鎮魂の炎
少しずつ、確実にディロウへと近づく。
口元から血が滴っても、足取りが重くなっても、サラは歩むのを止めない。
いよいよ目の前となったところで、サラは力なく、膝をついた。
「もう、やめよう」
「……なんでだよ。なんで反撃しねぇんだ」
満身創痍となったサラを見て、彼は手を止める。
震える声で、ディロウは囁く。
「魔法は絶対にお前の方がつえぇ。使い魔だっている。その気になれば、すぐに殺せるだろ。なのに、なんで……」
今にも泣きそうな彼を一瞥し、ふらつく足を引きずってサラはもう一度立ち上がる。
苦しい。そんな言葉が頭を走りつつも、サラは笑ってみせた。
「私は、君を怒ることなんてできない。もしアリアに出会えなかったら、私も君と同じことをしていたかもしれない。私はたまたま拾われて、魔法を教えてもらって、たくさんの優しさをもらった。だから今の私がいる。そんな運だけで生きてきた私に、怒る資格なんて、ないんだよ」
何かを言いたげに、ディロウは口を開いた。
うるさい、黙れと一蹴したかった。しかし、言葉は喉の奥に引っ掛かって出てこない。
その理由が、彼にはわからなかった。
行き場のない怒りに、憎しみに従って生きてきた彼にとって、今目の前にいる少女が、理解できなかった。
「……じゃあよ。今から俺に殺されてもいいのかよ」
「うん。君になら、構わない」
ディロウは歯を食いしばる。怒りが頭の中を支配し、そのままサラの胸ぐらを掴み、引き寄せる。
身体が浮いてしまいそうな彼女に、彼は吠えた。
「どうしてそこまで善人ぶれるんだ! 死ぬんだぞ、死んだらそこで終わりなんだよ。なのにどうしてそう簡単に、死んでもいいなんて言えるんだよ。なぁ!」
持ち上げて強く揺する。しかし、サラは薄くも未だ笑顔が張り付いている。
その表情が、よりディロウの冷静さを奪う。
喉が締められつつも、サラは掠れた声で続ける。
「自分で死ぬよりは、ずっといい。アリアがいなくなったときに比べたら、苦しくない」
目は合っているはずなのに、サラはどこか遠くを見る。
あの日の自分を思い出すかのように、目の前の少年を見据えた。
するとディロウの腕から力が抜け、サラは地面へと落とされる。
むせ返るサラ、対して彼は俯いた。拳に力が入ったまま、彼女へ問うた。
「お前、生きてて苦しくねぇのかよ」
「苦しくない、といえば嘘になるかな」
「……俺は、生きたくなんかねぇ。けど、人間に殺されるのはもっと嫌だ」
噛み締めるように、一つひとつの言葉からは思考があるようだった。
さきほどまでの激昂した様子もなく、サラは落ち着いて彼の言葉を聞く。
「なぁ。頼むから、もう殺してくれよ。こんな残酷な世界で、俺は生きたくねぇ」
その目に殺意はない。すべてを諦めたような、生気を失っているようにすら見えた。
しかし、サラは首を横に振る。
「ダメだよ。君は生きなきゃいけない」
「だから、どうしてお前が!」
「私じゃない。君を逃がしてくれたお父さんやお母さんは、君に生きてほしかったんじゃないかな」
ぷつりと、ディロウを留めていた糸が切れたように、ぽかんとした表情のまま制止する。
サラが見た記憶。ディロウを見送った父親の目は、優しさそのものだった。
彼が気づいていなかっただけで、彼を愛していた人は、確かにいた。
「今はこの世界にはいないかもしれないけれど、彼らの分まで生きることが、恩返しになると思う。私も、そうやって今日を生きているよ」
「……同じだと思ってたのに。なんで、こんなに」
ディロウの顔を見るなり、サラはぎょっとした。
彼は、目から大粒の涙を流していた。溢れ出した感情が、雫として流れる様を、サラは呆然と眺める。
ようやく気づいたのか、彼ははっとして顔を拭う。しかし涙は止まらず、何度拭っても止まないようだった。
「なんなんだよ。なんで俺とお前は、こんなに違うんだ」
「そんなに差はないよ。私の方が少しだけ、運がよかっただけ」
「結局それかよ。クソむかつく」
それから、ディロウは暫く顔を隠し、座り込んでしまった。
すすり泣く声を聞きながら、サラもまた地面に横たわる。いい加減、痛みも限界に近いことに、ようやく気づいた。
『いいのか。放っておいて』
除け者にされていたことが不服だったのか。つまらなそうに、リューはサラの下に戻る。
手を差し伸べると、リューはたちまち水晶の首飾りに戻り、サラの首に巻きついた。
リューを撫でつつ、答える。
「彼はどうしても他人には見えないからね。これを機に、人に優しくすることを覚えてくれると、嬉しいんだけど」
『できるか?』
「彼次第だよ」
ディロウが今までにしてきたことは、到底許される行為ではない。
たくさんの生命を奪ってきた事実は変わらず、いつまでも彼の人生に付きまとう。
その重さを、苦しさを理解することはできない。けれど、許すことくらいはできるのではないか。
