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くるみ

個体番号

春麗らかなある年に、女の子が生まれた。両親は陽菜子と名前を付けた。

陽菜子が健康で何事も無ければ100年近く、この地球上で生きていくことになる。


生れて記憶すらない新生児のころから「陽菜ちゃん」と呼ばれ、女の子は陽菜子として生きることとなった。


陽菜子はなぜ陽菜子という名前なのか聞いたことがあった。

母親は

「あなたが生まれた季節は、植物が芽を出してポカポカと暖かいそれはそれはいい春の日だったの。だから暖かなお日様と菜の花の季節に神様が授けてくださった女の子だから、陽菜子とつけたのよ」

そばで聞いていた父親も付け加えた。

「暖かいお日様に向かって、すくすく元気に育って綺麗な花を咲かせるように、ってな」

と言った。


親は亡くなり、形のある物は手元から消えてしまったが、両親の希望と思いが込められた「陽菜子」という名前は、彼女のアイデンティティと深く結びつき、陽菜子の好きな名前となった。


陽菜子は成長し、人とかかわる時にはよく人の名前を見て、名付けた親の思いを推し量ったものだ。

誰もが生まれた時には親の大切な思いに包まれ、希望を託されて人生のスタートを切っていた。


人々の思いに満ち溢れたた緩やかな時代の流れも、科学の発展と共に急激に速度を増して変貌していく中で、個人を特定する名前の役割も変わっていった。


時は流れ、両親も既に他界し、陽菜子は100歳になっていた。

医学の急速な発展もあり100歳という年齢は珍しくはない。元気な100歳以上が人口の3割以上を占めていた。

そして、陽菜子の名前は、


SW58836K22059-m104H31 


とされている。呼び名は、ヒナコでも、生きるための全てはこの名前で賄われているのだった。今朝の朝食のメニューや摂取カロリーでさえもデータ化され名前に書き込まれるのだった。


この名前について、100歳の陽菜子が最近「迷走」というエピソードを書き、受け取った友人の間で話題になっていた。

話題の箇所は、


『私、SW58836K22059-m104H31 はある時、名前の保管場所があるべきところから誤ってあってはならない場所に移されていました。そのことに気づかず、何年も過ごしていたことが判明しました。

そこは囚人の保管庫と呼ばれる名簿管理システム内のブラックページです。

私のSW58836K22059-m104H31にはZFという文字が付加されて、いわゆるブラックリストに掲載されてしまったのです。このことがある偶然で分かったのです。

なぜそういう誤作動が起こったのか、または誰かが故意にそうしたのかは個人では調べようも無く、全面的なシステムの変更を待って私はエラーを解除してもらえました。』


ZFは何かの頭文字ではなく、単なる記号にすぎない。


無駄をそぎ落とし、すべてが効率的に動くようにと進化した社会では、個人は数字による名前で管理されていた。


『担当者にお願いして訂正を求めましたが、何もしてくれませんでした。してくれないというより直ぐには出来ないと言われました。結局最終的にはシステムが解決してくれたわけです。名前を訂正するには審査をいくつも経なければならないらしい。私たちの生存の基本が全て詰まっている国家のデータなだけに簡単には修正はできないと言われ、個人は無力なのだと痛感しました。』


人々は、極力考えることを止め、ひたすら効率を求め、判断はコンピュータに依存し、ダメージの無い生き方を選択することが良い生き方とされていた。


陽菜子の訴えを調査し対処し解決してくれた係官はいなかった。


ZFが付いた名簿は特別な扱いをされ、それが表に出ることはほぼ無い。

陽菜子が若いころの時代、カードローンを払えなくなりいわゆる「ブラックリスト」に掲載されると、その後カードを作ることができないなどの制限がかかっていた。

平たく言えばZFもそういう類の名簿だった。


ただこの進化した社会では、ZFに分類されることは一般社会から隔離されることを意味していた。


単なる隔離ではなく、「人間」「ロボット」そして「ZF人間」とはっきり分類されて管理されることだった。


名前にZFと付加されるとマークされている人物ということになり、人間とロボットによって監視、ときに隔離、弾圧、差別の対象とされる危険さえもあった。

納税の義務を怠った者、社会に悪影響を与えた者、人の生活を脅かすおそれのある犯罪歴のある者に付けられることが多かったが、不思議なことに理由が不明な者も含まれていた。

