第4話 姫、娘になる
次の瞬間、落下する感覚があり、畳の上を滑っていた。
顔が擦れ、切れた頬が痛い。
見慣れた場所。俺の部屋だ。
そんなことよりも。
襲い来る猛烈な吐き気に口を押えながらトイレに駆け込む。
ちょっと描写をはばかられる行為の後、ようやく我慢出来るレベルに収まり、目を開けた。
丸く重い物体が自分の胸に二つ付いていた。
洗面台に走る。
鏡に映っているのは、ソフィだった。鎧兜を脱いだ下穿き姿だったが。
薄い衣越しに胸が揺れる。
ひととおり鏡で体を確認した。
いや、下穿きは着たままだよ。そりゃ脱いで細かく確認したかったけど。
異世界でもこれ以上脱いだことはないよ。そういう部分を触りもしてないし。
興味はあるけど……。セクハラ、ダメ、ゼッタイ!
とりま。
よかった! ソフィ、生きてる! 転移魔法で逃げられたんだ!
頬に切り傷があるが、それほど深くはない。
このぐらいなら痕は残らない。だろう。
念のために傷テープを貼る。ちょっと上等なやつね。まだ会社員時代の頃の買い置きだ。
その他には怪我をしていることはないようだ。特に痛みも感じないしな。
しかし、魔力がなかったはずなのに、どうやって?
てか、
(ディ、ディーゴ……)
脳内でソフィが苦しげな声を出した。
(ソフィか、無事なようだな!)
(あまり大きな声で考えないでください、あ、頭が痛い……)
(転移酔いだよ。前に教えただろ? 俺と体の方はもうすっきりしたよ)
(ううう、こんなに苦しいものだったとは……。気持ち悪い……)
ソフィが回復するまでそっとすることにした。呼び掛けると頭に響くらしいからな。
今はソフィの魂は肉体から切り離されているのに、苦しいとかの理屈はよく分からん。
さて。
目覚まし時計は午前4時5分。時間はほとんど経ってないな。
これは以前にも経験している。
部屋の真ん中には布団が敷いてある。掛け布団をめくると、俺が寝ていた。
呼吸はしているが、ピクリとも動かない。そりゃそうだな。
うーん、これはこれで、マズくないか?
俺の魂はソフィの体の中だ。ソフィなら肉体に戻せるのかもしれないが、ここでソフィは魔法が使えるのか?
魔力の元は
ないな。
あれば、俺が帰還するときにも
制御術式がないから、ソフィが使うほどの威力はないかもしれないが。
でも、エネルギーが単純に開放されただけとしても、この安アパートどころか、ここら一帯大惨事になるだろう。
そうならない、ということは、
ということはソフィは魔法を使えない。
ということは……????
ヤバい、詰みだ。俺の魂は肉体に戻れない。ソフィも自分の世界に戻れない。俺はこのままソフィとして現実世界で生きていく……????
……あれ? アリかも?
俺のおっさんの体より、このソフィの体さえあれば、天下が取れる!
おお、ようやく当初計画が現実に!
(当初計画って、こすぷれいやー、とか、ぐらどる、とかおっしゃってた件ですか?)
(お、おお、ソフィ、もう大丈夫なのか?)
(はい、収まりました。殿方と二人きり。なんて……、はじめてです。それでですね、お願いがあるのですが)
脳内で二人きりは
大丈夫だ。起きて襲ってきたりはしない。てか起きるわけないよな。俺がここにいるんだから。
(お願い?)
(いつまでも下穿き姿では恥ずかしいのです。何か着るものをお貸しいただけませんか?)
(と言われても俺の服しかないぞ……)
短いスウェット上下のような下穿きなので、部屋着のように感じていたが、やっぱり下着は下着らしい。
トレーナーとジーパンをプラの収納ケースから取り出す。タンス? そんなもの家に置いて来たよ。
ソフィは日本女性に比べるとかなり背が高いので、丈は合った。
ウエストはぶかぶかだったが。
しかたなくベルトを短く切り、ジーパンを絞りに絞って履いた。
なにこれ? 俺の首回りぐらいしかなくね?