訳もわからないまま泣く彼を見て、サラは思う。
「……謝らねぇからな」
ひとしきり落ち着いたのか、ディロウはサラを睨んで呟いた。
前科については謝ってほしいが、サラは苦笑して答える。それにこれ以上、彼を責める気にもなれない。
「じゃあ、この人たちを戻せる?」
そう言うと、ディロウはバツが悪そうに目を背ける。
答えは聞くまでもなく、あまりいいものではなさそうだった。
「一度死んだことに変わりはねぇ。俺には戻し方もわからねぇし」
「そう……じゃあ、せめてこの魂だけは、なんとかしないと」
「魂?」
ディロウが首を傾げる。
サラが宙を舞う魂たちに指をさすと、やっと彼にも見えたようで、目を白黒させた。
「げ、なんだこれ」
「見えてなかったのか」
ふむ、とサラは何かを考える素振りを見せる。なんとかこの魂たちだけでも、楽にしてあげられないだろうか。
しかし彼女は鎮魂のやり方を知らず、今知っている魔法の応用で代用できないか、頭を捻らせた。
ディロウはその表情を覗き込み、問うた。
「なんかねぇのか。得意な魔法とかよ」
「得意」
一番長く触れてきたのは薬の調合だが、肉体がなければそれも意味を為さない。
何かないだろうか。行き場のない魂たちを、弔う方法を――
「あっ」
「んだよ。早く言え」
『随分偉そうだな。小僧』
ディロウにも念話を飛ばし、やや調子のいい彼をリューが諫める。
サラは続けた。
「死者の魂は、夜を彷徨う火となって現れる。なら、この魂たちを炎に変えて、送ることはできるんじゃないかな」
「燃やすくらいなら、俺にもできるぜ」
サラは頷き、また水晶を撫で、リューに呼びかける。
「リューの力も貸してほしい」
『仕方あるまい。炎を生み出せばよいのだな』
思いついたらすぐに行動するのがサラ。意識を集中させ、周囲を漂うマナに触れる。
「大いなる生命の礎よ。どうか、行き場のない彼らを、在るべき場所に還してくれ」
想像でしかない。きっと正しいやり方があるはず。
しかし、いつだって魔法は、魔法使いの想像から生まれてきた。
賢者たちの絵空事は、生命が叶えてくれる。いつかの話の中で、アリアが言っていた。
サラの手の中にマナが集まり、徐々にその色を赤へと変えていく。
それは小さな火の玉となり、周囲を漂う魂に取り入った。
すると、半透明だった魂は青白く燃え、形となって宙を舞う。
「死ぬことは苦しいかもしれない。けれど、怖がらないで。大丈夫、私が送るから」
リューの力を借り、サラの手から次々と火の玉を生み出す。
ディロウもまた見様見真似で、そっと魂たちに火をつける。
魂たちは一度サラの下に飛んできたかと思えば、一つ、また一つと空高く舞い上がっていく。
あたりを照らす小さな炎、弱く光るマナ。そしてサラたちの出す魔法。
その光景は幻想的で、しかし確実にかかっていた濃い霧を晴らしていった。
最後に残った魂が、サラの下へとやってくる。
言葉を話せるわけではない。だが確実に、何かを伝えたくてやってきた。
「ありがとう。とても素敵な町だったよ」
手を差し出すと、魂はそこに停滞したかと思えば、やがて他と同じように、空へと消えてしまった。
最後まで見守ってくれた彼女の姿を、胸の奥にしかと刻みつける。
「おい、死体が」
ディロウの声に振り向くと、あたりを彷徨っていた屍たちが、次々と土の中に溶けてく。
水に溶ける氷のように、それらは跡形もなく消えていった。
同時に彼の持っていた懐中時計は、パキンとガラスが割れ、動かなくなったようだ。
ようやく一段落がついた。そうして気が緩み、サラの膝から力が抜ける。
「今日はよく倒れるな」
乾いた笑いをディロウに向けると、彼は口を尖らせる。
「……悪かった」
「そういうときは、ありがとうって言うんだよ」
優しく、力なく微笑んでみせる。
ディロウはそっぽを向いて、しかしちらちらと彼女を見て、溜め息を吐く。
やがて口をごにょごにょと動かして、呟いた。
「……あり、がとな」
あまりに苦しそうに言うので、サラは思わず吹き出した。対する彼は悔しそうに歯軋りをし、背を向けて歩き始めた。
「待って。まだ聞きたいことが」
「うるせぇ。これ以上お前みたいな奴と話してるとイライラすんだよ」
その背中には、怒りや憎しみが消えたとは言い切れない。
しかし、少しだけ、彼が自分の感情と向き合っている。そう思えた。
すっかり晴れ渡った空から、燦々と輝く太陽が覗く。
その光を手で覆い、透かして見る。
「これで、よかったかな」
『我にはわからぬ』
「ふふ。そうだね。……また会えるといいな」
次に会ったとき、彼はどんな顔をするだろうか。
悔しそうな顔をすることは想像に容易で、サラは笑みを零した。
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