美弥子 in カンガルー袋
沢丸 和希
1.美弥子、起きたら見知らぬ場所にいた。
落ちる嫌な感覚に、私は目を覚ました。「ふがっ」と鼻を鳴らし、反射的に両手をベッドへ付く。
……ん? なんか……んん?
ベッドが、めっちゃ固いぞ……?
しかも、何か妙に冷たいし、お布団の中にいるとは思えない程、寒い。
はて、と内心首を傾げつつ、着ていた着ぐるみ猫パジャマのフードを、寝ぼけ眼で深く被り直した。
すると。
『――――――っ!』
耳をつんざく、怒鳴り声。
びっくりして飛び起きれば、そこは薄暗い部屋の中。
私は見覚えのない模様が描かれた床の上に蹲り、そして目の前には、いくつもの大きな足が――いや。
とてつもなく、大きな大きな足が、いくつも並んでる。
どれ位大きいかと言うと、寝転がる私の身長よりも、遥かに長く、大きな足。
……あれ、可笑しいな。先月あった大学の健康診断で、私、確かに身長が一五二センチって言われた筈なんだけど……。
『―――、―――――――――――』
『――――――っ! ―――、―――――――……っ。――っ! ――――――――っ!』
『―、――――――――、―――――――……』
混乱する私の頭上から、複数の声が落ちてくる。何やら揉めてるようだけど、でも何と言ってるのかさっぱり分からない。
と、不意に、視界の端から何かが近付いてきた。
びくりと体を跳ねさせ、顔を上げる。
狐が、いた。
ただの狐ではない。
私を一口で飲み込んでしまいそうな程、大きな大きな赤毛の狐だ。
その子はじっと私を見つめると、徐に鼻を寄せた。
吹き付ける生暖かい鼻息に、私は固まる。鼻の湿った感触と、髭の柔らかさが頬を撫でる度、背筋がぞくりと震えた。
『――――――――っ!』
一際大きな怒声が響く。かと思えば、勢い良く誰かが部屋を出ていった。後ろ姿しか見えなかったが、それでも私の十倍はありそうな背丈だと分かる。
その後を、仮面を被った巨人が追う。狐も、踵を返して扉を潜った。
扉が閉まり、この場に静寂が訪れる。
私は呆然と座り込みながら、扉を凝視した。
すると、扉の近くにいたこれまた大きな男の人が、勢い良くこっちを振り返った。ぎょろりとした目を吊り上げ、白衣を翻して近付いてくる。
そして、その大きな足を、私へと振り落とした。
「うわあぁぁっ!」
咄嗟に後ろへ身を引く。寸での所で踏み潰されるのは免れた。
けれど、床を踏んだ拍子に巻き起こった風と振動で、吹き飛ばされる。
『―――――っ! ――っ、――っ!』
白衣の巨人は、何度も何度も私を踏もうとする。その度に、私も必死で避けた。めちゃくちゃに転がりながら、兎に角この人から離れようともがく。
『――っ、―――――っ。―――――――っ!』
『――――っ! ――――――――――っ!』
足踏み攻撃が止んだかと思えば、今度は私のすぐ傍に、癖毛の巨人が倒れ込んだ。
瞬間、一際大きな振動が襲い、私の体はトランポリンで遊んでるみたいに、ぽーんと飛んでく。
どっちが上なのか分からない位転がり、かと思えば、何かに背中を思い切りぶつけた。
痛みに蹲ってると、またしても怒鳴り声が響く。けれど、今度は何も襲ってこない。
恐る恐る目を開けてみれば、どうやら私は何かの下に入り込んだらしい。しかも一番奥にいるから、白衣の巨人の手も届かない。
隙間から覗く白衣の巨人が、目を血走らせて私を睨む。顔を顰めて舌打ちをするや、足取り荒く部屋を出ていった。
また訪れた静寂に、ほっと息を吐き出す。うつ伏せた体を起こし、被ってたフードを脱いで、辺りを見渡した。
見覚えのない、来た覚えもない、物凄く広い部屋だ。遠くの方に椅子の脚や本棚らしきものが見える。どれもこれも、異常に大きい。正に巨人用とでも言わんばかりだ。
ここ、どこだろう。
私、何でこんな所にいるんだろう。
けれど、答えは返ってこない。
