第31話 「魔物」

 白骨馬に曳かれた馬車が、むき出しの土を飛ばしながら進んでいく。

 両側の土壁は無理やり切り崩したかのように、鋭利な先端を持つ巨大な岩があちらこちらにあった。

 なかには地面から突き出した小山のような岩もある。


 頓殿とんでんの細い眼には、その岩陰にいくつもの影が浮かんでいるのが見えた。

 小さな猫だと思った。

 だが驚くことに、背中から蝙蝠こうもりに似た翼が生えていたのだ。

 

 ギィギィと金属をこすり合わせたような不気味な鳴き声が、馬車の車輪の音の隙間から聞こえてくる。


「え、ええっと、あれはネコさんなのか、コウモリさんなのかどっちだろう。

 社長なら知っているはずなんだけどなあ」


 肩を寄せ合って馬車で運ばれる集団のなか。

 骸野むくろのはすぐ隣に立っているのだが、うつろな眼差しで前を向いている。

 頓殿は声をかけようとしてやめた。

 あの堺市さかいしのビルで集会に参加して以来、まるでひとが変わってしまった。

 仕方なく再び奇妙な猫たちに目をむけたのであった。


 先頭を行くデラノヴァと猾辺かつべの乗った馬車。

 そこへ飛来する小さな影。

 岩陰を飛び回る小さな猫の化け物ではない。

 体調三十センチほどの蛇であった。


 正確には無論、蛇ではない。

 黒い鱗に覆われ、背には薄い皮膜の羽。

 小さな頭部には二本の赤黒い角を生やしている。

 その化け物はデラノヴァの顔に近づき、シャーッと牙をむきだす。


「おや、そうかい。

 いったい何奴か知らないけど、まさかこの道が地獄へ通ずるとは思わないだろうねえ。

 その前に魂だけいただいて、手土産にしようかしら」


「どうかしたのか」


 猾辺は馬車の揺れに身を任せながらデラノヴァを見る。


「なあに、迷子がいたようなのさ」


「わたしの党員か」


「違うね。

 まあお任せあれ」


 デラノヴァはぺろりと真っ赤な舌で、黒い唇を舐める。


~~♡♡~~


 きりは慎重にトレーサーを操縦し、周囲への警戒を怠らない。

 見上げるような広い空間がずっと続いている。

 周囲の土壁は淡く明滅を繰り返し、バイクのライトは念のためスモールライトに切り替えていた。


「こんな洞窟が日本の、しかも大阪にあるなんて、誰も思わないだろうな」


「はい。

 ぼくも初めての経験です」


 フィリップの言葉に、きりはちらっと振り返る。


「だって、神父さんはエクソシストなんだろ」


「とは申しましても、まだまだ修業中の身ですから、知らないことのほうが多いのです。

 マルティヌス先生のような、百戦錬磨のエクソシストとは雲泥の差があります」


 生真面目な言いかたに、きりは表情をゆるめた。


「誰だって最初ってのがあるからさ。

 神父さんはこれからたくさん悪魔退治をして、エクソシストのてっぺんを目指さなきゃ」


「ありがとうございます、きりさん。

 早くひとり立ちできるように頑張ります」


 ファイトだぜ、と言いかけたきりは嫌な予感に襲われた。

 はるか先のほうで何かが動いた気がしたのだ。

 ハンドルから左手をはずし、ベルトに取り付けてあるボックスを操作する。

 ゴーグルのレンズを望遠鏡にセットする。


「おいっ、らん!」


「はーい」


「前方からなんだか知れないけど、こっちに向かって飛来する大群がっ」


 らんもゴーグルのレンズを変える。


「あらまっ、洞窟だからコウモリかしら」


「いや、違う」


 ふたりのやりとりはインカムを通し、フィリップとマルティヌスにも聴こえる。

 羽音を立てて飛んでくるのは、デラノヴァから命じられた蛇の魔物であった。

 それも百匹を超える。


 きりはバイクのライトをハイビームに変える。

 距離にして三百メートルほどであったのが、互いにどんどん近づいていく。


「どうする?