蓄積された個人個人の膨大な情報は、どこで輪切りにするかによって、あらゆる分類が可能となり、全ては統計という数値で処理できるのだ。ZFもそうした分類に過ぎなかった。



世の中の職業は50年前と比較すると、種類も働き方もガラッと変わってしまっていた。

ほとんどはロボットが担い、世の中から消えた仕事も数多い。

商店は無人化、銀行も消えた。


殆ど知られていないZF名簿者の管理に携わる仕事も実は多岐にわたり、末端の組織へいくほど、こんな仕事があるのかと細かく特化された専門の部署が作られるていた。

もちろん個人データは他者による閲覧が禁止されていて、担当官でさえ扱う情報に「人間の感情を持ち込まない」という姿勢で臨むことが徹底的にマニュアル化されていた。


陽菜子が「迷走」を書いたことで友人たちの間で話題になり、特に関心を寄せたのは、過去にZF関連の極秘部署で働いていた夫を持つ瑞乃だった。



1週間が経った頃、101歳の沙耶香から4人で会って食事をしたいとの連絡が入った。

陽菜子、沙耶香、瑞乃、波子で、高齢者専用のレストランで落ち合った。

4人はゆっくりとランチを楽しんだ。

瑞乃は、陽菜子の「迷走」のことを切り出した。


『陽菜子さん、読みましたわZFのこと。で、これはここだけのお話ということで、他言無用でお願いします。私98歳、夫も他界しているので今だからお話します。』

瑞乃は少し身を乗り出して語りだした。


『陽菜子さん、ZFから元に名簿を戻して貰えて良かったわね。迷惑な話よね。

夫が生前言っていたわ。

何でこの人がZFなんだろうと思えるような人が紛れ込んでいることがると。

何かの間違いじゃないかな、と疑問を持っても、それを伝えることは自分の任務ではないからしてはいけないと目を瞑って、自分の与えられた仕事をしたと。

それで何人もの人が消えて行ったと。

でもZFの扱いに関してはその是非を議論することすらタブーとされているし、国家の不利益につながるとのことで管轄の組織のはっきりとした全体像は表に出てこない。つまり分類された単なる名簿の域を超えて、同じ人間でありながら人権や尊厳をも保障外という深刻な線引きが存在する。この危険性が認知されていないのよね。

と同時にこのZFが存在することで新たな雇用がうまれ、夫もそうだったけれど、そこに関わり動いている人間達が存在しているのよ。

で、問題なのは末端で、把握できていない闇へと情報が流れていくらしいの。』


沙耶香が続いた。

『こんな時が来ることくらい予知できたはずよね。すべて名前にデータが結びつき管理される社会を選択した私たちの負の遺産。蓄積されたデータが存在する限り、人間をどのようにでも分類できるわ。』


波子が言った。

『管理された社会では管理社会のルールに従うしかない。だってそのルールに従って皆が動いているのだからねえ。

いつの時代でも人は「敵」と「味方」を区別するものなのかしら。ZFの発想は不純物は取り除くという思考からきているのかしら。

なぜZFと分類して、人が人を管理するのか、そういいうことを許している無関心な人間も、自分がいつその対象になりうるということを考えるべきだわね。』


陽菜子は言った。

『ZFは国家が管理しているのよね?』


瑞乃が答えた。

『名簿はもちろん国家が管理しているけれど、その名簿がどう扱われているか、もちろん厳重に保管されているわよ。でもこれは表向きで、実際はその名簿は国の管理をすり抜けて、あらゆる使われ方がなされているようなの。これは秘密よ。陽菜子さんのように知らぬ間に悪意のある人に操作されZFに分類されることもある。

早い話、お金を払えば憎い人の名前をZF名簿送りにしてくれる闇業者も存在しているの。

名簿のセキュリティーは最高レベルとされているけれど、それは絶対ではないのよ。』

さらに続けた。

『困ったことにZFの名簿登載者は、不利益を被ることはある種の制裁として暗黙に容認されている面があるの。徹底した教育をされてきた係官の中にも差別的な眼差しを注ぐものもいるみたい。人権という観点が軽視された上に、名簿の名前が独り歩きしてとんでもないことになることがあるのよ。一人一人は皆、血の通った人間なのに、番号で書かれた名前にまるで制裁の対象というような刻印がされ、最終的に通称・釜場へ運ばれると一巻の終わり。

