『プロローグ 後編』

『プロローグ 後編』






 ???






『『『……だ……たくない……きたい……』』』











 ————————————————————




「……ん、……ここ、は……?」




 薄暗い闇の中で目を覚ます少年——見る者によっては青年の男性が一人。




「……? 何が……?」




 自身の置かれた状況が飲み込めず、呆けた表情を浮かべながら上体を起こすその者は——河上誠。



(場所、時間……)


(暗くて、何も分からない……)



 彼は朧げな意識の中で辺りを見回すが周囲の彩りは一面が黒に染まり、現在地はおろか空に見る時の変化さえ窺い知ることは叶わず。

 完全なる未知の領域に恐怖心を煽られながら、青年。


(…………なんなんだ、一体)


 三度ほど周囲を見渡す動作を繰り返した後、現状が異様であることのみを認識して大きく息を飲む。



(……俺は確か、帰り……)


(いや、図書館に向かおうとして……)



 状況の整理、因果関係の模索。

『何故、自分はこんな場所にいるのか』

 一寸先さえ見えぬ現在地の特定を後に回し、惑う青年は自身の意識が途切れる直前の記憶を呼び起こそうと試み——浮上する光景。



(階段を下りる途中で、確か……!)



 最期に見たもの。

 自身の体が落下していった記憶。



(あの後、落ちて……それから……)



 徐々に輪郭を取り戻していく記憶。

 駅の階段から落下したことを思い出した誠は慌てて自身の体を観察する。

 記憶が確かならば自分が無傷だとは思えず、未だ開ききらない瞼を擦りながら目を凝らして手を這わせ、己の体の感触を確かめる。


(……大、丈夫……?)


 最初に手と腕、次に下半身、最後に胴体。

 外傷は確認できない。

 通常ならば喜ぶべきことであるが、この事実に誠は僅かに首を傾げる。

 体を強打したというのに痣も見られず折れた箇所もなく——痛みもないとは、"これいかに"。


(……取り敢えずは、良かった)


 兎も角、人間万事塞翁が馬。

 体の動作に問題は無いと判断した誠は座っていた姿勢から身を起こそうと、足に力を込め——立ち上がる。



(よっ、と……?)



 しかし、若干の違和感。

 ——"妙に体が軽い"のだ。



(……寝たから、疲れが取れた?)


(……いや、それより——まずは、ここがどこなのかを調べないと……)



 最優先すべきは状況の確認。

 違和感を意識の外へ追いやり、改めて周囲を見渡し——"目に見えての変化"に気付く。



(……!)


(あれは……"道"?)



 依然として闇に包まれる空間——しかし。

 青年の目が闇に慣れたのか、ぼんやりと見え始める空間の角——通路のような筋。



(……何処かに、繋がってる……?)




「…………」




(——少し、行ってみよう)



 頼りとなるのはそれだけ。

 人か建物か——当てを求めて足を運ぶこと以外に有効な選択肢は見つからず。



(……これは——)



 しばらく、進み——青年。

 周囲の景観に見覚えがあるものを発見。

 薄暗く、直線に伸びた漆黒の通路の端に"大きな赤い扉"が現れたのだ。



(——扉。しかもこの感じ……)


(ここは——)



 この空間に来てから初めて目にする人工物——と"思しき何か"。

 安堵に沸き立つ心を抑えて恐る恐る近づき、遮音性に優れているであろう重厚な扉の前に立ち——漏らす声。




「——"映画、館"……?」




 内にも外にも押し引き可能な二つの戸が密接する赤の扉。

 それは"劇場"のそれとよく似ていたが、観劇に馴染みがない誠にとっては過去に幾度も利用した娯楽施設——『映画館』を真っ先に想起させるものであったのだ。



(……??)


(何で……?)



(どうして……っ——)



 落ち着きを取り戻しつつあった誠の思考——再び掻き乱れ。

 どう見ても普通ではない状況への驚きを立ち昇る恐怖が上回り——狼狽える青年。



(——いや、こんなこと……)


(これはきっと……"夢"——)



 今のこの場所は『夢の中なのだろう』と暫定的に推察。



(本当の自分は、階段から落ちた衝撃で気絶したのかも……いや)


(恐らくはそうだ、そうじゃないと説明が付かない)




(扉の先もきっと、夢で見ている映画館——)




 そうして『夢ならば、その内に目が覚める』と。

 自らに推論を言い聞かせ、押して開く扉は——"軽く"。



(……そうだ。映画館なら席がある)


