『第六話』

幕間の章 『第六話』



「——それでは、料理を始めたいと思います」

「宜しくお願いします——"先生"」

「先生は……よしてください」



 地下神殿のすぐ側。

 四方を朽ちた石壁に囲まれながらも頭上からは陽光が差し込む開放的空間を臨時の調理場として。

 それぞれが頭と胴体を布で覆い、また共に長い髪を後ろ一つ結びとしたルティスとイディア。

 洗浄・殺菌も既に済み、友の間柄である女神二柱が交わした料理の約束——始まる時。



「分かりました——では、我が友。今日はどのような料理を教えてくれるのでしょうか?」

「今日はさっき話した通りの魚の焼き物『鮭の塩焼き』と——」



「——それに加えて、質素ですが一汁一菜いちじゅういっさいも用意出来ればと考えています」



 興味津々といった様子で頷く美の女神に向け、彼女より年若いであろう青年は一応の教えを説いて行く。



「一汁一菜……それは、"汁物しるもの一つと葉っぱの物一つ"……といった意味合いでしょうか?」

「はい。概ねその通りで、具体的に此処では汁物として『キノコの味噌汁』を、葉の物として『山菜のお浸し』を予定しています」



 口と共に動かす手。

 指が指し示す先——岩を削って成形された簡易的な台の上に置かれた今日の食材たち。

 素人の手作り故にややいびつの食器が並ぶ台の平面、その中の三つの皿の上にそれぞれ——。


 ・みどりの葉のふち鋸歯きょしを持つ水々しい茎の山菜。

 ・黄色で平たい傘が特徴的な菌類の子実体——つまりはキノコ。

 ・先に川で捕れ、締められて間もない鮭が二匹。


 青年が集めたそれら——必要な食材が載せられていた。



「鮭以外は確か、『ミズ』と呼ばれている山菜と『ナラ』と呼ばれるキノコで、以前都市の人に簡単な使い方を教えてもらったので、今日はそのやり方で調理をしたいと思います」

「——はい」

「そしたら早速、手始めに冷えていても美味しいお浸しから取り掛かりたい——」



「——ところ、なんですが」

「ですが……?」



「それより先ずは——鮮度が重要な魚の、鮭の焼く前の下処理を最初にやっていきます」

「鮮度……確かに『"なまもの"は足が早い』とは聞いたことがありますが、やはり大事なんですね」

「はい。俺も決して詳しい訳ではないですが、魚は数十分置いておくだけで味が大きく変わったりもするらしいので——今回も早めに一部の処理を行います」

「分かりました」



 手始めの工程が決まり青年、鮭に向かって伸ばす手。

 傷だらけの死した体——川での遡上と産卵を終えて燃え尽きた命の遺体を極力丁重に取り扱う。



「下処理は腐りやすい血と内臓を取り除く作業ですが、血抜きの方は既に川の中でえらの奥を切ってやっておいたので——"内臓を取る"ことからイディアさんにも協力をお願いします」

