第8話 日常の終わり【前編】

2021年1月3日午前5時45分頃【神奈川県 横浜市 アパート「サンライズ」105号室】


 早朝、部屋の外は日の出前でまだ暗いが、狭いキッチンに居る春日はいそいそと朝食の準備をしている。程よく鮭が焼きあがったところで、ガスレンジのスイッチを切ると大月に声を掛ける。


「おはようございます大月さん、鮭焼けましたよ」

台所から春日が大月に声をかける。


「ん、ありがとな、春日」


 春日の声で漸くしっかりと目覚めた大月が欠伸交じりの返事をする。炬燵の向こう側では毛布にくるまった西野ひかりが、呻きながらもぞもぞと動く。


「途中で起きたから少し怠いな……」

呟きながらテレビを点けて炬燵の上に広がる酒宴の跡を片づける大月。

 

「西野、おはよう。ご飯だぞ」

炬燵の反対側に寝転がる西野に声を掛ける大月。


「……うう」


 呻きながらのっそりと起き上がる西野。セミロングの黒髪が乱れ、寝ぼけ眼のすっぴん姿は普段は大月に見せられないであろうが、顔面蒼白で二日酔いであろう事は一目瞭然だった。


「西野、まだ気持ち悪いか?バファリン飲むか?違うな、ウコンにするか?」

呆れた顔の大月が、青ざめた顔でぐったりと炬燵に突っ伏している西野の面倒を見る。


「……ううぅ。良妻アピールのチャンスが」

突っ伏したまま嘆く西野。


「すいません、大月さん。ウコンください。ぐぅっ」

冷蔵庫で良く冷やされたウコンをイッキ飲みする西野。


「ふぅ、もう1本!」

少しだけ生気を取り戻した西野が、大月に手を伸ばしておかわりを求める。


「やめとけ、そんなのより朝飯食った方が酔いが早く醒めるぞ?ほれ、赤だし味噌汁でも飲んどけ」

嗜める大月。


「どうせ仕事もお休みなんですから、いいんですよ―。のんびり朝御飯いただきまーす♪」

けろっとした顔で答える西野だった。


 やがて春日がトレイに載せた味噌汁とご飯、鮭を持ってくると、大月と西野が協力して炬燵の上にそれらを並べていく。人数分の食卓が整った所で、誰ともなく「いただきます」と手を合わせると、其々が味噌汁や焼き鮭に箸を伸ばして数年ぶりのボッチでは無い大月の朝食が始まった。


 ひとしきり、昨晩から点けっぱなしのテレビを無言で視ながら箸を進める3人。

 テレビはどのチャンネルもNHKで統一され、放射能を避ける為に屋内への緊急避難を呼び掛けるアナウンスがずっと流されていた。


「ところで大月さん、ご飯のあとシャワーお借りしてもいいですかぁ?」

西野があざと可愛い声で大月に訊いた。


「ウゴッ!はあ?お前、家で浴びてこいよ」

大月が喉に流し込んでいた納豆かけご飯を詰まらせながら、モゴモゴ言ったあとで、


「ああ、そうか、放射線かぁ・・・」

煩悩を振り払うべく、苦悩の表情を見せる大月。


 側から見ると、煩悩と闘う紳士の振りをした中年男性オヤジにしか見えないのだが、春日は我関せずとばかりに澄まし顔で味噌汁を啜るのだった。


        ♰         ♰         ♰


 そうこうしているうちに、テレビ画面が政府広報から変わり、首相官邸の円卓会議場が映しだされた。

 円卓中央に厳しい表情の澁澤首相が座っており、左右は米露駐日大使がポーカーフェイスを保ちながら席に着いていた。


「これより、澁澤内閣総理大臣による国家非常事態宣言と、緊急国際共同声明、合同記者会見をお伝えします。」

NHKアナウンサーの声でアナウンスが行われた。


 画面中央の円卓に座る澁澤首相はおもむろに立ち上がると、テレビ画面を真っ直ぐに見つめて視聴者に語りかけた。


「今から8時間前、我が国は150基を超える核ミサイルの攻撃を受けました」

澁澤は具体的な国名を敢えて、明らかにしなかった。


「我が国は米軍と共に日本海に展開した海上自衛隊イージス艦、全国の自衛隊基地から各種迎撃ミサイルで撃墜を試みましたが、全てのミサイルの撃墜には至りませんでした」

澁澤は言葉を切った。


「日本列島が世界から核爆発で消滅しようとした瞬間、我が国とその周辺で未知の現象が発生しました」

澁澤がゆっくりと話す。


「断片的な情報を基に分析したところ、我が国全土とその周辺海域100Kmが空間ごと、太陽系第4惑星である火星に転移したとの結論に達しました」


 画面が赤いオーロラに覆われた夜空を撮影した画像に切り替わった。


「この画像の右上矢印にご注目ください」


 画面右上の矢印で示された白い星が拡大されていき、やがて誰もが知る青色の海、白い雲と茶色い大地を持つ星が写し出された。所々に明滅する赤い光点やたなびく灰色の煙、大地に流れる赤い川が見える。


