女剣士と辻斬り

 むかしむかしあるところに、小さな道場がありました。道場主のお侍さんは幕府からも御用達になるほどの立派な剣士でしたが、歳を取り、病に伏してしまったため、門下生は次々と余所の道場へ移ってしまい、今では寂れていました。このお侍さんにはお子さんの乙女がおりました。乙女は父親であるお侍さんの意志を受け継いで、道場再建を誓い、やがて立派な剣士になりました。

 さて、その頃、町中は辻斬りの話題でいっぱいでした。辻斬りは夜中に現れ、お侍さんだけ狙って、斬りかかり、殺すのです。この辻斬りが恐ろしくて、町民達はおちおち夜出歩けません。お侍さん達は名を上げる機会だと考えて、辻斬り退治を始めました。上手くいけば、自分の道場の名声が上がるかもしれないからです。ところが、辻斬りはお侍さん達をいつも瞬殺するので、一向に問題は解決しないのでした。

 乙女も人々を苦しめる辻斬りが気になって、探したものの、出会った瞬間、刀を弾かれて、撒かれました。ある時、乙女が町を歩いていると、刀傷だらけの野良犬を拾いました。この頃は今よりも物騒な世の中で、刀の試し切りにと、お侍さんが犬を斬り殺すなどということはよくあることでした。もしや辻斬りにやられたのでしょうか。血を流してふらふらと歩く野良犬を見た乙女は、思わず抱き上げ、思わず涙を流すと、家に連れ帰って看病してあげました。暫くして、野良犬はすっかり体調を良くしました。家族同然の犬を乙女は愛おしく思いました。

 ところが、ある日、乙女が目を離した隙に、犬は姿を消してしまいました。乙女は朝から晩まで必死に町中を駆け巡って犬を探しましたが、結局、犬は見つかりませんでした。乙女は犬がまたお侍さんにいじめられやしないかと心配していました。すると、あちこちで騒ぐ声が聞こえました。夜になったため、辻斬りが出たのです。乙女はすぐに現場へ駆けつけました。人に加えて、犬も襲われる可能性を考慮したのです。

 乙女が駆け付けると、辻斬りはお侍さん達を十人斬り殺した後でした。乙女は刀を抜き、血生臭い路地を駆け抜けました。辻斬りと何回か刀を打ち合わせた後、乙女の刀が大きく払われました。乙女がやられる、と思ったその時でした。刀を振り上げた辻斬りの腕が止まったのです。乙女はこの瞬間に刀で斬り払い、辻斬りを倒しました。するとどうでしょう、辻斬りの姿が変わり、あの犬になったのです。乙女は膝を突き、血塗れの犬を抱きしめると、頭を優しく撫で、慟哭しました。それから、ぱったりと辻斬りの話は聞かなくなりました。

 乙女は辻斬り退治の功績で、門下生が集まり、道場を再建することが出来ましたが、悲しみは消えません。乙女は、お侍さん達が犬で試し斬りをしない平和な世の中になってもなお、「人間は他の命を軽んじていけない」と、弟子達に剣術を通して教えました。更に、乙女は道場で稼いだお金を費やして、お寺に犬のお墓を建てました。それから犬のお墓へ乙女は毎日通って読経することを、亡くなるまで続けました。


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