第1章 森の狩人と異世界の少女
第1話 森と狩人①
目がさめると、そこには見知った小汚い天井があった。硬い床のせいでバキバキになった背中を労わりながら身を起こし、まだ薄暗い三畳ほどの小部屋に視線を巡らせる。
鉄格子と共に上方に取り付けられた小さな窓からは、まだ陽の光は差していないようだった。
「……お腹空いたな」
私は大きく息を吐いて、伸びをした。
東京住まいの女子高生。
趣味は手芸と、物語を書くこと。
私は、そんな普通の人間だった。
気づくと、そこはどこか知らない森の中だった。
「……ああ、死んだのか、私」
上半身を起こし、沈黙を頑なに守る森をぼんやりと見上げる。
ついさっき閉じた人生の幕に想いを馳せ、私は普通の二文字で片付けられてしまう生涯の呆気ない結末を鼻で笑った。
短い人生だったな。特にこれといって何の意味もなかったけど。
……いや、少なくともあの子を助けられたということには、私の生きた意味はあっただろう。きっとそうだ、そうに違いない。
俯きかける思考をなんとか前に向ける。
ふと視線を落とすと、今の今まで地面に横たえていた身体は礫死体とは思えないほど小綺麗で、擦り傷一つなかった。制服もどこも破けていない。
辺りを見渡すと、木々が
「死んだ、……んだよね……?」
そこは天国にしては暗かった。
木漏れ日の角度からして昼頃であることは分かるが、そこには髭を生やした神様も、大鎌を携えた死神もいない。ただ静寂に包まれた森が延々と広がっているだけだ。
理解不能な事態に、次第に脳内で情報処理速度が停滞し始めた。
これは……まさかの地獄行きか? 特に何も悪いことをしたつもりはないのだが。
「……まあいいか、そのうち分かることだし」
懸命に働く大脳皮質を放置してぽつりと呟くと、私は立ち上がって現在の自分の置かれている状況を整理した。
「怪我は……大丈夫そう、かな。……持ち物は制服だけか。ポケットも空。で、現在地は不明。物理的に触れるから死んではいない……ってことでいいのかなこれ」
近くにあった名前も知らない樹木の幹にペタペタと手のひらを当てる。
特に問題はない。
……それにしても、だ。
「……ちょっと静かすぎない?」
鳥の
空は青々とした広葉樹の茂りに隠されているし、果たしてどちらに向かって歩けばいいのか。現代っ子の私には、スマホの力を借りないでは皆目見当もつかない。
「かといって、何もしないってのも……」
もしも三途の川を渡る必要があるのなら、ここで立ち止まっている訳にはいかないだろう。
というか怖い。静かな森めっちゃ怖い。
独り言が普段より多いのも、実はそういう理由だったりする。
もう死んでいるなら別に怖がることなどないが、なにぶん健康そのものの身体のままなのである。感覚的には生きている時と全く変わらない。
「とりあえず道を探そう。誰か、人に会えたら尚よしってことで」
私はできるだけ早足で、木々の間をすり抜けて適当に進みだした。
知識の中の日本の森よりは湿度が低く、ぬかるみも少ない。気温は高くはないが、しばらく歩くと暑くなってきた。
「……目印つけとくか」
落ちている枝を、等間隔で木の根の近くに刺して進んで行く。が、一向に道らしきものが見える様子はなかった。
それから随分と歩いて、頭を下げて低めの木の枝をくぐりかけたその時だった。
至近距離に何かの気配を感じる。
バッと顔を上げると、そこには剣や槍を持った何人もの男たちが立ちはだかっていた。
彼らは一様に顔を布で覆い、外からは目だけが見えている。肩には鼠色の羽織を纏い、その不気味な姿は前に読んだ本に出てきた
「ひッ…………!?」
私は思わず、短い悲鳴をあげてその場にへたり込んだ。
何重にも巻かれた覆面の布の奥の鋭い視線と殺気に、心臓が止まりそうになる。
しかし私の恐怖とは裏腹に、男たちの反応は驚きに満ちたものだった。
「……おい、こいつ……」
「……黒だ……」
口々に何かを『黒』だと言う彼らを前にして、逃げようと思い立ったものの足がすくんで動けない。
そのうちに、一際大きな男がこちらに向かって歩き始めた。目算2メートル近い体躯が座り込んだ状態の自分に近寄ってくるのは、申し訳ないが恐怖以外の何物でもない。
「親分、危ないっすよ。やめといた方が……」
手前の男が親分と呼ばれた男を止めようとしたが、男は構わず私の元に接近する。
「おい、嬢ちゃん」
低く野太い声が響く。一言も発せずに固まる私に、彼は布越しに話しかけた。
「お前、どっから来た」
淡い逆光と覆面の布で影になった目元からは、さっきまでの殺気は感じられなかった。
「……と、……とう、きょう、です」
「トウ、キョウ?この辺にはそんな村はねぇが……お前、迷子か?」
分からない。
私はただ俯くしかなかった。
天界の住人には見えないし、かといって地獄の番人という訳でもなさそうだ。となると結局、ここはどこなのだろう。
視界の上の方で、着古した鼠色のマントが緩やかに風を受けて揺れた。
ヒソヒソと男たちが私を訝しむ声が聞こえ始めた頃、親分が言った。
「……俺らのところに来るか?」
その言葉は少し緊張を孕んでいて、怯える私にこれ以上の恐怖を与えまいとしているのが分かる。
私は顔を上げ、親分の目を見た。
その日から、私と彼らの共同生活が始まった。
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