「内臓ですね」

「はい。先に俺が一匹、取り出す方法を見せるので、その後にもう一匹を使ってやってみましょう」

「了解です」



 青年は掴み取った鮭一匹を自作の簡易まな板の上へと移動。

 言葉通り、既に鮭の鰓に隠れた血管は水の刃で切断され、血液の殆どは川の水に溶けて海を目指して流れた後である。



「では、行きます」


「最初に刃先はさきこう——下の方から入れて——」



 観察する女神の眼前で刺し込む、石削りの包丁。

 青年は慣れた手つきで刃物を鮭の肛門に突き刺すと、そこから頭部下の辺りにまで刃を平行に通過させ——切り裂き、開く腹。

 使う包丁は前日まで『食材を切るのに道具が必要』だということを失念していた彼女が慌てて作成した急造の道具ではあるが、しかし。

 三角形の緩やかな弧を描く斜辺——水の高圧で加工された刃の切れ味に問題は見られず、この包丁に限っては女神の作も中々の出来栄え。



「——お腹を開いたら、中の内臓を掴んで——取る」


「……こんな感じです」

「……私も挑戦してみます」

「はい、では——気を付けて」



 青年は権能で適宜ササッと道具を洗浄。

 自身が内臓を取り終えた鮭をまな板の端に寄せ、残るもう一匹をまな板の中央に移してから譲る立ち位置。

 前に進み出るイディアは右手で包丁を取り、左手で鮭をしっかり固定。

 刃物の峰に指を添わせ、自らも実践を開始する。



「これで、下の所に刃先を?」

「はい。刃を入れたら、そのまま反対側に向けて切り開いてください。はじめは勢いがあり過ぎると危険なのでゆっくり、少しずつ切るのがいいと思います」

「ゆっくり、少しずつ……——」



 メッシュのような異彩の髪を茶、若しくは灰の色に変えながら女神は握った包丁を刺し、進め——まもなくに刃先は終点へと到達。

 教わる側の女神も何の問題なくに鮭の腹を切り開いた。



「そして、内臓を取り出す——感触が少し、独特ですが……——はい。これで大丈夫ですか?」

「大丈夫です。包丁の握り方、手つきもしっかりしていて……寧ろ俺より様になってました」

「ふふっ。一応ですが刃物の扱いも心得自体はありますので、その辺りで余計な手間は取らせません」



「それで、下処理はこれで完了ですか?」

「はい。血も抜けて内臓も取れて、表面の滑りや鱗も川で大体は除いておいたので——今回はこれで完了です」



「残りは中を水洗いするぐらいですが、それは俺がサッとやっておくので、少しお待ちを」

「はい。お願いしますね」



 そうして青年は順に鮭を持ち、手先から穏やかな水流を開いた腹に放射。

 中の細かな付着物を洗い流し、向ける"神の視線"の先でまな板の汚れも『ひとりでに』動く水によって洗浄。

 大部分の鰓の除去も先の川で終えている鮭二匹を皿に置き——魚の下処理、完了。



「——お待たせしました。それでは次の食材に取り掛かる……その前にもう一度、イディアさんの手も洗っておきましょう」

「はい。それもまた、お願いします」

「了解です。では——流します」



 差し出されたイディアの掌に向けて手を翳し、上から水を落とす。

 そうして、水を弾く柔肌で美の女神は両手を擦り合わせてよくよくに洗った後、その胸の前で開いて見せる両手の水気を友に飛ばしてもらい——にっこり笑顔。



「有難うございます、我が友」

「いえ。水は何時でも出せるので、また洗いたくなったら遠慮なく言ってください」



「……では、料理に戻って、次は"山菜のお浸し"に取り掛かりましょう」

「はい!」



 黒と黄褐色の総髪を左右対象のようにして向かい合った後、台に視線を戻す青年はこれから扱う山菜を皿からまな板へ移動。

 女神たちは魚を焼くのは後として、次は『一菜』の調理作業に取り掛かる。



「それで、『お浸し』と言うことは山菜を何かに浸すんでしょうか?」

「いえ。今回は特に浸したりはしません」

「……"浸さないお浸し"?」

「浸さないお浸しです——と言うのも、確かに料理の名前は『出汁だしに物を浸す』ことに由来すると思いますが、その工程は必ずしも必要ではないらしく。なので、今からやることをざっくり言葉で表すと——」



「——"茹でて、冷ます"。それだけです」

「茹でて、冷ます」

「はい。よって、先ずは容器で水を沸騰させます」



 台の上から底の深い鍋を手に取り、中に水を注ぐ。



「この時、味付けや色味いろみの調整を兼ねて水に塩を適量入れるといと思います」


「今日は二摘ふたつまみでやってみて——」



 並べた小瓶から以前にルティシアで購入した塩を指で摘み、取り出したそれを鍋の水に落とす。

 これを二回行い、次に青年は冷水を湯に変えようとするが。



「——後は火をつけるなり、なんなりで……水を沸騰させて……」

「…………我が友?」

「……ちょっと待っててください。今、熱を——」



 水の分子運動の制御、加減がやや難しく。

 代案として指の間に水の膜を張り、それで以って光を利用した収斂発火を起こそうと適当な木屑と睨み合う青年——実は今日の内心、長身美女との距離が何時にも増して近いこともあって緊張——苦戦。