ベルトを締めながら、いったいこの胴体のどこに内臓が納まっているのだろうかと不安になった。
逆にトレーナーはメンズのL寸なのに胸がぱっつんぱっつんである。
どんだけスタイルがいいんだよ!
(でさ、転移して逃げてきたんだよな)
(はい、ホントはディーゴの魂だけを帰還させようとしたのですが、なぜか私の体ごと、この世界に来ちゃってますね……)
(俺だけを? そんな、あの土壇場で俺だけ助けてもらっても……)
(いえ、即再召喚すれば
(あ、そう)
俺を気遣ったんじゃなかったのか。この姫様、あいかわらず俺のことは燃料としか見てないな!
(そういうわけじゃないです……)
あ、ばれた。うーむ、専有記憶側で考えているつもりだったのに。
心のバリアも魔法だっけ?
無くなっている、わけではなさそうだが、弱まっているのかもしれない。
(え、ええと、ソフィの魔力は枯渇していたはずだ。なんで転移魔法が使えた?)
(どうやら、私の魔法に魂が刻まれたことによって、ディーゴの魔力を直接使えるようになったみたいなのです)
(そうなの? え、だとすると、俺の魔力って結構残ってたってこと?)
(はい、
(え? おかしくない? 帰還まで魔法力が回復するのに時間が掛かるってソフィ言ってたよね? 俺の残存魔力を使えばすぐ戻せたんじゃないの?)
(うっ! それはそのとおりです……。でも……)
(なんだよ、ははーん、小説が読みたかったんだろ? 最近お気に入りだもんな)
(え、ええ、そ、そうなんです。……ごめんなさい)
俺の脳内の書庫を漁る時間が欲しかったんだな。まあ俺もせっかく異世界に来たんだし、TSしてるし、しばらくいること自体は歓迎なんだけどね。
俺の体が死なない程度になら。
自分自身と、ごく軽いものしか転移出来ないから、鎧兜は脱げてしまったようだ。
そういえば、剣も盾もないな。
(ここがディーゴの世界なのですね……。コンパクトにまとまったお部屋ですね。そしてこの方がディーゴご自身……)
(そうだ、うだつの上がらない冴えない男さ。今は魂すらないがなあ。これが俺だ。55歳のおっさんの体だ)
(なるほど……。さすがはディーゴです)
(は?)
(やや太られているのはよく食べよく眠られている証拠。日焼けもしておらず、優雅にお暮しなのですね。感染症にかかった痕も見当たりません。しかも見事に禿げている)
(え?)
(禿げるまで長く生きていらっしゃるのは、男性として強いからこそです。しかも55歳とは。伝説と申し上げてよい御年齢です)
(えええ? ならギュルダンはどうなるの?)
(彼は49歳です。彼も我が国のレジェンドですが、ディーゴにはかないません)
(年下なの!? まあ、日本人長生きだけど! てか70歳80歳とか普通だし! 百歳超えてる人も多いし!)
(なんと! この国は、神々の国でございますか?)
(ちげーよ!)
聞きたいことは、そうじゃない。
(で、こっちの世界で魔法は使えそうなのか? 俺の体に魂を戻せるか?)
(あたりに
(ちかちかするもの?)
(んー、強い光や弱い光がまわりに結構充満しているというか、
ソフィが机の上のノートパソコンに意識を向けたのが分かった。
(あれが世界の窓ですね! 遂に本物が! ええと、光の一部はあの窓に繋がっています!)
(世界の窓って、間違っちゃいないが。あれはノートパソコンっていうんだよ。今はスリープモードだから画面が映ってないけど)
(点けていただいていいですか?)
(いいけど、パソコン点けたら魔法が使えるようになるのか?)
(それは多分無理だと思いますが、この光の正体がわかるかも知れません)
俺はPINコードを打ちこみスリープを解除した。
エロサイトが大写しになる。おっやばい! 見っぱなしで寝落ちしてたのか!
即窓を閉じる。
(今のは……?)
