第2話

靴を履いて顔を上げるまで目の前に広がる世界は冬の色に溢れていた。夏のような鮮やかさはないがそれでも色づいていた。しかし今の世界はグラデーションのついた赤色で、グレースケールの赤色バージョンと言うのがふさわしい。目をこすってみて、何度もまばたきをして、頬を叩いてみたが何も変わらない。


「は?」


呟きが後ろの方から聞こえてくる。振り向くが誰もいない。口に手をやるとそこには開いたままの形で止まる唇があった。ようやく呟きが今手を置いている口から出たという事に気づく。自分でも思い当たらないうちに自然と驚愕の言葉が出てしまったら

しい。


フラフラとした足取りで昇降口から外へ出る。

雲が覆い隠す冬空に透けるようにある太陽も何もかもすべてが赤色(せきしょく)です

べてが偽物のようだ。真っ赤な風景画に迷い込んだようでめまいがする。

「なんだよ…これ」その場に立ち尽くす。


同時に避難訓練の情景が頭に浮かぶ。剛志がエラく楽しげにしてたのを思い出して腹立たしくなった。なんだっけな。おかしもだったか、それともイカのおすしだったか。とりあえず逃げ出そうと思ったが、少し考え直す。先程の語呂合わせっていうのは考えてみればそもそも危険から逃げる場所がある前提としてのものだろう。地震とか火事とかそういうのは原因もはっきりしているし、危険がないところに行けば良い。しかし現状何も起こってないとはいえ、こんな奇妙奇天烈事態には対応していない。


ここでもう一つの可能性について気が付いた。そもそも自分の目が急にぶっ壊れた可能性もあるだろう。昔から視力検査のCは一番ちっこいのですら見えたし、何なら校庭にいる人間が誰か教室からはっきりと識別できるほど異様に目がいい。しかし異常に目を酷使する現代人が急に目を悪くすることは何ら不思議ではないだろう。となれば正常であろう他人を探すのが先決かもしれない。


先程小春がいたことを思い出す。集団記憶喪失ならぬ集団暗記シート症候群とかの病気を発症したわけでなければいつものように馬鹿にしてくれることだろう。少し駆け足気味で校舎へ向かう。

中に入ると「こはる!」と叫ぶ。しかし返答はない。もうどこかへ行っていても仕方ないだろう。成績優秀な彼女はどんな日でも大抵は図書館で自習しているはずだ。今日もそれで残っていたのだろう。


下駄箱を越え、部活動をしていたはずの廊下まで向かう。廊下までたどり着いたが人の姿はなく、そこで使われていただろう雑巾が無造作にそのまま残っているのみだった。嫌に寒気を覚えた。昔夜中の学校に忘れ物を取りに行ったことがある。先生に話は通していたのですんなり入れたし、先生が教室までついてきてくれた。だが、そこには廃墟に似たような空気、人気がない建物の物悲しさ。隣には先生がいて住んでいる人はいないが普段あれだけの人間がいるのにもかかわらず、建物自体が人間が住んではいけないという危険信号を出しているような。そういったある種独特の雰囲気が流れていた。


現在赤くなったこの校舎も全く同じ空気を肌で感じる。耳を澄ましてみても足音一つしない。それどころか息遣いも、そもそも人が今までいた建物とすら思えない。下手なお化け屋敷よりもよっぽど怖い、冷や汗も滝のように出そうな気持ちだ。なんだか廊下の左右から目が離せない。


その時ぽたりと雫が落ちる。やれやれこの短時間で本当に冷や汗でもかいてるのかと、手で顔全体を拭う。手にはその雫がついた。見ると蒼い(あおい)。蒼い?こんな真っ赤になってしまった世界で?なぜ手が青く染まっている?その疑問は廊下についている今は赤い姿見で解決した。


姿見には黒目の部分が紺青に爛々と輝き、目から血のように蒼い液体を流す少年が立っていた。

鏡に近づいて手を伸ばして鏡に触れると雫が鏡を蒼く染める。鏡は雫をすべて下に受け流し、下のタイルに垂れた雫がそこを蒼く染める。

毒を持ったカエルか何かに目から危なげな汁を出すやつがいたなとか思い出した。


「ちょっといいかしら?」

後ろから声がした。今度は本当に後ろに人がいる。残念ながら真後ろにいるようで鏡で姿までは見えない。心臓を鷲掴みにされる。もちろん某暗殺一族のように手刀で鷲掴みにされたわけではない。答えようとするが口がうまく開かない。声がでないので本当はもう心臓が取られてるのかもしれない。沈黙が続く。


