第25話 おっさん、直流回路を知る

 帰国した翌日、姉ちゃんからふるふるメッセージが届いた。


 京都帝国大学に行っていたとのことだ。姉ちゃんの知り合いの数学教授の研究室だ。

 電素セル魔法について、進展があったという。

 今日こっちに戻るらしい。


 ロケのお土産もあるし、すぐにでも行きたいところだが、1週間近くテレビ局の収録を休止してたので、帰ったらスケジュールがぎっしりで身動きが取れない。

 とりあえず、近いうちにそっちに行くと返信する。

 そのまま、鶏冠井かいでさんの車でテレビ局に送ってもらう。夜まで各局回ってビデオ撮りだ。


「新番組キャンペーンが一段落しましたので、プロモーションの方針が少し変わります」


 車を運転しながら鶏冠井さんが話す。


「ブルーレイやコミックスのCMが増えるってこと?」

「いえ、それは今までのとおりですが、女神さまご自身をプロモートすることになります」

「俺自身?」

「はい、タレントとしての女神さまを前面に出していこうと、桂後水かつらこうず部長が方針転換を決めました」

「どういうこと?」

「タレント、椥辻なぎつじソフィーリアがメジャーになれば、筈巻はずまきのCM効果も上がります。実は昨夜ロケのラッシュビデオを見て、すぐそういうことになり、今日社長の了解も戴けました」


 昨日空港に着いたのが午後10時だよ! 帰宅したらもう11時回ってたよ!

 なのにそれから会社でビデオ観たの!?

 鶏冠井さんとこがブラックだったの忘れてた!


「特に社長が乗り気で。今度社に連れて来いと」

「そういえば、筈巻のキャンギャルなのに、社長に挨拶してなかったな。まずかったかな?」

「いえ、芸能関係はメディア事業部に一任してますから、いままでもタレントが社長に挨拶することはありませんでした。HAZUMAKIホールディングス全体としては、広告宣伝のうちの一つですし」

「デカい会社は違うな!」

「なので、社長がタレントに会う気になるのは、珍しいことなんです」

「そ、そうなんだ。で、方針転換って、具体的にはどうなるの?」

「仕事の幅が増えます。というより、いままで筈巻アニメのプロモーションと関係ないのでお断りしていたオファーを受けます」

「あー、バラエティの雛壇とか、クイズ番組とか、グルメロケとかか」

「はい。忙しくなりますよ。今みたいなスポット参戦じゃないですから」

「えええ、これ以上忙しくなるの」

「はい、鶏冠井もマネジメント頑張りますので、ともに乗り越えましょう!」


 鶏冠井さんのスイッチが入ってるよ。


 あれだ、ファイヤー・プロモーションの畔勝あぜかつに言われたことが原因だな。

 でも、いいのかな?

 これって、ファイヤーと真っ向から勝負することにならないか?

 大丈夫かな?


 全然大丈夫じゃなかった。この方針転換は、すぐに困った事態を招くことになる。



◇◇◇


 翌日、週末恒例のアニメイベントをこなす。これも新番組が始まったので一旦終わりだ。

 ゴールデンウィークに他社と合同での大きなイベントがあるけどね。


 確かにアニメプロモーションって季節労働だよな。新番組が始まる前の3月、6月、9月、12月は忙しいけど、クール中はそうでもない。

 そういう意味では方針転換も既定路線といえる。キャンペーン以外の仕事を増やさざるを得ないからな。遊んでるわけにはいかない。というか、遊ばせてくれない。

 俺が売れれば売れるだけ、宣伝効果は高まるのだからね。


 イベント終了後、控室でスタッフの打ち上げがはじまったが中座させてもらう。


「ええ~、ソフィちゃん帰っちゃうの~」

「ごめんなさい! 私お酒呑めないので!」


 あいさつもそこそこに鶏冠井さんの車で姉ちゃんちへ。パパラッチなし、ヨシ!


「ごめん、姉ちゃん、遅くなった」

「あんたも大変だね。また仕事増えたんだって?」

「すみません先生。女神さま、もう引っ張りだこの大人気で」

「まあ、そうなると思って芸能界に入れたんだけどね。誰しもが知る有名人になれば安全だろうって。そもそも芸能界の方がほっとかなかっただろうし、筈巻が全面的にソフィを引き受けてくれて安心だ。身内だからな。鶏冠井がマネージャーになるのは想定外だったけど」

「でも、先生の担当はそのままじゃないですか」

「え、そうなの? 鶏冠井さん!」

「はい、例の企画は担当編集として私が進めています。甘南備台かんなびだい先生とも毎週打ち合わせしてますよ。主に深夜ですけど」


 鶏冠井さん、マジでいつ寝てるの!?