(気にしなくていい!)
金髪巨乳の洋物ピンクだった。ついね、ついソフィを思い出してね。だっておっさんなんだもん! 許して!!
(光が強くなりました。太く繋がっている感覚があります。どうがさいとを閲覧させていただいてもいいですか?)
(あ? ああ……。漫画やアニメなら構わんが)
(おおお、なんと、ついにあの動く写し絵が直に……。素晴らしい!)
ソフィの好きな『魔法の美少女キューティプリティR』を再生する。
第1話は公式が無料配信しているのだ。
オープニングが始まった。
(……愛は終わらない、夢は止まらない。キューティ! プリティ! ふたりはキュープリ!!!)
ソフィが脳内で熱唱している。
こいつ、本当にアニメ好きなんだなあ。こんな娘がリアルにいたらなあ。
あ、いるんだ。今ここに。
俺はださいトレーナー越しに、弾む胸の暴力的な質量を見下ろした。
圧倒的な存在感!
(素晴らしいです! ヒサメとシズクの友情! それにサイザンス側にも事情があったのですね! 第1話ってすごいです。濃厚ですね!)
(第1話は登場人物紹介や物語世界の説明も含めて、ここでがっちりファンのハートを掴まないと、視聴を継続してくれないからな)
(なるほど。確かにハートを掴まれました! かん・どうです!)
(それでな、ソフィ、光の正体はわかったのか?)
俺はソフィに
(この世界の窓の中を光が走っているのは分かりました)
(なに? ということは、その光ってのはWi-Fiの電波のこと? ……かな?)
(電波? そうかもしれません。この世界の窓でどうがを見ている時に太い光が降りてくるのを感じました。あっちのガラス板からも同じような光が出たり入ったりしています)
スマホか。やはり電波で間違いなさそうだな。
(でも、やはり
俺の魂に残っていた魔力も既に消散しているそうだ。
(やっぱりか。どうするかな。俺の体)
(ごめんなさい、ディーゴ。私が魂だけ送り返していれば、こんなことには)
(いいよ、おかげで俺もソフィも生きてるし)
死んだと思った。
俺の魂を戻して、再度
あのままソフィは斬られたはずだ。
老騎士ギュルダンや仲間の兵は、どうなったんだろう。
俺はようやく戦争の恐怖を感じていた。
……死。
(でも、このままじゃ俺の体が衰弱してやっぱり死ぬ。大きな病院にでも預けられればいいんだろうが、そんな金はないし……)
「お金って、これのことですよね」
ソフィが俺のネット銀行をブラウザで開いていた。
てか何で知ってる?
てかなんでソフィがキーボードいじってる!?
「あ、ここでは魂に重さがないようなので、私が表に出てくるのは簡単でした。このサイトについてはディーゴの記憶にありましたよ」
記憶のセキュリティ皆無だな!
「光は、
はい?
ソフィが『俺の元いた会社』の口座にアクセスし、振込手続きをした。
金額を打ち込む。一、十、百、千、万……、10億円!
「入金しました。このくらいあったら足りますか?」
(おいおいおいおいおい、これ立派な犯罪だよ! あっという間に捕まるだろ!)
「大丈夫です。会計システムを遡って改竄しましたので。このお金はそもそもこの会社になかったことになりました」
はあ? ソフィさん、いったい何を?
「この世界には
(なにそれ!? いやでも犯罪だよ。困る奴が出てくる)
経理部長だったのは短かったが、部下らの顔を思い出す。まあ大半が俺を追い出した側だが、それでもな。
「わかりました。では、
(は?)
FXの口座は開設したが、あっという間に退職金を20万円ほど溶かしてしまって怖くてそれっきりになってる。
なんでFXのことまで知ってるの? という隙も与えず、パスワードを入れてドル円画面を立ち上げ、成り行きで9億円をロングした。
ちょ、5分足ショート方向だろ。そんな高レバレッジで取引したらすぐ追徴が!!
