83.ブルータス、任務を遂行する。



 遠くの方から、警音器の音が聞こえてきた。ブルータスは、仲間と共に馬車の外へ視線を向ける。



「坊やか?」

「えぇ。恐らくアーサー王太子に押されているんでしょう」


 小さく苦笑を零すと、ブルータスは自分の手元へ目を戻した。着ていたエインズワース騎士団近衛部隊の軍服を、脱ぎ捨てる。



「思った以上に時間を稼げなかったな」

「だよな。あいつ、本当使えねぇの。だから兄貴に何もかも負けるんだよ」

「だが、傀儡にするなら馬鹿の方がいい」

「確かに。そういった意味では、いい王子だったな」

「俺達が脱出する時間を、身を呈して作ってくれたわけだし」

「でも、まさか暗殺現場にわざわざ出向くとは思わなかったよな」


 馬車の中に、笑い声が湧き上がる。


「あれなぁ。俺も嘘だろって思った。いくらブルーが進言したからって、もうちょい考えてから行動しろよって話だよな」

「ま、向こうとしては、それだけブルーを信頼してたって事なんだろうけど」

「渡した猫だって、そこら辺から適当に捕まえてきた奴なのにさ。全然気付いてなかったし」

「そんな全幅の信頼を寄せられていたブルーさん。王子様の期待を裏切り、まんまと嵌めてみせたご気分はいかがですか?」

「そうですね。私の言う事にほいほい騙され、王太子暗殺や悪魔召喚に手を出してしまったウィリアム王子は、本当に素直な方だと思います。この後、暗殺未遂と禁術行使の罪で裁かれると思うと、非常に心苦しいです」

「加害者の癖によく言うわっ」



 また笑い声が響いた。

 反対に、警音器の音は止む。



「あ、止まった。力尽きたのかな?」

「もしくは、王太子に捕縛でもされたんじゃね?」

「あー、あり得る。寧ろそれじゃないか?」

「という事は、いよいよこっちの動きに気付かれるかも?」

「かもしれませんね。少し急ぐとしましょう」


 ブルータスは、どこにでもありそうなシャツとズボンに着替えると、御者へ声を掛けた。



「でもさぁ。王太子暗殺出来なかったのは、やっぱ痛いよなぁ」

「お前、まだ言ってんの?」

「だってさ。王太子も国王も、なんならあの坊やも、王族は誰一人仕留められなかったんだぜ? なのに撤退とか、そりゃあ言いたくもなるだろ?」

「タイミングが合わなかったんだからしょうがないじゃないか」

「それに、あれ以上あの国にいたら、俺達の目的がバレてたかもしれないんだぞ? レッド達も捕まっちまったし」

「そりゃあ、そうだけどさぁ」

「いいじゃないか。王族は駄目だったけど、代わりに国の中枢を担う奴らをいくらか間引けたんだから。我らが国王も喜んで下さるって」

「だといいけどなぁ」


 溜め息を吐く男の背中を、ブルータスが叩く。


「安心して下さい、グリーン。今回の件は、既に国王に報告しています。撤退の了承も得ています。だから、お咎めを食らう事はありませんよ」

「……本当か?」

「えぇ。まぁ、宰相殿からは、多少のお小言を頂くかもしれませんが」

「それと、給料カットもな」

「うへぇ」


 グリーンと呼ばれた男は、顔を顰める。途端、仲間からは笑いが零れた。


 話している内容に反して、馬車の中は至極和やかな雰囲気である。



「所で、ブルー」


 グリーンが、ちらと馬車の後方を見やる。



「それ、どうする?」



 この場の視線が、一点へ集まった。



 馬車の後方には、ブルータスの相棒である狐、ホワイティがいた。

 ホワイティは隅で大人しく丸くなっている。


 その艶やかな赤い毛の間から見え隠れする、黒。


「……ピュウ……」


 か弱い鳴き声も、細く聞こえてくる。


 先程ホワイティが拾ってきた、黒い子猫だ。



 いや。


 正確には、黒い子猫に擬態していた、小人こびと族だった。


 身に纏う黒猫の全身スーツは何故かずぶ濡れで、力なく蹲っている。



「どうしましょうねぇ」


 恐らく、悪魔召喚の際に呼び出した個体だろう、とブルータスは見当を付けていた。何故ホワイティが見つけてきたのかは分からないし、何故森の中にいたのかも分からない。

 最初は、第五番隊隊長であるトロイの部下が擬態しているのか、とも思った。しかし、もし擬態だったとしたら、ホワイティが見抜けない筈がない。ブルータスの元まで運んでこずに、その場で噛み殺しているだろう。