名前からZFが消えることが無い限り、釜場の「対象者」とされるため制裁の鉄拳は容赦なく降り降ろされることになるの。

時にその悪どさ無慈悲さは人間の行いとは思えない酷いことをするらしいの。

太古の昔から人間が行ってきた「裁き」と何ら変わらない社会的拷問なわけよ。

文明が変わっても科学がすすんでも、人間の本質は変わることがないから、いつの時代にも存在するってことよね。今もこんな闇があるなんて知らない人は知らないし。』


沙耶香が言った。

『もう人間が法で守られていた2020年は遠い昔なのね…』


陽菜子が言った。

『釜場?どこにあるの?』


瑞乃が答えた。

『水を集める窪みに釜場というのがあるけれど、あれとは関係ないのよ。ごく一部の人が使っている言葉で一般的に知られていないし組織図には出てこないのよ。国家の管理外だし、もちろんこれは場所ではないのよ。ZFが存在することで雇用が生まれると言ったけど、ZFの名簿に群がってお金を得る人間たちの集まりの単位とでもいうのかしら。

つまり国家が管理している名前には、性別、生年月日、身長、体重、血液型、指紋、顔認証、DNA、過去のテストの成績や思考パターン、癖、住所、本籍、資産、家族構成、養育歴、学歴、職業、資格、病歴、交友歴、趣味、特技、全ての暗証番号、拾えるデータはなんでも名前に書きこまれている。ZFはさらに詳しくマイナス評価が付いているというわけなの。

ZFが付いている人たちに対しては、制裁者の対象という曲解のもと、これらの個人情報をもとに、金になることなら何でもするし、むしり取るというのが釜場なのよ。

全てのデータは金になる。釜場へ贈られた個人データの中には、騙されたり迫害されたりということもデータとして付け加えられ、繰り返し被害者となることもあるわ。

むかし同じような被害が特殊詐欺という言葉で語られたことあったわね。

性別や年齢、身体的特徴などから風俗関連にその人の情報が売られたりもする。個人データは個人を特定するデータでありながら、個人とは関係ない所で存在感を示すこともあるの。亡くなってしまってもデータが消されるまでは存在しているし。

釜場送りになった人は、死ぬまで、とことんむしり取られ、痛めつけられるわけ。なぜか?それが釜場という階層の仕事だから。昔はこれらは犯罪という名称でよばれていたけれど、もはや犯罪は存在しない。すべてシステム化された社会の歯車の1個となって表の世界から闇の世界へと繋がるルートができているためよ。』


『ある釜場で働いていたかなりのベテランが、夫にこう言っていたそうよ。

釜場送りの名簿者は、つつくと最初から最期まで同じ反応を示す。だから手に取るように相手の行動が読めるよ。

こうやればああいう風に反応するだろうってね。赤子の手を捻るくらい操るのは簡単だよ。人は同じような境遇に置かれると同じ反応をするのは国籍に関係ないね。こっちも経験を積んで人間行動を学習したって訳さ。

初めは疑問符付きで質問、泣きわめき、パニック状態。それから如何にしてこの状態を回避できるか努力と問いかけ。それを繰り返しながら徐々に身体も心も弱っていき、最期を迎えるころには絶望とあきらめ。死期を悟って準備を始める。生気を失い無表情になる。遠くを見るような眼で過去を回想する。

