第11話
道中、夜道と言うこともあってか、男性からの目がやけに気にはなったが、何事もなく無事に家へと帰ることが出来た。こうして女装をしてみて分かったが、女性の生きづらい世の中である。というか、いきなりの変化に俺が追い付けていないだけかもしれないが。
家に入ると、リビングに彩音と両親がいた。が、俺はそこに顔を見せることなく華麗にスルー。そりゃそうだ。彩音は良いが、両親にこんな格好をしているのを見られれば俺が発狂するし、親も絶叫するだろう。
だからと言って洗面台へ行くにはリビングを通らなければならず、差し当たって彩音の部屋からメイク落としなるものをくすねてから、俺は自室へと向かった。
メイク落としはウェットティッシュと同じようなもので、俺は勉強机の椅子に腰を下ろしつつ、それを顔に擦りつけた。ひんやりして心なしか気持ちいい。
PCの電源を入れながら、目の端をメイク落としで念入りに擦る。程なくして、机の上のモニターに明かりが点いた。
傍に置いてあった小さい鏡で顔を確認。パンダみたいな奴がそこにはいた。まだ拭い足りないみたいだ。だが、あんな美少女がこんなパンダになるなんて、外見なんてやっぱいくらでも取り繕えるってことなんだろう。
モニターにデスクトップ画面が映ると、俺はもう一枚取り出したメイク落としで顔を拭う。そして空いた手でマウスを操作し、とあるアイコンをダブルクリックした。
モニターの右下を見れば、時刻は十時前。普段であれば夕食を終えた七時半ぐらいにPCに向き合うが、今日はバイトがあった。故に。
「怒ってっかなぁ……まぁ、あいつは怒りはしないか」
俺はリアルの生活を疎かにしてきた。サブカルチャーに傾倒し続けた結果だ。
具体的にどんなサブカルチャーかと言えば、漫画にラノベにアニメ。そして何よりもこれ。ゲームだ。
ただ、ゲームとは言え、俺がプレイするのは何もギャルゲーだけではない。RPGやアクション、それに対戦格闘やパズルゲームだってやる。そして現在ハマっているのは……。
『ゾンビハンターオンライン』。通称ゾンハン。
モニターには薄暗い廃坑を背景に、でかでかと血塗られたような赤い字でタイトルが記されていた。
俺は『ログイン』という文字をクリックし、IDとパスワードを素早く打鍵する。傍目から見ればちょっとしたピアニストさながらの手捌きだろう。伊達に一年以上もプレイしていない。……とは言え、ログインボーナスだけを目当てに打ち込んでいたのが始めてから半年以上は続いていたのだが。
IDとパスワードが認証されると、一度液晶は暗転してローディングの文字が流れ、それから少しして明るさを取り戻した。
寂れた坑道に俺のアバターが現れる。七頭身にスキンヘッドの筋骨隆々な黒人、しかも白のタンクトップにベージュの短パン。現実の俺を知る人間がもしもこのゲームをプレイしていても、まさかこんなキャラクターを俺が操っているとは到底思うまい。
でもまぁ、そもそもオンラインのゲームのキャラと現実の人間は総じて似通わないものである。事実、現在俺のアバターの近くにも他プレイヤーが扱っている幼女キャラが偶々いて、それが天真爛漫にぐるぐるとそこらを走り回っているが、こういうのは殆どが現実では男で、更に言えば気色悪いおっさんなのだ。これは偏見ではない。経験に裏打ちされた真実だ。
けれど現実とゲームやネットを切り離している俺からすればそんなのは些末な問題でもある。どうせ現実では一生会うことも無いんだ。ゲームの中の彼らが俺にとっての全てなのだから、現実は一切関係が無い。
だからこそ、俺にもゲームの中でのみ付き合いのいる人間もいたりするわけで。
「いない……か」
ゾンハンはギルドを通して依頼を引き受け、それを達成してお金を手に入れる。そしてそのお金で装備などを充実させて、より難易度の高い依頼を達成していくシステムだ。任務は種々様々で、ゾンビの討伐から便利アイテムの元になる素材探しや救出依頼などなどがある。中には一人では受けられない依頼もあり、ある程度進むと所謂パートナーを探さなくてはいけなくなるのだ。
パートナーは別に一人だけとは限らない。ゾンハンは仕様上パートナー、すなわち二人でプレイする任務が多いが、その相手はフレンド登録さえしていれば誰でも構わない。
ただ俺の場合はリアルでも人間関係が煩わしいのにゲームの中でもその煩わしさを体験したいとは思っていないため、極力フレンドは少なくしている。
その中でも月曜日の夜にほぼ必ずパートナーを組む相手がいる。しかし、夜とは言っても普段なら今より二時間も前に組んでいるのだ。別に約束をしているわけでも無いのだが、自然と互いにその時間にログインして相手を待つことが暗黙の了解になっていた。
とは言え、二時間も待つはずもねえか。
「悪い事しちまったかな……」
と、画面の左下にあるチャット欄に文章が流れた。
『十六夜八日さんがログインしました』
まぁまぁ厨二病臭い名前の人物。こいつこそがいつもパートナーを組んでいる相手だった。
俺はついついニッと笑って「運命的だな随分」と呟いたが、けれど直ぐに表情を正した。そりゃそうだ。だって相手は――。
『ウルフ殿! 遅れてしまい申し訳ないでござるwwwwww』
チャットが送られてきた。程なくして姿を見せたのは、赤いドレスを着用したブロンド髪の白人女性だった。
