくしを守ってくれました。それにウェインも正気に戻ったようです」

「ウェイン卿、此度のことはどういうことでしょうか?」

 シーリーがウェインへ疑いの目を向けます。

「先程から言っているが、本当にワタシには何がなんだか分からないんだ。なにがどうして、ここにいるのかも……」

「さっきから分からないばっかりじゃないか。じゃあ、何なら覚えてるんだ?」

「そうだな……ワタシは屋敷に届いた新しいスマホを箱から出して……うーん、その後はもう記憶も意識もはっきりしない。気づいたら、その少年に頬をペチペチと叩かれていた」

 申し訳無さそうにウェインは首を振ります。彼自身も悩んでいる様子は、とても嘘をついているようには思えませんでした。

「新しいスマホって、この趣味の悪いケースのコレか?」

 ロイドは地面に落ちて画面がバキバキに割れたスマホを、つま先でちょんちょんと押します。

「そう、それだ! ワタシが注文していたスマホとは違うから、返品しようと思ったのを覚えているぞ!」

「怪しいですね。このスマホの中身(データ)を調べれば、なにか分かるかもしれません」

 シーリーの言葉に、ウェインはこれで疑いが晴れると胸をなでおろします。

「水たまりに落ちたけど、中身(データ)は無事だといいな」

 ロイドがスマホを拾おうと手を伸ばすと、割れた画面から黒い煙が漏れ出し、バッテリーが膨らみ始めました。

「な、なんだ?! 爆発かっ?」

「これは……邪悪な魔力(ギガ)を感じます! ロイド、さがって!」

 慌てて下がるロイドの足元でバッテリーが爆発を起こしました。リンゴの警告が遅かったら、大変なことになっていたでしょう。

「あぶなっ! 助かったぜ、リンゴ」

 ふーと胸をなでおろすロイドの眼の前で、壊れたはずのスマホの画面に明かりが灯ります

「……あと少しだった」

 耳障りなノイズ混じりの声が、スマホから響いてきます。

「邪魔さえ入らねば、この国は我のものになったというのに……」

 スマホがひとりでに浮き上がり、まるで苛立っているかのようにヴァイブレーションしだしました。

「なにやつだ!」

 ウェインは腰の剣を抜き、怪しげなスマホの正面に立ちます。

「我は偉大なる魔王サーギア!」

 誇らしげに名乗ったスマホの画面に、アスキーアートな顔が表示されました。

「シーリー、知っていますか?」

「古の魔法使いがスマホの不具合から産み出した邪悪な存在です。クレジットカード情報を盗んだり、知らないうちに課金させたり、盗聴や遠隔操作など様々な災厄を人々にもたらします」

 説明を証明するように、サーギアは禍々しいオーラを放っています。

「その通りだ。我の目的は」

「シーリー、なぜそんな邪悪な魔王がウェインのスマホに?」

「おそらく2つの国を支配するためです。ウェインを通してこの国を支配し、さらにカノ国へと輸出するスマホに違法呪文(バックドア)を仕掛けることで、全てのスマホと人間を支配下に置こうとしているのです」