ZFの一人や二人、消えたところで泣くやつなんていないでしょ。…と話していたそうよ。』


沙耶香が言った。

『データの悪用がまかり通りる、か…』


陽菜子は草原のハイエナを想像していた。

死んだ動物の骨に付いた肉を一片も残さずたいらげ、屍はもう誰かの役に立つところが無くなり、最後に骨だけが土に返っていく。

釜場は社会的に刻印され差別された人間達から、最後に残りの肉片をむしり取る役目をすることで、存在するのか。

暗黙の社会の合理的システムの深部を見たようで底知れぬ恐怖がこみ上げた。

と同時に、葬儀では葬儀屋がいるように、需要と供給で世の中が回っているなら、釜場は釜場の役目があるのだろうとも思えた。

ZFと釜場の関係は、卵が先か鶏が先かという難問に近かった。



『なぜそんな社会になってしまったのかしら?』

独り言のように、陽菜子は続けた。

『人が人を愛するように、人は人を憎むという感情を捨てることができないからじゃない?』

『すべての人を受け入れ、みんなが仲良く暮らせるという理想を捨ててしまったから?』

『人と比べ、人間に上下を付け、上を崇め、弱い者を下に虐げるという本質から逃れられないため?』

『ZFはその切り捨てられた人たちの印ということになるのかしら?』


さらに陽菜子は

『だいたいZFなんて無くなるべきよ、絶対におかしいわ。

人はみんな生れたときに親の暖かい眼差しの中で幸せに生きることを望まれて生まれてきたのよ。どこでどういうボタンのかけ違いがあったかしれないけれど、人は虐めら苦しむために生まれてきたんじゃないわ。

そのボタンの掛け違いを正すこと、むしろ落ちこぼれた者たちを排除するのではなく拾い救うこと、それが本来の人間じゃないのかしら。』

少し語気に熱が籠っていた。


波子が言った。

『人間の集団社会を維持するためには、優位な個体を存続させることが必要だから、全体の自浄作用として何らかの理由を付けて切り捨てられる人間がいるってことじゃない?』


波子は続けた。

『人間って、面倒よね。でもね、個人は社会を構成している一員だけど、社会や集団は個人を守るとは限らないのよ。多くの人の目の前で誰かが倒れても誰も手を貸さないこともあるし、そんなとき誰もが責任はとらないでしょ。

世間は「不運」という言葉を使うことで、全体からはじき出されしまった人を黙視する。波風を立てずやり過ごし、いつの間にか忘れ去るのよね。ちょっとわかりにくかったとおもうけど、つまりたまたまZFに掲載された名前は「不運」なのよ。不運で済ましてはいけないけれど、不運な人は必ずいるのよ。

何で私が病気になったの!?とか、なんで私が交通事故に巻き込まれたの!?とか、私以外の人でもよかったのに、なぜ私が不運に選ばれてしまったのって。

抗えない運命に巻き込まれることがあるのよ。これは時代が代わっても普遍だと思うわ。』


陽菜子が空かさず反論した。

『それを少しでも救っていくことこそ人類の使命じゃないのかしら。ZFは人間が作った名簿なの、だから人間の手で無くすることができる「不運」のはずよ。

人間はバカじゃないわ。』


波子は返した。

『否定はしていないわ陽菜子さん。ただ完全にゼロにはできないってこと。ほとんどの人が、生きている間に何度も大なり小なり不運を経験して生きているのよ。納得できない不合理に怒り悩み不運を受け入れているわ。

猛獣の餌食になって捕らえられる小鹿は何の悪いこともしていなかった。なのになぜ他の個体ではなくたまたま群れの端にいた小鹿が狙われた。もし狙われなかったら大人になるまで生きながらえて草原を走り回っていたでしょう。シカの群れはそういう悲しいことがあっても今日と同じように明日も草原で草を食んでいるでしょう。捕らえられ命を落とした小鹿を不運を、自然界に還元されていったと納得するしかない。』


黙っていた沙耶香が2人の話を遮るようにつぶやきた。

『現代人は問題意識を持ちたがらない。考えることを嫌がるし、自分に降りかからない火の粉は無視するしね。

今は個人のプライバシーなんて幻ね。何でもデータ化し、それに依存することで社会と個人の境目が無くなってしまったということなのかしら』


陽菜子が言った。

『私のようにシステムが全面的にかわったことでZFから元に戻された人もいると思うけれど、間違って分類された人を復元する方法は無いのかしら?』


『有るわ』

瑞乃が小声で言った。

そしてもう一度大きくゆっくりと

『有るにはある』

と繰り返した。


3人は瑞乃の顔を見た。

瑞乃は少し間を開けて

『でもね、これは成功率50%、失敗は許されない。失敗は死を意味するもの。一か八かなのよ。失敗すれば名前を失い買い物もできず自給自足の生活、自分を証明できないから医療も受けられない。』


瑞乃は、紅茶を一口飲んで静かにカップを置いた。

そして、夫の同僚とあるZF名簿者の話だと前置きをして、話し始めた。


最終的にコンピュータには予測できなかった人間のある行動によって起こった意外な展開と結末に、3人は耳を傾けた。















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