第26話

 砂浜。いつの間にか夜の帳が落ち、星の瞬きのみが光源となり、打ち寄せる波の音だけが木霊す中、俺はその砂浜に片足を立てて座りながら自嘲を零す。

 そして、俺の横で同様に水着姿のまま砂浜に座る彩音が「何こいつナルシストな感じで勝手に笑ってんの」という視線を向けてくるのを認識しながらも、彼女へは目を向けず語り出す。


「普通さ、海水浴回ってサービスシーン満載だと俺は思うんだよ」

「星空仰いで悦に浸った様子で唐突に何言ってるかよく分からないでありますけど、司の中ではそうなのでありますね」

「ああ。例えばキャッキャウフフでビーチバレーしてさ。それが白熱した末に勝てばご褒美をプレゼントとか誰かが言い出してな。そのご褒美が俺にとってはとってもエッチなんだよ」

「シンプルにキモいでありますね」

「いやそう邪険にすんなって。ともかくさ、多分俺はそのご褒美の目前まで勝ち抜くんだよ。期待に胸と股間を膨らませてな」

「……」

「いやマジでドン引かないでくれるかな? ともかく、そんな栄えある勝利を前にして、でもちょっとしたアクシデントが起きる。そのせいで俺は負けるんだ」

「一応聞いてあげるでありますけど、アクシデントって何でありますか?」

「誤解を恐れず言おう。ポロリだよ。恥も外聞もかなぐり捨てて言えば、おっぱいポロリんだ」

「まず誤解もへったくれも無いでありますね。それと、恥と外聞をこんな兄妹の語らいの最中にかなぐり捨てないで欲しいでありますね」

「そんなぽろりんを勝負の最中に見てしまい、俺は勝ち負けがどうこうより、そのぽろりんした女の子に夢中になっちまうんだ」

「よくもまぁそんな物思いに耽ったような顔をしながら反吐が出る程気持ち悪い事を言えるでありますね。最早才能でありますね」

「そう褒めるな」

「もしかしなくとも脳みそ腐ってるでありますか?」

「ともかくだ。海水浴回において、おっぱいぽろりんは必要なんだよ。百歩譲っておっぱいぽろりんが無くても、キャッキャウフフな展開はあって然るべきなんだ。彩音だって分かるだろう?」

「過去には、身内を殺害する尊属殺人は重罪でありましたが、近年ではその経緯次第でむしろ情状酌量の余地があると盛んに叫ばれているとは分かっています」

「そんなの分からないで!? 兄殺しの理屈をそれっぽく述べないで! 怖いよ!」

「はぁ。半分冗談であります」


 残り半分はマジなの!?

 と問いかける間もなく彩音は続ける。


「それより、司は何を言いたいのでありますか?」

「よくぞ聞いてくれました」

「尋ねないと話が進まないと思っただけでありますよ」


 気の無い返事を寄越す彩音を無視し、俺は高らかに叫ぶ。


「海水浴というサービス回で、何でサービスシーンを省いた挙句いつの間にか夜の浜辺で俺と彩音の二人きりなんだ!」

「大部分に関して意味不明でありますが、司と私の二人きりである現状の理由は単純明快。獅々田先輩と立木見さんと愛猫さんが警察で事情聴取中だからであります」


 いやいや分かってますよ。そうです、そうなんです。困ったものです。

 立木見さんが飛び膝蹴りをかました男共は仲良く砂浜でバタンキュー。悪は潰えたとばかりに片手を突き上げた立木見さんだったが、程なくして海水浴場の監視員さんに連行された。しかも最悪な事に海水浴客の誰かが通報でもしていたのだろう、立木見さんが連行されて間もなく警察官がやってきた。


 結果、保護者代わりに愛猫さん、当事者の一人である獅々田さん、それにグロッキー状態のナンパ男共と一緒に立木見さんも含め、数台のパトカーで彼女たちは海水浴場を後にしていった。

 残された俺と彩音は海水浴場にて、連行された彼女たちの身を案じる事一時間。やっほい陰鬱な雰囲気払拭しようぜやっほい、と現実逃避のため彩音と砂浜の砂で各々アートに興じる事三時間。さあてそろそろお披露目だぜと、完成間近であったアートが満ち潮に攫われたのはあっという間。果たして今に至る。