「はぁ...だんまりってわけね」


「き、き、君は誰だ?」ようやくひねり出せた答えがそれだった


「あら、喋れたのね。じゃあ顔を見せてもらおうかしら」


そう言われながらゆっくりと振り向く。それなりにあるであろう長い髪の毛を胸程に短くなるようにツインテールに束ねた金の髪に、白くそれでいて艶やかさを兼ね備える肌。そして髪の色に負けず劣らない、この赤い世界でも艶やかな赤の瞳を持つ少女がいた。スリットが入り、動きやすさを重視した黒のスカートに黒のタイツ、黒とは対照的にフリルの付いた純白な白いブラウスを纏う彼女は恐ろしく綺麗な女の子だった。だがその手には体躯に似合わない大型の銃が握られ、その銃口がこちらへ向けられていた。


「思ったより若いわね。見た感じ同い年?日本人は童顔で検討つかないわ」


「まあなんでもいいわ。私は疑わしきは罰するってスタンスなのよね」鋭い眼差しで

照準をつけながら引き金に指をかける。


「ちょっ、ちょっと待ってくれよ」両手を上げて完全に降伏のポーズをする。銃なんて映画の中でしか見たことないのでこんなポーズもしたことなかったが、理に適って

るものだと感心する。

「いや待たない」ほんの少し眉が動いた気がしたがほとんど同時に引き金にかけられた指の力が強くなる。


その時影とも言うべき黒いモノが間を横切る。赤い世界でも黒だった。

「あっちが本命か」

「何だったんだ今の?」影のような黒い物に気を取られてそちらの方を見ていると足に鈍い痛みが走り、その数瞬後半身が悲鳴を上げた。どうやら足払いを受けたようだ。鈍痛に悶える。カバンは遠くの方に飛んでいく。


「うぅ・・・」

「貴方、早くあれを止めなさい」超近距離に近づいた彼女から恐ろしく冷徹な口調でそう言われるが何のことかさっぱりだ。


「聞こえないの?命が惜しかったら黒いのを止めろって言ってるの」

今度は冷たく、敵意のこもった口調だった。このままだんまりだったら本当に撃ってやるそういう口調に生命の危機を感じて何か言わなければいけない。しかしペラペラ喋っていたらズドンなんてことになりかねないかもしれない。端的に警戒を解くためには何を言ったらいい?今日一日しょうもない惰眠のみでブドウ糖を無駄遣いし続けていた脳みそをフル回転させる。


それではこんなのはどうだろうか?

『ご明察だが、僕を殺したらヤツはもう止められないぜ』

あえて黒幕を演じてみる。黒幕が終盤でよく言う自分を殺してもやつは止まらないぜみたいな。普段ゲームだとそのヤツが止まらないかどうか関係なくうざったいから殺したいのだが、うーん、今回の場合は殺されはしないだろうが殺されないぐらいにボコボコにされそうだ。


『お前はもう包囲されている』

警察が立てこもりなどで拡声器を持って言っているイメージがあるのだが、デメリットだけでメリットがないのなら出ていかないのではとも思う。立てこもるぐらいなのだからある程度覚悟を持っているだろうし、人質を皆殺しとかにもしかねないと思う。セリフはカッコいいけどね。

今回の場合だと何に方位されているのか意味がわからない。何に?空気に?確認できるものが何もないからさっぱりだ。もし本当に警察やら特殊部隊やらが包囲してくれているならこの状態をどうにかしてほしい。


真面目に考えよう。どうも痛みでおかしくなっている。

『僕はこの学校の生徒で、急にこんな状態になって訳がわからない。どうなっているか知っていたら説明してほしい』

こう言ったらどうだろうか?えらくまともで真っ直ぐな説明だ。確かに制服を着ているから学校の生徒だとはわかるし、動いたりしなければ話し切ることはできるかもしれない。


だが、制服ぐらいで判断できるだろうか。制服というものは往々にして近所もしくは近々の土地に住んでいなければ判別不能だろう。まずもって、学ランであるここの学校は男子制服に至ってはほとんど他の学校と違いがない。ワンポイントでボタンに校章があしらわれている程度だ。となれば近所に住んでいる人ですら遠目では判断すらつかないかもしれない。第一彼女みたいな外国人の風体をした人間を近所で見たことがないし、彼女自体も制服を着ていないことを見ると、見た感じ学生らしいということしか分からない。日本語は流暢なので日本文化には触れているのだろうが。