『……―――』
代わりに、男の子の声が、返ってきた。
癖毛の巨人が、隙間からそっとこっちを窺ってる。顔だけで私の二倍はあった。でも、その造りは若い。多分、私と同じ大学生位だと思う。
巨人の男の子は、何かを言いながら、指をちょいちょいと揺らしてみせた。珍しい金色の瞳を緩ませて、優しく語り掛けてくる。
じっと動かない私に、何度も何度も。
言葉は、分からない。聞いた事ない言語だ。
けど、何となく、「もう大丈夫だよ」とか、「怖いのはいなくなったよ」とか、そんな事を言ってる気がする。
信用していいのか、迷う。なんせ、私を踏み潰そうとした人と一緒にいたんだ。もしかしたら、私を捕まえた途端、あの白衣の巨人に渡されるかもしれない。
それでも、私は、ゆっくりと手足を動かした。
いつでも逃げられるよう警戒しながら、少しずつ這い寄ってく。唇へ弧を描く男の子から目を離さず、何かの下から、そっと顔を出した。
金色の瞳と、かち合う。
瞬間。
『――……っ』
優しく綻んでた彼の顔が、引き攣った。
突然の豹変に、私も体を強張らせる。思わず肩を竦め、後ずさった。
しかしそれを阻止する、大きな手。
私を囲むように、男の子は両手を床へと置いた。顔を近付け、私をまじまじと見下ろす。
その見開かれた目が怖くて、顔を俯かせた。身を縮め、冷たい手を握り締める。
と、不意に、大きな手が私を掬い上げた。
そのまま、男の子の懐へ、入れられる。
巨人の男の子は、私ごと上着を押さえると、足早に部屋を出ていった。何度か扉を開ける音がして、何かを漁るような音も聞こえる。
そうして揺られてると、不意に、視界が開けた。
目の前に、沢山の木が立ち並ぶ。
森だ。
テレビでしか見た事のない景色に、また呆然とする。
すると、男の子はゆっくりと私を地面へ降ろした。周りに生えてる草が、凄く長い。私の背より高い草もある。
私が辺りを見回してると、癖毛の男の子は徐にしゃがみ込んだ。私を見下ろしたまま、巾着のような袋を見せた。男の子の指先で摘まめる程の大きさだけど、私にとってはボストンバッグ並に大きい。
『――――。―――、―――――――』
男の子は巾着を揺らしてから、どんぶり大のブルーベリーみたいなものを二粒、中へ入れた。紐を引っ張り、口を締めると、私の肩に掛ける。重みで傾く体。慌てて両手で抱えれば、巾着の隙間から甘酸っぱい匂いが立ち上った。
男の子を見上げれば、彼はもう一度、私に言い聞かせるように巾着を指差した。何かを取り出す仕草をしてから、口をもぐもぐと動かす。最後に、分かった? とばかりに、小首を傾げる。
何となく、「お腹が空いたらこれを食べなよ」と言われてるような気がして、間違ってるかもしれないけど、小さく頷いた。
男の子は若干口角を緩めると、私の背後を指差す。
奥の見えない、真っ暗な森が、広がってる。
『――――、――――――。―――――、――――――――――』
何度も何度も同じ言葉を繰り返し、頻りに森の奥を指差す。「あっちへ行きなさい」と言ってるんだと思う。
おずおずと彼の示す方へ足を踏み出せば、表情を明るくさせた。そうそう、とばかりに頷き、森の奥を再度指で差す。
一歩、また一歩と離れてく。
癖毛の男の子は、私が離れる度に少しずつ腰を上げた。手で森の奥を示しては、頻りに後ろの建物を窺ってる。まるで誰かに見つからないか、怯えてるかのようだ。
もしそうなら、急がないといけない。彼の様子から、誰かに気付かれたら不味い状況なんだと思う。私は勿論、彼も見つかったら、踏み潰されるどころの話ではないのかもしれない。
私は、巾着を抱え直した。袋部分を背中へ回し、背負うように持つ。
癖毛の男の子を見上げ、頭を下げた。着ぐるみ猫パジャマのフードを被り、夜の森へ駆け出す。草をかき分けて、兎に角男の子が示した方へ足を動かした。
