『第三十一話』
第二章 『第三十一話』
「——うぅ……ひぐ……っ」
「……大丈夫です。今、顔の泥を落とすので、少しだけじっとしていてください」
「……ありが、とう……ございます」
"自分をあやす"。
泣き止ませて、面倒を見る。
向かい合う同じ顔、身を寄せ合う一対の少女——
(……何をやってるんだ。俺は……)
『奇怪な様だ』と思いながらしかし、先に存在した青年ルティスは後発のルティス?の身を起こしてやり、今は権能や袖口を用いて涙混じりの泥水を洗い落として行く。
一度は異様な光景広がるこの場から逃走を試みた青年ではあったが、他者の涙までを振り切ることは出来ず、時に"不吉の前触れ"とも言われる"自己と酷似した像"を介抱。
馬鹿げた己に呆れながら、助く他者の再起。
「怪我はないみたいですし、一先ずはこれで大丈夫だと思いますが……立てますか?」
「——ひっ、く……は、はい」
「では、手を掴んで、そっと——」
引いて立ち上がらせた相手の背の高さもやはり等しく、整然と並び立つ長い黒髪の二柱。
「——はい。後は体を少し、はたいておいてください。後ろの方に汚れが残っているので」
「……はい」
混迷の中。
戦いを終えたばかりの青年は奇怪千万の状況を解明して消えた友を探さんと。
相手が臀部の汚れを払い落とすのを待ってから、事情確認のために鏡面の如き者へと話を切り出す。
「……それで、なぜ貴方はこんな場所で倒れていたんですか?」
「それなんですが、実は俺にもよく分からなくて……目覚める前の記憶も不確かで……」
「……まるっきり何も、覚えていない?」
「……
("赤くて大きい"……"怪物"のことか?)
聞きながら、尻目で見る後方。
女神に打ち倒された化け蟹は死体となり、その燻んだ"赤色の巨体"が地面に
状況から鑑みて、相手の言う『赤くて大きい物』とは恐らく、その怪物で間違いないだろう。
(それなら、俺たちの戦いに巻き込まれてショックで気絶……みたいなこと自体は、なくは——)
「——あ、あの」
「? なんですか?」
「……俺の方からも、質問して大丈夫ですか?」
「……はい。大丈夫です」
だが、『外見が瓜二つというだけ』ならば『稀であっても起こり得なくはない事象』だと考え込む青年へ掛けられる声——後発よりの質問は現状を更に不可解なものとして行く。
「……有難うございます。では、さっきは聞きそびれてしまったのですが——」
「——ここは一体、どこなんでしょうか?」
「ここは……川近くの森です。一番近い都市からは少し、距離がある場所です」
「川……森……」
「何か、心当たりはありませんか?」
「……はい。思い出せることはなくて……思い出せないと言えば"名前"……"自分の名前"もなんですけど——」
(——"名前"……)
「——俺の名前についても、知っていたりは……」
「……名前も、覚えていない」
「はい。さっき言った意識を失う直前のこと以外は……やっぱり、全然で……」
「……でしたら殆ど、"記憶を失っている状態"ということですか?」
「多分……そうです。"記憶がない"ということになるのかも、しれません」
(……記憶喪失……どういうことだ……?)
(こんな所に倒れていて、しかもそんな状態なんてやっぱり——"何か変だ")
(これは、一体……どうして……)
直視を避けていた目線を僅かに謎の相手へと寄せて、思いを巡らせる。
人や獣を払うための大きな水の音だって立てたというのに何故——『今の今まで戦場における部外者の存在に気付けなかったのだろうか』?
