エーゲ海の宝物

中澤京華

サントリーニ島に隠した宝物

「さ~て今日はどこの国にしようかな?」


お父さんが地球儀をくるくる回しながら、いたずらっぽく僕に話し掛けてきた。


「え~い!ここだ!」


地球儀の動きがスッと止まる。


僕の人さし指が指した国を確認するとお父さんはニコっと笑った。


「確かナビゾダという街に近い何もない村でのこと。朝から自転車に乗りっぱなしだったのでそろそろ身体を休ませようと考え、広い草原を見つけて、自転車を止めた。広がりゆく大空を見上げ地球の一部になったような心地良さで仰向けになって寝転んでいると、どこからか子供達の声が聞こえてきたんだ…」


少し遠い目をしてお父さんは話しはじめる。


そんなときのお父さんの瞳はまるで僕らと変わらない少年のように夢見がち。


お父さんの瞳に惹き付けられて僕は空想の旅に出かける—。


 


お父さんの自慢は自転車での地球一周の旅。


もちろん、飛行機や列車も少しは使ったけれど…。


ほとんどの道のりを自転車で横断していろいろな国をまわったらしい。


ときどき見せてくれるしわくちゃでボロボロの世界地図。


まるでお父さんの汗と異国の地のほこりが染み込んでいるよう—。


たくさんの思い出と多くの人との出会いをその世界地図は象徴しているんだ。


どんなに綺麗な新品の世界地図よりお父さんにとっては自慢の宝物。


 


自転車での旅は天候に左右されっぱなしの雨や風との闘いの日々…。


うだるような暑さに疲れ果て、テント暮らしの日々に孤独を感じて旅をやめたいと思うこともあったそうだ。


たまたま泊まった宿で盗難にあって途方にくれたこともあった。


何度か旅をやめようという思いにくれたとき、旅先での出会いがお父さんを励ましたそうだ。


その中でも思い出深いのがキリシャでの出会いだったとお父さんは力強く呟く。


「キリシャでの出会いはお父さんの旅の基点だったんだよ」


 


お父さんはギリシャの美しさとそこに住む人々の情熱に惹かれて、その後再びギリシャを訪れたときにある宝物を隠してきたらしい。


いつか恋人や自分の子どもたちがギリシャの地に訪れることを願って。


宝物はギリシャのサントリーニ島に隠されている。


僕が昔からとっても気になっている話だ。


そりゃそうだよね。どんな宝物かなって気にならない方がおかしいよね。


僕ははじめてその話を聞いたときいつか一人でギリシャに行こうと心に誓った。


家族旅行とかじゃなくてね……一人で行きたかったんだ。


お父さんはもちろん、大賛成だよ。


でもお母さんはちょっと難関だな。


 


お母さんはとっても心配症なのが玉にキズ。


僕もお父さんもそんなお母さんから逃げ出したくなって、ときどきサイクリングに出かけるんだ。


一度お父さんと二人きりでキャンプに出かけたこともあるよ。


自転車で走れるところまで走って、静かな河原の近くでキャンプしたよ。


お父さんは河原でちょっとしたごちそうを作ってくれた。


頬に感じる夜の風がとっても気持ちよくて、川のせせらぎがとっておきのBGMみたいに感じた。


しーんとした二人きりの食卓で二人でむさぼるように食べたんだ。


「さすがお父さん!」って僕が叫ぶと


「そうだろ?」って嬉しそうなお父さんの笑顔。


サイクリングの疲れはどこかに飛んでいってしまったよ。


満点の星が夜空いっぱいに広がってまるでこぼれ落ちそうだった。


星空を眺めながら、お父さんがふと呟いた。


「この空はギリシャのサントリーニ島へもつながっているんだよ」


そして目を閉じて付け加えた。


「星空は旅人の心の支えなんだよ。いつでも旅の行き先を示して励ましてくれる…」


僕も少しだけ旅人の心境になって一人旅への夢が膨らんだ。


 


そのキャンプから帰った日は、お母さんはなぜかそんなに怒らなかった。


心配していたという顔つきで「疲れたでしょう」と呟いただけ。


お風呂も食事もすでに準備されていて、お父さんも僕ももすっかり疲れを癒すことができたんだ。


勉強のこととか学校のこととか生活面のこととか……いつもいつもお小言ばかりのお母さんなのになぜかこの日はお小言ひとつ言わなかった。


僕はお母さんの優しさが身に沁みて、いつか一人旅も実現できるような気がした—。


 


