第38話 引き籠りの少女①

 足音を殺しながら廊下を全速力で駆け抜け、セシャナは侍女たちの控える部屋の扉を思いっきり開けた。


 バンッという騒々しい音に驚いた同僚たちが振り返り、肩で息をするセシャナに注目が集まる。

 そこまで広くはない控え室には10人ほどの侍女や下男と、侍女長のポランが中央のテーブルを囲んで数日後の主人の出張について確認していた。


「セシャナ!?」


 一番ドアに近いところに座っていた侍女が声を上げた。

 普段はどちらかというと大人しく、廊下を急ぎすぎて注意されたことなど一度もないセシャナが、限界値ギリギリの全力疾走でここまで来たのだ。

 確か今日からの彼女の仕事はしばらく滞在するという客人の世話係だったはずだが、何かあったのだろうかと一同は固唾を飲んでセシャナの言葉を待った。


「……セシャナ」


 冷静な侍女長の声が響く。


「じ、侍女長、あの」

「落ち着いて。とりあえず座りなさい、ジア、その椅子をセシャナに」


 名前を呼ばれた侍女が隣の空いている椅子をセシャナの元に持っていく。

 しかしセシャナはそれを手で制すと、すぐに呼吸を整えて口を開いた。


「本日お客様としていらっしゃったハル様ですが、お着替えを準備させていただくこととなりました。ハル様のご希望で、先日お嬢様に処分せよと申しつけられたお着物をお召しになるそうです。侍女長、申し訳ありませんが数人お借りしてもよろしいでしょうか」


 その瞬間、わっと部屋中が歓喜のざわめきに包まれた。

 それもそのはず、ハルの美しい姿形は昨日から侍女たちの間でもっぱらの噂となっており、その黒髪を梳り、着飾らせて欲しいと誰もが願っていたからである。

 仕えるべき女性二人にそれを施せない彼女たちにとって、これは久方ぶりに訪れた素晴らしいニュースでしかなかった。

 下男たちもハルの美しさを耳にしていたため、隠しきれないほどに浮き足立っている。


 たった一人、表情を変えない侍女長が「静かに」と言うと、ざわめきは即座に沈静化した。


「分かりました。ドア前に座っている3人を連れて行きなさい。あなたたちも、くれぐれもお客様に失礼のないように」


 素人には悟られない微弱な違いだが、周りの使用人たちはポランの心の高まりを察知した。


 きっと侍女長も嬉しいのだ。


 尊敬する彼女の喜ばしい反応が伝染し、皆がじわじわと笑顔になっていく。

 セシャナは満面の笑みで「はい!」と答えると、数人を伴っていそいそと扉を出ていった。






 伯爵令嬢、つまりジャルガの妹は引き籠りだった。


 二つの塔のうち母親が寝かせられている方ではない塔の上の方に妹の部屋があり、元々臆病な性格だった彼女は母親の病気が原因で人と接することに恐怖を感じるようになってしまったのだ。


 かれこれ11ヶ月の間、彼女は誰とも接することなく扉を固く閉ざしている。


「お嬢様。お食事、こちらに置いておきますので、どうぞ温かいうちにお召し上がりくださいませね。それから先日処分するようにと仰ったお着物ですが、本日お越しになったお客様にお着替えとしてお貸しさせていただきたいのです……お許しいただけますでしょうか」


 彼女付きの侍女の声が、ドアの向こうから聞こえる。


「……ええ」


 ぶっきらぼうにそう答えると、侍女は丁寧にお礼を述べてその場を立ち去った。

 遠のく足音が聞こえなくなってから、彼女は鍵を開け静かにノブを捻る。

 誰もいないことを確認し、料理と水差しの乗ったワゴンを素早く部屋に引き込むと大きく息を吐いた。


 一日中部屋から出ない生活では勿論腹は減らない。

 しかし「ご飯は何があっても食べること」という母との約束を守り続けているため、彼女が栄養失調に陥ることはなかった。


 なんとなしに壁に貼られた暦に目をやる。数え間違えていなければ、明日は彼女の18回目の誕生日だった。


「……お母様がいないお誕生日なんて」


 喉を絞り、掠れた声で呟く。

 口に出して言ったせいで余計に胸が張り裂けそうになり、後悔に下唇を噛み俯くともう何度流したか分からない涙が頬を伝った。

 瞬きと同時に溢れる雫を袖で拭うが、止まる気配を見せない。


 気を紛らわそうと机のそばにワゴンを寄せ、そのまま窓際へと向かった。


「いっそ鳥になれたらいいのに」


 見上げた空は広く、どこまでも澄んでいる。

 大海との狭間に一文字を描くその青に、彼女は心を投げ入れた。

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