第一章 『飢饉』

『第一話』

第一章 『第一話』




 大地を照らし始めて間もない日の光。

 緩やかに流れる水の音、木々は風にそよぎ、その中を乱高下で羽ばたく小鳥たち。




「————、」




 一帯に息衝く命たちにとっての日常が動き始める時間——朝。

 山脈にほど近い、ある川の浅瀬で川岸に敷かれた亜麻布の上で——"彼女"は目覚める。




「……、、…………ん」


(…………? 風……)




 瞼よりも先に開き始める意識。

 横たわる体を風が起床を急かすように肌を撫で、冷んやりとした感触に驚いた彼女。

 その"若々しき青年"は忽ちに瞼を開き、徐に上体を起こす。



(……感覚がある)


(音も……聞こえる)



 穏やかに揺れる世界の音は耳に。

 木漏れ日の顔を照らす眩しさを、前に出した腕で遮る。



(ぼんやりとだけど目も……見える……)



 掌、開いては閉じ。

 体の持つ感覚に親しんで、確かめる己の存在。

 不明瞭な視界に映る指先は——"柳の枝のように細く"。



(それなら、俺は……■んで——)


(——いや、"生きてる")


(……?)




(本当、に……?)




「————っ、、……?」




(……? あれ——)



 抓った頰——伝わる小さな痛み。

 疑念を晴らして確証を得るための行動が認識させた"新たな違和感"。



(……声が上手く——出ない)



 出るのは掠れた息の音のみ。

 まるで声を忘れてしまったかのような青年。

 不安げに触れる喉に——"目立った凹凸は存在せず"。

 しかし動揺、平坦なその事実を気付かせず。



(……あんな夢を見た後だ)


(少し体が萎縮しても、おかしくはないか……)



 強引に自分を納得させ、気を取り直そうと。

 楽観出来る要素を求め、青年の炯眼けいがんが周囲を見回す。



(……森があって——)


(……"川"がある)




(——)




 目に映る"川"、青年の現在地は"河原"。

『夢か現か』の判断付かぬ世界で彼女が"連想するもの"は——。



(……いや、そんなことはない)


(ない……はず)




(ここが別の世界とか、まさか——だなんてことは……)




 周囲に響く鳥の鳴き声は未だ健在。

 身近な河原に飛ぶ蝶は花にとまり、川水より飛び出る蛙——『生』の息衝く光景。

 少なくともこの場所は、先程まで青年がいた『恐ろしき未知の空間』ではないと——判断して一先ずは息を吐く。



(それにしても、ここは一体……?)


(どう見ても病院……では、なさそうだけど)



 命の瀬戸際でなくとも問題は山積みだ。

『この場所に居る理由』や『そもそもの正確な現在地』を明らかとし——『帰らねばならない』。

 故に彼女は上体を起こした姿勢のまま引き続き位置情報の手掛かりを求めて、観察を続け——。



(普通? の……自然の風景)


(人が居るのを探すか、見つけて貰うのを待つか……)




(どう、しよう————)




 滑らかな肌を外気に晒す青年の、その背に。

 突如——背後からのが投げ掛けられるのであった。




「——




「——"!!?"」

「"川水よ"。目は——




(——!!)




 座ったままに後退り。

 声を掛けられた青年は大きく身を震わせ、腕を抱える。


(——ひ、人……??)


 彼女は久方ぶりに聞く言葉に、見開く表情。

 聞こえた音は透き通るように綺麗な——されど若干の冷色を孕む声——恐らくは"女性"か。


(何か言ってたけど、取り敢えずはこれで……)


(話を、聞ける——)




(人に、会——)




 漸く他人に会えるという期待・安堵に熱持つ心。

 歓喜に沸き立つ思いを抑え込み、不安の抱かせる警戒心のまま、恐る恐るに振り向く背後。




「間に合わせの布は授けましたが……」


「……"そのまま"ですと周囲の者共が騒いで仕方ありません。……追加で適当な衣を与えましょう」




(……え、る……)