「このままオルブライトまで連れていくのは、正直懸念がありますよ」


 小人族は、動物に好かれやすい性質がある。それは、ホワイティを見ている限り、事実なのだろう。でなければ、率先して小人族のベッド代わりを務めるとは思えない。


 好かれやすい。それ自体は、別に構わない。

 だが、小人族に好意的なせいで、ホワイティが任務に支障をきたしてしまわないか、それが心配だった。

 相棒を疑いたくはないが、しかし、不安は拭えない。

 万が一自国を滅ぼされては堪らないのだ。



「……コン」



 つと、ホワイティがブルータスを見上げる。


 その眼差しは、以前と全く変わっていない。



 しばし見つめ合い、ブルータスは徐に、微笑んだ。


「ですが、折角の小人族です。戦力にするにしろ売るにしろ、使い道はあるでしょう」


 そう言って、ホワイティの頭を撫でる。ホワイティは目を細め、気持ち良さそうにブルータスの手を受け入れた。



「本当に大丈夫か? 猛獣なんか呼ばれたらどうするんだよ」

「そうなる前に、話をしてみます。小人族の言葉は多少扱えますからね。そこで説得なりなんなりして、猛獣を呼ばせないよう仕向けます」

「なんなら、俺らの部隊に組み込むとか出来ないかね? いい戦力になると思うんだけど」

「どうでしょう。小人族は戦いを好まないらしいですからね。高望みはしない方がいいんじゃないでしょうか」

「そっかー、残念」


 左程落ち込む様子もなく、グリーンは肩を竦める。


「んじゃ、取り敢えずそいつは、ブルーに任せるって事でいいか?」

「えぇ、構いませんよ。すぐに処分する事になるかもしれませんけどね」

「その時は、俺が販売ルートを確保するよ。小人族はいい金になる。活動資金にはもってこいだ」

「活動っつったって、どうせ飲み代だろ?」

「どうせって言うなよ。飲み屋は情報の宝庫だぞ? 酒で口が緩くなってる連中から、有益な情報を入手するのも、俺達の立派な仕事なんだから」

「はぁー、いいよなぁ。仕事で酒飲めるなんて。俺も飲みたいよ。今すぐ飲みてぇ」

「あ、俺も俺も。オルブライトの地酒を熱燗できゅっとさぁ」

「くぅー、いいねぇ。戻ったら行くか?」

「行こ行こ。もう皆で行こう。慰労会だ慰労会。パーッと飲もうぜ。な?」



 賛同の声が次々に上がった。明るい声と笑顔に、グリーンは拳を握る。



「うっし。じゃ、決まりな。金の事は心配するな。全部ブルーが出してくれるから、好きなだけ飲んでくれ」

「ちょっと、グリーン。勝手に決めないで下さいよ」

「いいじゃねぇか。この中で一番の高給取りなんだから。危険な任務から戻ってきた部下を、労って下さいよぉ」


 両手を合わせる仲間に、ブルータスは苦笑を零した。


「しょうがないですねぇ」

「よっしゃっ。隊長からお許しが出たぞっ」

「でも、手加減して下さいよ? 私だって、そこまで沢山持ち合わせているわけではないんですから」



 だが、グリーン達は全くもって聞いていない。

 盛り上がる一同に、ブルータスは溜め息を吐いた。



「んじゃ、そういう事で、今日はブルーの奢りで飲むぞーっ」



 おーっ、と拳を突き上げた――瞬間。




 凄まじい衝撃が、馬車へ走った。




「な、何だっ?」

「熊にでも体当たりされたのかっ?」


 床や壁にしがみ付くようにして、ブルータス達は目を白黒させる。



 また、衝撃が走った。



 今度は、ドゴォッ、という音と共に、天井が軋む。



「ちょ、これ、不味いぞ……っ」

「っ、全員退避っ!」



 ブルータスの声とほぼ同時に、三度目の衝撃が駆け抜ける。



 傾く馬車の中から、次々と飛び出していった。武器を構え、ある者は横転した馬車を盾にしつつ、辺りを警戒する。



 すると、どこからともなく、風が吹き抜けていく。


 頭上を、何かが掠め飛んでいった。



 見れば、クリーム色の垂れ耳兎が、飛んでいる。



 兎とは思えない目付きで、ブルータス達をじろりと睨んでいた。



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