第8話 アレッシュさんに捕まっちゃいました

「部屋を出たはいいけれど、行く当てがない……」


 アンジュは城の廊下をウロウロと浮遊していた。今はあの部屋には戻りづらいし困ってしまう。


 ウロウロ、ウロウロ、廊下を行ったり来たり。

 廊下には窓がいくつも並んでいたが、今日は曇り空だったので強い日の光は差し込んでこない。そのおかげで痛みを感じることなくうろうろできたが、あまり遠くに行くとあとでレイヴィンに怒られそうなので、どのタイミングで部屋に戻ろうかと考えていると。


「ねえ、最近アーロン殿下のお姿がないけどまだご病気なのかしら」

 アンジュの姿が見えないメイド二人が、まっさらなシーツを運びながら噂話をしてこちらに歩いてきた。


「あたしら下っ端には詳しい事情を伏せてるみたいだし。もしかしたら重病なのかもよ」

「そんな。まさか命に係わるなんてことはないわよね」

「どうかな。殿下の双子の妹もだいぶ前にご病気でお亡くなりになったからね。アーロン殿下も、なんてことになったら陛下のご子息がいなくなるし大問題」


「王位継承権のこともあるけれど、その場合セラフィーナ様はどうなるのかしら」

「王位継承権一位はアーロン殿下から陛下の弟へ。そのご子息であるシャロン様が未婚だから、セラフィーナ様はシャロン様と結婚させられるでしょうね」

「え~、でもシャロン様って素敵よね。セラフィーナ様とお似合いかも」

「いやだ、あたしは絶対アーロン殿下派。麗しくてどこかミステリアスな王子と、清純でまるで聖女のようなセラフィーナ様の組み合わせが最高に決まってるの。っていうか、まだ殿下が重病って決まったわけでもないんだから、こんな話やめやめ」


「そうね。暗い噂話はここまでにして楽しい噂話しましょうか」

「じゃあ、今をときめく怪盗Sの話なんてどう。どうやら相当の美男子らしいわ」

「え~、あたしは渋いダンディなおじ様って聞いたわよ~。このお城にも盗みにこないかしらね」


 キャッキャと楽しそうに笑いながら、メイド二人はアンジュをすり抜けて行った。

 怪盗Sとは恐らくレイヴィンの怪盗名のことだろう。

 その正体がこの城にいる薬師のレイヴィンだなんて彼女たちは気付いていないだろうけど。


「それにしてもセラフィーナ様って……」

 レイヴィンとの関係を見るに、アーロンとの婚約は政略的なものなのだろうというのは伝わっていた。

 だがどういった政略なのか。今の話を聞くと、セラフィーナはアーロンがだめならば次から次へと他の王族へたらいまわしにされる定めのようだ。


「……まるでこの国に囚われているみたい」

 彼女はこの国にいる限り好きな人と結ばれることができないのかもしれない。


 色々と考え事をして俯いていると、また誰かの大理石の床を規則正しく鳴らす靴音が徐々にコチラに近付いてきた。


「アレッシュさんと鉢合わせする可能性もあるし、どこか隠れられる場所へ」

 いつまでも廊下にいるわけにはいかない。昨日の彼はアンジュの姿が見えているようだったし、セラフィーナにも気付かれたのだから意外と霊感体質の人間はいるのかもしれない。

 だがそう思った時には遅かった。


「わたくしがどうかしましたか?」

「いえ、きゃっ!?」

 気がつけば顔を覗き込んでくる青年の姿が。

「アア、アレッシュさん!?」


 アンジュに名前を呼ばれたアレッシュは、アイビーグリーンの瞳を柔らかく細め微笑む。

「やはり昨夜見たのは、幻ではなかったのですね」

「え、え? いえいえ幻ですよ。私はただの幻ですっ、さようなら!」

 もう逃げるしかないと思ったアンジュは彼に背を向ける。


 だが突然アレッシュは自分の長衣の上着を脱ぎアンジュの頭上から被せてきた。

 急にアンジュの視界が真っ暗になる。

「っ!?」

「掴まえた」

 ふわりと包み込まれるような感触。後ろから長い腕に絡みとられ、アンジュは抱きしめられているようだった。


「やはりか。昨夜のパーティー、透けているのに壁にはぶつかっていたようでしたから。あの会場は魔物などが入り込まないよう特殊な術が掛けられていたのです。そしてわたくしの上着にも同じ術を、ね」

「っ!?」

 布越しとはいえ耳元で囁かれ、彼の吐息を感じた気がして気恥ずかしくなり身を竦める。


「わぁっ、なな、なにするんですか!?」

 アレッシュはもがこうとするアンジュをお構いなしに、お姫様抱っこで軽々持ち上げてしまった。

(ああ、布越しでも誰かに触れてもらえる感覚が久しぶりな気がする……)

 なんだかその温もりが懐かしいもののように思えた。


 そして物体をすり抜けられないなんて不便だと思っていたが、こういう触れ合い方ならできるのかと感心しかけてハッとする。

 今はそんなこと考えている場合ではなかった。


「こんな姿になって、今までいったいどこでなにを?」

 口調は物腰柔らかなものだが、捕らえられているこの状況では恐怖を感じてしまう。

「べ、べつになにも。私、なにも悪いことはしていません。記憶も身体もないただの迷子の亡霊なのです。どうか見逃してください」


「ほう……記憶が。もっとお話をお聞かせください。さあ、遠慮せずにわたくしの部屋へどうぞ、お嬢様」

「えぇ!? やや、それは遠慮したいというか、なんというか」

「逃がすわけにはいかない。わたくしは昨晩あなたが、レイヴィン先生の身体から出てきたのを目撃してしまっているのだから」


「それはっ」

 アンジュは小さな抵抗など笑顔でスルーされ、アレッシュに問答無用で部屋へ連れ込まれてしまったのだった。

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