『第二話』

幕間の章 『第二話』



「——あと……これは塩ですか?」

「そうです。此方もお買い上げになりますか?」

「はい。これもびん一杯分でお願いしたいんですけど」



 頭巾の少女でもある青年は掌大の透明な容器を取り出し、その樹皮製の栓を外して台に置く。



「分かりました。先の醤油、味噌と合わせて合計……銅一枚です」

「銅が一枚ですね——はい」

「毎度ありがとうございます」



 次いで置く、言われた通りの銅貨一枚。

 そうして、空いた容器を手にした店主の男が其処に壺の中の薄茶色の粉末を掬い入れた後、客の青年は台へと戻されたそれに栓で蓋をする。

 塩で満たされたその容器の隣には同型の入れ物が既に二つ並んでいて、中にはそれぞれ黒色の液体と茶色の固体が詰められており、会話から察するにそれらも調味料の類のようであった。



「此方こそ、ありがとうございます」

「またのお越しをお待ちしております」



 満たされた三つの瓶容器を袋に入れ、その袋を背負い直しながらに礼を言って露店を後にする。

 此処は内外問わずそれなりの数の人々で賑わう都市ルティシアの市場。

 円形の広場を横切って進む青年女神のルティスは次の目的地を目指す。



(塩に醤油に味噌はこれで十分。"値段"もあまり高くなくて変化も少ない……大丈夫。手の届く範囲)



 人として生まれ育った世界とは様相が異なる今の世界に身を置いて凡そ半年。

 前回の手痛い失敗(未遂)を踏まえての金銭・物の価値感覚を養う目的でも行った今し方の取引を振り返り、私用で必要となる物の入手を無事に終えて都市を歩く道すがらに考える。



(個人で使う分なら殆どの調味料は普通に安価で、量も皆んなに行き渡るぐらいはありそう)


(纏めて大量に買おうとすると結構な値段になるのは……砂糖とか、一部の物。飢饉の一件から暫く時間が経って交易や流通が比較的安定した今も、そういった価格設定は変わらない)


(その辺りをもっと詳しく知るにはそもそもの生産事情、供給についてを調べないといけなくて……次の機会に少し、聞いてみよう)



 博識である恩師や友に尋ねる事柄の候補を増やし、次は背負う袋の中で揺れた瓶の、その中身についてを思う。



(……兎に角。今は幸い、塩や醤油に味噌っぽい物が普通に手に入って良かった)


(この辺の調味料が使えればなんとか、最低限の味付けは出来そうだ)



 料理に使う物を手に入れ、以て恩神との約束を果たす目処も付いたことに胸を撫で下ろす。

 これまでに見た限りでは、現世界でも大豆らしき豆とそれを加工した各種品々は広く出回っているようで、その事実は家庭の味を求める青年にとっての不幸中の幸い、その一つ。

 鍛錬の一環として調査した原でも、大豆と同科に分類されるツルマメに酷似した多様な豆の存在を既に彼女も確認しており、女神と成り果てた今も豆に関しては不自由しない見通しが立って。



(簡単な料理だけど環境が全然違うから、戻ったら一応練習して……少しでも美味しいものを食べてもらえるように——"頑張ろう")



 献立を思い描いて女神、息巻く。

 様々な場面で自身を助けてくれた——今も多くの支援を提供してくれている女神のイディアに向け、僅かばかりでも礼の出来る日を心待ちとして、足取りは速まって。



(——それにしても、最近見る『あの飾り』は何だろう……? "目玉"……?)



 進み入った住居の集まる区画で不思議そうに周囲を眺める。

 視線の先、住居の軒下には石や硝子に"丸い目玉"のような模様を描き加えた"飾り"が紐繋ぎで吊るされており。



(市場にも沢山あったけど、あれ自体を売り買いしてる様子はなかった……"飾りの意図"は何だろうか?)