「大丈夫です」
それまでの円高チャートが嘘のように円安に振れた。時々抵抗が入ってチャートが落ちるものの、円安のスピードが早く、気がつけば120ピップスも動いていた。
「ここで利確して、今度はショートします」
ソフィーが利確すると途端に円高に振れた。あっという間のナイアガラ。元のレートに戻っていた。往復240ピップス!!!!
俺の取引口座には合計31億6千万円が燦然と輝いていた。
(これ、ソフィがやったのか?)
「はい、為替は思惑で動くものですから、これは犯罪ではないですよね!」
なにそのチート!
「最初の10億円はあの会社に戻しておきます。改竄した記録も再改竄して、元どおりに」
俺の口座には、21億6千万円がしっかり残っていた。
これで俺の体を入院させられる。ふむふむ一安心。
ってそれどころじゃねーよ! 10分足らずで億万長者だと! 億りびとの仲間入りですかそうですか。
ってえええええええ!
はあはあ、冷静になろう。俺の体は原因不明の昏睡として入院させるとして、ソフィのことを考えないと。
戸籍だ。戸籍がいる。日本で暮らすなら、身分証明は必要だ。
「戸籍ですか。なるほど、国民管理台帳ですね。さすがは神の国。わが王国にはこんな精密な管理手法はありません」
(マイナンバーとか基礎年金番号なんてのもあるが、まずは戸籍だな。異世界に帰れない以上、必要だ)
「戸籍…ありました。偽造戸籍専門サイトを見つけました。〇〇国の戸籍、ネットで千ドル程度で作れるようです」
(あの国、そんなことまでしてるのかよ! てかソフィ日本語以外でも文字読めるの?)
「ネットの本文なら意味がわかります。バナーや写真に写っている文字などは読めませんが」
(自動翻訳機能実装してるんかーーい!)
「あ、もっと便利なサイト見つけました。××国のパスポートも作れるって? 国防省……? どうやら△△国の諜報部のようですね」
(それヤバいやつ! ってかセキュリティがばがばだな!)
「どうしましょう?」
(そうだな、犯罪に手を貸すのはどうかと思うが、公安部にマークされるとシャレにならんし)
「あ、偽造戸籍サイトの方は決済部分をバイパスしましたので、お金を払わずに作れますよ」
(じゃあそれで一旦〇〇国の戸籍を作ってくれ。念のため、ソフィーリア・李・ノリエガという名前で。住所は、〇〇国のどこか適当な場所で)
「あっ、あのアニメのもじりですね! はい、出来ました。私の戸籍! 住所や生年月日はデフォルト入力がありましたのでそのままにしました」
(うん、名前、〇〇国っぽいだろ。で、その戸籍を使って俺と養子縁組したことにしよう)
「養子? ディーゴの子供になるということですか?」
(いやか?)
「子どもですか……。まあ
(うん、俺の戸籍分かるか? 操作出来るか?)
「はい、家裁の許可証は作りました。コンビニプリントのためとやらで戸籍の帳票印刷サーバーが今も稼働しています。ここから戸籍サーバー本体に侵入します。出来ました。氏名を書き加えますが、どうしますか?」
(うーんと、そうだな、日本じゃ貴族名はないから、シンプルに
「椥辻ソフィーリア……」
こころなしか、ソフィのほほが赤くなったような気がする。ネット無双しすぎたのか? 無理がたたったのか?
「大丈夫です。ディーゴ、出来ました。私の戸籍。ディーゴの娘……。まだ、帰化手続きがどうとかありますが、それは今すぐには要件が満たない……」
(やはりちょっと疲れました。眠気が……)
「っておい! あれ?」
体の制御が俺に戻っていた。ソフィの意識がぼんやりとしている。眠ったようだ。
「早いな! 寝つき良すぎだろ」
戦争で大魔法を使い、危機に陥り、九死に一生を得たと思ったら、ソフィにとっては異世界に転移し、ネットで魔法を行使したんだ。
そりゃ疲れるよな。
お休み、ソフィ。
俺は冷蔵庫からストロングチューハイを取り出した。
この体は16歳だったなあと思ったが、いつものように一缶空けた。
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