夢見る者

 サラの上空を舞うリューが問うた。


『もう用はないだろう。殺してしまえばいい』


 数刻前のサラであれば、それをしたかもしれない。きっと情けなどなかった。

 だが、確信してしまった。


「彼は……私と同じだ。私は、彼を殺せない」


 いつも頭の片隅で考えていた。もしもアリアのような人間に拾ってもらえなければ、どうなっていたか。

 サラはアリアからたくさんのものをもらった。

 家や知識だけではない。優しさ、考え方、今のサラが生きる理由すらも。それらすべてがなかったとして、果たして憎悪を飼い慣らせただろうか。


 もしもを妄想したとて、意味がないことは彼女も知っている。しかし、その可能性は目の前に現れた。

 彼は、サラのあったかもしれない姿。そう考えてしてしまった。

 対するディロウは、表情を歪ませたまま、無理やり笑ってみせる。


「なんだよ。やっぱ腑抜けじゃねぇか。同情したか? 可哀想だと思ったか?」


 ずかずかと歩み寄るディロウを前に、サラは動けない。視界はまだ光がちらついて、嫌に心臓の鼓動は早い。

 暑くもないのに、額からはじわりと汗が滲んでくる。


「じゃあ教えてやろうか。この町の人間たちが、どこに行ったか」

「どういう、こと……?」


 嫌な予感は寒気に変わり、サラの体温を奪う。

 すると、突如として足下から気配を感じる。生命の匂い、しかしてどこか乾いた匂いがした。


「俺は普通の魔法はからきしだけどよぉ。おもちゃ作りは得意なんだ。だからちょっと試してみたくてよ」


 ディロウが取り出したのは、鎖に繋がれた懐中時計。

 一見ただの時計にも見えるが、魔力を見据える魔法使いには、それが普通のものではないと気付ける。


 ピリリと張り詰めた空気の中、不気味に笑う彼の背後から、一本の腕が生えてくる。否、突き出して這い上がってくる。

 やがてそれは上体を露わにし、それが何体も這い出てくる。


 およそそれらに、生命の気配はしない。

 爛れた肌は既に人間らしい色でもなく、獣のような呻き声ばかりで、言語は既に出せないようだった。

 突如として現れた多くの人間……だったであろうものたちを見て、サラはそれが誰なのか。どこに住んでいた人たちなのか。考えるまでもなかった。


「この人たちは、この町の」


 息を飲むサラは無視して、ディロウは足早に答える。


「ああそうさ。この道具はな、魂のない肉体ならなんでも人形にしちまう代物だ。お前には作れないだろ。悔しいかよ、なぁ」


 殺伐とした表情はそのまま、今にも噛みついてきそうな獣のような空気を纏い、サラは即座に後退して距離を取る。

 低空を舞うリューが、サラに問いかける。


『どうする。焼き払うか?』

「ダメだ……この人たちは、壊しちゃダメだ」


 彼らはもう死んでいる。彷徨う魂たちがあの身体に戻ったとて、それはもう人間ではない。

 そもそも、一度乖離してしまった魂を戻す術をサラは知らない。


 生き返らせることもできない彼らは、一思いに屠ることも手であると、頭では理解していた。

 だが、今の彼女にはその一振りが、一声が出せない。


「やれ」


 先に声を出したのは、ディロウだった。

 彼がそう告げると、懐中時計の針が動く。するとあたりを彷徨っていた屍たちは、操られたかのように規則性をもって動き出す。


 真っ直ぐにサラに向かって、ゆっくりと歩み寄る。

 なおも動かない彼女に、リューは苛立ちとともに吠える。


『早くしろ。お前が死ぬぞ!』

「わかってる。けど、私には……」


 狼狽えるサラを無視して、リューは喉の奥に炎を蓄える。

 ドラゴンの最大にして最強の攻撃。人間の屍とあらば、耐えられるはずもない。

 屍がいよいよサラに触れようかというところ、リューが火を吹かんと口を開いた。その瞬間――


「……ァ」


 蠢く屍の女性らしき一体が、一歩早くサラの前に立ったかと思えば、踵を返して彼らの前に立ち塞がる。

 両手を広げ、何か言いたげに口を動かしている。しかしそれも人間の言語ではない。

 だが確実に、集団となって動いていた彼らの足が一つ、また一つと止まっていく。

 その光景を見たディロウは、眉を潜める。


「なんだ。まだ意志があるとでもいうのか」


 土で汚れたのか、腐ったのか。長い髪はやや黒く染まっていつつも、その合間から元が小麦色だったことが伺える。

 その色、長さを見て、サラははっとした。


 夢の中とはいえ、サラにこの町を案内してくれた、あの優しい女性であると確信した。

 実際には会ったことなどない。それでも確かに、あの女性はサラを守ってくれている。

 言い様のない感情に触れ、凍ったように思えたサラの身体が、じわじわと感覚を取り戻していた。


「……んだよ、使えねぇ。つまんねぇ! ああつまんねぇなぁ!」

「もうやめよう。これ以上争っても、意味はないよ」

「うううるせぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 ディロウがサラに向けて手のひらをかざす。すると光の粒だったマナが集約し、塊となって放たれる。

 サラは目前に立つ女性を押しのけ、その身で受ける。

 魔力の物質化の応用魔法。決して威力こそ高くないが、打撃としてサラに痛みを与える。


「なんで庇うんだよ! クソクソクソッ!」

「サラ!」

「来なくていい!」


 リューを片手で制し、攻撃を食らった右肩を庇いながら、ディロウを睨む。

 もはや言葉にするまでもない。やめようと、目で訴えた。


「……やめろ。そんな目で俺を見るな!」


 ディロウは立て続けにマナの塊を作っては飛ばし、サラへとぶつける。

 盾を作って、その身を守ることもできる。しかし、サラはそれをしない。

 力が残っていないわけではない。抵抗せずに、ただ視線の先に立つディロウを、見つめ続けた。


 何度もぶつかり、身体中が激痛を訴える。しかし彼女は一歩ずつ、ゆっくりと歩を進める。

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