 露店の台の上や屋根柱に括り付けられた同様の似た飾りをこれまでに都市の様々な場所で認識していた青年。

 ルティシアの何処へ移動しても"視線が付き纏う"かのような感覚に気味の悪さを覚える女神は危機を未然に察知して被害を防ぐために見回りを行う者として——件の目玉の、日に日に数を増して行く飾りの存在が持つ意図を図りかねて不安になるが、しかし。



(……また何か、大変なことが起きたわけじゃなければいいけど……)



 俯き掛けた顔を上げ、到着した目的地で止める足。

 未来の希望を願う彼女はそうして眼前の住居へと一歩二歩を踏み出し、呼び掛ける。




「——こんにちは。誰か居ますか?」




 玄関扉を三度、叩いて。

 すると、然して間を置かず——応じる声あり。



「——はーい。どちら様で——"!" 貴方は……!」

「突然ですみません、アイレスさん。今日も余った食材のお裾分けで寄らせてもらいました」

「それはまた、本当にいつも有難うございます」



 その元気の良い声は内側から住居の扉を開いて顔を出す栗色の髪の少女——アイレスの物だ。



「少し前にこの都市で騒ぎがあったみたいですけど、アイレスさんの所は大丈夫でしたか?」

「それは、はい。この通り私は無事で、幸いにも弟共々、病床に伏すことはなく。御心配を頂き感謝致します」

「……それは良かったです。どうか今後も、体調にはお気を付けて」



 そうして、恩人の少女の安全を直接に確かめて安堵に笑む青年は、幼き家主へ袋から取り出した布の包みを手渡す。

 食料支援と返礼を兼ねたその中身は——遠出をして港で購入した取れ立ての新鮮な魚と、水でしっかり洗われた食べ易い山菜で『ぎっしり』だ。



「暑い季節は過ぎましたが中の魚は傷みやすいので、どうぞ早めに召し上がってください」

「——まあ、お魚……! そんなに貴重な物を態々——頭の下がる思いです……!」

「……いえいえ。喜んでくれたようで何よりです」



 輝かしき笑顔で何度も上下を往復する少女のかんばせ。

 アイレスの肌や髪の色艶は瑞々しく良好で、飢饉の頃の痩せた面影も、言葉通り病に罹患した気配もまるでなく。

 何より両親不在の中でも見せる"自然な笑顔"を向けられて——その幸福な様に青年の胸奥きょうおうは"刺すよう"に痛んで——けれど、それ以上に『喜び』は溢れて。



「……此方の用件は以上です。弟さんにも宜しくお願いします」


「何か困ったことがあれば何時でも言ってください。貴方は自分を助けてくれた恩人ですので、出来る限りのことはしたいと思います」


「なので、その……なければ、今日の所はこの辺で……」



「では、また——」



 苦めの、繕った笑顔の青年は眩しさに耐えきれず。

 足早に別れの挨拶を言って、今を生きる人々の生活の場から立ち去らんとするが。



「——お、お待ちください。今日もまた、私たちの方から何かお礼を」

「……大丈夫です。前のような御馳走の機会を頂いたことは大変に嬉しかったですが——貴方たちに負担を掛けるようなことは、もう……」

「でしたらせめて、お飲み物の一杯でもお召し上がりになってください。やはり大切な客の方に何の持て成しも出来なかったとなれば、慈悲深き我らの女神に合わせる顔がございません」

「それは……どうなんでしょう」



(『そんなことはない』——と、思うけど……)



 重んじる信仰を引き合いに出され、何とも言えない表情の"女神"。

 既に何度も少女に食料を差し入れては急ぐ振りなどをして言葉少なくに場を乗り切り、『歓待の席を用意してもらったのは以前の一回だけにしよう』と固く決めた筈の心——。



「どうでしょう? 今日もお忙しいのでしょうか……?」

「……」



 見上げる恩人の視線で——簡単に揺らいで。



「……分かりました」

「! では……!」



 被り直そうとする途中で止められた頭巾。

 構造色麗しい総髪を揺らして、青年——最終的にまたも、"了承の意"を返すのであった。




「はい。今日も少し……"ご厚意に預からせて頂きたいと思います"」




————————————————————




(——……飲み物だけ頂いて、早く帰ろう)




「さあ、どうぞ、お入りください」

「はい。お邪魔します」

「それと実は今、私の友人が滞在中でして」

「あ、そうなんですか」

「はい。それなので中が少し手狭かもしれませんが、どうか御容赦を」

「いえ、全然。大丈夫です」



(先客がいるのか。誰だろう……?」



「では、口に含む物を直ぐに御用意しますので少しばかりの間、お待ちを——」

「——アイレ〜ス、何かあったのー?」

「大丈夫よ、リーズ。お客様が来てるから、少しだけ待っててー!」



(『リーズ』さん……?)