「……でしたら、火は私がやりましょうか?」

「え……いいんですか?」

「勿論です。先程は手を洗ってもらいましたし、これぐらいは」

「……分かりました。お任せしたいと思います」

「はい。任されました」



 故に時間を待たせるのも悪いと思い、青年は素直にイディアの提案を聞き入れ、場を譲り。

 間を置かず点火の役目を引き受けた女神は鍋を支える石の下、隙間に積まれた草木に片手の人差し指を向け——指先で火炎の借権能かりけんのうを行使。

 そうして数秒と経たずに彼女の指先の火は無事に草木へと燃え移り、鍋と中の塩水を温め始めたのであった。



「つきましたよ、我が友」

「有難うございます。イディアさん」



「そうしたら次は、水が沸騰するまでの間に山菜を食べ易い大きさに切っちゃいましょうか」

「了解です」

「今回の山菜は主に茎の部分を食べるので、葉を取り除いて茎を一口サイズにしていきます。イディアさんは包丁の扱いも上手でしたので、その作業もお願いできますか?」

「是非に、お任せを」



「葉を取り除いて茎を食べ易い大きさですね——」



 大きく頷いてイディア、横の青年が見守る中で再び包丁を握り、その刃は事前に水洗いが為された山菜へ。

 緑の茎から葉を手際良く切断して除き、一分と経たずに一口大の茎の束を量産し終える。



「——どうでしょう? これでいいですか?」

「バッチリです。そうしたら次は、その山菜の茎を鍋に入れて茹でます。丁度お湯も沸いたみたいなので、鍋の中に入れちゃってください」



 持ち上げたまな板から山菜を湯の中へと投入する。



「——入れました」

「そして、お浸し作りで大事なのはこの時間、つまりは茹で時間で、大体二分か三分が適当だと思います。それ以上を茹でると山菜が固くなってしまうので気を付けてください」

「二、三分ですね」

「茹でるのが終わったら後は手早く冷水で冷まして水気を切って、最後に醤油をかければ——料理としては一応、お浸しが完成します」

「成る程。貴方が色々と準備をしてくれたのを差し引いても、案外手軽に作れる物なんですね」

「はい。今日はお浸しをはじめとして、俺でも作れる手軽で簡単な物を作っていくつもりですので、イディアさんなら直ぐにでもひと——単独でも、調理が出来るようになると思います」

「それはまた、喜ばしいことです……実を言えば少し、私にも上手く出来るか不安だったのですが、我が友の褒めてくれる言葉を聞いて安心しました」



「……もしや、料理初心者の私のことを考えて作る料理を簡単な物に決めてくださったのですか?」

「そんな。ただ俺は自分に出来る簡単な事しか教えられないと思っただけで……深い意味はあんまり……」

「あんまり……?」

「…………少しは、そういう意図もあったかも……ありました。はい」

「……有難うございます。我が友」



 喜び満ちる笑顔を向けられ。

 僅か数分、青年にとってそれより早くに感じられる時は過ぎて行く。



「手順も複雑でなくて教え方も丁寧で、本当に助かります」


「改めて、今日の日を共に過ごす友に感謝を」

「…………イディアさんの身になる教え方が出来ているのなら、幸いです——」



「——そ、そろそろ時間もいいと思うので、山菜を取り出しましょう」

「……はい!」



 そう言って青年、忌憚のない謝意や好意を向けられて感じる照れを隠すよう、急ぎ。


(——あつっ)


 慌てて鍋に触れた無防備状態の素手を引き戻し、布で取手を掴み直したそれを持ち上げ、中の物を竹で編んだざるに向かって空ける。

 山菜とお湯とを分けて、流れで笊に残った茎たちに手からの冷や水を浴びせ掛け、除く粗熱。



「——あ、後は二、三度、水を切って……皿に載せて……先述の通りに醤油をかければ——」



 自身の高まる心の熱をも冷ますよう手早く水を切り、"時間がある"が故にこれも自作の菜箸で皿に移すのも終えて。




「——山菜お浸しの"完成"です」




 完成、出来上がった一菜の品。




「おぉ……! 料理が一品、出来ました!」

「はい。後、もし山菜の苦味が気になる場合は別で用意した出汁に一日浸しておくと、苦味が弱まって更に食べ易くなるみたいですので、これも覚えておくといいかもしれません」

「それでまた、味が変わるんですね。覚えておきます——忘れません」




 花笑みを浮かべる美の女神。

 異彩の髪色は多種多様な暖色で表す喜びの虹。

 こうして、今ここに神は『山菜のお浸し』をお作りになり——。




 ————————————————————


「"…………"」


————————————————————




『睦まじい様子』——ルティスとイディアの二柱ふたはしらを"また別の女神"の見守る中。

 "一対一の若者たち"、次は一汁の調理を始めるのであった。





「——では、その次。二品目の『キノコの味噌汁』を作っていきたいと思います」





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