第21話
光陰矢の如し。一週間が経過してしまった。
日に日に迫る海水浴。けれど俺はもしかしたら計画はお流れになるかもと、一縷の望みを託して日々を送っていた。要するに現実逃避していた。
けれどジョニトリーの勤務を都合三回終えたが、その度に愛猫さんは。
「いやー、海水浴なんて学生以来よー。ほら、飲食業ってまとまった休みが取りづらいし、取れてもシーズンからずれていたり、そもそも休みの合う友達もいなくてねー。今回は渡りに船だったわー」
と、心底楽しみにした様子ではしゃいでいたり。
「私、晴天になるようにてるてる坊主窓辺に吊ろうかしら。十個ぐらい作っちゃおっかなー。うふふふ」
と、遠足前の小学生みたいな事をわざわざ言ってきたり。
だが今日はいつもとは違う思いつめたような顔を見せながら話しかけてきたため、もしかしたら計画に支障が出たのではと淡い期待を抱き。
「もしもよ。もしも海水浴の前日とかに怪我をしたり病気に罹ったら直ぐに報告して。そしたら私が――看病して、あ、げ、る♪ お薬の詰め合わせ飲ませて首にネギ巻いてあげるからー♪」
トリップしてしまっている愛猫さんを前に、とうとう俺は現実逃避を止めた。
よって。
「頼む。知恵を貸してくれ」
ジョニトリーから帰宅して、意の一番に彩音の部屋を訪れると、俺は土下座をした。勿論その相手は彩音だ。
彩音はキャミソール姿で椅子に腰かけながら女性誌を読んでいたが、俺の土下座を前にして呆れた声を振りかけてくる。
「帰ってきて早々に何でありますか。とりあえず顔を上げるでありますよ」
それから俺は事の顛末を語った。
それを聞き終えて、彩音は嘆息。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったでありますか。火曜日に海水浴って、今日は金曜日だから実質二日しか猶予が無いでありますよ」
「そ、そりゃそうなんだけどよ。でも、その、何かアクシデントとかあってお流れにならないかなぁって希望的観測を持ってて」
「つまり、面倒毎を後回しにしていた訳でありますね。自業自得であります。ジョニトリーで勤務するようになって、少しはマシになったかと思っていたでありますが、やっぱり根本的なダメ人間要素はそう簡単には抜けきらないみたいでありますね」
彩音は好き放題に説教を垂れているが、俺には否定できる根拠も余裕も無い。何ならそういう部分を自覚していて、だからこそ正座をしたまま「はい、はい」と相槌を打つことしか出来なくて。
と、彩音は嘆息交じりにセミロングの艶めく茶髪を手で梳いた。
「まぁ、今更そんなことを言っても仕方ないでありますね。今はその海水浴の対策を考えないといけないでありますから」
「そうなんだよぉ。なぁ、どうしたらいいかなぁ?」
「半泣きで詰め寄ってこないで欲しいであります。とにかく、このままの状態で海水浴に興じるのはリスクが高いでありますね。更衣室は事前に服の下に水着を着て行けばどうにかなるでありますが、海水浴後にシャワーを浴びたりするのは公序良俗に反するであります。更に言えばトイレの使用もなるべくは控えるべき状況でありますね」
「そ、そうだよな。今まではジョニトリーの中だけの女装だったし、公共の場で女装するってのは、結構問題があるよな」
「いわゆるセクシャルマイノリティーに対する配慮がある程度は深まってきているとは言え、それに該当しない司が女装で女性専用のシャワー室とかを利用して、それがバレた日には社会的に死ぬどころか、多分文字通り死ぬでありますね」
「し、死にたくないよぉ!」
すると彩音は妙案を思いついたような顔を見せた。俺は彼女の発言にジッと耳を傾けて。
「獅々田先輩に助力を乞うでありますよ。司が女装していることも知っていたみたいでありま――」
「却下だ。それは無い」
「む。何ででありますか?」
「そ、それは……とにかく、ダメなもんはダメなの!」
クラスメイトでありバイト先の先輩でもある獅々田さんに、どうして助力なんて乞えようものか。
確かに彼女は俺が女装していることも知っていたみたいだし、素の俺がクラスメイトであることも多分察しているであろうさ。でも、それでも言えない。
彩音は腕組みをして、足を組み替えた。
「まったく。もしかして、まだあの件について話していないのでありますか?」
あの件。要するに交番での一件だろう。獅々田さんに女装を見破られていた一件。
彩音もあの時は驚いていたが、でも秘密を知る人間がいるのならば利用すべきだと甘言を囁きかけてきた。ジョニトリーはおろか、学校でも人気の高い獅々田さんを味方に付ければ心強いと。
だが俺は頑なに拒み続けて今に至る。
「当り前だろ。獅々田さんは関係無いんだから」
ついついぶっきらぼうな口調になってしまう。
だが、そもそも何て言えって言うんだよ。
『愛猫さんに俺が女装してるのをバレないように手助けして!』
ってか? そんなの頼めるはずが無い。だってそんなことしたら彼女を共犯者に仕立て上げてしまうから。それに、彼女が協力を拒んで来たら損して恥かくだけ。よって有り得ない。
そんな思考を見え透いたかのように彩音は声を上げる。
「はぁ。変な所で律儀でありますね」
「彩音のせいでこんな事になってるだけで、俺は元々律儀な人間だ」
「司は意固地になりやすいだけで、それ程律儀でない人間だと思うんでありますが。一体誰に似たのでありますかね」
「ふん。少なくとも彩音にはこれっぽっちも似てないだろうなー」
嫌味っぽく言ってしまう。が、彩音が黙り込んでしまったため、少し言い過ぎてしまったのだろうかと心配してしまう。と。
「……確かに、そうでありますね。性格は似ていないでありますね。ただ、顔だちはやっぱり兄妹だから似ているところもあるであります」
「え? 一体何の話を」
すると彩音はニヤリと笑った。何だか邪悪に見えるのは俺の気のせいだろうか。
「良い事を思いついたであります」
「ま、マジか? どんな案だよ?」
思わず再び詰め寄ろうとする俺を、彩音は片手で制しつつ、もう片手の立てた人差し指を意味ありげに自分の唇に当て。
「当日のお楽しみであります」
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