 中に通され、促されるままに椅子に腰掛けた青年は聞き慣れない名前をぼんやりと思いながらに蓑を脱ぎ、腕で丸めて畳み。

 恩人の手前で格好におかしい所はないかを確かめようと密かに掌で張った水鏡。

 映る鏡像の女神を複雑な感情で眺め、汚れのない顔面と総髪の髪型を確認し——背後にひょっこり映る他人の顔。



「あ——お、お邪魔してます」

「どうも、こんにちは」

「こ、こんにちは」



 慌てて鏡を畳み仕舞うような仕草を演じ、青年は現れた見慣れぬ少女と会釈を交換。

 これから受け取った包みを家の奥に置いて戻るアイレスが紹介をしてくれるだろうが、この金髪の少女こそが先程の『リーズ』と呼ばれた人間なのだろう。



「——あ。そうですね、御紹介します」


「彼女が私の友人の『リーズ』です」



「初めまして。リーズと申します」



 実際にそう紹介された少女のリーズ。

 髪は麦の如き豊かな金色、肌は白く、背丈はアイレスと同じ程度。

 両少女の年齢も離れていないように対面の青年には思え、紹介に預かった彼女は自らのスカートの裾を摘み上げながらに腰を引き——丁寧な御辞儀おじぎ

 何処となく気品の漂う動作だが、服の隙間から覗いた脚は都市の少女と比較して明らかに筋肉質で厚みのある健康的なもので、『この少女が普段から運動に勤しむ人間でもある』と腓腹筋ひふくきんの描く綺麗な弧が言外に物を語ってくれるようにも見え。




「そして、こちらは——えぇと……」




 正式な挨拶の時に際して腰を上げた青年とリーズの間に立つ少女アイレスの何故かに淀む、発言。

 彼女のその手が向けられているのは"この場で最も長身の女性"——『名を明らかとしていない女神の親族』の方で。


(……"今の自分の名前"。だったら——)


『言葉の詰まる理由が自分にある』と早くに察した青年は意を決し——続く言葉を担わんとす。



「あぁ、すいません。自分で名乗ります」

「えっ……でも、貴方は……」

「——"大丈夫です"。お気遣いに感謝します」



 複雑な事情があることを考慮して思いとどまってくれたアイレスに頷いて。

 向き直る先で青年が告げるのは——"偽りの名"。



「では、此方も名乗らせて頂いて——」




「自分は名前を——『ルキウス』と言います」




「旅の途中で立ち寄ったこの都市で困っていた時にアイレスさんに助けられ、今日もその時のお礼をするために来た者です。以後、お見知り置きを」



 名乗りを終えて、頭を下げる。

 伝えた『ルキウス』という名は呆れる程に単純な音変化で決めた——特に深い意味を持たない——"人の世を忍ぶ仮の名"である。



「……宜しかったんですか?」

「……はい。少し、"心境の変化"がありまして。貴方にも今まで黙っていてごめんなさい」

「いえ、それは……"高貴な方"ならそういったこともお有りになる物と思っていましたので、私は大丈夫ですが……」

「……でしたら、アイレスさんも以後は今の名前で呼んでくださって結構ですので、改めて宜しくお願いします」

「わ、分かりました」



 隠密の技を学ぶ一環で考えた偽名を用いたのは今が初めてで、種族や性別の上に更なる嘘を重ねるようで悪い気もするが——此方の方が都合は良く。

 人に名乗れる名前を持って人間の社会へこれまでよりも違和感なくに潜り込んで情報を集め、以て"緊急の有事に対する即応の態勢"を取らんとする青年は儚げに笑って見せ——その表情の裏で静かに決意を滾らせる。




(まだ、自分が誰なのか……誰であるべきかは決められなくて、嘘の名前を伝えることにも抵抗はある——)



("騙し討ち"のようなことでさえなければ——"手段は選ばない")



(俺は俺に持てる力の全てを使って、"今の大切なもの"を護るために——)





(『"今の俺"に出来ることを頑張る』——そう、決めたんだ)





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