「はあ、俺もこのくらいで忙しいとか言ってたらだめだよね……」

醍醐だいご、鶏冠井は業界関係者の中でも特殊だ。比べたらだめだ」

「そうか。はい、おみやげ。パパイアクッキー」

「お、ありがとう。さっそくお茶を入れるよ」

「先生、私が」

「じゃあ、頼むよ。鶏冠井」


 茶卓を囲んでクッキーを食べながら一服。


「で、姉ちゃん、大学の研究室で、なにがわかったんだよ」

「ああ、京都帝国大学きょうてい兼古かねこ教授に魔法式を解析してもらったんだ。明かりの魔法ライトの術式を数式に置き換えたものの方な。その式に、抜け落ちている要素があるのが分かったんだ」

「抜け落ちている要素?」

「あの式、教授が解いてくれたんだが、そのままだと恒等式というか、合同式みたいなもんだったんだ。普通に解くと、両辺が相殺されて、解が定まらない」

「どういうこと?」

「それは、順序がないからだ。教授の解析によれば、本当は式1の解を使って式2を解く、という入れ子構造になっている。その定義が抜けていた。それがわかって解が求まった」

「そうなんだ。式が解けたのが、進展なのか?」

「いや、解そのものには意味はない。解には明かりが生じるという結論が書いてあるだけだ。それよりも魔法が起動するプロセスが重要なんだ」

過程プロセス……?」

「ソフィはネット世界で電素セルを使って魔法が使える。現実世界リアルでも電磁波や、様々な形で電素セルはあるのに魔法は発動しない。ネットとリアルで、何が違うのか? それが分かった」

「お! マジか! 何が違うんだ?」

「順序だ」

「さっきも言ってたな。でも、順序って?」

「電子回路が働くのは、直流だからだ。電子の流れに方向性、つまり順序があるからだ。ブーリアン演算にしろアルゴリズムにしろ、論理に順序があるから成り立つ。こんなこと、見落としていた」

「そうか、現実世界リアル電素セルは一方向に流れているわけじゃない……」

「ア! ソウイエバ、まなノナガレヲ、カンジルコトハ、マホウノ、ガクシュウノ、ショホデス。ナガレヲ、カンジラレナイト、マホウガ、ツカエマセン」

「唯一、現実世界リアルでも生物の体の中には直流回路がある。神経だ。だから、ソフィの中で電素セル魔法が発動するんだ」


 神経?

 そうか、神経ってシナプスが一方向に連続して発火し信号を伝達していくから、直流といえば直流か。


「ソフィの世界にある魔素マナは整流されている。だから、ブラウン管のように走査して、文字が書けるし、その結果魔法が発動する」

「ああ、そうか、順番が決まっているから、マス目の指定が出来るということか。ドット絵みたいなもんだな」

「そうだ。だから、現実世界の電素セルを整流、順序を付けることが出来れば、魔法が使えるようになる」

「まさにマス目セルだな! で、どうやるんだ?」

「わからん」

「は?」

「今はここまでだ。現実世界の電素セルをどうやったら順序付け出来るのかは、さっぱりだ」

「そうか。でも大したもんだよ! 後は整流方法だけじゃん!」


 そうそう一足飛びには解明出来ないか。でも大したもんだ。

 さすが姉ちゃんだ。


「兼古教授は分野違いだしな。数学の範囲じゃない。今度は工学か、生物学の知り合いをあたってみるよ」

「そういえば、その兼古教授には魔法のことを話したのか?」

「まさか。古い書物に数式の記述を見つけたって言っただけさ。びっくりしていたよ。多重ベルヌーイ数の非整数点をリーマン平面上でゼータ化した斬新なアプローチを示している! って」

「なにそれ?」

「説明されたけど、さすがにあたしも半分もわからんかったよ。解いてくれたからよかったけど、教授じゃなきゃ無理だったろうな」

「姉ちゃんでもわからんことがあるのか……」

「そりゃそうだ。得手不得手は誰にでもある。超人じゃあるまいし」


 いや、姉ちゃん十分超人クラスだと思うぞ。


「出典をしつこく聞かれたよ。情報提供者との約束でそれは教えることは出来ない。けど、その式は好きなように使ってくれていいと言ったら、感謝された」

「え、式を渡したの?」

「あの魔法式がすべて解析できても、どうせ電子回路でしか働かないし、働いたところで明かりが点くだけだ。新方式のLEDが出来る程度のもんだ」

「ふうん、でもそもそも直流ってどうやって作るんだ? 電池は直流だけど、コンセントは確か交流電源だよな」

「そらおまえ、AC/DCコンバータを通して……。あ!」


 姉ちゃんが頭の上に豆電球が点いたような表情をした。


「先生! 私もわかりました!」

「鶏冠井、そうだ。あれだ!」

「「フリップフロップ!」」


 姉ちゃんと鶏冠井さんがハモった。

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