33-1.デイモン、遂に猫の正体を知る。
聖域の医務室にて。
カンガルーのマリアは、ベッドの上で横になっていた。識別タグの付いた耳を穏やかに揺らしつつ、頻りに自分の腹を撫でる。
マリアの腹は、不自然に膨れていた。
小刻みに震える塊の横に、ほぼ同じ大きさの塊が寄り添っている。
その様子を、デイモンは隣の部屋から眺めていた。徐にソファーに座り直し、「グーゥ」「チュー」という柔らかな鳴き声から、窓際に佇む人物達へと意識を移す。
アンブローズと、奇妙な白い面を付けた長身の男が、並んで背を向けていた。
長身の男は、片手にハンカチを握り締め、しょんぼりと背中を丸めている。
細身ながら筋肉の付いた体は、汗や土埃に塗れていた。
「ほーら。もう泣かないの、ジャクソン」
アンブローズは、長身の男――ジャクソンの背中を、優しく擦る。
「あなたは何もしてないわ。寧ろ、襲撃してきた密猟者を捕まえてくれたじゃないの。そんなに服がぼろぼろになるまで頑張ってくれたのよね? でも、ちょっとだけタイミングが悪かった。ただそれだけの話よ。そうでしょ?」
「ぐす。で、でも、アタシ、ハムちゃん達を怖がらせたわ。犯人がお面を被ってたの、知ってたのに……もっと配慮出来た筈なの。なのにアタシ、顔を見せるのが恥ずかしいからって、お面を取らずに近付いて……一生懸命逃げてきた子達を、さ、更に、追い詰めちゃって」
「わざとじゃないって、ハムレットちゃん達も分かってくれるわ」
「あなたの所のウサちゃんも、傷付けたわ。ちゃんと手加減、するつもりだったの。本当よ。殴るつもりなんて、これっぽっちも、思ってなんか……っ」
「えぇ、分かってるわ。あれはプリンスも悪かったのよ。あの子、昔っから人の話を聞かないから。その内痛い目を見るんじゃないかと思ってたけど、案の定だったわ」
アンブローズは、部屋の隅へちらと目線を流す。
プリンスが、バリアの中に閉じ込められている。
今にも飛び掛かりそうな険しい形相で、目の前にいる黄色い亀を睨み付けた。後ろ足は、苛立たしげに何度も床を蹴る。
「こーら、プリンス止めなさい。折角マリリンちゃんが怪我を治してくれてるんだから。そんなにダンダンやらないの」
プリンスは、ギリ、と前歯を噛み締め、もう一つダンと後ろ足で床を蹴る。
「全くもう。ごめんなさいね、ジャクソン。八つ当たりしてるだけだから気にしないで。マリリンちゃんもごめんね。腹が立つかもしれないけど、どうか治療を続けてやって頂戴」
俺からも頼む、とばかりに、ジャクソンの肩に乗るドンが「ブゥ」と垂れ耳を上げた。
ジャクソンは、項垂れるように首を上下させる。
マリリンと呼ばれた黄色い亀も、「ガァ」と細長い尻尾を振った。その甲羅には、聖域のシンボルである長老樹が描かれている。
「ねぇ、ジャクソン。あなたの気持ちはとっても分かるわ。でも、後悔したってしょうがないでしょ? 申し訳ないと思うのなら、これからの行動に生かさないと。ね?
差し当たって、人見知りと口下手を、ほんの少しだけ改善してみたらどうかしら。そうしたら、また同じような事があっても、きっともっといい結果になってるわ」
「……出来るかしら」
「勿論よ。あなたはちょっとシャイなだけで、とってもいい子なんだから。アタシの自慢のはとこよ。どうか自信を持って」
アンブローズは腕を伸ばし、俯くジャクソンの頭を撫でた。
ジャクソンは、白い面越しにアンブローズを見やる。しばしの間を置き、やがて、小さく首を縦に揺らした。
「よし。じゃあ、ほら。顔を上げて。そうして、アタシの同僚の相談に乗ってあげて頂戴」
背中をぽんと叩かれ、ジャクソンは、おずおずと振り返る。奇妙な白い面が、デイモンを見つめた。
何とも言えぬ威圧感に、デイモンは人知れず後ろへ身を引く。
「あの、は、初めまして」
デイモンの向かいにあるソファーへ腰掛けると、ジャクソンは背筋を伸ばした。
「アンブローズのはとこで、ジャクソンと申します。聖域では、警備隊の、誘拐対策部に所属してます。どうぞ、よ、よろしくお願いします」
「……デイモンだ。エインズワース騎士団の第四番隊に所属している。こちらこそ、よろしく頼む」
頭を下げるジャクソンに、デイモンも軽く頭を垂れた。
自分と変わらぬ身長のジャクソンが、乙女の如く弱々しく振る舞う様に、どうにも違和感を拭えない。
強面の部類であるデイモンの顔が、普段の二割増しで厳つさを増す。
「ちょっと、デイモン。あなた、なに緊張してるのよ。止めてよね、その顔。ジャクソンは繊細な子なんだから、そんなぶすっとした男を前にしたら、怯えちゃうじゃないの」
「い、いいのよ、アンブローズ。アタシは大丈夫だから」
「そう? まぁ、あなたがそう言うならいいけど。でも、無理ならちゃんと言うのよ? この人、見た目よりは話が分かるから」
誰が見た目よりはだ、と、ジャクソンの隣へ座ったアンブローズを睨みそうになる。
