第33話 記憶の欠片
初めて出会った彼は怪我を負っているのに隙が無く目が鋭くて、手負いの狼みたいな人だと思った。
二度目に会ったバルコニーで「攫いに来た」と言われて驚いた。けれど、また会いに来て欲しいと思った。あの時くれた四つ葉のクローバーは大切な宝物。
何度か夜中に会うようになって、声を失ったフリをしている理由を彼に打ち明けた。
軽蔑されるんじゃないかと怖かった。だって……私のしていたことは人道に外れる行いだから。
でも、彼は私から離れないでいてくれた。味方になってくれた。毎日色んな先生に検査され困っていると零したら、数日後、昼間に薬師として現れてまた驚かされたけれど。
それからだいぶ経って、こんな日々がずっと続けばいいのにと思っていた頃、協会に帰るとレイヴィンは言った。そろそろ私の返事を聞かせてほしいと。
私は……この国から離れられないと告げた。あの人をほっとけないから。
でも……レイヴィンは、それでも私をこの国から攫いたいと言ってくれた。私の願いを叶える為ではなくて、自分の意思で連れ去りたいんだと。
本当は嬉しかった。抱きしめられて好きだと言われた瞬間……私も貴方が好きだと思った。レイヴィンと離れたくない。
でも私だけ自由になっていいの? 幸せになっていいの?
答えられない私にレイヴィンはあと一日だけ待つと言ってくれた。
明日の夜、何度か二人で会った中庭で待っていると。時間を過ぎても私が来なかったら、一人でこの国を離れると……。
◆◆◆◆◆
そしてセラフィーナの誕生日パーティー前日。
0時の鐘の音が遠くで聞こえ日付が変わったのだと気づいたセラフィーナは、大切な宝箱の奥から手紙を取り出した。
それは今よりずっと幼い頃にフィアンセだったアーロンから大人になったら読んで欲しいと託されていたものだった。成人の儀式を受けてからと思っていたのだが、セラフィーナは今読もうと決めた。この国を発つ前に。
もうすぐ自分はレイヴィンの元へ向かい、そのままこの国から姿を消す。
この胸にある罪悪感はきっと永遠に消えないけれど、それでもセラフィーナはレイヴィンの手を取ることを選んだ。
――キミに伝えたかった言葉を、秘密の場所にいるアノ女神に預けておいたよ。
手紙に書かれていた文章を読みすぐにピンと来たセラフィーナは鏡台にある置時計に視線をやった。
「……約束の時間までもう少し」
今行かなければ、もうあの場所には戻れない。
そう思ったときには駆け出していた。幼い頃に遊んだ思い出の場所へ。
薄暗い階段をランプで照らし、細い地下通路を駆け足で進むと目的の部屋が見えてくる。
けれど……
(あら? 扉が少し開いているわ)
中から人の話し声がして、セラフィーナは咄嗟に気配を消して隙間から中を覗き込んだ。
人影の一人はアイビーグリーンの髪をした後姿だった。すぐにアレッシュだと分かる。
だがもう一人の顔は彼の影に隠れて見えない。スカート姿なので女性のようだったが。
こんな時間に人気のない場所で……。
(まさか、逢引?)
だとしたら覗き見はいけないがセラフィーナには出直す時間もなくて、とりあえず中の様子を探った。
「いいですか、ローズ。ここから先、失敗は許されません。覚悟は出来ていますね」
アレッシュが名前を口にしたことで、今彼と会話をしているのが誰なのかがセラフィーナにも分かった。
(なぜ、二人でこんな所に?)
「明日パーティーが始まる前に、わたくしがセラフィーナ様をこの部屋まで誘導します」
「そうしたらこの薬であの子の魔力が暴走するのを見計らって、ね」
「ええ。次に目覚めた時は、あなたがセラフィーナ」
「セラフィーナが私」
「術により記憶を無くした彼女には、彼女が城の下働きのメイドでわたくしと交際していたと説明し思い込ませます。そうしたら、彼女と城を出てゆくのであなたもその後はご自由に」
(ど、どういうこと?)
聞いてはいけない会話だったと察した。そして早くこの場を離れなければと踵を返す。
けれど動揺していたセラフィーナの足音が、しんっとした地下通路に響いてしまう。
「誰だ! セラフィーナ様!?」
セラフィーナはすぐに二人に捕まり部屋へ引きずり込まれる。
「なぜこんな時間にっ……しかし聞かれた以上、逃がすわけにはいけませんよ」
声を上げそうになったがセラフィーナはそれを堪えた。自分はここ数か月声を失ったフリをしてきたのだ、こんなところでボロを出すわけにはいかない。
「怖がることはありません。あなたを自由にして差し上げたい、それだけが望みです」
(私はそんなことっ)
望んでないとは言えなかった。けれど、今耳にした計画は恐ろしすぎる。
(禁術を使って、私とローズの魂と身体を入れ替える気なのね)
セラフィーナはもがき抵抗した。
だがアレッシュに無理矢理得体の知れない薬を飲まされると、身体の中から制御できなくなった魔力が溢れ出し、地響きと共に魔法陣から紅蓮の光が噴出する。
(いやっ、誰か……レイヴィン、助けてっ)
ふっと身体が浮き上がった瞬間、床に倒れている自分の身体を上から見つけゾッとする。
そして今の自分は透けていた。
「ふふ、そんなに怯えて。怖いの?」
顔をあげると同じように透けた姿のローズが宙に浮いている。
アーロンと同じエメラルド色の瞳が、憎々しいという感情を隠さぬ眼差しをこちらに向けていた。アーロンと同じ金色の髪が紅蓮の光に染められ輝いている。
彼女はかつてのセラフィーナの婚約者にそっくりな、彼の双子の妹。
「大丈夫ですわ。すぐに怖くなくなる。なぜなら……貴女は新しい身体に入れず消滅するんですもの!」
「っ!?」
美しい目を剥き出して笑いながら襲い掛かってきたローズの迫力に押され、セラフィーナは反射的に飛び退いた。
その瞬間。それはしてはいけないことだと悟る。
魔法陣の外に放り出されたのだ。魂だけの状態で。
そのうえ禁術の発動している地下室内は邪悪な力に満ちている。
セラフィーナはすぐに得体の知れない闇の渦の中に飲み込まれていった。
「セラフィーナなんていなくなってしまえばいい」
最後に見たのは、セラフィーナの肉体へと吸い込まれてゆくローズの高笑いしている姿。
「セラフィーナさえいなければ、彼は私を選んでくれたかもしれない。おまえが私から全てを奪ったんだ、全部全部全部! 私の欲しいもの全てっ」
(ローズは私を、ずっと恨んでいたのね……)
「おまえなんて、消えてしまえー! あはははははは」
彼女の魂はセラフィーナの肉体へ完全に入って消えた。
そして抵抗も出来ぬままセラフィーナの魂もまた闇の中に溶けて消えたのだった。
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