未来の人類は過去に歓喜する
彩瀬あいり
前編
タイムトラベル。
タイムスリップ。
過去の人間が現代にやってきて文明に
どちらの設定にしたって、主人公にとって不利な状況になることは少ない。
自分が過去へ飛んだとしても、なんだかんだで都合よく誰かが助けてくれたりする。それがまた歴史の教科書に載るぐらいの有名人だったりして、日本史で得た知識をもとに未来を予言したりして、「面白い奴だ」とかなんとか気に入られたりするわけだ。
普通に考えたら、あやしさ大爆発で、信用なんてされるわけがないと思うんだが、まあそこが主人公補正というやつなのだろう。そうしないと物語が始まらないというのもあるのだろうが。
過去の人物が現代に来たりするパターンは、さらに主人公無双だ。
だって、彼や彼女にとってはホームなのだ。
そこへ現れた、右も左もわからぬ異邦人に手を差し伸べる。
ああ、なんて優しいんだろう。
自分に酔えて、さぞかし満足だろうさ。
そんな毒を吐きたくなるのも、仕方ないと思う。
ある日突然違う場所に飛ばされてしまった男がいたとして、それが異世界でも電脳世界でも別の宇宙でも過去でもなくて、遥か未来の世界だなんて思わないじゃないか。
*
過去から現代へやってきた人間が、車や飛行機に驚いたりするのがお約束だが、驚いているのは未来人の方だった。
「こんな太古の遺物を動かせるなんて、あなたはすごい人なんですね!」
自転車である。
特別な訓練を積まなくても、誰もがなんとなく乗れるようになっていく自転車である。
補助輪を外し、後部を支えてもらいながら発進し、「絶対離しちゃダメだからね!」「大丈夫大丈夫」という典型的なやり取りを経て一人で乗れるようになっていく、自転車である。
人によっては十六歳で免許を取り、盗んだバイクで走り出しちゃったりする奴もいるだろうが、ごく普通の中高校生の足というべき、自転車である。
「俺の生きてる時代じゃ、一番身近な移動手段だよ」
「一番身近、ですか」
「ああ。自分の手足の次に活用する物」
「手足……」
「俺の生きてる時代は、みんな立って歩いて移動してるよ」
ちらりと周囲を見渡せば、椅子に座ったままの人間があっちこっちに移動している。
かと思えば、いきなり消失したり現れたりもする。
これは未来的には至極当然のことで、彼らにとって「移動」とは、座った状態で行われるものであり、「足を動かして歩く」という状態は稀なことらしい。
手の方が幾分か活用されており、扉を開いたり、何かを指示したりする際には手をかざして行っている。
触れる必要は特になく、かざすだけでよい。ドアノブをまわしたり、引き戸を開けるわけではなく、全て自動ドア。
遥か昔――俺にとっては未来の出来事だが、手で触れることで意思を伝える時代もあったというが、技術の進歩により直接触れる必要がなくなった。
それすら面倒になったのか、今のトレンドは「視線誘導」だ。目線で終わるとは、どういうことなのか。
俺にとっての「今」の時代でも、四肢が不自由な人を補助する技術は色々ある。詳しくは知らないが、骨伝導とかそういうやつだ。
SF映画みてーで、すげーなぁ……と思ったものだが、俺がいるこの未来は、それすら凌駕していた。
脳にチップを埋め込む時代はとっくに終わりを告げ、今や生まれた瞬間から体内にありとあらゆる情報を宿し、それを読み取らせている。個人情報ダダ漏れだ。
進化したんだと彼らは言うが、俺に言わせれば、こいつらはもう人間をやめている。
さて、さっきから未来未来と言っているが、一体どれぐらい未来なのかと疑問に思っている方も多くいらっしゃるだろう。
さもありなん。俺だって思ったさ。
だけどな兄弟。
「今ですか? ユズキ五十年です」
俺はどうすればいいと思うよ。
元号は無理でも、西暦なら共通だと思ってもう一度訊ねたさ。
「セイレキ? ああ、他国との共通暦ですか。その概念は一度廃止されたんですよ。数を重ねすぎてわからなくなってしまって。今、共通している暦としては、八〇九年です」
西暦がないうえ、共通年数が俺の知っている数字より低い。
ひとしきり考えて次に思いついたのは、これは実は異世界である、ということだ。俺の知る地球ではなく、まったく別の時空。
それならば、まあ、わからんこともない。
だが現実は厳しい。
彼は言ったのだ。ここは「日本」だと。
俺の名前が「
初めて聞いた時は耳を疑った。ロシア人みたいな顔をしたバタくさい男が「田中平助です」と名乗った時の破壊力。
ギャグとしか思えない。
ひょろりと背の高い彼は、俺より年上かと思いきや、年齢は十四歳だという。
こんな中学生、俺は絶対に認めない。
成人を迎えたばかりの俺は、彼からすれば年上のお兄さんなので、始終丁寧語で話してくれる。
そういった意味では非常に礼儀正しい青年――いや、少年だ。
遥か未来の世界は、もっと万能だと思っていた。
手塚先生や藤子先生の描く漫画のように、車が空を飛んだり、ドーム状の膜が張られて宇宙空間が目と鼻の先に広がっているような――、そんなSF世界が実現すると思っていた。
西暦なにそれおいしいの? 状態になるぐらい、かけ離れた未来の彼方。さぞかし文明も発達していることだろう。
過去からやってきた人物が家電製品に驚くように、俺だって未来のあれこれに驚きたかった。
けれど俺は、別の意味で驚愕するのだ。
こいつらは料理ができない。
いや、そういう概念が欠落している。
ある意味非常に未来的だが、見た目が同じブロックタイプの固形物に、多種多様な味がつけられており、それを食事と呼称しているのだ。