 バイクを停めて一匹残らず成敗するか」


「それならわたくしの『影斬かげぎり』で」


「嬢ちゃんたち、バイクはそのまま走らせよ!」

 

 マルティヌスが叫び、タンデムシートから腰を浮かせる。


「先生、どうされるおつもりで」


 フィリップは振り返った。

 マルティヌスは背負っていた自動小銃を構える。


「これよ、フィリップ」


「神父さま、それは水鉄砲ではありませんの?」


 らんの問いにマルティヌスはニヤリとした。


「見ておれ」


 距離が五十メートルを切った。

 ハイビームに浮かぶ、くうを飛来しくる異様な蛇の大群。


「ふへへっ、いくぞい」


 マルティヌスはペロリと舌で唇をなめ、構えた銃の引金トリガーを引いた。

 銃口マズルから勢いよく発射されたのは弾丸ではない。

 水であった。


 だが子ども用の玩具ではないことは、その飛距離でわかる。

 ビュンっと釘ほどの細い水が真っすぐに飛んでいく。


 蛇の大群に勢いよく当たる。

 その瞬間、ジュンッ! と消し炭のようになった蛇たちが次々と落下していった。

 いったいどれくらいの水を蓄えているのか、途切れることなく発射され続ける。


「本当に水鉄砲なのですわね」


 らんは驚く。


「聖職者じゃからの。

 火薬を使つこうた飛び道具などは持たぬわ」


「でも、そのお水は」


 マルティヌスはウインクする。


「もちろん水道水ではないぞよ。

 バチカンの技術部が精製した『聖水』をたんまりとつめこんでおるのじゃ」


 らんは納得した。

 聖水であれば小さな魔物くらいは一瞬で消滅させられる。

 まさにエクソシストの水鉄砲である。

 飛来していた蛇たちは残らず消滅させられた。


「これでよかろう」


「サンキュウ、センセ。

 じゃあこのまま走るぜ」

 

 きりはスモールライトに切り替え、アクセルを回した。


~~♡♡~~


 デラノヴァはブロンドヘアをなびかせ、白骨馬の手綱を握る両手が固くなる。


「どうかしたのか」


 猾辺かつべは訊いた。

 先ほどまで微塵も感じられなかった焦りにも似た表情を浮かべているからだ。


「おかしい」


 猾辺に対する返答ではなく、自身の感情の乱れに対する自問自答のようだ。


 何者かはわからないが、ここへ入り込んだ不審者を排除するように使い魔へ指示を出した。

 野生の動物であれ、人間であったとしてもさして手間がかかるわけはない。

 使い魔のひと噛みで絶命する。


 ところがその報告が来ないのだ。

 主人の命令は絶対であり、まさか失敗したなどとは考えられない。

 となると「返り討ちにあったか」ということになる。


「ありえない、使い魔を滅することができるなどと。

 そんなことが可能なのは」


 デラノヴァはここでハッと顔を上げた。


「エクソシスト!」


 猾辺は眉を寄せる。


「エクソシストがどうかしたのか」


 デラノヴァは切れ長の目を吊り上げ、猾辺を見た。


「われらのあるじを脅かす、クソ野郎だっ」


「それなら、さっさと排除すればよかろう」


 この男はわかっちゃいない。

 血の契約を結んだ以上、こやつは、もはやひとの住む世界にはもどることはできない。

 エクソシストが、唯一の脅威であることを知らない。


 だが今はまだそれを告げるタイミングではない。

 あるじの元で洗礼を受け、完全にこちらサイドの存在になったときに教えるのだ。


「そうさねえ、その通りだわ」


 デラノヴァはニヤリと口元を曲げ、手綱から片手を外して甲高い口笛を吹いた。


 走る馬車を岩陰から、飛び回っていた数百の猫の化け物たちがいっせいにギャアギャアとわめき始める。

 広い洞窟に反響し、馬車の走ってきた道を啼き声が連鎖していった。


~~♡♡~~


 いったいどこまで続くのか。

 これほど長く続くトンネルが日本の地下に存在しているとは、国土交通省はむろん、検非違使庁けびいしちょうでさえ把握してはいないだろう。


 先頭を走るきりは、時折大地から突き出る岩をうまく避けながら走行していく。

 くすんだオレンジ色と黄色を混ぜ合わせた光る壁は、意識を集中させていないと遠近感を奪う。


「おやあ」


 きりは前方を注視し、再びゴーグルのレンズを拡大させた。


「神父さん」


「はい、ぼくにも確認できます」


 距離にして一キロ以上あるだろうか。

 またしてもなにか得体のしれぬ影が、いくつも動いているのがわかった。


「らんっ、またまたお出迎えのようだぜ」


「ご親切なことですわ。

 どういたしましょうかしら。

 このまま突っ込んでいって、また水鉄砲で始末していただきましょうかしら」

 

 らんは後方のマルティヌスを振り返る。

 フィリップが叫ぶ。


「先生!

 このまま突っ込むのはまずいです。

 今度はもっと大きな魔物のようです」


「せっかく若い嬢ちゃんたちとドライブを楽しんでおるというのに。

 だがフィリップの言う通りのようじゃな。

 ここで待ち構えて、一気に殲滅せんめつしようぞ!」

                                  つづく

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