想いを綴る

「本当に、本当に申し訳ありません!」


 あれから宿に泊まって夜を過ごした。翌日サラの下に現れたのは、宿を経営している夫婦。

 一方は真っ青な顔で頭を下げる男性。対する女性の方はというと、頭を抱えつつも素っ頓狂な面持ちで彼を見ていた。


「なんかしたのかい?」

「君がね! 本当にお酒は控えて。ただでさえ君はお酒に弱いんだからさ!」


 昨日の穏やかそうな雰囲気はどこへやら、男性は少しも反省の色が見えない女性へこれでもかという大声で怒鳴りつける。

 言い方からして、これは今に始まったことでもないらしい。


 サラは今に至るまでの経緯を思い出す。

 結局フードはとても着られない状態になり、その臭いでサラも気を失いそうになっていた。

 男性は慌ててローブを脱がせ、急いで宿へと連れて行ってくれた。

 窓の外には一枚の黒のローブが干されており、まだ数回は洗いたい。思い出すだけで、あの臭いがともに蘇ってくる。


「とにかく、旅人さんからは宿代は取りません。そこは安心してください」

「なら、厚意に甘えさせてもらうよ。でももう気にしなくていいから」


 外に出てくると、サラは夫婦を置いて町へと繰り出した。

 着いた頃の賑やかな空気はなくとも、出店の数や人々の緩んだ表情から、まだ町はお祭りの最中なのだと実感する。


「ローブを外して歩くのは、少し新鮮だな」


 あれは特別製で、纏っているだけで髪色と瞳の色が変わる優れもの。

 故に今は自分で魔法をかけて色を変えているが、その感覚も久しぶりのものだった。


『サラ、あれはなんだ?』


 珍しくリューが興味を持ったのか、視界の端に映っていた出店へと歩を進める。

 見たところごく普通の出店のようだが、売っているものを見るなり、サラは眉を潜めた。


「これは……紙か?」


 様々な色のついた紙が並び、質素なものから綺麗な装飾のついた便箋も置かれている。

 こんなものを売ったとして、果たして商売になるのだろうか、サラには疑問だった。

 そんな彼女に話しかけてきたのは、店番らしい若い女性。

 快活そうな彼女は、元気な声でサラを出迎えた。


「いらっしゃい。お客さん、なにかお探しですか?」

「珍しいものが売ってるから気になっただけ」

「ああ、もしかして旅人さん? この祭りではね、明日の朝になったら大切な人に手紙を渡す風習があるんだよ」


 なるほど、ならばこんな日に手紙を売っているのも頷ける。サラが興味ありげに首を縦に振ると、女性は続ける。


「戦争があった頃は、戦場に出向いた兵士たちを激励するために始めたんだって。今は家族とか兄弟とか、プロポーズにも使うんだ」

「へえ」


 出された手前そのどれもがサラとは無縁のもので、あまりぴんとこない。


 しかし、大切な人に贈る手紙。

 旅立つときにサラの背中を押してくれたアリアからの手紙は、まだカバンの中に入っている。

 時折中身を眺めては、アリアの字に想いを馳せることもある。


「旅人さん、よかったら誰かに書いてみない?」

「……でも、書きたい人は遠くにいるから」

「届かなくてもいいんだよ。感謝を伝えるために、自分の言葉を文字にする。それが大事なんじゃないかな」


 確かに、サラは今まで誰かに手紙を書いたことはない。文字の読み書きはできても、それを使う場はあまりなかった。


「じゃあ、ひとつもらうよ」

「毎度!」


 お金を手渡し、一番簡素な白の紙と便箋を手に取って、サラはその場を後にした。

 宿に戻り、借りた部屋の机には羽根のついたペンと、黒いインクの入った瓶が置かれている。

 彼らの配慮なのか、もともとそこにあったのか。記憶は定かではないが、ありがたく使わせてらうことにした。


「よし、やってみよう」


 サラはすとんと椅子に座り、ペンを片手に紙と正面から向き合った。


 ……


 …………


 しばしの静寂が流れた後、サラは問うた。


「ねえリュー。手紙とはどんな風に書けばいい?」

『我が知らないのをわかってて聞くな』


 ですよね、とサラはふらりと頭を揺らし、机にごつんと額を打ち付ける。

 思い返して気づいたのだが、サラは今までに手紙を書いたことはおろか特定の誰かへこうして形の残るものを送ったことがなかった。


 肝心のアリアでさえも、誕生日は忘れたなどと言ってプレゼントを渡させてはくれなかった。

 何を書けばいいのか、何を伝えればいいのか。文字は頭の中を回っては耳から抜け落ちていき、未だにペンは止まったまま。


 そもそも感情を素直に伝えることを不得手としているサラに、手紙といういわば言葉しかない贈り物は、相性が悪い以外の説明ができない。


 リューも救いようがないのか、諦めて夢の世界へと消えてしまった。あまりにも薄情な態度にサラは苛立ちすら覚えている。


「薄情者っ」


 水晶を軽く指でつつき、ふて腐れた表情で紙を手に取る。

 ありのままでいいのだろうか。とサラは思う。


 アリアとの時間が終わり、サラ=メルティアの旅が始まったのは、昨日だったかもしれないし、何年も前の話かもしれない。


 それくらい、サラにとって毎日が発見と感動に溢れており、世界が眩しく輝いているようだった。

 その日々を綴れば、アリアは喜ぶだろうか。

 優しい彼女のことだから、なんでも喜びはするだろう。


 だから余計に何を書こうか迷ってしまう。


「……なにしてるの?」


 サラの部屋の扉、少しだけ開いた隙間から、背丈の小さな少年が彼女を見ていた。

 独り言が聞こえていたのか、恥ずかしいような気持ちを抑えながら、サラは上ずった声で答えた。


「えっと、手紙を書いてたんだ。君は?」

「僕はロッコ。パパとママがこの宿をやってるの」


 少年、ロッコの顔つきは、言われてみればあの優しそうな男性に似ている。

 ひとまず怪しい人間ではなさそうなので、サラは胸を撫で下ろす。


「私はサラ。旅をしている」

「……おねえさんは、大人なの?」

「いや、そういうわけではないけど」


 扉の奥でもじもじしているロッコ。何かを話したいのはわかるが、あまり人と話すのには慣れていないらしい。

 自分にもこんな時期があったなと懐かしくなり、サラは微笑んで手招きをした。


 その動作に肩を震わせるも、彼はおそるおそる部屋の中へと入ってくる。


「君も手紙を書くのかい?」

「……僕、まだ字が書けないんだ。だから、その……」


 言わんとしていることは、なんとなく察しがついた。

 サラは考えるまでもなく、首を縦に振る。


「いいよ。私が教えてあげよう」

「ほんと?」

「うん」


 旅をしている中でも、その前でも、サラは常に教えられる側だった。

 ここで初めて、サラは人にものを教える立場となった。優越感に浸りながら、ひとまず自分の手紙は置いておくことにする。


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