けれど、ぐっと堪えた。鼻から息を吐き、握った拳を膝へ押し付ける。
「ま、まず、今回の密猟者襲撃について、改めて謝罪させて下さい。本来ならば、被害が出る前に、こちらで対処すべきでした。巻き込んでしまい、大変申し訳ございません。また、被害者であるネコちゃんの心を、更に傷付ける真似をしてしまい、本当に、何と言っていいか」
「その件に関しては、もう十分謝って貰った。それに、こちらも勘違いして斬り掛かってしまったんだ。両成敗という事で終わりにしよう」
それより、と、デイモンは、膝に乗せていた手を組む。
「本来の目的についてなのだが」
「あ、は、はい。ネコちゃんの正体、ですよね」
ジャクソンは小さく頷くと、姿勢を正した。
「あの子の擬態は、ほぼ完璧と言ってもいい位、高いレベルのものでした。私の目を通しても、姿がはっきりとは、見えなくて……ですが、今回の誘拐で、相当動揺したんでしょうね。闇魔法が、所々弱まったようです。お蔭でどうにか判別が出来ました」
奇妙な白い面の下から、デイモンを見据える。
「あの子は、
つと、静寂が訪れた。
「魔力の流れと、高度な擬態、全体の大きさ、なにより、あの子が着用してた服は、小人族の伝統衣装です。何かしらの動物に見立てた全身スーツを着る事によって、一層擬態の効果を高める。そうして彼らは、外敵から身を守りつつ、生きてきたんです」
「……つまり、あれは小人族で間違いないと?」
「えぇ。純血の森人族であるアタシが、断言します」
と、ジャクソンは、徐に肩を下げる。
「ですが、ここでいくつか疑問が生じます」
「疑問……というと?」
「まずは、あの子の言葉です。聖域に暮らしてる小人族の言語とは、異なります。現在確認されてる、他の保護区域に住む小人族のものとも、違ってるようです。という事は、少なくとも、小人族が確認されてる地域の出身ではないと、推測されます」
「確認されていない地域の出身……そのような場所など、あるのか?」
「全くない、とは、言えませんが……」
だが、あるという可能性も、左程高くはない、とジャクソンの態度が物語っていた。
「ですが、仲間がいた事は、間違いないと思います。小人族の伝統衣装は、小人族にしか作れません。アタシも、前に真似をして作ってみた事があるんですけど、特に擬態の効果が高まるという事はありませんでした。
恐らく、彼らは作りながら、闇魔法を使ってるんだと思います。そうして、闇属性の魔力を纏わせた糸で縫う事で、擬態の効果を高めてるのではないかと」
「あれの服にも、同じ効果が?」
「えぇ。魔力の流れがうっすらと見えます」
成程、とデイモンは一つ頷く。
「しかし、そう考えると、可笑しな事があります。あの子には、仲間がいた。ならば、何故その仲間は、あの子に森人族の存在を教えなかったのでしょうか?
森人族は、小人族を加護する存在です。それは、他の地域でも変わらない。見つけたら、進んで交流を持とうとしますし、真っ先に助けを求めようとするものです。なのに、あの子はそうしなかった。極めて不自然です」
ジャクソンは、羽織っていたポンチョを指で弄る。
「最初は、アタシがお面を被ってたから、森人族だと気付かなかったのかなと、思いました。現に、ハムちゃんも分からなかった位ですから。服も、こんなにぼろぼろですしね。森人族の伝統衣装には、見えなかったんでしょう。
でも、なら何故あの子は、アンブローズにも助けを求めなかったんでしょうか?
アンブローズは、森人族の血を引いてると分かる顔立ちです。今日は聖域を訪れるからと、伝統衣装も着てます。分からない筈がないのに、何故あの子は、何もしなかったんでしょう? 何故、元の場所へ戻ろうとしなかったんでしょう?」
ジャクソンの声だけが、医務室に響く。
訥々と語りながら、ジャクソンは肩に乗るドンを撫でる。まるで心を落ち着かせるかのように、チョコレート色の毛並みを一心に梳いた。
「……ジャクソンさんとしては、どう思っているんだ?」
デイモンの問いに、ドンを撫でる手が、一瞬遅くなる。
「……可能性として考えられるのは、三つです。
一つ、そもそも森人族の存在を知らなかった。
二つ。仲間からものを教わる前に、あの子だけが引き離された。
三つ。森人族に嫌な思い出がある。だから頼らなかった。いえ……頼れなかった」
鍛えられた長い体を、一層丸くさせる。
「……もしかしたらあの子は、我々森人族に、とても酷い事をされたのかもしれないわ」
「ジャクソン、何言ってるのよ」
「だって」
「あり得ないわ。森人族は弱き者の加護者。その誇りは、例え四分の一しか流れていなかろうとも、決して穢される事はないわ」
きっぱりと言い切ったアンブローズに、ジャクソンは黙り込む。奇妙な白い面をすっと反らし、肩の上の兎を撫でていく。
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