 魔王サーギアの代わりにシーリーが答えてくれました。

「まさにその通りだ! この国のスマホパワーとカノ国の軍事力を手に入れ、さらには世界中を我が物とする計画だったが……貴様らが余計な邪魔を!」

 魔王サーギアは素直に認めました。

「何だとっ! ワタシを操り、陛下と姫様に、そしてこの国に仇なしたこと、絶対に許さん!」

 怒りのままに剣を振り上げたウェインは、魔王サーギアに斬りかかっていきます。

「穢れた基盤をぶちまけろっ!」

 裂帛の気合を纏ったウェインの剣が、浮遊するスマホへと振り下ろされます。

「ふんっ」

 馬鹿にした鼻息に硬質な音が続きます。ウェインの剣は、ビカビカと光る派手な看板に、いともたやすく跳ね返されてしまいました。

「我のコウコクバリアが、ただの剣で破れるものか」

 驚愕するウェインの背後から、ロイドが飛び出します。

「剣がダメなら魔法でどうだっ! リンゴ!」

「はい!」

 左からロイド、右からリンゴが同時に呪文(アプリ)を唱えます。

「スマホ魔法『陰の疾風(シャドウバース)』」

「スマホ魔法『光の驟雨(ホシドラ)』」

 ロイドの放った黒い鎌鼬と、リンゴの放った白い流星が魔王サーギアの張っていたバリアを打ち破ります。

「よしっ! 次の攻撃で本体を」

「待って下さい、ロイド! バリアが……」

 消滅したはずのバリアが、二人が二発目の魔法を撃つよりも早く復活していました。それも一枚や二枚ではありません。

「フハハハッ、コウコクバリヤは無限障壁! 貴様らの魔力(ギガ)が尽きるまで魔法を使おうとも、決して我を傷つけることはできんのだ!」

「くっ、なにか弱点は……」

 ここまでの旅で魔力(ギガ)を消費し、これ以上の無駄遣いができないロイドたちは、魔法攻撃をためらいました。

「貴様らが何もしてこないなら、我の方から遊んでやろう!」

 魔王サーギアの周囲に光の小型の円盤が数十枚、浮かび上がります。フリスビー程度の大きさですが、遠くからでも高速で回転している音が聞こえてきます。

「ペイッ! ペイッ! ペイッペイィッペイィィィッ!!!!」

 放たれた光の円盤は、無差別にロイドたちを襲いました。

「あぶない!」

 誰かが叫びましたが、その時にはもう遅かった。スマホ魔法や剣で迎撃しようとするよりも速く、円盤はロイドたちに突撃し爆発を起こしました。避けることすら出来ませんでした。

「ぐわあああああああああ!」

 爆発に巻き込まれたロイドたちは吹き飛ばされ、地面を転がったり壁に叩きつけられたりと大ダメージを受けました。それだけではありません。円盤の放射状攻撃の凄まじく、美しかった庭園は瓦礫と化してしまいました。さらに射程は広く、離れた塔や城壁まで破壊されていました。

