第25話 文月栞と体育祭。【お昼休憩・二人三脚・徒競走編】

 体育祭も午前の部が終わり、お昼休憩に入った。

 私たちはレジャーシートを広げ、それぞれ持ち寄ったお弁当を食べる。高校生にもなると、流石に家族が来る生徒は少ない。

「あとは二人三脚と徒競走で終わりですね」

 私は自作の玉子焼きを頬張りながら残りの競技をチェックする。うん、それにしても毎日自分でお弁当を作るようになってから少しずつ上達してきた気がする。

 生徒会長であり学園の実質的な支配者である神楽坂かぐらざか緋月ひづき先輩の気まぐれで競技の順番はめちゃくちゃだが、終わった競技にチェックを入れていくと、やはり二人三脚と徒競走しか残っていない。

 っていうか、午前に競技を詰め過ぎなんだよなあ……。

「あーあ、明日グラウンドのゴミ拾いでしょ? 授業潰れるのはいいけど面倒くさいなあ」

「しょうがないでしょう。その代わり明後日は休みなんですから」

 ブーブーと文句を垂れる曽根崎そねざきに、私はため息交じりに返事する。

「腹が……減った……」

 声のする方を見やると、二ノ宮にのみや銀城ぎんじょう先輩が腹を抱えてうめきながら歩いていた。

 そういえばこの人、パン食い競走のパンをお昼ごはんにするつもりが、衛生管理の問題からパン食い競走が中止になってごはん無くなっちゃったんだよな……。

「……私のでよければ、少し食べます?」

「いいのか?」

 流石に可哀想になった私は、銀城先輩に声をかける。

 先輩は、無表情ながらぱぁっと目が輝いた、気がする。

しおりさん、敵に塩を送るような真似は控えたほうがよろしいのでは?」

 神楽坂先輩の言葉はもっともである。私と銀城先輩はA組とB組、今は敵同士。

 でも、銀城先輩の空腹な様子はとてもつらそうで、なんだか見捨てられない。

「先輩だって、そんな重箱に入ったお弁当食べきれないでしょ。捨てるよりあげちゃったほうがいいんじゃないですか?」

「一応桐生きりゅうが食べる分も入っているのですが、まあ一理ありますね。栞さんも一口いかがです?」

 神楽坂先輩のお弁当箱――というか重箱に入った、おそらくは高級食材を使ったおかずを、箸で渡される。私は特に何も考えず、そのままパクっと口で受け止めた。

「――うわ、美味しい!」

 目を輝かせる私を、男性陣はなぜかゴクリ……と唾を飲み込むような目で見る。

「栞ちゃん、俺のも食べなよ」

「僕のも、よければ」

 曽根崎や猫春ねこはるも箸でおかずをつまんで私に差し出してくる。

「うーん……私、そんなに食べ物に飢えてる顔してます?」

「そういうわけじゃないんだけど、なんかお世話したくなっちゃうんだよね」

「まあ美味しいからいいですけど」

 曽根崎の言葉に裏があるような気がしつつ、まあどうでもいいやと納得する。

「あの……自分にも食べ物を……」

 銀城先輩はひもじい顔をしていた。

「あっ、すみません! 僕のでよければどうぞ!」

 猫春はなんと自分のお弁当の半分を銀城先輩に分けてくれた。いやまあ、同じB組なので助け合うのは当然か。

「……美味い。中島、君は体力的には劣るが料理の腕は素晴らしいな」

「ありがとうございます」

 銀城先輩の包み隠さない率直な言葉に、猫春は照れくさそうに頬を掻く。

「体力とか腕力が全てじゃないんですよ、先輩。猫春くんにもいいところいっぱいあるんですから」

「栞さん……」

 私の言葉に、猫春は感極まった顔をしていた。

「ちぇっ、面白くねー」

 曽根崎は聞こえるか聞こえないかくらいの小声でつぶやいた。


 お昼休憩を終えて、二人三脚。

 どうも私が知らない間に、曽根崎が私とペアになるように立候補していたらしい。これでまた女子からの嫉妬を買うわけだ。やだな~。

「ふふ、この日をどんなに待ったことか……二人三脚なら俺たちの息ピッタリなとこアピールできるし、俺たちの人生も二人三脚でゴール目指して頑張ろうね!」

「何言ってるのかよくわからないんですけど、なんでそんなテンション高いんですか?」

 ちなみに私のテンションは地の底である。

 曽根崎の左足と私の右足を紐でほどけないように、かつ痛くないようにしっかりと結び、曽根崎と肩を組む。……なんかいい匂いがする。コイツ、体育祭にまで香水つけてきてるんだろうか。

 曽根崎の顔を見上げると、さらりと絹のような光沢のある黒髪が風に揺れている。……チッ、コイツ顔はいいし髪まで私の好みに合わせてきてるからマトモに顔見れないんだよな。