謝っているくせに草が生えているのは、こいつの癖みたいなものらしい。思い出したように使っている節もある。アバターは美人なくせにチャットから漂うオタク臭さが、悪い意味でギャップを生んでいるのは言うに及ばないだろう。
そしてウルフと言うのは俺の事。一件厨二臭く見えるが、由来はロンリーウルフ。つまり一匹狼で、言い換えればぼっちってことである。ゲームでも自らを戒める俺カッコいい。
『別に気にすんな。俺も今来たとこだ』
『デュフフwwwwいきなりそんなカップルみたいなやり取りされても困るでござるwwwwwキュンキュンでござるwwwwwww」
芝刈り機が欲しいレベルである。ついでにこいつもしばきたい。
『お前、男なのに気色悪いこと言うな。フレンド切るぞ』
『ちょ、待つでござるよー。リアルで男でも、ウルフ殿には関係ないでござるよね?』
「……ま、確かに」
そう。こういうところだ。この、リアルとゲームを線引きしているところに、俺は気楽さを感じ、こいつと頻繁にパートナーを組むことになったのだ。
『そうだな』
『それで、ウルフ殿は何か用事でもあったのでござるか? まさか、彼女とか?wwww」
こいつの草っぷりを知らなければ馬鹿にされてると思うこと請け合いだろう。というか俺ですら馬鹿にされているとしか思えない。しかしこんなとこで見栄張って嘘ついても得るものがない。八日は俺がモテないオタクだって知ってるしな。
『んなわけねーだろ。バイトだよ。前にも言ったろ。やっとバイト先が見つかったって。そういう八日は何してたんだ?』
すると何故だか八日のアバターがくねくねと踊り出した。とてつもなく殴りたい。と、少ししてチャットにメッセージが入った。
『吾輩は寝てたでござるよwwwww』
『働け』
こいつはニートなのだ。時間はいくらでもあるらしい。年齢は確か二十代前半とか言っていた気がする。
『確かにお金は大事でござるからなぁ。千春ちゃんの抱き枕も新作が発売されるみたいですしお寿司』
こいつとパートナーを組んでるのはこういう部分もある。つまり、共通の話題を持ち合わせている点だ。とは言え、こいつも最初の頃はそんな話題に食いついてこなかったのだが、途中から率先して話し出すようになった。本人曰く、恥ずかしくて切り出せなかったそうだ。
人を好きになるのを恥ずかしいと思うな、と切々と語った頃を思い出してフッと笑いつつ、俺はキーボードを叩く。
『俺はそのためにバイトを始めたんだ。夏コミでドキドキメモリーズのグッズを買い漁るためにな』
『羨ましいでござる! 某も夏コミ行きたいでござる!』
『勝手に行ってろ』
『冷たいでござるwwwwwww……あ、ちなみにバイトってどんなの始めたんでござる?』
「ん?」
珍しいな。そういうプライベートな話題を出してくるなんて。けど、そうか。もしかしたらこれからは一緒にゾンハン出来ないかもとか思って寂しがってる部分もあるのかもしれないな。
俺は素早く打鍵した。
『ジョニトリーだよ。今日は初日だったんだ。けど安心しろ。なるべく月曜日にはシフトを入れないようにお願いしとくから』
すると。
「……」
まるで時が止まったように返事が無くなった。元々八日は打鍵は早くないが、それにしても遅い。およそ一分弱が経過し、五秒で打てそうな内容が表示される。
『wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww』
何故か爆笑された。
『は?』
訳が分からずそう返す。と、今度も数十秒が経ってから返事が来た。
『ジョニトリーってレストランでござるか?』
『そうだよ』
『wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww』
意味不明である。
ただ、こいつの場合は笑うなどの意味合いで使われるネットスラングの『w』の使い方はしていない。とりあえずつけとけって感じで『w』を使っている節がある。その上で、最近になって分かったことだが、こいつが『w』を使う時と言うのは、気分が昂っていたりする場合が多い。つまり、ジョニトリーに何らか思うところがあったのかもしれない。
『もしかして八日、ジョニトリーが好きなのか?』
『嫌いでござる。それよりさっさとギルドを開始するでござるよ1』
え。なにこのあからさまな話題転換。焦っているのか、びっくりマークじゃなくて数字の一を打ち込んでるし。物凄く問い詰めたい気持ちに駆られるぞ。
「あ。もしかして……」
そこで俺は気が付いてしまった。八日がジョニトリーの話題を避ける理由に。
こいつはきっと……。
「ジョニトリーの店員にフラれでもした過去があるんだな」
こいつならあり得る。女っ気無さそうだもんなぁ……。
「ま、俺も無いけどさ」
モテない人間同士、相手の古傷を抉らないのは暗黙の了解だ。せめてゲームの中でぐらい現実の辛い過去を思い出させないでやろうじゃないか。
そのように海よりも深く広い寛容さで、俺は『そうだな。さっさと行くか』と提案に乗ってやった。
その後、八日とギルドの依頼を引き受けたのだが、こいつは正直『ド』が付くほどの下手くそなのである。結局、普通であれば一時間もかからない依頼を、三時間もかけて達成することとなってしまった。
『来週までに腕を上げてこい』
『大変申し訳ありませんでしたwwwwww』
という毎度お決まりのやりとりをしてから、俺はゾンハンをログアウトした。
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