「この程度のペイにも耐えられぬとは脆弱なりィッ!」

「げほっげほっ……お前こそもう息切れか」

 なんとか立ち上がったロイドは、自分に注目を集めようと強がります。

「ボロボロで粋がるなよ、人間が。ペイペイペイッ!」

 3枚の小型の円盤が連続でロイドだけを狙います。

「このっ」

 ロイドはなんとか1枚目の円盤をかわしましたが、先回りするように飛んできた2枚目と3枚目の直撃を受けてしまいます。

「がっ! がぁぁあっ!!」

 まるで連続でバイクに跳ね飛ばされたような衝撃に、ロイドの身体は人形のように弄ばれ、最後は地面に叩きつけられました。

「ぐがっ……がぅっ……」

 肋の一本ぐらいは折れてしまっているでしょう痛みです。ロイドの口から血の混じったつばが垂れています。

「勝てぬことが分からぬか? 絶望を受け入れるがよい!」

「オレは……絶対に諦めない!」

 ロイドはスマホを握りしめ、立ち上がります。呼吸すらまともに出来ませんが、魔王サーギアを睨みつける瞳の炎は消えていません。

「我に屈服しないというなら……泣き叫び肉塊となれッ! ペイィィィ!」

 魔王サーギアは特大サイズの光の円盤を放ちます。直撃すればロイドどころか、庭園がまるごと吹き飛んでしまうでしょう。

「みんな、逃げるんだっ!」

 身体の痛みに耐えてロイドが叫びますが、仲間たちは意識を失ったままで動けません。

「くぅそぉおおおお!」

 走ったロイドは、倒れままのリンゴの前で両腕を広げます。防御魔法を持っていないロイドは、自らの身体を盾とするしかありませんでした。

 視界に広がる光の円盤に、ロイドは最後を覚悟しました。

「せめてリンゴだけでもっ! 頼む、神様っっ!」

 光に包まれ――。

「スマホ魔法『メルカリ』!!」

 渋い声が響き、銃弾が円盤を撃ち抜きました。

 爆発前に中心を破壊された円盤は、光の粒子となって霧散しました。

「危機一髪ってとこだな」

 眩しい光が消えると、そこに立っていたのは――。

「誰?」

 ニヒルな笑みが似合う男でした。

「忘れちまったかい?」

 そう言って男は手首についたままの手錠をカチャカチャと振ってみせました。その声には聞き覚えがありました。

「その声と手錠、カクヤなのか?!」

「床屋に寄ってたら少しばかり遅れちまった」

 顔を覆うほどだった髪はバッサリと切られ、もじゃもじゃ髭も剃られていました。よほど焦っていたのでしょう、ざんばら髪で顎も傷だらけです。

「まさか……イオスお兄様?!」

 リンゴの震える声が背後から聞こえてきました。

「久しぶりだな、リンゴ」

 イオスと呼ばれたカクヤは親しげな笑みで応えました。

「どうしてここに?! お父様と大喧嘩をして、留学中のはずでは?!」

「お前にはそう説明してあったが、実は義賊としてこの国の裏側を学んでいたんだよ。シーリーにだけは知らせてあったけどな」

 視線を向けられたシーリーが申し訳ないと頭を下げていました。

「我の前でのんきに自己紹介などしている場合か?」

 円盤攻撃を防がれた魔王サーギアは不機嫌さが隠しきれていませんでした。

「一人ぐらい増えたところで何が変わると」

「いいや。俺一人じゃない」

 カクヤの言葉が終わらないうちに、数十の魔法の矢が魔王サーギアを襲います。

「なんだと?」

 コウコクバリアに防がれダメージはありませんでしたが、魔王サーギアは不快そうに声のトーンを下げました。

「レジスタンス仲間たちだ!」

「それだけじゃないぞ!」

 さらに別の魔法の砲弾がコウコクバリアの表面で爆ぜました。

 城の兵士たちです。つい先程まで空船に向けていた攻撃を、今度は魔王サーギアに向けていました。

「撃て撃て! 攻撃を絶やすなっ!」

 ウェインがスマホ越しに命令を下しています。

 スマホ魔法の集中砲火に、魔王サーギアのコウコクバリアも次々に剥げていきます。

「皆さんの力でやつを倒しましょう!」

「そうだっ!」

 リンゴの言葉にロイドもスマホ魔法を繰り出し加勢します。さすがのコウコクバリアも再生が追いつかなくなり薄くなっていきました。