 回顧を終えてすっかり熱が冷めてしまった。

 俺は体育座りをすると、膝の上に顎を乗せて溜息交じりに口を開く。


「でもどうするんだ、これ。あれから連絡は無いし、だからってこのまま勝手に帰るのも気が引けるし、つかそもそも帰る手立てが無いし」

「そうでありますね。最寄り駅まで歩いて二時間はかかるでありますし、他の交通手段も無い。付け加えれば、愛猫さんの車の中にお財布とかを入れっぱなしなので駅まで行っても意味が無いであります」

「くそっ! こんな時、スマホ決済さえあれば困らないのに!」

「あ! それ、DペイのCMで使われてる台詞でありますね」

「そうそう。ぼったくりバーの会計で輩に囲まれながら雀の涙ほどしか無い財布を男が開いてな。そんな男の前に突然どこぞの若手女優が出てきて『そんな時はDペイ! 全国の飲食店で使用可能! でもぼったくりバーは対象外! だからぶん殴りー!』って言って輩をぶちのめすんだよな」

「そうであります! それで、どこぞの若手女優が男の手を引いて走りつつ、肩越しに振り返ってウィンク。そして」

「「お家に帰ったら、登録だぞっ★」」


 二人して声を合わせて人差し指まで立てて、何ならウィンクまでして。そうやって顔を見合わせて、俺達から笑みが消えたのも同時だった。


「……何やってんだ俺たちは」

「まったくでありますね……」

「でも、あのCM良いよな。あのどこぞの若手女優可愛いよな」

「それは同意であります。でも、モデル業の傍らで聞いた話でありますけど、あのどこぞの若手女優は芸能界デビューする前から彼氏がいて、今も一途にお付き合いしてるそうでありますよ」

「聞きたくなかったけど聞きたかった。そんな境地に今俺はいるよ」


 と、下らぬ会話をさんざっぱらしていた所、ふと砂浜に足音が響いた。

 図らずも俺と彩音はその出所を同時に見て。


「「獅々田さん!?」」


 これまた二人の声が重なった。

 しかし、それからは無言。何故なら、こちらへと歩いてくる獅々田さんの足取りは幽鬼さながらで、かつ薄暗い月明かりの中でも分かるぐらいに暗い顔をしていた。最早暗黒の塊だ。


 その表情の暗さが一体どんな理由からなのか。もしかしたら愛猫さんや立木見さん達に何かあったのではないか。そんな不安を燻らせるのも一瞬。


「店長と立木見さんは大丈夫。ただ形式的に聴取する時間が長そうだから、私だけパトカーでここまで運んでもらったの」

「そ、そうですか」


 俺は返事をしながら胸を撫でおろす。

 が、しかし、だ。そうなると少し要領を得ない点も浮かんでくる。

 どうして獅々田さんが一人解放されたのか。彼女が特段にそれを懇願したのなら頷けるが、この様子からすればそうでは無さそう。となると、愛猫さん達が差し向けてきた疑いが強い。ではどうしてこちらへと獅々田さんを差し向けたかと言えば。


『獅々田さん。フラれたらしいんでありますよ。『フラれた』って呟いていたであります』


 先刻に彩音が言っていた言葉が過ぎる。

 それらの情報を符合させてみるに、愛猫さん達は、あまりにもダウナーな雰囲気を垂れ流し続ける獅々田さんをこちらへと押し付けてきたと考えるのは下衆の勘繰りだろうか。


 と、どう声をかけたものかと狼狽えるばかりの俺に対し、彩音が声を上げた。

 救いの手とばかりに俺は彩音の発言に期待を寄せたが。


「あ、これから外せぬ用事がある故、ちょっと席を外すであります」


 言って彩音は俺にだけ見えるように片目ウィンク舌チロリを披露して足早に去っていった。


 あ、あのやろう。俺に全部押し付けやがって!

 憤りを覚えるも、しかし塞ぎ込みっ放しの獅々田さんを前に、そんな醜態を晒せるわけもなく。

 結果、俺は彩音が去ってから十秒余りの後。


「そ、そうだ。気分転換に歩きませんか? 夜の砂浜」


 あははーと苦笑い全開で尋ねるも、獅々田さんはこちらを見ることなく俯いたまま。


「……うん」


 気が無いながらも了承の返事を頂けた。


 ……はぁ、まったく、どうすりゃ良いんだよこの状況。

 と、内心で酷く困惑しながら、俺は獅々田さんと伴だって砂浜へと歩き出した。

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