6月編

第11話 文月栞、神楽坂邸に監禁される。

 六月、梅雨の時期。

 おそらく空は陰鬱な暗雲に覆われ、しとしとと雨が降っていることだろう。

 しかし、私にはそれを確認するすべはない。

 なぜなら、私は神楽坂邸の地下室に監禁されているため、外を見る窓もなければ外界の音も聞こえないからである。

 ――私はなぜ、こんな状況になってしまったのか。時間をさかのぼる必要がある。

 たしか意識を失う前、生徒会室でのお茶会に誘われた記憶がある。もちろん、主催者は生徒会長にして『学園の王様』神楽坂かぐらざか緋月ひづきだ。

 それで、高級なお菓子に釣られてホイホイついていって、お茶を飲んだら急激に眠くなって……。

「あの野郎、一服盛りやがったな……」

 簡単に油断した私も私だが、神楽坂はこんなことをして何がしたいのか。金持ちの道楽か?

「お目覚めですか、お姫様?」

 コツコツと地下室の階段を神楽坂が降りてくる。

「神楽坂先輩、流石におふざけが過ぎますよ」

「おや、ふざけているつもりはなかったのですが」

「これでおふざけじゃないっていうんなら、先輩の正気を疑いますけどね」

 私は鉄の棒を握って揺さぶるが、微動だにしない。

しおりさんのお好きなものを一式そろえたつもりでしたが、お気に召しませんでしたか?」

 ふかふかのベッド。私の好きな小説シリーズが詰め込まれた本棚が三つ。ジュースの並ぶ小型冷蔵庫の上には小さなテレビ。書き物が出来る机。身だしなみを整える鏡台まであった。

「そうですね、これでこの鉄格子がなかったら最高の環境なんですけどね」

 鉄格子は手首や足首までしか通らないほどの一定の幅で鉄棒が立てつけられている。全身の関節を外したとしても頭が引っかかるから、脱出は不可能だ。……いや、そもそも全身の関節を外すとか、私には出来ないんだけど。

 これはまさしく地下牢である。何のためにこんなもん作ってあるんだ。神楽坂邸、怖いな。

「何のためにこんなことを? 先輩の言う『飼いたい』というのはこういうことだったんですか?」

「そうですね、まあ栞さんを飼いたいと思ったのは事実なんですが」

 事実なのかよ。

「なにより、皆さんに愛されている栞さんを見ていたら独り占めしたくなってしまいまして。曽根崎そねざきくんに、二ノ宮にのみやくんに、中島なかじまくん……でしたっけ? ここなら誰の邪魔も入りませんし」

 鉄格子を握る私の手をそっと優しく取って、神楽坂は自分の頬に当てる。

「ふふ、まさか狂犬を飼い馴らすつもりが、私のほうが陥落してしまうとは……人生、わからないものです」

 それは独り言のようだった。

「先輩、こういうの、犯罪ですよ」

「犯罪はバレなければ犯罪にはならないのです。栞さんがここにいる限り、決して明るみには出ませんから」

 笑顔で恐ろしいことを言う。良い子のみんなは真似しちゃダメだよ。

喧嘩けんか三昧ざんまいだった女性の身体というのは制服の下は傷だらけなのでしょうか。しかし、きっと筋肉が引き締まって美味しそうな身体をしているんでしょうね」

 神楽坂がジュルっと音を立てて舌なめずりをする。ゾワッと全身の毛が逆立った。

「今夜はひと晩かけて……ゆっくりと……じっくりと……食べてあげますからね……フフ……」

 ――食われる。

 あれか、食人嗜好カニバリズムというやつか。いや、死ぬじゃん。殺されるじゃんこれ。死亡フラグがビンビンに立ってる。

 神楽坂が変態なのは知ってたけど、まさかここまで異常者だったとは。

 満足したらしい神楽坂が階段を上って去っていったあと、私は当然なんとかして脱出しなければと考える。

 地下牢の中を見渡すと、ベッドの脇に私の学生カバンが置いてあった。どうやらそのまま持ってきたらしい。

 中身を確認。スマホはある、が、地下のせいか電波は届かないようだ。この場合、GPSは作動するのだろうか。曽根崎なら私の居場所をGPSで把握もやりかねないイメージがあるが。