「チッ」

「なんで舌打ちしてるの?」

「なんでもないです」

 思わず舌打ちする私の顔を、曽根崎が覗き込む。肩組んでるし近いし、本当に耐え難い。

 心臓がバクバクしているのは、きっと二人三脚で緊張しているからだ。武者震いの類いだ。そう思わなければやってられない。

「じゃあ左足からイチニーで行くよ」

「わかりました」

 曽根崎の言葉にうなずき、二人でスタートラインに立つ。

「位置について、よーい……」

 パン、と空砲が鳴った瞬間、左足を前へ――

 と思った瞬間、私の右足も同時に宙に浮いて私は尻餅をついた。私が転んだということは、曽根崎も当然転ぶ。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

「なんで!? 俺、左からって言ったよね!?」

「私も左足から出しましたけど!?」

 曽根崎も混乱しているようで、言い合いをしているうちにどんどん周りから引き離されていく。

「お二方、縛ってる足を考えてください。左右ではなく、内側外側で息を合わせなさい」

 コースの脇にある生徒たちの待機場所から、桐生先輩が声をかける。

「「そういうことか――!」」

「馬鹿なんですか?」

 曽根崎と私が同時に理解し、桐生先輩は呆れたようなジト目をしている。

「じゃあ内側から! イチニー、イチニー……」

「イチニー、イチニー……」

 曽根崎と少しずつ息を合わせ、慌てずゆっくりと前へ進んでいく。

 その間にも女子たちの視線が刺さっている感覚がして、本当に曽根崎と一緒にいるのは胃が痛む。

 私たちは、当然のごとくビリだった。

「は~、やっとゴールできた……疲れた……」

「俺たち、まだまだ修行が足りなかったね」

 ゴールしてすぐ、私は二人を縛り付ける足の紐をほどく。

 これ以上コイツと接近していたら、そのうち丑の刻参りでもされかねない。

「体育祭前に練習しようって言ったのに、曽根崎くんが『俺たちの絆なら本番でも楽勝』とかワケわかんないこと言ってたからでしょう」

 曽根崎はときどき意味不明なことを言う。いや、いつもだった。

「栞ちゃんだって『図書委員の仕事あるからその日はできない』ばっかりだったじゃん」

 そう、私は二人三脚の練習よりも図書委員の仕事を優先していた。体育祭の期間中は委員の仕事をしなくてもいいにも関わらず、である。たしかにそれは私が悪かったが、銀城先輩の言葉を借りれば「興味のないものは仕方ない」の一言だ。

「ぐぬぬ」

「ぐぬぬ」

 私は曽根崎と口喧嘩になり、にらみ合う。思えば曽根崎は私の言うことをホイホイ聞く主体性のない男だと思っていたが、こうやって真正面から言い合いをするのは初めてかもしれない。

「喧嘩している場合ではありません。もうすぐ最後の種目が始まりますよ」

「そうだ、私、徒競走のアンカーだった!」

 桐生先輩の言葉に、私はハッと弾かれたように顔を上げる。

「負けたら許さないからね栞ちゃん」

「曽根崎くんに許しを請ういわれはありませんけど」

 私は曽根崎にベーッと舌を出す。

「いいからさっさと行きなさい、文月栞」

「はーい」

 桐生先輩に咎められ、私は徒競走のエリアへと小走りに向かうのであった。


 ここからの話は、私が不在の間の出来事である。

「いよいよ最後の種目となりました、徒競走で締めたいと思います!」

 放送委員の言葉に、まだ元気が余っているノリの良い生徒たちはイエーイだのなんだの声を上げる。

「おや、もう最後ですか。名残惜しいですね」

「座って見てるだけの奴は気楽だよな……」

 神楽坂の一言に、曽根崎は恨みがましい目をする。

曽根崎そねざき逢瀬おうせくん」

 桐生は曽根崎に声をかける。

「はいはい、悪かったですってセンパイ」

「いえ、そうではなく。……文月ふみづきしおりについてです」

「……まさか、桐生センパイまで栞ちゃんを狙ってるとか言いませんよね?」

 文月栞の名を出した桐生に、曽根崎は品定めをするような目で睨みつける。

「逆です。文月栞と付き合っていただきたい」

「……それが出来たらとっくにやってますよ」

 曽根崎はため息交じりに返す。

「当方は、曽根崎逢瀬くんでも二ノ宮銀城くんでも、ましてや中島猫春くんでも誰でもいい――緋月様から文月栞を遠ざけていただきたいのです」

「いいの? 神楽坂の執事がそんなこと頼んで」

 桐生の意外な考えに、曽根崎は疑問を抱く。

「当方はまだ執事ではありませんが、それは置いておくとして――緋月様は一度、文月栞を監禁した事例があります。これ以上、緋月様を文月栞に接近させると危険かと」

「金持ち、怖いなあ……」

 犯罪者じゃん……と曽根崎がつぶやいている間にも、徒競走は続いていた。


 私はランカーとして、スタートラインに待機していた。

 もうすぐ私のチームの女子が来る。

 体育祭に興味がないとはいえ、一応徒競走の練習には参加していた。チーム戦だから誰かが欠けるわけにもいかないし。

 しかし、チームの他の女子と溶け込むのにはそれなりに苦労した。

 私が元スケバンと知って怯える者、曽根崎を巡って嫉妬心を向ける者。練習中はこんちゃん先生が間を取り持ってくれたが、先生の見ていないところでは心無いことを言われることも多々あった。