その日からお母さんの信頼を得るために勉強も頑張ったし、友だちとのこともなんでも報告したよ。


ときには失敗もあったけどね。


口げんかすることもあったよ。


でも、僕は僕なりにいつでもなんでも真剣勝負で頑張ったんだ。


そしてついに小五の夏休みに僕は今まで胸の中で大切にしていた計画をお母さんにも話してみることにした。


来年は受験だし、この機を逃したら話せないような気もしたし、受験を前に自分の生き方を再確認してみたいなんて少し偉そうな理由まで考えたよ。


お父さんはとっても嬉しそうに僕の話を一緒に聞いてくれた。


お母さんは僕の話を聞くと一瞬黙り込むとしばらくの間考え込んでいた…。


そしてしばらくすると思い切ったように言った。


「お父さんの子だから仕方がないわね。でも、ニュースにもあるけど、世界には危険なこともたくさんあるのは知ってる?だから一人旅にはそう簡単には行かせられないの。それに飛行機に乗るには手続きが必要なのよ」


「でも、僕は昔、飛行機に乗ったことあったよね」


「お父さんもお母さんも一緒だったし、パスポートを事前に手配したから飛行機に乗れたのよ」


「わかってるよ」


「わかってないわ」


「わかったよ。まだ、子どもだから一人旅は無理なんでしょ」


「そうね。でも大学生になったら、夏休みに計画できるかもしれないわね。それまでに世界のこともよく勉強してみることね」


僕は大学生になるまで我慢しようと心に決めた。


そして、いつか僕の計画を実行しようと決めていたんだ。


もちろん僕の計画はお父さんがサントリーニ島に隠した宝物探しの一人旅だよ。


中学校に進学して、母がそう簡単には一人旅を許してくれなかったこともよくわかったけど、諦めなかった。


そして、大学生になることがそう簡単ではないことに僕は気付きはじめていた。




—大学生になってお母さんに許してもらえるように—。


そう思って中学校での勉強も運動も頑張った。


だけど、ある日学校から帰ったら、母は家のソファーで横たわったまま倒れていて、何度も何度も揺り動かしても目覚めなかった—。


僕は急いで救急車を呼んだ。


駆けつけた救急隊の人たちが応急処置を施しても母は目覚めることなく、病院に運ばれ、そのまま帰らぬ人となった。


病院の医師からは突然の心不全と伝えられた。


僕が一人旅を実現する前に母は一人でひっそりと旅立ってしまった—。


突然のことで父も僕もショックが大きかったし、酷く悲しく、辛かった。


母がいなくなっていつもの日常が訪れなくなり、母の優しさと有り難みが胸の奥の深いところに沁み込んでいくような日々が続いた—。


食事作りも洗濯も母がしてくれていた家事は父と分担し、協力し合った。


学校での勉強も手を抜かず、頑張った。


そして、めまぐるしく日々が過ぎて、晴れて僕は大学生になった—。



夏休みになると僕はふっと昔、思い描いた一人旅の夢を思い出し、思い切って父に話してみた。


「子どもの頃、サントリーニ島の旅の話をよくしてくれたよね?覚えてる?」


「もちろん、覚えてるよ」


「僕は大学生になったら、お母さんに一人旅を許してもらおうと思っていたんだ。でももう、宝物探しって年頃じゃないかな」


「そんなことないさ」


「そうかな。ほんとうにお父さんはギリシャのサントリーニ島に宝物を隠してきたの?」


「もちろん、ほんとうだよ。でも宝物だと思うかどうかは人それぞれだから、お前にはわからないかもしれないな」


「昔はそんな風に言わなかったのに」


「父さんのことを疑うからさ。探しに行ってみればわかるさ。地図はここにある」


父は父の部屋に入って、昔一人で旅した時のあのボロボロの世界地図を仕舞ってあった引き出しから取り出してくると、僕に渡した。


「これを見て目的の地に辿り着けるかどうかはお前次第だ」


「ありがとう。大学生になったから旅を実現しようと思うんだけど、お父さんは賛成してくれる?」


「もちろん、昔も賛成しただろ。ただ、もう大人なんだから、準備は自分ですること。父さんは相談には乗るけれど、仕事があるからね」


父の言葉を聞いて何故か母の一言を思い出した。


—わかってないわ—。


僕はその地図をもとにサントリーニ島についてたくさん調べたり、飛行機に乗る方法や経路、フライト時間について調べたり、宿泊できるホテルやかかる経費についてもよく調べてみて、母の一言が心に沁みた。


僕は大学に通いながらコンビニのアルバイトをはじめ、旅行の資金を貯めた。


大学の学費や生活費は父に払って貰っていたから旅行の資金は自分で貯めるのが筋だと思ったし、自分が働いて得たお金で旅してこその一人旅だと思った。


パスポートやビザも自分で準備したし、ホテルの予約や飛行機のチケットもスケジュール表を立てて準備した。


父もそんな僕の相談に乗ってくれたし、母もそばで見守ってくれているような気がした—。




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