『第二十四話』

第二章 『第二十四話』


 山脈近く、起伏の激しい森の中。

 夜——光を好む命の寝静まる時。


(…………)


 聞こえるのは風が木々や岩に吹き付けて鳴らす"ざわめき"のみとなった静穏の世界で。

 月明かりを誰に見せるでもなく映す水面の——泉の空間へと、足で踏み入る者たち。



「「…………」」



 その者らの瞳は夜間の猫の如く——されど異なる仕組みでそれぞれ"黒"と"黄褐色"で光る——神秘の姿。

 落ちた枝にさえ気を払い、慎重に足を運ぶ彼女らはどちらも女神の二柱。



(……泉の周辺に目立った異常はない)


(誰も彼もが朝を待って寝静まる……ように思えるけど……)



 付かず離れずの距離感で両者は周囲を警戒。

 青みがかった黒髪を総髪として持つ青年女神ルティスは後方でしきりに目を動かし、前を行く美の女神イディアが燻んだ白で輝く中——水を主体として探る気配。



(……冷ややかである筈の泉は、妙に"熱い")


(やっぱり、その中……奥底に『何か』が——)



 今は川の神である青年の体に起きた異変、及び都市ルティシアを襲う"疫病の原因"を探し求め、"異様な気配"の漂う場所をこの泉に見出した彼女たちは、そうして——。



「……」

「……——」



 詳細な調査のため、進み——しばらく。




「——『止まって』」

「!」




 先導の女神——手で言外に促す"停止"。



「——

「——!」



 振り返らぬその後ろ姿から発せられた囁き。

 告げられた"不穏の報せ"——呼び起こす緊張。


(……一体、何が——)


 玉体内部で流体を高速循環させながら、青年。

 イディアの肩口から先の、見える水中を改めて凝視——。



(————"これ"、は……)



 先行していた友に遅れ、水底にあるもの——の存在を確認。

 それは透明の泡を、煙を昇らせている大元に在って——間違いなくに"怪しき物"。



(これが————)



 見え始める輪郭——"楕円の形"。

 楕円そこより伸びる"棒"は、何だ——"脚"か。



(これは、まるで——)



 楕円と多くの脚あるその様、青年には十分見覚えのある姿形に思えたが——しかし。




「「——!!」」




 青年が有する既知の情報から相手の姿を型に嵌め、想像上で行う前哨戦で少しでも優位性を得ようと試みた、その瞬間——。





 気配——





「——彼方あちらも気付いたようです」

「う、動いてます——!」

「強烈な敵意——"殺意"を感じます」




「構えて下さい——我が友!」

「——!」

「予定通りに行きます——無理だと判断したら、直ちに報告を——!」

「は、はい——っ!」




 底部から怪物——"迫り上がる"。

 "折り曲げられていた脚"は伸び、水は揺れ。

 急ぎ、飛び退いて距離を取る女神たち——それぞれが瞳と髪に更なる輝きを漲らせ——"戦闘準備体制"。




「——"来ます"!」




 持ち上げられる水——瀑布、楕円より流れ落ち。

 注ぐ月明かりが見せる体色は"黒ずんだ赤"——筋繊維をなぞるようにして描かれた筋は自らに発光。

 楕円形の胴体即ち頭胸部とうきょうぶより伸びるのは五対十本の長脚——先頭の一対は鎌の如くに鋭利な"鋏"。



「——……!!」



 怪物——青年が見上げる程の体躯。

 蜘蛛にも似た全体の像は突き立てた脚で自らの位置を調整——敵を見据える瞳は赤、酸化の鉄を思わせる濃色の赤。

 怪しき眼光——怪物が見分するのは侵入の二柱。



(——これが、敵——)



("蟹"の——"怪物"……!!)






「"——————————!!!!"」






 鋭き"二対の四つ目"、路を阻まんとする敵を確認。

 夜の静寂を劈く高い摩擦の音——同じく口から吹き出る泡は空へ飛び。

 は——怒っているのか、恐れているのか、将又悲しんでいるのか——理解など求めず、向き合う。

 という、"敵"と。

 共に神的存在しんてきそんざい——『殺し、生きる』という願いをそれぞれが身に背負い、"相容れぬ敵"として今——向かい合う。







(——! こいつ——)



 巨大な怪物——"化け蟹"を前に身の竦む思いを覚えながらも青年は腕に力を集中、攻守に備える。

 そして、働く神の知覚によって再度に怪しい気配が怪物の身から禍々しく放たれていることを確認し、得られるのは一定の"確信"。



(口から出た泡が空に向かって——"!!")


(あの方向は——"ルティシアの方"だ……!)