(そこに座って——)



 扉を開けて進んだ先。

 何列にも並んだ座席、そして前方の壁に掲げられた大きなスクリーン。



(——待とう)



 予想通りの内装の中へ——座席横の通路を下り。

 そして、そのまま後方から数えて四列目の座席列に進入——丁度真中あたりの席に到着。



(待てば、いい)



 使用されていない時はカタカナの『レ』の字ように折り畳まれているタイプの映画館の座席。

 誠は見知ったそれに体重を掛けては椅子らしい形を取り戻させ——腰を下ろす。



(待っていれば自然と、目が覚めて)


(現実に戻れるはず……)




(……家に、帰れるはずだ)




 得体の知れない場所で夢が覚めるのを待つことにした誠は身を抱えて蹲る。

 いやに現実味を帯びた夢が早くに過ぎ去ることを期待して、目を瞑る。


(だから、それまで少し……寝て……)


 そして、心を焦らせ、思考を早急に回転させたが故か——夢の中でさえ疲労を感じた誠。

 己を休めるために意識を手放そうとし——。


(……目が覚めたら、骨折の一つ二つは覚悟して)



(……また——)



 奇妙な現状、虚ろな安堵感の最中。

 誠は夢に終止符を打つような台詞を想像し——眠りに落ちることで"訳の分からない悪夢"を終わらせようと努めた。

 再開する人生に向け、真面目な努力を誓った——。




 ——"その、矢先"。








(……進路を、決め————)



 



(————"!!?")



 




「————っ……!!」」




 驚き、声にならない叫びを上げて飛び上がる。

 視界に映る光景に身震いする。




「っ————」




 照射された光。

 それは次第に色を変えていき、動き出す。

 予告もなしに始まる上映。

 映し出される記憶の断片。


 ————————————————————



 足を擦りむいて泣きわめき、母親にあやされる男の子。


 誕生日を迎え、ケーキの上に立つ蝋燭を吹き消す男児。


 病室と思しき部屋で両親に囲まれながら小さな赤子を抱く少年。


 妹の遊び道具を壊してしまい、その事を父に叱られ、涙ながらに妹に謝罪する兄。


 地元の偏差値が高い高校に合格するために勉強に励む学生。


 長男の高校の合格祝いに幸せそうに食卓を囲む家族。


 その中で心から嬉しそうに夕飯を頬張る彼。


 高校生活に慣れ始め、今後の進路を考えるべき時を迎えた若者。



 そして。




 階段から転落した体——溢れる血液。




 ——■■だ、『俺』。



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「————————"!"」




 悲鳴が上がる。

 幾度となく繰り返される『転落■』の場面に目を背けて、逃げるよう直ちに部屋を転がり出る——果てなき暗闇を駆け出す。

『映像が何を示しているのか』、『そもそも此処はどういった場所なのか』——そんなことを考える余裕など"今の誠"にはなかった、考えること自体がとても"悍ましいもの"に感じられた。



(——違う! あれは違うっ! 自分じゃない——)


(——ああなったのは、俺じゃない!!)




(俺は、まだ————"!")




 薄れ始める感覚。

 地に足の着いた触感も失われ、襲い来る浮遊感。



(——そんな、そんな……っ——!?)



 体の制御が効かなくなり、前につんのめる。



(どうして……? まだ、何も——)


(何も……してない……っ!)


(何がしたいのかも……分からないのに——)




(何でっ、何で——何で————!)




 歪む。

 涙で視界が。

 体の輪郭さえも溶け出す様——泡沫の如く。




「……い……くない……死にたくないっ」




 必死に呻きながら立ち上がる。

 危機に瀕して湧き上がる力は未だ健在——『諦めたくない、諦めることは出来ない』




「まだ、もっと……っ!」




 錯覚か幻覚か、歪んだ視界の先に見えるに向かって手を伸ばす。



『それが何であっても構わない』


『■から、抜け出せるのなら』



 走り出し——。

 賭けて——。

 駆けて——。




 そして——心の欲するままに。

 炎の消えぬ——魂で願うままに。




『まだ——』


『だって、俺は——!』






 飛び込む。






『死にたくない』


『生きたい——』



 溢れる光に向かって。

 青年、己を投じ——"境界線"を越えて。




『俺は、まだ————!!』



 ————————————————————











『『『『「——!」』』』』









 想いの声は重なり——闇に瞬く彗星。

 一筋の青き光が軌跡を描く世界。






 "新たな命の物語"が——幕を開ける。



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