 ……私が元スケバンだった事実はともかく、曽根崎は譲れるもんなら喜んで譲ってやりてえよ。

 そう言ってやりたかったが、火に油どころかガソリンを注ぐ結果になりそうだったのでやめておいた。

 まったく、男は粗暴だし女は陰湿だし、人間ってのはろくなやつがいない。動物の癒やし動画でも見ていないとやってられない。

 まあそんなわけで、私はこの体育祭が始まるまでの数週間を耐え抜いたのである。

 ――と、思い返している間に私のバトンを持った女子が走ってきた。

 バトンを受け取る体勢に入り、あとは受け取って駆け抜けるだけ――

「――おっと、ランカーの寸前でバトンが落ちたー!」

 受け取りそこねた――というか、私を恐れていた女子が私になるべく触れないようにバトンを手放してしまったのが良くなかったようだ。

 バトンは地面に落ちて転がる。

「ヒッ……ご、ごめんなさ……」

 私の前に走っていた女子はビクビクと今にも泣きそうだ。

「大丈夫。あとは私が取り返します」

 バトンを拾った私は、全速力でコースを駆け抜ける。バトンを落とした数秒を取り戻せるかは、もはや私の足にかかっていると言っていい。

 徒競走は、ランカーのみコースを二周走ることになる。つまり、ゴールまでにはまだ余裕がある。

 私は他の生徒をごぼう抜きに抜き去った。

 あとは目の前の一人を追い抜くのみ。つまりは、現在二位か。

 ……流石に、現役の陸上部相手は厳しいか。

 距離は詰まってきたが、あと一歩抜き去れない。

「栞ちゃーん! 頑張れー!」

 曽根崎の声援が聞こえる。

「……ハッ、負けたら許さないとか言ってたくせに、応援してくれんのかよ」

 思わず笑みがこぼれる。

「――オリャアアアアアアァァァァァ!」

 私は最後の力を振り絞り、雄叫びを上げながら必死に足を動かす。

 一位の女子生徒はぎょっとした顔で振り向き、追いつかれまいとこちらも必死に逃げる。

 一位を追い抜こうと隣に並んだところで、ゴールテープが切られた。

「なんと、同着ゴールだァァァ!」

 放送委員も熱狂で叫ぶ。

 一方の神楽坂先輩は冷静に、

「ビデオ判定を」

 と指示を出す。

「ビデオ判定とかあるの……?」

 私はゼエゼエと息を切らしながら疑問を呈した。

 放送委員と生徒会長はゴールの瞬間の映像を覗き込む。

「先にゴールテープに触れたのは……胸の差で文月選手! A組の優勝だー!」

「やったね栞ちゃん!」

「勝った理由が恥ずかしすぎるんですが!?」

 抱きつこうとする曽根崎を肘で押さえながら、私は羞恥で顔を染める。

「……あ、あの、さ、文月……さん」

 突然声をかけられ、その方向を振り返ると、徒競走のチームの女子たちが所在なさげに立っていた。

「今までごめんなさい、私たち、文月さんを勝手にイメージだけで決めつけて、馬鹿にしたり、怯えたり……」

「『大丈夫』って言ってくれたとき、すごく心強かったです」

「かっこよかった! ありがとう、文月さん!」

 女子たちは口々に謝罪や感謝の言葉を述べる。

「……私が中学の時スケバンだったのは事実です。小学校の頃も散々喧嘩をやらかした」

 一方、私は冷静に事実を述べるのみだった。

「……それでも、私に幻滅しませんか?」

 女子たちは皆一様に顔を合わせ、私を見て微笑む。

「過去は過去っしょ。いや、今も超こえーけど、アタシらが喧嘩売らなきゃ済む話っしょ?」

「男前すぎて付き合いたいくらいです」

 ニシシ、と笑うギャルっぽい女子や、顔を赤らめてもじもじする女子まで出る始末。

「ふむ……曽根崎と付き合うくらいなら、女子もアリか……?」

「栞ちゃん!?」

 考え込むような姿勢を作る私に、衝撃を受けたような顔をする曽根崎。

「冗談ですよ。私には猫春くんがいますし」

「しーおーりーちゃーんー?」

 グラウンドには、女子たちの笑い声が響き渡ったのであった。

 体育祭編、これにて閉幕。


〈続く〉

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