そもそもの前提として自分の身分や状態を嘘なり正直になり、明かす必要はあるのだろうか?彼女の言動だと先程の影はスタンドのようなものだろうと思える。星の白金やら天国の扉やら石の海とかのスタンドと本体の関係だ。つまり明らかにヤバい高速で動く影がスタンドと仮定したとすると、その本体はお前だと目星をつけられたのだ。

普段の学校ならいきなりここまでの扱いをされることはなかったかもしれないが、他の人間の息遣いが感じられないほど静かになったこの赤い学校である。

結果、現在この場所にいる人間すべてがグレーであり、影と一緒に登場した人間がいたならばそいつは限りなくクロであるのだ。

「おいおい、決めつけるのは早いんじゃあないかい」なんてなセリフを言ってみたいものだが、この状態でそんなことできたものじゃない。ああ、黄金の精神があったら良かったね。そうしたら素晴らしい解決策が出たかもしれない。


万事休す。このまま殺されるのだろうか。これが死に際の景色かとぼんやり思いながら、うずくまった状態でかろうじて見える天井を見る。そこにはスライムのように四肢を突っ張り今まさに解き放たんとする引き絞った弓のごとき先程の影が見えた。

ヤバい…非常にヤバい。諦めかけていた思考が一瞬で現実に引き戻された。今まで銃を向けている彼女に対する言い訳を考えていたわけだが、あいつにはその余地がなくそもそも言葉が通じるのかすら怪しい。先程よりも重大な危機に瀕していると言って差し支えない。


どちらを狙っているかとかは分からないが、明らかにこちらの方向を狙ってきている。言っている間に一点に集中した影の先端が捩じられ鋭い矢じりのように形態を変え始めていた。


「あれ?気絶した?」

背中側にいる彼女の方からそう言う気の抜けた声が聞こえる。影には全く気がついていないようだ。できれば彼女も助けたい。悪いやつかもしれないが、足払いしてきたところを見ると物事を穏便に収めたい意志を感じる。自分だけ逃げても影に殺されそうだし、かつ事情通であろう彼女をここで逃す手はない。どうしたものだろうか。


急に手を掴まれる。

薄目を開けてみると片膝立ちの状態でこちらの手首をつかんで脈があるかどうか確かめている姿が見えた。こちらが低いからか、かなり前傾姿勢だ。

先程は気が付かなかったが太ももとウエストにごちゃごちゃとベルトやポーチがついている。銃もすでに太ももに吊り下げられている。


字面上はクールに見えるが、そんな状態の彼女のスカートはおおよそその体を隠す役割を全うできておらず、彼女はあられもない場所をガッツリこちらへ晒していた。

黒いタイツに下地の白が辛うじて透けて見える。具体的に言えばパンツが透けて見えている。刺繍すらぼんやりと。


ミニスカでしゃがむとぎり見えるか見えないかと言うのがあるが、寝ている人にミニスカで膝立ちをするとガッツリ見えることがわかった。

こんな状態でなければ内心ガッツポーズものなのだが、危機が差し迫っているのでそうもしていられない。

彼女はそのことに気が付かないまま一生懸命に脈を探っている。どうやら医療知識について持ち合わせが無いようで、未だ脈の有無を判別できず首をひねっている。


影の方を見ると大部分がほとんど矢じりの形を形成するのに使われ、細い縄のようになったそれが今まさに放たれるか否かというところだった。押し留めるために細い縄のようになった部分が更に細さを増していく。

放たれる寸前のタイミングを目で見計り。覚悟を決める。


「おりゃあ!」


「きゃっ!」


彼女が脈を探っている腕を滑らせるように彼女の背中まで持って行き、同時に反対の手は腰辺りに手を回す。そしてギュッと自分の方に抱き寄せる。前傾姿勢の彼女はこちらに倒れ込み、その反動で回転を始める。

先程、足払いで倒されたのでびくともしないかとも思ったが案外すんなりと抱き寄せることができた。体格差と彼女の意識が脈をみることに向けられていたのが大きかっただろう。だが彼女はそんな不意打ちみたいな状態でもしっかりと反撃することができるようで、抱き寄せる寸前に腹に食らった拳がかなり痛い。華奢な体に恐ろしいパワーを秘めている。