 ……いや、たとえ私の居場所が割れたとしても、ここは神楽坂邸。容易に侵入できるとは思えないし、銀城ぎんじょう先輩を連れてきても学生の空手部程度では神楽坂家のプロのガードマンに勝てるとは思えない。

 猫春ねこはるは……申し訳ないけど、戦力外なので論外だ。あの子はあくまで一般人。期待しないほうがいいだろう。

 ダメだ、詰んでる。私は一生ここから出られない。逃げられない。そもそも下手したら今夜神楽坂に食われて死ぬ。深い絶望感に、身体が重く地面にめり込みそうな錯覚を覚えた。

 誰も助けには来ない。曽根崎も、銀城先輩も、猫春も。そもそも私がいなくなったことに気づいている人間がいるのか?

 私は力なくベッドに倒れるように伏せる。もうどうにでもなれ、だ。もし神楽坂に殺されそうになったら、自分一人で必死に抵抗するしかない。……無駄なあがきかもしれないけど、小中学生の頃とやることは一緒だ。自分の命は、自分で守るしかないんだ。

 その物騒な考えを、一瞬でも忘れさせてくれた、大好きなを思いながら、私は目を閉じた。


 夢を見た。

 大好きなおばあちゃんの膝に小さな私が座って、おばあちゃんが絵本を読んでくれた、遠い昔の夢だ。

 私が少し大きくなって、おばあちゃんは揺り椅子に座って本を読み、私はその椅子によりかかって別の本を読む夢だ。

『その本、面白いかい?』『うん、面白い!』『そりゃよかった』

 おばあちゃんはシワの寄った目を細めて、愛おしそうに私に笑いかける。

「……おばあ、ちゃん……」

 目が覚めると、私は夢を見ながら泣いていたようだった。枕に大きな涙のシミがついている。

「――文月ふみづきしおり

 無機質な声に、ビクッと身体を震わせる。涙も拭かず振り返ると、銀色の食事プレートを持った桐生きりゅう京介きょうすけが立っていた。

「夕食をお持ちいたしました」

 涙の理由も聞かず、淡々たんたんとした動きで鉄格子の鍵を開け、机にプレートを乗せる。ビーフシチューと、パンが二つ。バターもついていた。

「私を太らせるわりには少なくないですか……? いや、『お前もビーフシチューにしてやる』というメッセージですか……?」

「……? 貴様が何を言っているのかよくわかりません。日本語を話してください」

 いや、日本語だろ。

「神楽坂先輩が『私を食べる』とか言ってるんですよ! 桐生先輩もこの犯罪に加担してるんですか!?」

「……ああ、そういう……」

 桐生は私の言葉を聞いて、ちょっと気まずそうな微妙な表情になった。え? 私なにか変なこと言った?