何度も後ろを振り返る。視界から中々建物が消えてくれない。
漸く見えなくなったと思った時には、私の息はもう上がってた。
けれど、私にとっては相当な距離だったが、巨人達にとっては、恐らく十数歩の距離。
焦りに私の足が早まる。気持ちも急く。息はどんどん荒くなり、足の裏に痛みが走る。
なのに、景色は殆ど変わらない。
仰け反る程大きな木は、見上げた所で天辺など見えやしない。
同じ言葉が頭を巡る。
ここはどこだろう。
私は、何でこんな所にいるんだろう。
私の記憶では、いつものようにグループ通話で友達とくだらない話をした後、いつものようにベッドに入って寝た筈だ。その証拠に、愛用の着ぐるみ猫パジャマをしっかり着てる。洗濯したばっかりだから、ふかふかで気持ちいいなーって思いながら、これまたふかふかの毛布に包まったのだって、ちゃんと覚えてる。
「なのに……っ、何で……っ」
何だろう。何なんだろう。これは夢なのかな。
夢ならいい。学校に行った時、皆に喋るネタが一つ増えるから。
「凄い怖かったんだからー」とか言いつつ臨場感溢れる解説をすれば、皆絶対に「やだー、
だから、どうか早く覚めて。
お願いだから。
「ひゃ……っ!」
どこからともなく、遠吠えが聞こえた。思わず飛び跳ねれば、其処彼処に生えた草にぶつかった。
がさりと響いた音に、また引き攣った声が零れる。足も、止めてしまった。
自分の息遣いの合間に、色んな音が聞こえる。
動物の鳴き声。草の間を何かが移動する音。木の葉の揺れる音。幹の軋む音。木の隙間から差し込む月明かり。それ以外にも、何かが光って見える。
気付けば、走ってた。
早くここから離れなければ。
もっと早く。もっと早くだ。
なのに、私の気持ちに足が追い付いてくれない。暴れるように進むも、焦りは募るばかり。
何かの鳴き声が徐々に増えてく。何かが移動する音も、段々と大きくなってきた。
それに連れ、私の呼吸と心臓も早くなってく。
胸が苦しくて、頭が痛くて、今すぐへたり込んでしまいたい。
それでも私は地面を蹴り続けた。
顔を上げ、必死で腕を振る。視界がじわじわ白く染まってきても、足取りが怪しくなってきても、歯を食い縛って、涙を零して、懸命に耐えた。
そうやって、がむしゃらに森の奥へと向かってたら。
「あ……っ!」
唐突に、地面が消えた。
本日二度目の嫌な感覚と、鈍い音と、衝撃が、全身を駆け抜ける。
世界が、回った。
何か叫んだかもしれない。でも、自分でも何を言ったのか分からない。
ただただ回る。
ただただ地面に殴られる。
そして一瞬の浮遊感の後、とどめとばかりに顔面から叩き付けられた。
「ぐ、うぅ……っ」
痛みが襲い掛かる。目を瞑り、体を縮めた。
歯を噛み締めた拍子に、じゃり、と砂の音がする。けど、吐き出す余裕もない。只管涎と涙と呻き声を垂らすだけ。
頭の中がぐわんぐわん揺れる。少しだけ開けた視界も、なんだか回ってるような気がする。
でも、止まってる暇はない。
早く逃げないと。早く離れないと。それだけを心の中で呟きながら、地面を押す。腕と足に力を入れて、どうにか顔を上げた。
すると、一際大きな音と共に、黒い影が、私の前へ降り立った。
がっしりとした太い足。こげ茶色の毛で覆われた体は全体的に丸っこく、けれど筋肉はしっかり付いてると窺える。
そして、遥か頭上から私を見下ろす、目。
僅かな月明かりを反射して輝くその瞳は、射殺さんばかりに、鋭く尖ってた。
「……グルルルゥ」
巨大な生き物が、ゆっくりと身を屈める。近付けた鼻を一つ揺らすと、私へ前足を伸ばしてきた。
土で汚れた爪の先端が、眼前へと、迫る。
「ひ……っ」
直後、私の視界は、一気に暗く閉ざされた。
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