「この星は、我が国が8時間前に存在していた、『地球』になります」

思わず記者席からどよめきが起きたが、澁澤はしばらく言葉を発しなかった。


 視聴者が澁澤の発言を全て理解するまで待ったのである。


         ♰         ♰         ♰


---同時刻【地球 カリフォルニア沖の太平洋上 日本国籍 豪華客船「斑鳩」】


 朝食を取りにダイニングに訪れた乗客たちは味噌汁が冷めるのも忘れて、海外ニュースに釘付けになっていた。


 ダイニングのテレビは画像が不安定な米国CNNニュースを同時通訳や字幕なしで流していた。

NHKの海外衛星放送は何故か受信できなくなっていたのである。


 「斑鳩」乗務員が壁面テレビの下でマイクを持ちながら日本語で通訳している。


「こちらはニューヨークのスタジオです。番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします。

 ペンタゴン(国防総省)によりますと、昨日東部時間午後6時頃、日本列島が中国とロシアの核攻撃で消滅したとのことです。繰り返します、日本が中国とロシアの核攻撃により消滅しました」


「NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)とNASA(アメリカ航空宇宙局)によりますと、日本全域に150基以上の戦略核ミサイルが発射され、少なくとも20基以上が東京を直撃したとのことです」


 ダイニングの床に一人の日本人の老婦人が涙を流しながら崩れるように座り込み、ダイニングのテーブルからはすすり泣く声が聞こえた。


「ペンタゴンによりますと、アラスカのアンカレジ基地から発進した空軍の特殊観測機が日本列島の消滅を確認したとのことです。日本のヨコタ、ヨコスカ、ミサワ、サセボ、カデナ、イワクニ、アツギ等主要基地と朝鮮半島東部の日本海に展開していた複数の航空母艦やイージス艦、潜水艦との通信が途絶えているとのことです」


「AFP通信によりますと、ブリュッセルのNATO軍司令部は、英国の新鋭空母「クイーンエリザベス」とその随伴艦隊が日本列島消滅と同じ時刻に消息を絶ったとのBBC放送の報道を確認する声明を発表しました。司令部は長崎県沖を航行していた際に核爆発に巻き込まれたものと推測し、アメリカのインド・太平洋軍と共同で調査・救難チームを派遣する事をーーー」


「日本への奇襲核攻撃に対し、ペンタゴンは報復としてロシア第二の都市サンクトペテルブルク、ロシア海軍北方艦隊司令部のあるムルマンスク、中国内陸部の工業都市重慶に対し戦略核攻撃を行い、各目標を完全に破壊したと発表しています」


「国営ロシアテレビによりますと、キューバの首都ハバナがアメリカ軍の空爆を受けているとの事です。プエルトリコ州兵報道官はCNNの電話取材に対し、キューバの首都ハバナ郊外に海兵隊と州兵1個大隊が上陸してキューバ軍と交戦中であることを明らかにしました」


「ロシア大統領府は先程、戦略ロケット軍に臨戦態勢に入るよう指示し、全てのモスクワ市民に対し避難命令を発令しました」


「ペンタゴンは戦略空軍が臨戦態勢に入ったことを認めました」


「中東カタールの放送局アロジャジーラは先程、イスラエル空軍機がイランの首都テヘランに中性子爆弾複数を投下したと速報で伝えています。CNNテヘラン支局との通信が途絶しています」


「サウジアラビアの首都リヤドで、アメリカに協力する現王政に反対する民衆が政府軍と衝突し多数の死者がーーー」


「現在、全面核戦争を避けるためにジュネーブの国連代表部で米ロ中代表は断続的に真剣な協議を続けています。

 現状の相互確証破壊で両陣営が収まるのかどうか、世界中が息を潜めて成り行きを見守っています」


「ローマのサンピエトロ大聖堂では、ローマ法王が全世界に向けて停戦を呼びかけるミサを行いーーー」


 テレビから次々とこの世の終わりの様なニュースが報じられる中、テレビと乗客の携帯電話が一斉に緊急速報を受信した。


ーーー緊急地震速報。

 米国カリフォルニア沖にてM9.1の地震発生。

 激しい揺れと大津波に注意して下さい。


 乗客達が緊急速報メールを受信した5分後、高さ60mの津波が日本の豪華客船右舷を直撃し、茫然としていた1200名の乗員・乗客を海底に巻き込みながら、アメリカ西海岸一帯に波高を高めながら襲い掛かった。



------


ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m


【このお話の登場人物】


・大月 満 = 総合商社角紅社員。

・西野 ひかり= 総合商社角紅社員。大月と同じ部署。

・春日 洋一= 20代前半。総合商社角紅若手社員。

・澁澤 太郎=日本国内閣総理大臣。

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