 ――もう、この人しか頼れる人がいない。

 味方になってくれる可能性は限りなく低いけど、この人にすがるしかない。

 私は涙目になりながら、必死に懇願こんがんする。

「桐生先輩……――助けて」

「……」

 桐生は無表情で私を見つめる。感情が全く読めない。何を考えているのか、全くわからない。

 やがて、桐生は私の腕を掴んで立たせた。

「かばんを持ちなさい、文月栞」

「助けて、くれるんですか?」

「勘違いしないでください」

 学生カバンを持った私の背を押して、開いたままの鉄格子の扉から出してくれた。

「緋月様には良家のご令嬢との縁談がございます。貴様のような狂犬が屋敷にいると迷惑です」

「理由はどうあれ、助けてくれるならありがとうございます!」

 桐生は私の手を引いて、裏門から神楽坂邸の外へ出してくれた。

「当方は傘の用意はございません。雨に濡れて帰りなさい」

「桐生先輩、本当にありがとうございます! 先輩は命の恩人です!」

「いいから、早く行きなさい」

 六月の雨の中、かばんを抱えて走る私を、桐生は黙って見送った。

 ――こうして私は、神楽坂邸を無事脱出したのである。


 その晩。

「桐生、なぜわたくしの命令に逆らったのですか?」

「当方は緋月様のことを思って行動いたしました」

「背中だけでなく、服を着ても見えるところにも鞭を打ってほしいのですか?」

「……緋月様の、思うままに」

 そんな会話があったことなど、私には知る由もなかった。


 翌日。

 桐生にお礼を言おうと三年A組の教室を訪ねたが、神楽坂と一緒に生徒会室に向かったとのことだった。

 昨日の今日で神楽坂に会って大丈夫なのだろうか、と思ったが、桐生は常に神楽坂と行動をともにしているし、どのみち生徒会長にわずに済む方法はない。

「一年A組、文月栞、入ります」

 生徒会室に入ると、

「おはようございます、栞さん」

 神楽坂は何事もなかったかのようににこやかに挨拶するので、昨日のことは夢だったのか……? と一瞬錯覚しそうになった。

 ただし、錯覚は錯覚でしかない。

 昨日の出来事が夢じゃなかった証拠は、振り向いた桐生の顔に刻まれていた。

「……!? き、桐生先輩、その顔……」

 桐生の顔には、目の下、鼻を横切るように一直線に、なにか細長いもの――鞭かなにかで叩かれたようなミミズ腫れがあった。

「――神楽坂ッ! 桐生先輩に何しやがった!」

 私の気分はまさしく怒髪天どはつてんく、といった感じだった。当然だろう、命の恩人が傷つけられたのだ。

「栞さんを逃した罰ですが、なにか?」

 神楽坂は全く動じない。いっそ優雅であった。

「栞さんが逃げたのが悪いんですよ? せっかく一晩楽しもうと、わたくし色々ご用意してましたのに」

「ふざけんなッ! テメェどこまで根性腐ってやがる!」

「やめなさい、文月栞」

 予想外にも、桐生が私の肩に手を置いて諌めようとする。

「この程度の罰で済んで、まだマシだったほうです。当方は甘んじて罰を受けました。当方の意志です」

「何が罰だ! 人を拉致監禁して、罰を受けるべきはコイツだろうが!」

 私はそう怒鳴って、神楽坂の顔を握りこぶしで思い切り殴った。

 神楽坂は椅子から転がり落ち、その勢いのまま壁に背中をぶつける。

「桐生先輩、アンタもアンタだ! 従者なら主人が誤った道に進もうとしたら全力で止めるべきだろうがよ!」

「……」

「生徒会長を殴って、無事で済むとお思いですか……?」

 殴られてれ上がった頬を押さえながら、神楽坂は立ち上がる。

「おうさ、退学なりなんなり好きにしろよ! テメェみてえな性根しょうねの腐った生徒会長が支配してる学校なんて、アタシはゴメンだね!」

 そう啖呵たんかを切って、私は桐生先輩に向き直る。

「桐生先輩、本当に助けてくれて……そして、傷を受けてまで私を守ってくれて、ありがとうございました。お世話になりました」

「……当方は」

 桐生はふいっとそっぽを向く。

「――老人を大切にする人間には、悪い人間はいないと考えます」

 おばあちゃん。

 どうやら、あの寝言を聞いていたらしい。