「このままいけるぞっ!」

「……調子に乗るな、人間ども」

 魔王サーギアの冷たい声が響きます。

「『7つの大罪(セブンスペイ)』」

 次の瞬間、ロイドたちの視界が七色の光で満たされました。邪悪で膨大な魔力(ギガ)の奔流です。とても生身の人間が耐えれるものではありません。

「スマホ魔法『灰被り姫の願い(デレマス)』!」

 リンゴの放った光のベールが、邪悪な魔力(ギガ)が到達するよりコンマ一秒早く、ロイドたちを守りました。

 魔王サーギアの放った攻撃は王城全てを包み込みます。

「うわあああああああ!」

 七色の光に触れた兵士たちは次々と白目をむいて倒れていきました。

「なんて凄まじい力だ……」

 誰もが息を呑む中で、カクヤのつぶやきが大きく聞こえました。

 光の奔流が収まると、魔王サーギアだけが何事も無かったかのようにそこにいました。兵士やレジスタンスたちの攻撃は、もうありません。

「なんてやつだ……乗っ取る人間ごと消すつもりなのか」

 ウェインのつぶやきに、魔王サーギアは浅はかだと笑います。

「フフフッ、我はどんなスマホにも取り憑くことができる。邪魔な連中を全て消した後に、そうだな……」

 魔王サーギアは、いいことを思いついた目を大きく開きます。その視線の先にはリンゴの姿がありました。

「リンゴ姫を乗っ取ることにしようじゃないか! 萎びたジジイや馬鹿な男よりも、アホな人間どもを操りやすいだろうな!」

 その宣言に力がこもっていたかのように、リンゴの身体が空中に浮き上がります。よくみると魔王サーギアから、薄い煙の腕が伸びていました。

「離しなさいっ!」

 リンゴは抵抗しますが、まるで巨人の手に掴まれたかのようにびくともしません。

「リンゴを、離せぇええええ!」

 連れ攫われるリンゴに、ロイドも手を伸ばしましたが光の円盤攻撃に邪魔され、助けることができませんでした。

「さあ、リンゴ姫。全てが終わるまで、こちらでお待ち下さい」

 慇懃無礼に言った魔王サーギアは、コウコクバリアの内側にリンゴを閉じ込めると、空へと飛び去っていきました。

「リンゴーーーー!」

 ロイドの叫びだけが虚しく響きます。

「我が究極スマホ魔法でこのつまらない見た目の城ごと消し飛ばしてくれるわ!」

 王城の上空に留まった魔王サーギアは、最後の力を溜め(ダウンロード)始めました。

「このままじゃリンゴが、あいつに乗っ取られちまう……」

「それに究極スマホ魔法とやらを使われたら俺達はもちろん、兵士たちや周辺に住む民たちもタダじゃすまないはずだ」

 あのカクヤですら表情に余裕がありません。

 上空には強大な力が集まり産まれた雷雲が、魔王サーギアとリンゴの姿を覆っていました。

「城に居た兵士たちは意識を失っています。もう戦うことは……」

 スマホで兵士たちに呼びかけていたウェインも、苦しそうに首を横に振ります。

「シーリー、何か方法はないのか?」

「イオス様、残念ですが魔王サーギアに対抗する方法がみつかりません」

 冷静なシーリーの答えに誰もが口をつむぎます。

「いや、一つだけ方法がある」

 しゃがれた声が言いました。

「陛下?!」

 いつの間にか復活していたジョズ王に男たちが驚きます。

「シーリーから飲ませてもらった栄養剤が効いたのか、意識がはっきりしてきた」

 ジョズ王の手には空になった小瓶が握られていました。

「おやじ、身体は大丈夫なのか?!」

「大事な娘と息子の危機に自分の心配などしていられるか」

 強がるジョズ王ですが、呼吸も浅く立っているのも辛そうです。

「それで方法って? どうすればリンゴを助けられるんだ!」

 詰め寄るロイドをジョズ王は真正面から見つめます。

「スマホの真の力を解放する『覚醒(アップデート)』の秘技を行う」

「よし、さっそく」

「だが覚醒(アップデート)は非常に危険だ。行った者の身に何が起こるかまったく予想できない。二度と動けなくなるどころか、最悪の場合、その存在自体が消滅する可能性すらある」