瞬間、ものすごい轟音。寝返りをうつように転がった背中にパラパラと細かな礫のようなものが当たる。だがその礫は一瞬で止んであたりは静まり返る。どうやらどうに

か避けることができたらしい。胸をなでおろす。


「・・・して」


「?」


「離して」


彼女にぎゅうぎゅうと胸のあたりを押されるので手を離す。体が離れたそばから彼女は立ち上がり銃を抜いた。こちらも殴られたお腹をさすりながらゆっくりと立ち上がり、両手を上げる。顔を上げて彼女の顔を見ると困惑と懐疑の色が見えた。銃口もこちらではなく少し下方を向いている。


「どうして? いえ、そもそもあなた何者?」


「出会い頭に殺されかけるしがない学生だよ。君も僕も危なかったから頑張った」


しがない〇〇って一度言ってみたかったけど言ってみて思ったけどなんていうか、くさいセリフだなこれ。彼女がこちらの返答に考えこんでいる間にちらりと廊下を見ると廊下が破砕していた。穴が空いたとか、槍のように影が刺さるぐらいのことを想像していたが、爆薬で吹き飛ばしたかのように着弾地点がものの見事に砕け散っていた。


「ちょっと待って。今整理してるから」


「取り敢えず靴箱の裏に隠れよう。あれも動いてないみたいだし」


「え、ええ。随分落ち着いてるのね」


二人で靴箱裏を背にして座り込んで隠れる。彼女も予想以上にすんなりと動いてくれた。少しは誤解が解けたのかもしれない。


「あなたは…うーん」


彼女は何を聞けばいいのか迷っているようだ。ここは自己紹介をするのがいいかもしれない。


「2年1組、御鏡写世。てんびん座、O型、趣味は特別ない。好きなタイプはおしとやかな人。よろしく頼む」


彼女は考えている途中にそんなことを言われたものだから面食らったようすで困惑している。


「えと…」

一度そこで言葉が途切れるが、コホンと可愛らしく咳払いをした彼女は赤色の目でジッととこちらの目を覗き込み

「取りあえず敵じゃないってことでいい?」

そう尋ねてくる。

軽くうなずくと「そう」と返ってきた。どうやら自己紹介は盛大に滑ったらしい。穴があったら入りたいどころかそのまま埋めてほしい。打ち首のように並べてくれ、そのまま気絶するから。羞恥心で悶えているとリゼが口を開く。


「あなたあれを良く避けられたわね」


「影みたいな奴のことか?たまたま天井にいるのが見えただけだよ」


「たまたまねぇ?」


「ふと見上げたらいたんだ」


「そういうことにしとくわ」


彼女はそう言うと黙って何か考えているようだ。ただ数秒後には口を開く。

「まずは謝るわ。痛めつけてごめんなさい」


しおらしく謝られた。頭は下げないが、手を胸に当てている。なんていうか外国のいいとこって感じだ。上流貴族みたいな雰囲気?久しぶりに真っすぐ謝られた感じがする。というか日本人はまっすぐ見たまま謝ってこないよななんて思う。まあ頭を下げたら下げただけ謝罪の気持ちがあるって文化で顔なんて、頭を下げたら下げたぶんだけ見えないんだけど。


「あぁ、いいよ別に」


本当は全身バッキバキに折られたんじゃないかってぐらい痛いが静かな優雅さというか高貴さの圧に負けてしまった感がある。


「許してもらったところで自己紹介。私はリーゼル・F・紋雪。リゼって呼んで」リゼは少し柔和な表情になった。続けて「星座と血液型はわからないの、趣味は読書。好きなタイプは・・・」


少し赤い顔でゴニョゴニョと何かを言ったが小さすぎて聞き取れなかった。あー、最初に自己紹介した人のテンプレートそのまま使うやつだ。流れができちゃうと止めるのはしんどいが二人なら関係なく自己紹介すればよかったのに。

言い終わるとやりきった顔で赤くなった顔を手で仰いでいる。「ひー」とか言っている。


最初の印象からは想像できないほどコロコロと表情が変わる。

「で、聞きたいことはいっぱいあるんだがまずは君は何者だ?」

すると彼女は立ち上がり軽やかに笑い、そしてこう言った。



―――私は魔術師 リーゼル・F・雪紋!

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