 振り向いた先——"際立つ黒と白"。

 言葉を発していたのは少なき年の——男性か、女性か——判断悩ましき小柄な"黒衣と白肌の人型"。




「……"貴方"に要望はおありですか。"女神"」




 夜闇の如き黒色の蓑と頭巾でその体を覆い、流れる落ちる漆黒そのままの——なだらかな胸板。

 闇より覗く白の髪は肩下を行き、右でそれを一つに結ぶ型を取っている。

 上半身の衣服は透過する素材を幾重にも重ね、黒く。

 下半身に纏う折り目のついたスカート?——のような物も、黒く。




「————!」

「……?」

「…、、………っ……!、!」




 先の見通せぬその色——"未知の恐怖"。

 髪や衣服から暫定的に相手を『女性』と人の持つ色眼鏡で判断した青年——狼狽える。



(……こ、これじゃ、まるで——)


(お、俺を迎えに来た■——)




(——■、がみ)




「……」




 物言わぬ真紅の瞳が見つめる先——硬直する青年はそうして、遂に。




「……っ」

「……?」

「、……っっ、……!」




 疲弊した心で、命を刈り取るかの如き様相の存在を前にして——潤ませた目より、零す。

 その水、その涙は——下へ、下へと雫を落とす。

 戻らぬ流れが河原の砂利の——裂け目に染み込んでは姿を隠し——。




「……」




 すると——その様子を見ていた少女?。

 驚くような素振りを一切見せず、何かを考えるように首を少し傾げていた彼女は"何を思ったのか"。




「——私は何も、貴方をかどわかすために、この場所を訪れたのではありません」




 厚みのある黒靴を履いた自らの脚を折り、立て膝で身を屈め、座り込んで怯える青年に合わせて——目線の高さを調節するのだ。




「……少し、『話をしよう』と」


「貴方といくつかの言葉を交わすために、せかいへと姿を顕したのです」




「——ぅっ、……っ、っ……!」




「……ですので——」




 フードとも呼べよう黒の頭巾を上げ、紫がかった白き髪——"白菫"(しろすみれ)の豊かな髪と黄色の花を模した耳飾りが露わとなり、怯える青年を前に細まる——真紅の炯眼けいがん




「——時間を掛けても構わない」


「落ち着きを得てから貴方を、貴方の……貴方の望む限りの話を私に——」




「——聞かせては、くれませんか」




 そうして、投じた質問を無視されたにも関わらず、白黒の少女はひんやりと優しい声で囁いて。

 不可視の力で青年を包み込んでは——そっと、目の前で手を差し出す。




「……!」

「涙の理由。『その全てを明かせ』とは言いません。ですが、貴方がこの手を取ってくれたのなら——」




「——私は、貴方の力になれるかもしれません」




「————っ……!」



 差し出された手は白く、儚く。

 しかし、孤独に打ち震えていた青年にとって、それはとても——"魅力的"で。




「——、と——」

「……」

「——ぁ……りが、と——ぅ……」

「……はい」




 触れた手は冷たくとも、未だ蓋の開ききらない喉で掠れ声を絞り出す。

 相手の素性を知らずとも、涙を零して藁にも縋る思いの青年。

 差し出された慈悲に感謝し、その手を取る他——彼女に選択肢は存在しなかった。




「……では、少し、休みましょう」


「大丈夫です」


「私はあなたの話を聞くため、それまで、この場所に——」




「——貴方の傍にいます」

「——、——、」




 胸の下を痙攣させながら、頷く。

 甘んじて提案を受け入れ、見守られる中で上体を横に下ろしていく。



(……そうだ、少し休もう)


(……もう、疲れた)




「……」




 未知の少女が寄り添う傍らで。

 泣き腫らした青年の瞼が閉じていく。

 "眠りに落ちる耳"に届くのは、魂に寄り添おうとする——言の葉。




「私の名前は——『アデス』」


「彷徨える貴方を、"導かんとする者"——」





(……ありがとう。アデス、さん————)









 そして、"眠りに落ちた意識に届かぬ"のは。









「——そして、"恐らくは"」


何時いつかの貴方を——」




















「——





 の囁く——"破滅的決意"の表れであった。





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