(この場所に居たのは俺と怪物と、イディアさんだけだった筈なのに、この……もう一体の俺は
「……そういう訳なので近くにいた貴方なら何か知っていると思い、話しかけたのですが……何でも構いませんので他に、俺について知っていることはありませんか?」
「……近くにいたと言っても、俺の方も倒れている貴方を見つけたのはついさっきのことで、詳しいことは……分かりません」
「そう、ですか……」
「なら、俺は一体……"誰"なんでしょうか……」
「…………」
(……『誰か』なんてそんなこと、俺の方だって……——)
悪態をつきたくなるのも山々だが、"今更"そんなことが事態の解決において何の役にも立たないと知る青年は内心で自ら気を散らさんとした言葉を飲み込み、瞑目によって精神を落ち着かせた後——再びに"己"と向き合おうとする。
「……時間を取らせすぎてしまってもご迷惑ですよね。申し訳ありません」
「……」
「兎も角、明るくなったらまた別の……近くにあるという都市に向かって、そこで聞いてみようと思うので、宜しければ最後にその場所を——」
「……"一つ"」
「……?」
「一つだけ、"分かることがあります"」
よって、これより告げる言葉は現時点での彼女が知る事実。
最も目について違和感の残る——目の前にある"不可思議な事実"についてだ。
「……もしかして何か、俺についてご存知なんですか……?」
「はい。俺の方でも、それがどうしてなのかは分からないですけど……一つだけ、分かっていることがあります」
「それは、一体……?」
「……"これ"を、見てください」
青年は開いた掌に水を張って鏡を作り、その鏡面を相手に覗かせる。
「これは……手鏡?」
「そんな所です。そして今、この鏡に映っているのが"貴方の姿"です」
「これが、"俺"……? でも、この姿は"貴方"のじゃ……」
「……ややこしいですけど、これが事実です。"俺と貴方は似ている"。生き写しと言っていいほどに『
「……??」
自らの姿まで記憶から消え去っていたのか、目の前の水鏡に映る自分と青年とを交互に見る後発ルティス。
何度も何度も自分と目の前に立つ相手を見比べるがやはり——現実はそう簡単に変わりはしなかった。
「これは、どういう……?」
「……俺にも理由は分かりません。倒れている貴方を友達だと思って近づいたら……同じ顔があって、驚いて……何がなんだか」
「……双子ということは……?」
「……そういった関係の相手がいるなんて、聞いたことがありません」
「では、お互い姉や妹では……ない」
「違う……と思いますが、その辺りは他の方に確かめてみないと何とも。俺も少し……記憶が曖昧な所があるので」
(……種族とか性別の変化が起こったぐらいだから、いきなり『双子がいた』と判明したり『存在自体が生えてきても』おかしくは……ない?)
滅茶苦茶になってしまった世界観で物を考えてみる青年。
話している内、不気味だった相手に敵意や危険性がそれ程ないことを見てとった彼女は多少なりとも警戒心を緩め——。
「でも、顔は双子としか思えない程で、体格もほとんど同じ——」
(……そうなんだよな。顔も体格も殆ど同じで、何故か衣服まで被ってて)
(俺が知らないだけで……もしかしたら本当に、双子なんてことは——)
疲弊しきった精神。
いよいよ初対面である筈の相手を——『行き違いのあった双子の姉妹なのではないか』と考える所にまで行き着きかけるが——"しかし"、女神。
「強いて言うなら、違うのは目の色くらいで——」
(————"ん"?)
相手が口にした『差異を知らせる言葉』を耳にし、その発言に"違和感"を覚える。
(今、なにを……『目の色が違う』……?)
(いや、相手の方だって俺と同じ——"
「——貴方のは深い黒色ですけど、俺のは何だか黄色っぽい色で点滅してて——」
「……今、"何色"と言いましたか」
「? "黄色っぽい色"って言いましたけど——」
「……よく見せてもらっても、いいですか」
「は、はい。それぐらいは大丈夫ですけど……」
言い知れぬ悪感を背に、覗き込む相手の瞳。
それは確かに、黒と代わり番こで"暖かな黄色"を垣間見せていた。
(……本当だ。"黄色っぽい色が黒と交互に現れてる"。なんだ、この差異は……何故、目の色だけが違うんだ……——)
「……あ、あの、そんなにジッと見つめられると、少し恥ずかしいです」
「……? ……あ。す、すいません」
「いえ。それで、何か分かったりは……」
「……もう少し、考えさせてください。何か、引っ掛かるものがあるので」
「は、はい」
そう言い残すと青年は穴のあくほどに見つめていた相手の顔から再び視線を逸らし、丸写しに残る一つの"不自然な差異"についてを考えるために黙る。
違和感もそうだが、何より今し方で目にした"黄色"は彼女にとって『見覚えのある色』の気がしてならなかった。
(相手の目は交互に"色を変えて点滅している"。俺の目は現状……"黒で変わらない")
(この"違い"には、何か意味があるのか……?)
