第33話 「新たな策略」

 もうどれくらい馬車に乗って揺られているのか、頓殿とんでんは細い眼で光る岩壁を見つめながら考える。

 キュウッとお腹が鳴った。


 そういえばご飯を食べたのはどれくらい前だったのか、思い出そうと腕を組み、頭をひねる。

 社長はさすがだと思う。

 同じようにお腹が空いているはずなのに、じっと我慢している。

 見習わなければいけないなあ、と隣に立つ骸野むくろのに視線を向けた。


 頭からかむったフードの下で、骸野は焦点の合わないうつろな眼つきでただ前を見ている。

 かなりの速度で走る馬車。


 頓殿は相撲部屋にいたころ、毎日食べていたちゃんこ鍋を思い出しながら、鳴るお腹を押さえていた。


 デラノヴァは握っていた手綱を勢いよく引いた。

 白骨馬はいななき、ゆっくりと停まる。

 後ろに続く四輪馬車も速度を落とした。


「もうあるじの玉座についたのか」


 猾辺かつべは辺りを見回し、デラノヴァに問う。

 魔女は苦悶に顔をゆがめていた。


「どうした、まさか道に迷ったなどと」


「うるさい!」


「おやおや、あなたともあろうかたが、いったい何を怯えている」


 デラノヴァは憎悪に燃える双眸そうぼうで、キッとにらむ。


「このままあるじのおわす玉座へ進むわけには、いかなくなったってことさ」


「なぜだ」


 猾辺はデラノヴァのただならぬ気配に眉を寄せる。


「追いかけてくるクソ野郎がいるんだよっ」


「ならば、生贄いけにえを捧げたときのように、あなたの魔力とやらを使えば簡単に排除できるのではないか。

 いったいどんなクソ野郎か知らないが」


 あの日、血の契約を結んだ瞬間に猾辺は理解した。

 この女は人間ではない。

 正体は、地獄に巣くう魔女であると。

 驚きはなかった。

 むしろ嬉々とした。

 たとえ悪魔であろうと、猾辺の野望を成し遂げるために役立つと考えたからだ。


 大阪府知事は前哨戦に過ぎない。

 猾辺は一党独裁の国家元首を夢見ていたのだ。

 若いころに世界を旅してわかったこと。

 それは、権力を持つ者こそが正義であると。

 大阪府知事としてカジノによる経済復興を足掛かりに、この国における権力すべてを手中に収める。

 自ら興した「百式党ひゃくしきとう」による支配。

 これこそが猾辺が望むことであった。


「うふふっ」


 デラノヴァは自嘲するように黒い唇に笑みを含む。


「あなたはまだ知らない。

 たかが人間ごときと、なめてかかった仲間が大勢葬られたことを」


「人間なら、なおさら簡単であろう」


「違う!」


 デラノヴァはブロンドの髪をゆすった。


「やつらは人間でありながら、天の力を得てわれらに牙を向ける唯一の存在」


 猾辺は唇を結ぶ。


「そいつらは、こう呼ばれている。

 エクソシストとな」


「エクソシスト?」


 デラノヴァは馬車から飛び降りた。

 猾辺を振り仰ぐ。


「ここでなんとしても足止めする。

 その間にふたりだけであるじの元へ飛ぶのだ」


「飛ぶ?

 今度は白骨の鷲にでもぶら下がるのか」


「こうするのさっ」


 デラノヴァはバサッと羽織っていたローブを脱ぎ捨てる。

 その下には黒く光るビスチェ・ロングブラにマイクロミニ、網タイツにブーツを履いていた。


 岩壁の光に輝くブロンドヘアが風も吹かぬのに、なびき始める。

 黄金色の髪が、蒲公英たんぽぽの綿毛が次々と宙を舞うように抜け出した。

 同時に蝋燭ろうそくが炎であぶられ融けるがごとく、むき出しの白い肌が崩れ落ちていく。


「グウッ」


 猾辺は大きく見開いた眼をそらすこともできず、その変貌を目の当たりにし喉を鳴らした。


 髪が抜け落ち崩れた頭部の下から現れたのは、真っ黒な頭部に針金のような剛毛を生やし、左右に巨大な複眼、突き出した長い口吻こうふんからはノコギリのような牙が並ぶ化け物であった。