 ジョズ王の言葉に皆がためらいの息を飲む中で、ロイドだけが違いました。

「シーリー、どうやって『覚醒(アップデート)』ってやるんだ?」

「はい、メニューの〈設定〉から〈覚醒(アップデート)〉を選んで下さい」

 ロイドは早速メニュー画面を開きます。

「待て、ロイド! 犠牲になるなら王族である俺が」

「残念でした! もう覚醒(アップデート)を始めちまったもんな!」

 カクヤが止める前に、ロイドはすでにボタンを押してしまっていました。

「ロイド……」

「オレはここまでリンゴに沢山助けられたからな。今度はオレがあいつを助けないとな!」

 覚醒(アップデート)を始めたスマホは急激に熱くなっていきます。まるで炎を宿したかのように、握る指が火傷してしまいそうなほどの熱さです。

「ぐっ……あっ……覚醒(アップデート)が無事に成功するか……魔王サーギアを倒せるか分かんないけど……オレは行くぜ!」

 痛みを感じるほど熱いスマホを握りしめ、ロイドは空船に乗り込みます。

「ワタシが操縦します」

 シーリーがすでに操舵輪を掴んでいました。

「危ない……って言ってもシーリーは考え直さないか」

「はい、ワタシはリンゴ様の従者(アシスタント)ですから」

 シーリーの操縦で、空船が庭園からゆっくりと離れていきます。

「頼むぜ、二人とも」

「どうかリンゴ姫を救ってくれ」

「任せとけ!」

 カクヤとウェインの言葉に、ロイドは精一杯胸を張ってみせました。

 それを見たジョズ王も深々と頷いていました。

「わしらも出来る限りのことをする。必ずや魔王サーギアを倒してくれ!」

 王の期待も乗せて空船は、上空へと駆け上がって行きます。

 王城への強襲で傷ついた船体は悲鳴をあげていますが、シーリーは強引な操舵で荒れ狂う風を制御し、雷雲を越えていきました。

「ロイドさん、アップデートは?」

「いま……99%で止まってる」

 進捗ゲージは1ドットを残して、動かなくなってしまっていました。

「もう引き返せません」

「だから前に進むしかないんだ!」

 雷雲を抜けたところで、ついにはロイドのスマホの電源が落ちてしまいました。

「やはり最後まで足掻くか、愚かな人間よ」

 嘲笑を浮かべた魔王サーギアが悠然と待っていました。

「ロイド! シーリー!」

 そしてリンゴの姿も、幾重にも張られたコウコクバリアの内側にあります。

「いま助けるからな、リンゴ!」

 ロイドの決意が宿ったかのような猛スピードで、空船は魔王サーギアに向けて突っ込んでいきます。

 舳先に立ったロイドは、スマホをかざします。その画面は真っ暗なままでした。

「そんなガラクタで我に歯向かうとは笑止! 究極スマホ魔法で塵すらも残らず消え去るがよい!」

 極限まで高まった禍々しい力を魔王サーギアが解き放ちます。

「究極スマホ魔法『無限ノ彼方ニ消エヨ(アリテマペイ)』」

 天を覆うほど巨大な邪竜を思わせる闇の奔流が、空船のロイドに襲いかかります。

「ロイドーーーー!」

 雷鳴をかき消すほどのリンゴの悲鳴が空に響きます。

 闇が世界を塗り潰しました。

 全ての光は消え――――。

「アップデート完了だ」

 消えていません。

 真っ黒だったロイドのスマホ画面に光が灯ります。

「感じる。魔力(ギガ)が……オレのスマホに集まってきている!」

 吹けば消えそうな蝋燭ほどだったスマホの光が、急速に強まっていきます。

「陛下たちが使ったスマホ魔法『ツイッター』が成功しました」

 空船の周りを守るように、3枚の半透明のバリアが張られていました。そのバリアには文字が書かれています。

〈【緊急拡散】 いま王城に魔王サーギアが現れてとても困っています。魔王を倒すにはたくさんの魔力(ギガ)が必要です。協力しくれる人は #魔王を倒せ! のハッシュタグをつけてツイートをお願いします〉

 同じような文面ですが、ジョズ王の障壁(ツイート)が100RTで一番小さく、ウェインの障壁(ツイート)が1209RT、そして正面に張られたカクヤの障壁(ツイート)が一番大きく50万RTされていました。

「#魔王を倒せ!が国内トレンド一位だとっ?!」

 魔王サーギアの声が初めて震えました。

「くっ……確かに凄まじい魔力(ギガ)だが、人間に操れるものか!」

「いいや、新しいオレ(ロイド)にならできる!」

 ロイドは国中から集まった純粋にして強大な魔力(ギガ)を放ちます。

「覚醒スマホ奥義『未来ヲ創ル想イ(ファイブ・ジー)』!!!!」

 1つに束ねられた魔力(ギガ)の光は、弾丸が紙切れを撃ち抜くように、やすやすとコウコクバリアを打ち破っていきます。

「な、なにぃぃいいっ! 人間ごときがっ! こんなことがあってたまるかっ! 認めん! 認めんぞぉおおおお!」

「いいや、お前はここで終わりだ! 魔王サーギア!!」

 コウコクバリアを貫いた光が、魔王サーギアの本体であるスマホを撃ち抜きました。

「ぐわああああああああああああ! あっ…………あ……ぁ」

 断末魔の最後は呆気ないものでした。

 魔王サーギアは塵となって消えていきました。

「きゃっ!」

「リンゴッッ!!」

 空から落ちてきたリンゴを、ロイドはしっかりと受け止めました。

「ロイド!」

 背中に回した腕が、お互いを強く結びつけます。

 魔王サーギアの気配はもうどこにもありません。それを見届けたかのようにロイドのスマホが小さく震えました。強引な覚醒(アップデート)と大量の魔力(ギガ)に、耐用限界を越えてしまっていたのです。