(……アデスさんはたまに目が光るけど、あれは赤色で特に色が変わったりはしてなかった筈)
(イディアさんも髪の方はいろんな色に変わるけど、目の色は確か……——)
思案に際し、腕を無意識に組もうとしては胸を避けようと直ぐにそれを崩して。
青年の右腕に巻かれた"腕輪"は月の光を浴びて輝く。
美麗に、等しき色持つ女神に向け——その色を反射する。
「……その"腕輪"」
「……? 腕輪……が、何か?」
「俺も着けてますけど、"真ん中の宝石の色"がなんだか……俺の目の色に似てませんか?」
「腕輪の宝石の、色……」
「はい。『どうして着けてるのか』は俺には分かりませんが、同じ黄色っぽい色です」
「"同じ、黄色"……」
指摘され、見遣る。
右腕にする腕輪の、その中央に座す大きな"琥珀"——黄褐色の輝きを。
(……これは、"イディアさんに誕生祝い"として貰ったもので——)
そして思い返すのは——この世界で初めて出来た友の記憶。
("彼女"の髪色と、目の色に似た黄褐色の琥珀が、綺麗な……腕輪……——)
『俺の目の色に似てませんか?』
消えた"彼女の色"と"琥珀の色"と、"目前の相手の色"とが重なり、見え出す——"奇妙な一致"。
「……もう一度、目をよく見せてもらってもいいですか」
「……? だ、大丈夫ですけど……」
「失礼します——」
凝視する先で瞳の輝きは弱々しく。
黄褐色は、今にも消え入りそうな有様で。
(……なんだ、なんだこれは)
(——偶然? なんで、俺によく似た相手の目の色が違って——"それがイディアさんに似ている"?)
(何か……何かが分かりそうで、分からない。そもそもイディアさんは何処へ消えた? 別れる前に顔を合わせた時、彼女はどんなことを言って——)
その消えゆかんとする様に、姿を消す前の黄褐色の女神との記憶までも重ねて——色々を思い出す。
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『——"切り札"故に隠していましたが、『とっておき』——奥の手もありますので』
『——応用で"姿を少し変え"、"敵の認識を撹乱する"というものです』
『——確かに、札の切り方次第で身長や体重が変わって、後で戻すのに手間が掛かったりはしますが……大事には至りません』
『——もしも私に何か、"好ましくない変化"が見受けられた場合に"問いを投げ掛ける"——私に質問をしてほしい。それが、"安全確実な戻し方"となります』
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(——『奥の手』、『姿を変える』、『戻す』)
(……どういうことだ。それはどういう意味だ)
(それと今の状況は関係あるのか。もう一体の俺とイディアさんの目の色が同じなのは何故だ——)
再会を望む友の、イディアの遠ざかって行くような危機感を漠然ながらに生じさせる青年。
その影を追おうとしての思考冷却に水は循環を速め、手で汗は滲み——。
(——戦闘中に俺と怪物とイディアさん以外で、"目立つ気配はなかった"。それなのに怪物が倒れた今、イディアさんはいなくて俺がもう一体いる)
(本来この場に残るのは二者で、それは俺とイディアさんである筈)
(でも、彼女はいなくて俺が二体いて……そして——イディアさんは姿を変えることが出来るなら、これは……)
("まさか"……——)
浮かび上がるのは——俄かに信じ難い"仮説"。
さりとて、
「……唐突ですが、貴方も『俺』という一人称を使うんですね。実を言うと俺——自分の方は少しそれに違和感があったんですけど、貴方が使っているのを見て……なんだか安心しました」
「そんな存在が、自分がここにいてもいいと認められているような気がして……記憶がなくても元気になれて——貴方と出会えて本当に良かったと思います」
「この恩を返せる機会がいつになってしまうかは分かりませんが、先に一つ。そのお礼だけは言っておきます」
「見ず知らずの、名前も分からない自分を助けて頂いて……本当に有難うございます」
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『——『いつでも、どこでも、咲きたいように咲く』……そんな花があってもいいと、私は思います』
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青年は目前の相手の"言葉と髪に友の色を見る"。
感謝に送られる花笑みと髪に覗く虹の輝きに——イディアの面影を見るのであった。
(イディアさん。もしかして——)
(貴方はそこに、"今もここにいるんですか"?)
(この、"目の前の相手"が、"もう一体の俺"が——)
(イディアさん——貴方なんですか……?)
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