俺も食べたが、同じ見た目をしているのに、ひとつは魚の塩焼きの味がして、もうひとつは豚の生姜焼きの味がした。小さいけれど腹の中で膨れるらしく、食べ過ぎに注意しろと言われた。そういう大事なことは早く言ってくれ。
とにかく味気ない。
いや、味はあるんだが、見た目がよろしくない。目で味わうという言葉を、しみじみ実感したものである。
どうやって作っているのかと思えば、全て機械がやっている。
オートメーション化しているのは、まあいい。俺の生きている時代だって、機械が大活躍だ。異物混入が叫ばれる中、人の手は減る一方なのだろう。
だがこれはよろしくない。圧倒的によろしくない。
幾多もの粉末が投入され、ぐるぐる撹拌。ペースト状になったそれを板状へ伸ばし、ベルトコンベヤーで運ばれた先で焼かれ、均一にカットされてざらざらとコンテナに落ちていく。いっぱいになるとフタがされて出荷。
動物の飼料でも作っているのかと思ってしまって、気分が悪くなった。
見るんじゃなかったぜ。
俺は、工場案内の映像をそっと閉じた。
――ああ、なんか猛烈にカップ麺喰いたい。
今、世間は懐古ブームの真っ最中。自転車もそうなんだが、遥か昔の装置を復活させる風潮となっている。
時代は様々だが、俺を保護してくれた田中家が所持しているレトロ装置が昭和・平成辺りに使用されていたものなので、それが扱える俺は、神様のごとく尊敬されているのだ。
「瀬戸さんはすごいんだ!」
「いや、たいしたことないっすよ」
平助が誇らしげに語っている相手は、彼の友達。男女数名が集まっており、聞いたところによると、同じクラスの同じ班だという。レトロ装置を使える人がいるということで、その様を見学に来たそうである。
友達を相手に喋っている様子は、なるほど中学生かもしれない。
だがしかしだよ。平助が見た目成人男子であるように、友人達もまた大人びた顔立ちをしているわけで――。
今の日本人はみんなこうなのかもしれないな。クラス写真ならぬ集合映像を見せてもらったら、現役学生のはずなのに、もうすでに同窓会にしか見えなかった。これで学生服でも着ていようものなら、単なる痛いコスプレである。
「平助くんが大袈裟なんじゃないのー?」
語尾を伸ばした喋り方でこちらをチラ見している女子は、集合映像でもひと際目立っていたので覚えている。ボディバランスが素晴らしいことになっている、ハリウッド女優のような女子――というか、見た目は女性と言いたくなる中学生。
お色気ムンムンの彼女の名前は、残念なことに「
この懐古ブームは十数年前から静かに始まっているのか、どうにも古くさい名前が多い。平助という名前からしてそうだったが、梅もだいぶすごい名前だ。
桃や桜ではなく、なぜ梅なのだろう。渋いなんてもんじゃない。梅とか
(となると、江戸か。すげーな、江戸時代かよ)
だが、梅という名前は今のトレンドらしく、彼女はとても誇らしげだ。だが、数年後には、違った名前が流行っているかもしれないぞ、梅さんや。
「失礼な言い方止めろよな、
「ぇえー、だってさあ?」
「梅ちゃんが言うこともわかるよー」
「彼らは放っておいていいので、やり方を見せてください瀬戸さん」
平助が梅さんを諫めると、一人が下僕の如くヨイショ。その三人を無視して、優等生がメモを片手に俺に詰め寄った。
なんとも分かり易い人間関係である。
真面目そうな少年は、
名前だけ聞くと普通の日本人なんだが、みんな外国顔だ。
平助はロシアっぽいが、斉藤くんは陽気なアメリカ人といった雰囲気がある。塚本くんはといえば、浅黒い肌をした実直そうな青年――いや、少年。
彼は黒髪なので唯一日本人に近いように感じるが、よく見ると瞳が緑がかっている。どこかの国がそんな瞳をしていると本で読んだ気がするんだが、とりあえず、未来は混血化が進んでいることはわかった。
ここまで多種多様となれば、人種差別なぞ無くなっているような気もするが、こういった感情が人間から失われることはないだろうことも想像がつく。
まあ、デリケートな問題にはむやみに立ち入らない方が身の為だ。
彼らは夏休みの研究として、古代装置の解明を選択しており、データではなく生の体験に興奮を覚えている。澄ました様子の梅さんですら、目がきらきら輝いている。それでいて「別に興味とかあるわけじゃないしぃー」とか言っちゃうツンデレ仕様だ。
めんどくせーなぁ。俺、ツンデレ嫌いなんだよ。
斉藤くんは嬉しそうに鉛筆削りをぐるぐる回している。電動じゃなくて、鉛筆を突っ込んで固定させて、自分でハンドルをぐるぐる回して削る、昔懐かしいやつだ。俺も小学校以来こんなの使ったことない。
塚本くんはといえば、真剣な顔でカチカチやっている。
何をやっているのかといえば、シャーペンをカチカチやっている。握って、親指でヘッド部分を押すと芯が出てくるのが面白いらしく、延々押し続けている。エンドレスだ。
一体何本の芯が収納されているのだろうか。シャーペンの中はブラックホールか何かなのか。
補充しなくていいとか便利だねー。
俺は深く考えるのをやめることにした。
文具ばかりなのは、彼ら学生だからだろう。原理は説明できないが、使用するぶんには何の問題もないため、俺は請われるがままに使って見せてやる。
「瀬戸さん、すごいっすね!」
ヨイショがうまい斉藤くん。
でも、シャーペンで書いた文字を消しゴムで消したことを褒められても、反応に困るだけである。
超ハイテクデジタル世代は、消しゴムという存在すら知らないらしい。
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