 接敵——共に出方を決め兼ねる、刹那。

 青年は透明の泡が向かう先に病で苦しむ都市が位置することに思い至り、推測。

 自身の不調の原因となっているであろう目前の怪物、やはり"疫病との関連が疑われる"のだと。

 時期の一致する出現、その『怪物が吐き出して都市に飛ばす泡が疫を散らしていたのだ』と当たりを付け、"討伐"の意志を確固たるものとする。



(それなら、やっぱりこいつ、この怪物が——)



("都市を襲う疫病の原因"——!)





(か——!!)





「——————!!!」



 そうして間を置かず怪物の声、再びに響き。



「!?」

「——気を付けて! 動きます!」



 それを動き出す前兆と捉えたイディアの警告が飛び、身構える青年はしかし初陣の緊張が故か。

 単純な体の大きさでは先の神獣ベモスに劣る化け蟹に対して初手——。




「! ——!!」

「——!」




 先手を取られ——受け身に回る。

 危機を知らせた声とほぼ同時に跳躍する玉体——"真下を通過する何か"。

 確かな質量で以って、今し方まで女神のいた空間は薙がれ——。


(————"はさ、み")


 猛烈な速度で切り裂かれた大気——過ぎ去る鋏の圧力が起こす突風。

 吹き付けられて飛ぶのは——"標的とされた青年"。



(————)



 水の放出制御で慣れた身の浮く感覚。

 研ぎ澄まされた神経、鈍化する時流の中に見える光景——"樹々の伐採"。

 それは、敵の"先制攻撃"であった。

 女神の体を真二つに切り裂こうとした——『無限を停止させようという』明確な意図のあった"殺意の一撃"。



「——集中を! 全ての合図は出来ません!」

「っ……はい——!」



 初めてに主体となって向けられた"生々しい殺意"が青年の内で恐怖を呼び、敵と同じよう固めた筈の——"覚悟の刃"を鈍らせる。



(——このままじゃ、都市の人どころかイディアさんだって守れない! 俺が、戦わないと——!)



「"攻撃"は行けますか」

「——"やります"! 隙がなかったら囮を!」

「了解!」



 一先ずは鋏の届く範囲から離れ、短く言葉を交わす二柱はその間も位置取りは敵の正面を維持。

 一般的な蟹の移動能力と鋏の振りにくさを考慮し、素早く狙われ易い側面には立とうとせず。



(——こっちも打って出る……!)


(俺が取るべき戦法、最初は——いや、"最初から全力"で——)



 化け蟹が鋏に挟まった木の残りを潰して粉とする間——攻撃目標をよくよく見定めるのは女神。

 徐々に揺れを大きくしながら律動する右腕を左手で抑え、内なる無尽蔵の水をそこへと集約。



————————————————————


『——他者の、敵の感じる痛みさえ憂いの対象とするならば、せめて——』


————————————————————



(『一撃で終わらせろ』——!)



 思い出す師の助言を心で重ね、伸ばす指。

 真下に向けた右腕の先で手は刀の如き形となり、その表面を覆うのは実際にやいば——"水の刃"。



(——っ……可能な限り小さく、ほそく——圧縮——!)



 玉体内部と、外からも渦を巻いて周囲より集められる水は女神の力を介して青に染まり、張った指先の頂点。

 親指を除く四本の指の頂点で集約された水という物質たちは互いに互いを削り合い、切磋琢磨で刃を磨く。



「——ぅ——ぐっ……!」



 そして、眉根を寄せたままの黒の眼光が見つめるのは敵の真中。

 振り向かんとする怪物の体で重要器官が詰まっていると思しき、頭胸部正中線。

 縦に一刀両断の未来予想図——今に現実のものとせよ、女神。



(一撃っ! 最初の一撃で終わらせる——それが最善……っ!)


(頼む——終わって、くれ……!)



 濁る黒の虹彩——明滅。

 青も混じり、徐々にそれは加速。

 真下に向けられた右手は今や噴き出す激流が地面を貫き岩盤を削り、縦に細い穴を空けている。

 それこそが神の御業、未熟なれど"甘い"青年に出せる最大威力の水の刃。

 これよりその凶刃を向けられるのは怪物という命であり、女神が断ち切らんとするのは命を現世に繋ぎ留める糸のようなもの。





(——終わってくれ——ッッ!!)





 見開かれる目は敵を見る、そして誓う。

 振り上げる刃の右手——『命を切り裂いて殺す』

 生存を願う青年は飛沫でそぼつ。

 初手より必殺を誓い、水の反射は紫電一閃——。









「——ぐ……っ——"ぉぉぉぉぉぉぉぉ"——!!」





 "水流切断"——つかまつるのであった。



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