「最後まで付き合ってくれて、ありがとうな」

 ロイドの言葉に応えるように、スマホはシャットダウン音を鳴らしました。そして二度と動かなくなりました。

「全て終わりましたね」

「ああ、オレ達の勝ちだ!」

 魔王の作り出した闇が晴れ、空には本当の光が戻ってきました。


 こうして、王国は平和になりました。

 もちろんカノ国との同盟の話も全て白紙に戻されました。

 破壊された王城が修復され、ジョズ王もきちんと栄養のある食事を摂り元気になりました。

 ウェインは魔王サーギアに操られていた責任をとって団長職を辞めようとしましたが、シーリーの「過ちを償うならより一層国に尽くすように」という説得でそのまま留まることになりました。

 カクヤこと、イオス王子は身分を明かしレジスタンスたちを直属の部下として雇うことにしたようです。次期国王として大忙しですが、義賊だった頃の癖が抜けずに時々、城を抜け出してよからぬ遊びをしているようです。

 そして、ギガが枯れて困っていたイノナカ村には新しい契約(光ファイバーケーブル)が為されました。そしてイノナカ村だけでなく、他の小さな村にも新しい契約(光ファイバー)が随時行われていくとジョズ王が約束しました。都心でも誰でも使える魔力の泉(フリーワイファイ)が増えていくそうです。

 魔力(ギガ)に困る人が減ることでしょう。

 この国は前よりも少しだけ良くなりました。


 そして、国を救った英雄ロイドは――。


「本当に行ってしまうのですか……」

 そう寂しげに言ったリンゴは、今にも城門から一歩を踏み出しそうでした。

「うん、オレは世界を見てくるよ」

「この国に残っても色々なことは経験できます。騎士団に入ればわたくしやお兄様の特使として、他の国に行くことだってできます」

「リンゴたちといるのは楽しいよな」

「だったら! 残ってください……。まだこの国を救ってもらったお礼も満足にできていませんし……」

 声を詰まらせるリンゴに、ロイドは笑いかけます。

「オレは自分の足で色んな所に行きたいんだ。イノナカ村を出て、リンゴたちとあんな大冒険をしなかったら、こんな気持にはならなかったと思う。だから、お礼なんて十分だよ」

「そう、ですか……」

「新しいスマホも貰ったしな」

 そう言ってロイドは保護フィルムを張ったばかりの真新しいスマホをくるりと回してみせました。シーリーが餞別にくれたもので前とは違う機種ですが、クラウドからデータの引き継ぎをしてあるので、前の相棒とかわりありません。ちなみにギルドショップで加入した冒険者安心プランでは、魔王との戦闘はサポート対象外でした。

「リンゴもお姫様として大変だろうけど、頑張れよ!」

「はい。ロイドもお気をつけて」

 俯きそうになっているリンゴに、ロイドはスマホのカメラを向けます。

「こんな顔、撮らないで下さい」

「だったら、別れは笑顔にしようぜ!」

「……はいっ!」

 グッと何かを堪えてから目元を拭ったリンゴは、とびっきりの笑顔を見せてくれました。

 スマホをポケットにしまったロイドは心のなかでだけで、そっとシャッターのボタンを押しました。

「じゃあなっ、リンゴ!」

 これ以上は決心が鈍ると、ロイドは背を向けます。

「また会いましょう、ロイド!」

 リンゴの声に振り向かず、ロイドは走り出しました。


 ロイドの前にはまだ見ぬ世界が広がり、新しい冒険が待っています。


 またいつか、その冒険を語るときがくるのかもしれません。


 ~おしまい~


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●あとがき


最後まで読んで頂きありがとうございます!

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他にも


【クソザコシンデレラ】Vチューバーをプロデュースしてみた

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887334774


を連載中です!

こちらも是非、読んでみて下さい!

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月末通信制限伝説ギガ!! ~ロイドの大冒険~ 高橋右手 @takahashi_left

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