 そして、その寝言のおかげで私は今、ここで生きている。

 おばあちゃん、ありがとう。

 私は生徒会室を出ていった。


「……けますね」

 神楽坂はぼそっと呟く。

「まだあの女に惚れているのですか、緋月様」

「当然です。ちょっと殴られたくらいでわたくしがひるむとでも? ああ、この痛みも格別……」

「……」

 その会話も、私に聞こえるはずがなかった。


「――というわけで、曽根崎、世話になったな。いや、世話された覚えねえや」

「あまりにひどくない?」

 図書室の貸し出し受付で、図書委員である私と曽根崎は並んで座っていた。図書室の静寂を破らないよう、小声でひそひそと話す。

「俺、女子集めて抗議運動しようか? このままじゃ俺と栞ちゃんが一緒に卒業する計画が水の泡だよ」

 金髪のロン毛をやめてサラサラ黒髪の美少年になっても、やはり中身は曽根崎のままだった。

「別にいいよ、アタシがやっちまったことだしさ。運を天に任せようかなって」

「でもこんなの……理不尽すぎるよ……」

 曽根崎は悔しそうに顔を歪め、両拳を握りしめる。

 なんだかお通夜ムードだった。

「ねえねえ、逢瀬くん、聞いた!?」

 突如、図書室の扉をバーンと開け、女生徒が飛び込んでくる。

「図書室ではお静かに願います」

「生徒会がね、学食の酢豚からパイナップルを撤廃する校則を採択するんだって!」

「……は?」

 私の注意喚起を完全無視して女生徒から放たれた言葉は、意外なものだった。

「あとね、修学旅行先が一年生は北海道、二年生は沖縄、三年生はハワイになるんだって! ヤバくない!?」

「生徒会、そこまで権限あるんですか?」

 私はヤバい組織を敵に回したかもしれない。

 そこへ、

「一年A組、文月栞さん、生徒会室までお越しください」

 と校内放送まで流れてくる。

「栞ちゃん……」

 曽根崎が心配そうな顔で私を見る。

 ――生徒会の処分が下るのだろう。

「曽根崎くん、受付お願いしますね」

 これが曽根崎を見る最後かもしれない。

 それにしても。

「曽根崎くん、黒髪になって今まで以上にかっこよくなりましたね」

「……え?」

「それでは」

 最後の最後に、褒め言葉くらい贈ってやってもいいだろう。

 あっけにとられた曽根崎を置いて、私は生徒会室へ向かう。

「一年A組、文月栞、入ります」

 ガラッ、ピシッ、と引き戸を開け閉めする。

「お待ちしておりました、文月栞さん」

 生徒会長――神楽坂緋月は、生徒会長の机で指を組んで口の前に置く姿勢でこちらを見ていた。

 いつもの優雅な笑みはそこになく、怒ってるようにも見える無表情。

 私は厳罰――退学を覚悟する。

「栞さん」

「は、はい」

「わたくし、親にも殴られたことないんですよ」

「はあ」

 うう、退学でも何でも好きにしろとは言ったけど、正直めっちゃドキドキする……。母になんて言い訳しよう……。

「責任は取ってもらいますよ」

「か、覚悟はできております」

 私はギュッと目をつぶる。

「――わたくしと、婚約してください」

「は?」

 鳩が豆鉄砲食らった顔とはまさにこのこと。

「なんでそうなるんですか!?」

「父に相談したところ、『お前を殴ってでも更生させてくれる女なんてそうはいないから手に入れておけ』と」

 子が子なら親も親だな。『手に入れておけ』ってモノ扱いやんけ。

「だから、私は猫春くんと交際してるんですってば!」

「今すぐ手を切ってください。わたくしも良家のご令嬢との縁談を破棄したのであとには引けません」

「いや知りませんよ!」

 とんでもないことしやがったな!? 思い切りが良すぎる!

「ああ、栞さんに殴られたとき、身体に電流が走るような心地で……これが恋ですね!?」

「違うと思いますこの変態! 変態! 桐生先輩、助けてーッ!」

「当方の手には負えません」

 私の悲鳴は生徒会室から廊下へと響き、霧散して消えていくのであった。


〈続く〉

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