 蠅である。

 衣装からのぞく首、胸元、両腕も剛毛で覆われている。


 ブラの背中から薄い楕円形の羽が伸びはじめた。

 毛細血管を思わせる黒い筋がウネウネと動く。

 ウワーンッと羽が震え、デラノヴァは宙に舞った。

 頭部が下に向く。

 五台の四輪馬車に分乗している信者たちが、全員デラノヴァを仰いだ。


 ガチガチガチッと牙をこすり合わせる音が口吻から響き、直後その先端から黒蠅がいくつも吐き出される。

 二百匹以上の黒蠅は羽音を立てて信者たちに向かう。


 馬車の上で、全員が大きな口を開けていた。

 次々と黒蠅が信者たちの口のなかへ飛び込んでいった。

 頓殿はみなと同じように上を向いていたのだが、元々口呼吸のため、いつも口は半開きだ。

 細い目に映る黒蠅の大群。


「いくらお腹が減っていても、や、やっぱり虫は食べないな。

 お腹を壊したらいやだから」


 飛んできた黒蠅を指先で弾いた。


「社長もお腹が痛くなったら、かわいそうだから」


 大口を開けている骸野の顔の前で、ピンッと黒蠅を弾き飛ばした。


「これも、ボデーガードの大切なお仕事。

 あとで褒めてもらおうか」


 頓殿は満足げにうなずいた。


「この連中に、なにをさせるわけだ?」


 猾辺は問うた。

 宙に舞っていたデラノヴァが羽音とともに着地する。


「決まってるじゃないか。

 ここでエクソシストを待ち伏せて、抹殺するのよ」


 醜い蠅の頭部がややくぐもった声で告げた。

 いや、実際には鼓膜に届いたわけではない。

 一種の精神感応テレパシーによって直接脳に話をしている。


「つまり、わたしたちを玉座に向かわせるために、ここで壁となり忠誠心を見せよ、と」


「正解ね。

 あなたが一生懸命集めた党員たちよ。

 でもここでこの連中はおしまい。

 エクソシストが攻撃しやすいように、半人半魔にしちゃったから。

 ダメだったかしら?」


 猾辺はニヤリと口を曲げた。


「わたしでも、そうするさ。

 他人を犠牲にして己が助かる道を選ぶのは、至極当たり前だ。

 党員はこれからいくらでも集まるさ」


「さすがはわたくしが見込んだだけあるわね」


 デラノヴァは伸びた口吻をガチガチと鳴らした。


 ~~♡♡~~


「アホンダラッ!

 おおうっ、いったい何回説教食らえばわかるんじゃぁ、このタコがっ。

 おい、ぐぉらっ!

 わしらを舐めてっと、鼻の穴に割りばし突っ込んでカッコンしたろかい!

 なんとか言ってみんかいやっ。

 真っ裸にひんむいてして道頓堀川どうとんぼりがわに落としたろかい!

 ああんっ?

 それとも足をコンクリで固めて大阪湾に沈めたろかいっ、ウラアッ」


 むき出しの土の上に正座をさせられ、消え入りそうに下を向くふたり、源之進げんのしん高見沢たかみさわ


「おいこらっ、おまえじゃ、おまえっ。

 それでも紫樹むらさきの跡継ぎか!

 こんなところでウロチョロしくさりやがって、そんな暇なんぞ、あるんかいやっ!

 仕事せいやっ、仕事を!

 それに高見沢!

 おどれは、なぁにがプロティンじゃ、カス! ボケッ。

 ただの筋肉バカやないかい、このアホがっ。

 もう二度と筋肉はつけませんって、泣いて宣言せいや!

 切れ味サイコーのナイフを貸したるさかいな、ここでその無駄な筋肉をぜーんぶ削ぎ落せや!

 ほんま腹んたつやっちゃな」


 極道も失禁するくらいの迫力で攻め立てられ、高見沢はうっすらと目出し帽からのぞく目に本当に涙を浮かべている。


 日本語は意味不明であるが、フィリップとマルティヌスはまるで自分が罵詈雑言ばりぞうごんを浴びているように、シュンとしていた。


 二台のバイクの後ろに停められているビートル。

 やはり素人であった。

 尾行などできるはずもなかったのだ。

 あっさりと見つかってしまったのである。


「ちょ、ちょっと、そろそろ許してあげたら。

 深く反省しているみたいだし」


「そうやって甘えさすからじゃ!

 アニキもイモウトも関係あらへん!

 こいつら、ノホホンとドライブ気分でついてきくさってからにっ」


 源之進はガバッと両手をついて頭を下げる。


「本当に申し訳ありませんでした!

 ぼくが嫌がる高見沢くんを無理やり巻き込んでしまったんだ。

 せめて彼だけでも助けてください、お願いしますっ」


「いえっ、すべてはこの高見沢が責務を負わせていただきますゆえ、どうぞ、どうぞひらにお許しを」


 高見沢も両手をついて謝罪する。


「おうおう、美しいのう。

 そんな浪花節で、わしらの怒りが収まると思ってけつかるんか!

 オイッ、ケツかち割ったろかい!」


 きりは、怒髪天をつく勢いの、らんを抑えるのに必死である。


「なっ、なっ。

 来ちゃったもんはしかたないしさ。

 らんが怒るのも無理ないよ。

 それはあたしだって同じなんだからさ。

 もう許してあげてよ、ね」


 ヘルメットにゴーグルのため、らんの表情はわからないが、形の良い鼻から荒い息が猛毒のごとく吐きだされているのは全員がわかった。


 きりに優しく肩を叩かれ、らんは形の良い鼻腔から荒い息を何度も吐く。

 ふと憑きものが落ちるように、力の入った肩が深呼吸とともにさがった。


「もう、これっきりにしてくださいまし、お兄さま、高見沢さま。

 らんもきりも、けしてお遊びしているわけではありませんのよ。

 ご理解いただけるかしら」


 きりはホウッと安堵し、源之進と高見沢は命だけは助かったとその場に倒れこむ。


「おい、フィリップよ」


 マルティヌスは小声でささやく。


「わしらはもしかすると、悪魔よりもコワいものを見てしまってのじゃなかろかの」


「ええ。

 ヤマトナデシコと呼ばれている日本女性の真髄を、しかと確認いたしました」


 ふたりの異国人は胸元で十字を切った。

                                  つづく

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